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第4章 死が二人を分断つとも
38 約束が違う
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「ねぇアリス。お願いがあるの」
晴香は午後の授業をつつがなく終えた。
昼休みのひと騒動なんてまるでなかったみたいに。
全てが終わって後は帰るだけになった放課後。私のところまで来た晴香がそう言った。
「氷室さんともう一度話がしたいの。アリス、一緒にいてくれない?」
「それは……別にいいけど……」
申し訳なさそうにはにかむ晴香。
寧ろさっきのことがあったから、二人きりになることは好ましくないと思う。
さっきのことの原因が何なのかわからない以上、どうなるかもわからない。
きっと私の立ち会いは必須だ。
氷室さんを呼び止めると、私のことをじっと見つめてから静かに頷いてくれた。
氷室さんも氷室さんで、思うところがあるはずだ。
話し合いそのものには否定的ではないようだった。
クラスのみんなは部活や帰宅でさっさと教室を出て行く。
場所を変えるまでもなく、教室は私たちだけになった。
心配そうにしていた創には外で待ってもらうことにして、ようやく私たちはゆっくり話せるようになった。
「……さっきは、感情的になってごめんなさい」
三人で椅子に座って少し無言の時間が続いてから、晴香がおずおずと切り出した。
そんな晴香を見て氷室さんは静かに首を横に振った。
「あんなはずじゃなかったの。氷室さんとちゃんとお話して、アリスのことお願いしようって、そう思ってたの。でも……」
晴香は俯いて膝の上で手を握った。
微かに肩が震えているのが見て取れた。
「アリスは、私の大切な幼馴染。大切な親友なの。だから本当は、私がアリスを守ってあげたかった。ずっと側にいてあげたかった。でも私は、私の役割はアリスのために身体を張ることじゃなかったから。その時が来るまでこの身を危険に晒すことはできなかったし、何よりアリスに打ち明けることが怖かった。だから、氷室さんに頼るしかなかった」
「…………」
晴香の言葉を氷室さんは黙って聞いていた。
俯くことなく、真っ直ぐにそのスカイブルーの瞳を向けていた。
「でも、氷室さんが羨ましかった。アリスを助けることができる氷室さんが。アリスに頼ってもらえる氷室さんが、とっても羨ましかった。私がそうありたいと思った。アリスの隣にいるのは、私でありたかったの……」
「晴香……」
それもまた、押し殺してきた晴香の気持ち。
昨日は、氷室さんの方が向いているからと平気そうに言っていたけれど、その胸の内は違ったんだ。
でも、それができない自分とずっと戦ってきた。
「それでも、やっぱり私にはそれはできない。私はもう長くないから。アリスの側にいることも、助けてあげることも、力を貸してあげることもできない。私にできるのは、来たる時に守ってきたものを渡すことだけ。私の役割は、私にできることはそれしかない。だから、アリスを守ってあげられるのは氷室さんだけだと思ったから、お願いしようと思って……でも……氷室さんは……」
晴香は苦しげに唇をぎゅっと結んだ。
泣きそうになるのを堪えているような、痛烈な表情だった。
「私はただ、頷いて欲しかった。任せて欲しいって言って欲しかった。そうしたら安心できたのに。でも……でも氷室さんは何も言ってくれなかったから……! だから、怖くなったの。これでいいのかって。でもそんなはずはない。だって氷室さんはずっと、アリスを守るためにここにいたんだからって。でも、氷室さんが何も言ってくれなかったから、私は、不安になって…………」
抱える感情が渦巻いて、思わず声を荒げてしまったんだ。
湧き上がる感情がコントロールできなくなってしまったんだ。
本当は自分が守りたい。その気持ちがまず前提にあったから、不安を前にその不満が飛び出してしまった。
本当なら人に頼みたくなんてないのに、それでも頼まなくちゃけないから頼んでいるのにって。
「ねぇ氷室さん。私、アリスのこと頼んでいいんだよね? だって私たちはずっと、アリスを守るっていう同じ目的を持ってきたんだから。だから私、氷室さんのこと頼っていいんだよね?」
「…………」
胸の前で手を握りしめて、晴香は絞り出すように言う。
その声は切実で、迷いを握りつぶした苦渋の懇願だった。
それもまた、ある意味では自分の気持ちを押し殺した願いだ。
そんな晴香を、氷室さんは静かに見つめていた。
相変わらずのポーカーフェイスは何を考えているのかわかりにくい。
そんな氷室さんは冷静な面持ちで、ゆっくりと口を開いた。
「……私は、花園さんを守る。最後まで。それは、変わらない」
「じゃあ……」
「けれど、私とあなたの守る意味が、同じとは限らない。私には、あなたの願いをそのまま受け取ることは……できない」
氷室さんの言わんとしていることが、私にはよくわからなかった。
晴香も氷室さんも私のことを守りたいと思ってくれている。
そこに意味の違いなんてあるの?
「……どういうこと?」
「雨宮さん。あなたは、花園さんを危険から遠ざけることを望んでいる。けれど、私にできるのは、花園さんに並び立つことだけ。最後の時まで、共に寄り添うことだけ。花園さんが抗う運命を共に歩むことが、私の『守る』という意味だから」
「……! あなたは……!」
晴香は勢い良く立ち上がった。
力任せに立ち上がったから机も椅子も押し退けて、その音が静かな教室に響いた。
「そんな……そんなはずないよ! だってあなたは、戻ってきたアリスを守るために来たはずでしょ? 最初に話した時は、あなたは頷いてくれた。立場は違っても一緒にアリスを守っていくって約束してくれた。だから私たちは……」
「…………」
晴香は戸惑いを隠せないようだった。
立ち上がりはしたものの、弱々しく立ち尽くしていた。
私の『まほうつかいの国』での事情を知って、私を守るために鍵を預かった晴香。
晴香は私がもうその騒動に巻き込まれずに、平和な日々を過ごしていくことを望んでそうしてくれたんだ。
いつか自分が死んで鍵が私の元に還り、私が全てを取り戻す日が来たとしても、それでも晴香は私に平穏でいて欲しかったんだ。
だから晴香は自分が死んだ後、記憶と力を取り戻した私を取り巻く騒動が激化したとしても、その中で私が平穏な生活を送れるように守ってくれる人が必要だった。
でも、それはできない。
晴香はきっと、当時の私についての大まかな話は聞いて知っているんだろうけれど、私を取り巻く現状は知らない。
今は私のお姫様の力を巡って色々な思惑が交差している。私自身も与り知らないところで、色んなことが起きている。
その現状で私が今までの平穏や友達や自分を守るためには、もう私自身もその戦いに身を投じるしかない。
いつまでも目をそらして、逃げて隠れて誤魔化してなんていられない。
私はもう、戦わなくちゃいけないんだ。
だからこの場合、氷室さんの思う守り方の方が私の意志に沿っている。
でも晴香が望んでいることはそうじゃないんだ。
「なんで……どうして……? おかしいよ、そんなの。約束が、違う。だって、だって氷室さんは────」
晴香が弱々しく首を振りながら言葉を溢した、その時だった。
急に晴香の身体から力が抜けて、机や椅子にぶつかりながらベタンと腰を落とした。
私は倒れこみそうになる晴香を慌てて受け止めた。
その身体は燃えるように熱くて、玉のような汗が全身から噴き出していた。
「晴香! 晴香!? どうしたの……!?」
「……ごめん、アリス。ちょっと……身体、が……」
声を発するどころか息をするのも苦しげに、晴香は途切れ途切れの言葉を紡いだ。
肩に手を回して支える私の手を弱々しく握って、晴香は力無い笑みを浮かべた。
苦しそうに呻き声をあげて、それでも懸命に堪えている。
「花園さん。雨宮さんは……」
氷室さんは珍しく目を見開いて晴香のことを見つめていた。
さっきの話から推測するに、氷室さんは晴香の身体が限界に近いことはもう知っているはず。
それでも驚くことがあるとすれば、もしかして晴香は……。
「ごめん氷室さん。今日はもうこの辺りにしよう。晴香を、休ませないと」
「…………」
氷室さんは目を伏せて何も言わなかった。
何かに気づいたような氷室さんは、けれどそれを口にはせずに静かに頷いた。
「晴香、今日はもう帰ろう。休まないと。立てる?」
「う、うん……」
弱々しく、その一言を絞り出すにも一苦労のようだった。
私に寄り掛かるようにしがみついて、力の入らない脚でなんとか立ち上がる。
燃えるような高熱をあげる身体。水を被ったように噴き出る汗。荒い息遣いに力の入らない四肢。苦しそうに漏れる声。
何も知らない、何もわからない私にも、察しがついてしまった。
ここまで弱り切って苦しむ晴香の姿を目にして、一つの答えが浮かんでしまった。
晴香の身体はもう限界だ。堪えてきたものが抑えられなくなりつつある。
晴香の死は、もう目の前まで来ているんだ。
でも私はその考えに蓋をして、晴香を担ぐようにして教室を出た。
晴香は午後の授業をつつがなく終えた。
昼休みのひと騒動なんてまるでなかったみたいに。
全てが終わって後は帰るだけになった放課後。私のところまで来た晴香がそう言った。
「氷室さんともう一度話がしたいの。アリス、一緒にいてくれない?」
「それは……別にいいけど……」
申し訳なさそうにはにかむ晴香。
寧ろさっきのことがあったから、二人きりになることは好ましくないと思う。
さっきのことの原因が何なのかわからない以上、どうなるかもわからない。
きっと私の立ち会いは必須だ。
氷室さんを呼び止めると、私のことをじっと見つめてから静かに頷いてくれた。
氷室さんも氷室さんで、思うところがあるはずだ。
話し合いそのものには否定的ではないようだった。
クラスのみんなは部活や帰宅でさっさと教室を出て行く。
場所を変えるまでもなく、教室は私たちだけになった。
心配そうにしていた創には外で待ってもらうことにして、ようやく私たちはゆっくり話せるようになった。
「……さっきは、感情的になってごめんなさい」
三人で椅子に座って少し無言の時間が続いてから、晴香がおずおずと切り出した。
そんな晴香を見て氷室さんは静かに首を横に振った。
「あんなはずじゃなかったの。氷室さんとちゃんとお話して、アリスのことお願いしようって、そう思ってたの。でも……」
晴香は俯いて膝の上で手を握った。
微かに肩が震えているのが見て取れた。
「アリスは、私の大切な幼馴染。大切な親友なの。だから本当は、私がアリスを守ってあげたかった。ずっと側にいてあげたかった。でも私は、私の役割はアリスのために身体を張ることじゃなかったから。その時が来るまでこの身を危険に晒すことはできなかったし、何よりアリスに打ち明けることが怖かった。だから、氷室さんに頼るしかなかった」
「…………」
晴香の言葉を氷室さんは黙って聞いていた。
俯くことなく、真っ直ぐにそのスカイブルーの瞳を向けていた。
「でも、氷室さんが羨ましかった。アリスを助けることができる氷室さんが。アリスに頼ってもらえる氷室さんが、とっても羨ましかった。私がそうありたいと思った。アリスの隣にいるのは、私でありたかったの……」
「晴香……」
それもまた、押し殺してきた晴香の気持ち。
昨日は、氷室さんの方が向いているからと平気そうに言っていたけれど、その胸の内は違ったんだ。
でも、それができない自分とずっと戦ってきた。
「それでも、やっぱり私にはそれはできない。私はもう長くないから。アリスの側にいることも、助けてあげることも、力を貸してあげることもできない。私にできるのは、来たる時に守ってきたものを渡すことだけ。私の役割は、私にできることはそれしかない。だから、アリスを守ってあげられるのは氷室さんだけだと思ったから、お願いしようと思って……でも……氷室さんは……」
晴香は苦しげに唇をぎゅっと結んだ。
泣きそうになるのを堪えているような、痛烈な表情だった。
「私はただ、頷いて欲しかった。任せて欲しいって言って欲しかった。そうしたら安心できたのに。でも……でも氷室さんは何も言ってくれなかったから……! だから、怖くなったの。これでいいのかって。でもそんなはずはない。だって氷室さんはずっと、アリスを守るためにここにいたんだからって。でも、氷室さんが何も言ってくれなかったから、私は、不安になって…………」
抱える感情が渦巻いて、思わず声を荒げてしまったんだ。
湧き上がる感情がコントロールできなくなってしまったんだ。
本当は自分が守りたい。その気持ちがまず前提にあったから、不安を前にその不満が飛び出してしまった。
本当なら人に頼みたくなんてないのに、それでも頼まなくちゃけないから頼んでいるのにって。
「ねぇ氷室さん。私、アリスのこと頼んでいいんだよね? だって私たちはずっと、アリスを守るっていう同じ目的を持ってきたんだから。だから私、氷室さんのこと頼っていいんだよね?」
「…………」
胸の前で手を握りしめて、晴香は絞り出すように言う。
その声は切実で、迷いを握りつぶした苦渋の懇願だった。
それもまた、ある意味では自分の気持ちを押し殺した願いだ。
そんな晴香を、氷室さんは静かに見つめていた。
相変わらずのポーカーフェイスは何を考えているのかわかりにくい。
そんな氷室さんは冷静な面持ちで、ゆっくりと口を開いた。
「……私は、花園さんを守る。最後まで。それは、変わらない」
「じゃあ……」
「けれど、私とあなたの守る意味が、同じとは限らない。私には、あなたの願いをそのまま受け取ることは……できない」
氷室さんの言わんとしていることが、私にはよくわからなかった。
晴香も氷室さんも私のことを守りたいと思ってくれている。
そこに意味の違いなんてあるの?
「……どういうこと?」
「雨宮さん。あなたは、花園さんを危険から遠ざけることを望んでいる。けれど、私にできるのは、花園さんに並び立つことだけ。最後の時まで、共に寄り添うことだけ。花園さんが抗う運命を共に歩むことが、私の『守る』という意味だから」
「……! あなたは……!」
晴香は勢い良く立ち上がった。
力任せに立ち上がったから机も椅子も押し退けて、その音が静かな教室に響いた。
「そんな……そんなはずないよ! だってあなたは、戻ってきたアリスを守るために来たはずでしょ? 最初に話した時は、あなたは頷いてくれた。立場は違っても一緒にアリスを守っていくって約束してくれた。だから私たちは……」
「…………」
晴香は戸惑いを隠せないようだった。
立ち上がりはしたものの、弱々しく立ち尽くしていた。
私の『まほうつかいの国』での事情を知って、私を守るために鍵を預かった晴香。
晴香は私がもうその騒動に巻き込まれずに、平和な日々を過ごしていくことを望んでそうしてくれたんだ。
いつか自分が死んで鍵が私の元に還り、私が全てを取り戻す日が来たとしても、それでも晴香は私に平穏でいて欲しかったんだ。
だから晴香は自分が死んだ後、記憶と力を取り戻した私を取り巻く騒動が激化したとしても、その中で私が平穏な生活を送れるように守ってくれる人が必要だった。
でも、それはできない。
晴香はきっと、当時の私についての大まかな話は聞いて知っているんだろうけれど、私を取り巻く現状は知らない。
今は私のお姫様の力を巡って色々な思惑が交差している。私自身も与り知らないところで、色んなことが起きている。
その現状で私が今までの平穏や友達や自分を守るためには、もう私自身もその戦いに身を投じるしかない。
いつまでも目をそらして、逃げて隠れて誤魔化してなんていられない。
私はもう、戦わなくちゃいけないんだ。
だからこの場合、氷室さんの思う守り方の方が私の意志に沿っている。
でも晴香が望んでいることはそうじゃないんだ。
「なんで……どうして……? おかしいよ、そんなの。約束が、違う。だって、だって氷室さんは────」
晴香が弱々しく首を振りながら言葉を溢した、その時だった。
急に晴香の身体から力が抜けて、机や椅子にぶつかりながらベタンと腰を落とした。
私は倒れこみそうになる晴香を慌てて受け止めた。
その身体は燃えるように熱くて、玉のような汗が全身から噴き出していた。
「晴香! 晴香!? どうしたの……!?」
「……ごめん、アリス。ちょっと……身体、が……」
声を発するどころか息をするのも苦しげに、晴香は途切れ途切れの言葉を紡いだ。
肩に手を回して支える私の手を弱々しく握って、晴香は力無い笑みを浮かべた。
苦しそうに呻き声をあげて、それでも懸命に堪えている。
「花園さん。雨宮さんは……」
氷室さんは珍しく目を見開いて晴香のことを見つめていた。
さっきの話から推測するに、氷室さんは晴香の身体が限界に近いことはもう知っているはず。
それでも驚くことがあるとすれば、もしかして晴香は……。
「ごめん氷室さん。今日はもうこの辺りにしよう。晴香を、休ませないと」
「…………」
氷室さんは目を伏せて何も言わなかった。
何かに気づいたような氷室さんは、けれどそれを口にはせずに静かに頷いた。
「晴香、今日はもう帰ろう。休まないと。立てる?」
「う、うん……」
弱々しく、その一言を絞り出すにも一苦労のようだった。
私に寄り掛かるようにしがみついて、力の入らない脚でなんとか立ち上がる。
燃えるような高熱をあげる身体。水を被ったように噴き出る汗。荒い息遣いに力の入らない四肢。苦しそうに漏れる声。
何も知らない、何もわからない私にも、察しがついてしまった。
ここまで弱り切って苦しむ晴香の姿を目にして、一つの答えが浮かんでしまった。
晴香の身体はもう限界だ。堪えてきたものが抑えられなくなりつつある。
晴香の死は、もう目の前まで来ているんだ。
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