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1巻
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仰天するりあの言葉を、エディとハナがそろって肯定した。
『その通りです』
『そうです、夢じゃないですよ。ユーノリアしゃまはちゃんと起きてます。お寝坊さんですけどね』
「あははははは……って、どうしよう、笑えない。あれ? でも、感触とかすごいリアル!」
混乱しながらも頬をつねったり引っ張ったりするりあに、ハナが尋ねてくる。
『私達の新しい主、あなたのお名前はなんでしょうか? なんとお呼びすれば?』
「夕野りあ……だけど」
りあは混乱したまま、とりあえず質問に答える。すると、ハナは驚いた様子で言った。
『魂だけでなく、お名前も同じなのですか? ではユーノリア様、これからよろしくお願いします』
『よろしくお願いします、ユーノリアしゃま。……ねえ、ハナ。なんで今更挨拶してるの?』
『エディったら、主の話をちっとも理解してなかったのね。とにかく、前と同じようにお仕えしてくれればいいから』
『分かった!』
元気よく返事をしたエディを、ハナは呆れを込めた目で見やる。
可愛らしい二匹のやりとりに癒やされたりあは、はいっと右手を挙げた。
「ねえ、質問していいかな。どうやったら元に戻れるの? 入れ替わることができたんだから、元に戻ることもできるんでしょう?」
ようやく動き出したりあの頭が、素晴らしい解決策を導き出した。そう、元に戻ればいいのだ。
しかし、ハナとエディはそっと顔を見合わせた。そして、ハナが申し訳なさそうに答える。
『禁じられた魔法のことは、ユーノリア様にしか分かりません。術式の詳細については、私達にも秘密にしておいでだったので』
『僕にも分かりません! だってユーノリアしゃまって、すごく頭がよくって、難しいことばっかり言うんですもん!』
エディはあっけらかんと答えた。りあは再び頭痛を覚えて、額に手を当てる。
そこでふいに、あの鏡の世界でユーノリアから言われた言葉を思い出した。
――覚えてください。あなたは白の書の番人ユーノリア。魔王を封印した呪文を、魔人や魔物から守るのが役目です。
「白の書の番人……。『4spells』でも、魔王を封印した呪文を守る番人のことだったわ」
『ええ、その番人のことです。略して白の番人とも呼ばれていますが』
ハナがほっとしたように言った。
(なんで? 白の番人はNPCのはず。ユーノリアは、私が作ったアバターなのに……)
本を守る四人の番人は、NPC――つまりプレイヤーが操作するキャラクターではなく、ゲーム会社が作って動かしているキャラクターだ。単なるアバターであるユーノリアが、番人になれるわけがない。
りあは更に混乱してきたが、ふとゲームのストーリーを思い出して青ざめる。
――白の番人は、ゲームではストーリー序盤に登場し、敵キャラの魔人ヴィクターに殺される。そこに駆けつけたプレイヤーが、キーアイテムである白の書を、次の番人に渡すようにと託されるのである。
「よりによって白の番人と入れ替わるなんて、最悪じゃないの……!」
この世界が本当にゲームの世界だとしたら、魔人ヴィクターに殺されるかもしれない。なぜユーノリアが白の番人になっているのかということよりも、自分の身の安全の方が断然気になってきた。
りあが頭を抱えていると、左側の通路から靴音がした。ユーノリアの知り合いだろうかと思ってそちらを見れば、暗闇から一人の青年が現れる。
二十代後半くらいに見える彼は、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。長い銀髪を一つに束ねており、瞳は赤く、左頬にある青い紋様がとても印象的だ。黒いシルクハットに黒のフロックコート、茶色い革靴に杖。そんな英国紳士のような格好をしており、肩には目玉にコウモリの羽が生えた奇妙な生き物を乗せている。
その姿を見たハナとエディが、りあの前にさっと飛び出した。
「ああ、やはりお目覚めでしたか、白の番人殿。そのような気配がしたので戻ってきたのです。外は吹雪いていて、ひどく寒いですよ。どこを歩いても景色は変わり映えしないし、退屈で仕方ありませんでした」
うんざりしたように言い、青年は溜息を吐く。歓迎すべき客ではなさそうだと感じ、りあは無言で様子見する。
「まさか一週間も眠り続けるとは思いませんでしたよ。あなたが渾身の力を込めて作った結界は、さすがの私にも破れません。ずっと目覚めなかったらどうしようかと……」
『うるさいぞ、ヴィクター! お前なんか、氷漬けになればよかったんだ!』
エディが白い毛を逆立てて青年を睨み、ハナは不安げにりあの傍に寄る。
りあはエディの言葉に、飛び上がるほど驚いていた。
(ヴィクターですって!?)
ゲームの3D映像を思い浮かべて、目の前の青年と比較する。正直に言って、生身のヴィクターの方がずっと綺麗な外見をしていたので、全く気付かなかった。だが、氷のように冷たい瞳はゲームと同じだ。
彼は白い手袋をはめた右手を、すっと差し出してくる。
「さあ。いい加減、諦めて白の書を渡しなさい」
「ええと……。ねえ、どうしたらいい?」
りあが小声で尋ねると、ハナは頭をぶんぶんと横に振った。
『絶対に渡してはいけません! 殺されてしまいますよ!』
やはり、ヴィクターはここでも悪役のようである。
「わ、分かった。ところで……白の書ってどこにあるの?」
りあはヴィクターに注意を払いながら、白の書を探して周りを見回す。だが、あるのは杖と籠バッグだけで、本など一つも見当たらない。
ヴィクターは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、首をわずかに傾げる。
「本のありかを知らないなんて……まさか、本当に禁じ手の魔法を成功させたんですか? さすがは稀代の天才魔法使い。いやあ、人間にはたびたび驚かされますよ。時に、その何倍も生きる魔人にも為せないことを為してしまう」
愉快そうに言って、ヴィクターは洞窟内をじっくりと眺め回した。
「……なるほど。ようやく分かりましたよ。自然の魔力ラインを利用して、魔法陣に魔力を呼び込む術式ですね。これは面白い」
『いけない! ユーノリア様、走ってください! あっちの道です!』
「え? え?」
ハナはりあの耳元で叫ぶと、四方を囲む石の一つに体当たりした。
その瞬間、ガラスの割れるような澄んだ音が洞窟内にこだまする。
「ぐあっ」
ヴィクターが見えない力に弾き飛ばされ、洞窟の壁に背中から激突した。
直後、洞窟全体がぐらぐらと揺れ始める。
『今のうちに逃げましょう! 荷物も持って!』
『早く逃げなきゃ潰されちゃう!』
「ええっ、嘘でしょっ!?」
ハナとエディに急かされるまま、りあは白い杖と籠バッグを引っ掴み、右側の通路へと走った。
天井から細かい石片が落ちてくる。このままでは洞窟の崩落に巻き込まれて死んでしまうかもしれない。強い恐怖を覚え、りあは必死に外へ飛び出した。
そこは一面、真っ白な世界だった。
驚いて足を止めた瞬間、横から突風が吹きつけてきて、りあは思わずよろめく。
「さむっ」
洞窟の外は激しく吹雪いていたが、それどころではなかった。背後の洞窟が、ピシビシと嫌な音を立てている。
『早く走って!』
『洞窟から離れて、ユーノリアしゃまっ。巻き込まれるっ』
ハナとエディが叫びながら先導し、りあは慌てて二匹を追いかける。
「いやあああっ」
めちゃくちゃに手足を動かして走っていたら、後ろでドーンと雷が落ちるような音がした。洞窟が崩れたのだろう。
爆風にあおられ、りあは派手に転ぶ。
「きゃあっ! 痛っ……やだ、これって本当に現実なんだ……」
転んだ拍子に、雪の下にあった岩に膝を打ちつけたようだ。血は出ていないが、あまりの痛みに、りあは涙目になる。
夢みたいな話だが、今りあはゲームの世界にいるらしい。いや、ゲームとは違う展開が起きているから、ゲームに似た世界と言うべきだろうか。
りあは地面に座り込んだまま、後ろを振り返ってみる。さっきまでいた洞窟の辺りに、もうもうと土煙が立っていた。
その視界にハナが割り込んできて、心配そうに尋ねてくる。
『ユーノリア様、大丈夫ですか? あれは前のユーノリア様が仕掛けた罠です。あの方は魔人ヴィクターにずっと付け狙われていて……入れ替わりの儀式の間に、白の書を奪われては困ると言って、強力な魔法陣を仕掛けていらしたのですよ』
「私が魔法陣を出たから、洞窟が崩れたってこと?」
『いえ、洞窟が崩れたのは、私が青い石を倒したからです。あの魔人が潰されて死んでいれば幸いなのですが……あいつはしぶといから、きっと生きてます。早くここを離れましょう』
「あなた達、結構容赦ないのね」
りあは恐れおののきながらも、ハナの言葉に頷く。ヴィクターが危険人物なのは、ゲームでよく知っている。
膝の痛みを我慢して立ち上がったりあは、とにかくこの場を離れることにした。吹雪の中、なるべく平坦な面を選んで歩き出す。
ハナがその傍らを飛びながら、小さな前足を使って説明してくれる。
『ここはホワイトローズ・マウンテン。そして、あそこに見えるのがカノンという町です。魔人や魔物は町には入れませんから、ひとまずあそこまで逃げれば安心ですよ』
「ホワイトローズ・マウンテン……」
りあはハナの言葉を繰り返した。
奇しくもユーノリアと入れ替わる直前のりあが、素材集めをしていた場所だ。一年中雪が吹きすさび、凍てついた風が薔薇のトゲのように肌を刺すため、そんな名前がつけられている。
慣れない雪道を慎重に下りながら、りあは山裾に広がる針葉樹の森を眺めた。遠くにある三角屋根の家が集まっている場所、そこがカノンの町らしい。
相変わらずわけが分からなかったものの、りあは少しほっとした。町に行けば人がいるから助けを求められるし、食べ物や寝る場所なども確保できるだろう。
目的地が見えているせいか、だんだんと駆け足になってしまう。そのまま順調に山道を下っていたりあだが、やがて前方の岩の上に人影を見つけた。
「そんなに急がなくてもよろしいのに」
「ヴィクター……!」
ハナの予想通り、彼は生きていたようだ。しかも、先回りするだけの余裕があったらしい。
驚いて立ち止まったりあに、ヴィクターは再び右手を差し出してくる。
「あなたのことも興味深いのですが、それより大事なのは白の書です。さっさとよこしなさい」
「えっ」
りあが瞬きした次の瞬間、ヴィクターはすぐ目の前に立っていた。彼女が何か言う前に、白い手袋をはめた手で首を掴まれる。
「大人しく白の書を渡せば、命は助けて差し上げますよ?」
「うう……っ」
ヴィクターの右手がギリギリと首を締めてくる。そのまま持ち上げられ、りあの踵が宙に浮いた。
『ユーノリアしゃまっ』
『ユーノリア様っ』
エディとハナが叫んでヴィクターに飛びかかった。しかし、ハナは目玉の使い魔に跳ね飛ばされ、エディはヴィクターの手によって払い落とされる。
ひどく息苦しくて、りあの視界が霞む。思わずヴィクターの右手を両手で掴んだが、どうやっても外れそうにない。
(なんで私がこんな目にっ)
そこでふと、りあはゲームの操作方法を思い出した。ここがゲームと同じような世界なら、きっと魔法も使えるはずだ。
だが、今はウインドウなんて見えないし、キーボードもなかった。りあは半ばヤケクソで、右手の指を一本立てる。
(F1キー……小規模爆発魔法!)
――ドォンッ!
辺りに轟音が鳴り響いた。
「くっ……!」
ヴィクターの手が外れ、りあは爆風に吹き飛ばされる。その体は山道を外れ、空へと放り出された。
「きゃあああ」
悲鳴を上げながら、りあは針葉樹の森へと真っ逆さまに落ちていく。白くけぶる灰色の空を見たのを最後に、りあの意識はぷつりと途切れた。
◆
「ここには初め、何もなかった。そこに神は、美しき青い宝玉を入れて世界を作った。その世界アズルガイアには人や妖精族が生まれ、平和に暮らしていたが、宝玉に含まれていた小さな不純物から魔王が生まれ、その配下である魔人や魔物が人々を苦しめている」
雪山の斜面を登りながら、青年は歌うように呟いた。息を吐き出すたびに、目の前の空気が白く染まる。
青年――レクスは背が高く、紺色の防寒着姿が様になっている。大剣を背負って山を登る様子は、険しい崖に棲息するカベヤギ並みに軽快だ。
目元はオレンジのゴーグルで覆われ、耳当て付きの帽子の下からは茶色い髪が覗いている。首や耳につけた銀製のアクセサリーが、きらりと光を放っていた。
静かで冷たい雰囲気を持つ彼には、雪山がよく似合う。
「どうせ世界を作るなら、不純物のない宝玉を使えばよかったのに。そう思うだろ? ラピス」
「またですか~? 王子。イライラすると、すぐ創世神話にケチつけますよね」
レクスの後ろを歩くケット・シーの青年――ラピスは呆れたように言った。レクスの胸くらいの身長しかない彼は、青い宝石がはめられた白木作りの杖に、全体重を預けて息を吐く。
手と足先だけが白く、他はふかふかした青い毛で覆われているにもかかわらず、毛糸の帽子や毛織のマントを身につけ、白いマフラーをぐるぐると首に巻いていた。
レクスは足を止め、猫の姿をした従者を赤茶色の目で睨む。
「王子はやめろと言ってるだろ。これで何回目だ」
「申し訳ありません。ですがボクからすれば、王子は王子なので。だって、こーんなに小さい頃からお傍にいるんですよ?」
ラピスが手で小ささを表現すると、レクスは鼻で笑った。
「五番目の王子など、いてもいなくても同じだろ。だから王子なんて呼ばなくていい」
「まあ、世間じゃ『幻の王子』と呼ばれたり、実は死んでるんじゃないかと囁かれたりしてますけどね。それは王子が――いえ、レクス殿が悪いんですよ。十六の時に城を出て以来、たまに思い出したように里帰りするだけなんですから。誰も想像していないでしょうね、まさか王子が冒険者になって、しかもSランクに到達してるだなんて!」
ラピスはそう言って、「にゃしし」と笑う。
「カノンの町の皆だって、驚くと思いますよ。あの『竜殺しのレクス』が、実は王子だなんて知ったら!」
「……ばらすなよ」
「はーい」
しっかりと釘を刺されたラピスは、不満げに返事をした。
「レクス殿はただの剣術馬鹿のふりをしてますけど、ボクはちゃんと分かってるんですよ。本当はお兄さんを助けるためなんだって! 各地を回ってお城に情報を送りながら、魔物を倒して治安維持……実に涙ぐましい話です。ううう、ボク、涙で目の前が見えなくなってきました」
「泣くなよ、鬱陶しい」
レクスが嫌そうに言ってみせても、ラピスは気にした様子もなく鼻をズズッとすする。
「ああ、本当に寒いですね、ここ。涙と鼻水が凍っちゃいましたよ。やだなあ」
ラピスは面倒くさそうに呟くと、金色の目で周りを見回した。
「ところでレクス殿。本当に、こんなところに魔人がいるんですか? 例の目撃情報、怪しすぎると思うんですよね。だって人っ子一人いやしませんよ。ガセだったんじゃないですか?」
レクスも周囲に目を向けた。ホワイトローズ・マウンテンの中腹であるここは、眼下には雪が積もった灰色の岩肌が、その向こうには針葉樹の森が見える。更に遠くには、カノンの町の時計塔がうっすらと見えていた。
「確かに辺鄙なところだが、人や魔人がいてもおかしくはない」
「なんでそう言えるんです?」
「現に、俺とお前がここにいるだろ」
「……」
ラピスはあからさまに苦い表情をした。
「ボクはレクス殿の付き添いでもなきゃ、こんな寒いところには来ませんよ。家でゴロゴロしています。あ、言うのを忘れてましたが、危険手当はたっぷりお願いしますね」
今度はレクスが渋面を作る番だった。
「がめつい奴だな。嫌ならついてこなくていい」
「冷たい殿下。レクス殿の従者が務まるのは、アズルガイア中を探しても、ボクくらいなものですよ? ドラゴンの巣穴に、ヒドラの棲む火山……あなたについていって、まともなところに行けたためしがありません。今日もほら、こんな雪山ですしね!」
「帰っていいぞ」
すげなく言って、レクスはさっさと歩き出した。ラピスはその後を必死に追う。
「帰りたいですけど、帰れないんですよ! レクス殿を放って帰ったら、母さんにどやされます。お優しい王妃様と違って、ボクの母さんはドラゴンより……いや、荒地の魔王よりおっかないんです」
「そうかそうか、大変だな」
完全に他人事なレクスの背中を、ラピスは恨みがましく見つめた。だが、レクスはその視線を平然と受け流す。
「俺だって、好きでこんなところに来ているわけじゃない。ここにはホワイトドラゴンの姿をした大精霊が住んでいるという伝説があるくらいで、狩りがいのある魔物もいないしな。だが、魔人ヴィクターを見かけたという噂があるなら別だ」
「……レクス殿をここまで怒らせるなんて、あの魔人も余計な真似を。おかげでボクまでこんな目に遭うんですから。ああ、寒い」
大袈裟に身震いするラピス。レクスは呆れ顔で溜息を吐いた。
「なあ、ラピス。俺はいつも不思議に思ってたんだが、立派な毛皮があるのに、なんでそんなに着込むんだ? マフラーなんてするだけ無駄だろ」
「寒がりなんです! もう、猫扱いしないでくださいよ。ボクは猫じゃなくてケット・シーですって、小さい頃から何度も言ってるでしょう?」
まったく、とぼやくラピスに、レクスは苦笑する。そう言われても、レクスには羽が生えた猫にしか見えないのだから仕方ない。
それより魔人を探さねばと思い出したレクスは、意識を切り替え、雪を踏みしめながら山道を歩く。
その時、遠くから轟音が響いてきた。
「やばいですよ、レクス殿。雪崩かもしれません!」
「ああ、そうだな」
「そう言いながら、なんでまだ登ってるんですか?」
「雪崩ぐらいじゃ死なないから平気だ」
「ボクは平気じゃありません!」
戻ろう逃げようとわめくラピス。それを無視して山道を歩くレクスの耳に、今度は爆発音が届いた。続いて女の悲鳴も聞こえてくる。
――真上だ。
はっとして上を向くと、灰色の髪を持った女が針葉樹の森へと放り出されたのが見えた。その体はこちらの方へ落ちてくる。
レクスはとっさに高く跳躍し、空中で女を受け止めた。
背中からまっすぐ森へと落ちていく中で、山道の端からこちらを見下ろす男と目が合った。
「王子――っ!」
ラピスの叫び声を聞きながら、レクスは下の状況を確認する。そして騎士の固有スキルである〈ミラーシールド〉を使った。これは一日に一度だけ、物理攻撃によるダメージをゼロにできる。
そのまま雪の積もる地面に背中から落ちたが、スキルのおかげでダメージは受けずに済んだ。先ほど、雪崩くらいじゃ死なないと言ったのも、このスキルがあるからだ。
レクスは女を抱えたまま起き上がり、もう一度山道を見上げる。だが、そこにいた男の姿はすでになく、物寂しい風音が聞こえるばかりだった。
二章 始まりの町カノン
パンの焼ける香ばしいにおいに誘われ、りあの意識はまどろみからふっと浮かび上がった。
目を開けると、木でできた天井が見える。視界の端で白いカーテンが揺れていた。
(……どこ? ここ)
寝ていたベッドの上で、ゆっくりと上体を起こす。白い花弁が窓からひらりと舞い込んできて、掛け布団の上に落ちた。りあは指先で花弁をそっと摘まみ上げる。
近くに桜の木でもあるのかと思い、窓から外を見た。すると、見慣れぬ三角屋根の向こうに広がる青空に、島が浮いていた。花弁はそこから降ってくるようだ。
本来なら驚くべき光景だが、寝ぼけているりあは、綺麗だなあとぼんやり考える。
『ユーノリア様ーっ!』
『しゃまーっ!』
そんな声とともに、もふもふしたものが顔に張りついてきた。
「何!?」
りあはぎょっとして、それらを掴んで引きはがす。すると、羽の生えたハリネズミとフェレットが目をうるうるさせて、りあを見上げていた。
「あ……っ」
気を失う前のことを思い出し、りあは改めて部屋を見回す。こぢんまりとした木造の部屋には、アンティークっぽくて可愛らしい雰囲気の家具が置かれている。どう見ても、りあのアパートではない。
もう一度窓の外を見てみると、浮島から花弁が降ってくるという不思議な光景がそこにあった。
「そうだった。私、『4spells』のアバターと入れ替わって……」
りあは、さあっと青ざめた。チェストの上に置かれた鏡に、急いで駆け寄る。
「うっそぉ……」
鏡に映る姿は、アバターのユーノリアそのものだった。
「本当に入れ替わったの? わあ、人形みたい。綺麗……」
りあは頬や髪にぺたぺたと触れてみる。ユーノリアは神々しいくらいの美人なので、すぐにでもモデルか女優に転職できそうだ。雪のように真っ白な肌は滑らかで、爪の先まで整っている。菫色の目は神秘的だし、灰色の髪は緩やかに波打っていて気品が感じられた。
だが、口を閉じて無表情になると、機嫌が悪そうに見える。綺麗すぎる人が無表情だと少し怖いだなんて、りあは初めて知った。
「美人も大変なのね」
そんな能天気な感想を呟いた後、りあは自分の着ている服を見下ろす。綿のネグリジェは似合っているが、ちょっとサイズが大きい。誰が着せてくれたのだろうと考えていると、宝石精霊達が両肩に飛びついてきた。
『急に起き上がって大丈夫なんですか? ユーノリア様ったら、あれから丸一日眠っていらしたんですよ。ハナ、とっても心配しました!』
『あの魔人は近くにいませんから、安心してくださいね、ユーノリアしゃま』
「……そっか、町には結界があって、魔人や魔物は入れないものね。体は大丈夫よ、ありがとう」
りあがお礼を言うと、二匹は嬉しそうに飛び上がり、小さな前足でハイタッチをした。なんとも癒やされる光景である。
「ところで、あれから何があったの?」
『ユーノリア様が崖下に落ちたところを、通りかかった冒険者の方が助けてくださったんです。おかげで無事にカノンの町まで来ることができました』
ハナの説明を聞いて、りあは首を傾げる。
「冒険者?」
そこで、部屋の扉をノックする音が響いた。
「は、はいっ」
『その通りです』
『そうです、夢じゃないですよ。ユーノリアしゃまはちゃんと起きてます。お寝坊さんですけどね』
「あははははは……って、どうしよう、笑えない。あれ? でも、感触とかすごいリアル!」
混乱しながらも頬をつねったり引っ張ったりするりあに、ハナが尋ねてくる。
『私達の新しい主、あなたのお名前はなんでしょうか? なんとお呼びすれば?』
「夕野りあ……だけど」
りあは混乱したまま、とりあえず質問に答える。すると、ハナは驚いた様子で言った。
『魂だけでなく、お名前も同じなのですか? ではユーノリア様、これからよろしくお願いします』
『よろしくお願いします、ユーノリアしゃま。……ねえ、ハナ。なんで今更挨拶してるの?』
『エディったら、主の話をちっとも理解してなかったのね。とにかく、前と同じようにお仕えしてくれればいいから』
『分かった!』
元気よく返事をしたエディを、ハナは呆れを込めた目で見やる。
可愛らしい二匹のやりとりに癒やされたりあは、はいっと右手を挙げた。
「ねえ、質問していいかな。どうやったら元に戻れるの? 入れ替わることができたんだから、元に戻ることもできるんでしょう?」
ようやく動き出したりあの頭が、素晴らしい解決策を導き出した。そう、元に戻ればいいのだ。
しかし、ハナとエディはそっと顔を見合わせた。そして、ハナが申し訳なさそうに答える。
『禁じられた魔法のことは、ユーノリア様にしか分かりません。術式の詳細については、私達にも秘密にしておいでだったので』
『僕にも分かりません! だってユーノリアしゃまって、すごく頭がよくって、難しいことばっかり言うんですもん!』
エディはあっけらかんと答えた。りあは再び頭痛を覚えて、額に手を当てる。
そこでふいに、あの鏡の世界でユーノリアから言われた言葉を思い出した。
――覚えてください。あなたは白の書の番人ユーノリア。魔王を封印した呪文を、魔人や魔物から守るのが役目です。
「白の書の番人……。『4spells』でも、魔王を封印した呪文を守る番人のことだったわ」
『ええ、その番人のことです。略して白の番人とも呼ばれていますが』
ハナがほっとしたように言った。
(なんで? 白の番人はNPCのはず。ユーノリアは、私が作ったアバターなのに……)
本を守る四人の番人は、NPC――つまりプレイヤーが操作するキャラクターではなく、ゲーム会社が作って動かしているキャラクターだ。単なるアバターであるユーノリアが、番人になれるわけがない。
りあは更に混乱してきたが、ふとゲームのストーリーを思い出して青ざめる。
――白の番人は、ゲームではストーリー序盤に登場し、敵キャラの魔人ヴィクターに殺される。そこに駆けつけたプレイヤーが、キーアイテムである白の書を、次の番人に渡すようにと託されるのである。
「よりによって白の番人と入れ替わるなんて、最悪じゃないの……!」
この世界が本当にゲームの世界だとしたら、魔人ヴィクターに殺されるかもしれない。なぜユーノリアが白の番人になっているのかということよりも、自分の身の安全の方が断然気になってきた。
りあが頭を抱えていると、左側の通路から靴音がした。ユーノリアの知り合いだろうかと思ってそちらを見れば、暗闇から一人の青年が現れる。
二十代後半くらいに見える彼は、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。長い銀髪を一つに束ねており、瞳は赤く、左頬にある青い紋様がとても印象的だ。黒いシルクハットに黒のフロックコート、茶色い革靴に杖。そんな英国紳士のような格好をしており、肩には目玉にコウモリの羽が生えた奇妙な生き物を乗せている。
その姿を見たハナとエディが、りあの前にさっと飛び出した。
「ああ、やはりお目覚めでしたか、白の番人殿。そのような気配がしたので戻ってきたのです。外は吹雪いていて、ひどく寒いですよ。どこを歩いても景色は変わり映えしないし、退屈で仕方ありませんでした」
うんざりしたように言い、青年は溜息を吐く。歓迎すべき客ではなさそうだと感じ、りあは無言で様子見する。
「まさか一週間も眠り続けるとは思いませんでしたよ。あなたが渾身の力を込めて作った結界は、さすがの私にも破れません。ずっと目覚めなかったらどうしようかと……」
『うるさいぞ、ヴィクター! お前なんか、氷漬けになればよかったんだ!』
エディが白い毛を逆立てて青年を睨み、ハナは不安げにりあの傍に寄る。
りあはエディの言葉に、飛び上がるほど驚いていた。
(ヴィクターですって!?)
ゲームの3D映像を思い浮かべて、目の前の青年と比較する。正直に言って、生身のヴィクターの方がずっと綺麗な外見をしていたので、全く気付かなかった。だが、氷のように冷たい瞳はゲームと同じだ。
彼は白い手袋をはめた右手を、すっと差し出してくる。
「さあ。いい加減、諦めて白の書を渡しなさい」
「ええと……。ねえ、どうしたらいい?」
りあが小声で尋ねると、ハナは頭をぶんぶんと横に振った。
『絶対に渡してはいけません! 殺されてしまいますよ!』
やはり、ヴィクターはここでも悪役のようである。
「わ、分かった。ところで……白の書ってどこにあるの?」
りあはヴィクターに注意を払いながら、白の書を探して周りを見回す。だが、あるのは杖と籠バッグだけで、本など一つも見当たらない。
ヴィクターは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、首をわずかに傾げる。
「本のありかを知らないなんて……まさか、本当に禁じ手の魔法を成功させたんですか? さすがは稀代の天才魔法使い。いやあ、人間にはたびたび驚かされますよ。時に、その何倍も生きる魔人にも為せないことを為してしまう」
愉快そうに言って、ヴィクターは洞窟内をじっくりと眺め回した。
「……なるほど。ようやく分かりましたよ。自然の魔力ラインを利用して、魔法陣に魔力を呼び込む術式ですね。これは面白い」
『いけない! ユーノリア様、走ってください! あっちの道です!』
「え? え?」
ハナはりあの耳元で叫ぶと、四方を囲む石の一つに体当たりした。
その瞬間、ガラスの割れるような澄んだ音が洞窟内にこだまする。
「ぐあっ」
ヴィクターが見えない力に弾き飛ばされ、洞窟の壁に背中から激突した。
直後、洞窟全体がぐらぐらと揺れ始める。
『今のうちに逃げましょう! 荷物も持って!』
『早く逃げなきゃ潰されちゃう!』
「ええっ、嘘でしょっ!?」
ハナとエディに急かされるまま、りあは白い杖と籠バッグを引っ掴み、右側の通路へと走った。
天井から細かい石片が落ちてくる。このままでは洞窟の崩落に巻き込まれて死んでしまうかもしれない。強い恐怖を覚え、りあは必死に外へ飛び出した。
そこは一面、真っ白な世界だった。
驚いて足を止めた瞬間、横から突風が吹きつけてきて、りあは思わずよろめく。
「さむっ」
洞窟の外は激しく吹雪いていたが、それどころではなかった。背後の洞窟が、ピシビシと嫌な音を立てている。
『早く走って!』
『洞窟から離れて、ユーノリアしゃまっ。巻き込まれるっ』
ハナとエディが叫びながら先導し、りあは慌てて二匹を追いかける。
「いやあああっ」
めちゃくちゃに手足を動かして走っていたら、後ろでドーンと雷が落ちるような音がした。洞窟が崩れたのだろう。
爆風にあおられ、りあは派手に転ぶ。
「きゃあっ! 痛っ……やだ、これって本当に現実なんだ……」
転んだ拍子に、雪の下にあった岩に膝を打ちつけたようだ。血は出ていないが、あまりの痛みに、りあは涙目になる。
夢みたいな話だが、今りあはゲームの世界にいるらしい。いや、ゲームとは違う展開が起きているから、ゲームに似た世界と言うべきだろうか。
りあは地面に座り込んだまま、後ろを振り返ってみる。さっきまでいた洞窟の辺りに、もうもうと土煙が立っていた。
その視界にハナが割り込んできて、心配そうに尋ねてくる。
『ユーノリア様、大丈夫ですか? あれは前のユーノリア様が仕掛けた罠です。あの方は魔人ヴィクターにずっと付け狙われていて……入れ替わりの儀式の間に、白の書を奪われては困ると言って、強力な魔法陣を仕掛けていらしたのですよ』
「私が魔法陣を出たから、洞窟が崩れたってこと?」
『いえ、洞窟が崩れたのは、私が青い石を倒したからです。あの魔人が潰されて死んでいれば幸いなのですが……あいつはしぶといから、きっと生きてます。早くここを離れましょう』
「あなた達、結構容赦ないのね」
りあは恐れおののきながらも、ハナの言葉に頷く。ヴィクターが危険人物なのは、ゲームでよく知っている。
膝の痛みを我慢して立ち上がったりあは、とにかくこの場を離れることにした。吹雪の中、なるべく平坦な面を選んで歩き出す。
ハナがその傍らを飛びながら、小さな前足を使って説明してくれる。
『ここはホワイトローズ・マウンテン。そして、あそこに見えるのがカノンという町です。魔人や魔物は町には入れませんから、ひとまずあそこまで逃げれば安心ですよ』
「ホワイトローズ・マウンテン……」
りあはハナの言葉を繰り返した。
奇しくもユーノリアと入れ替わる直前のりあが、素材集めをしていた場所だ。一年中雪が吹きすさび、凍てついた風が薔薇のトゲのように肌を刺すため、そんな名前がつけられている。
慣れない雪道を慎重に下りながら、りあは山裾に広がる針葉樹の森を眺めた。遠くにある三角屋根の家が集まっている場所、そこがカノンの町らしい。
相変わらずわけが分からなかったものの、りあは少しほっとした。町に行けば人がいるから助けを求められるし、食べ物や寝る場所なども確保できるだろう。
目的地が見えているせいか、だんだんと駆け足になってしまう。そのまま順調に山道を下っていたりあだが、やがて前方の岩の上に人影を見つけた。
「そんなに急がなくてもよろしいのに」
「ヴィクター……!」
ハナの予想通り、彼は生きていたようだ。しかも、先回りするだけの余裕があったらしい。
驚いて立ち止まったりあに、ヴィクターは再び右手を差し出してくる。
「あなたのことも興味深いのですが、それより大事なのは白の書です。さっさとよこしなさい」
「えっ」
りあが瞬きした次の瞬間、ヴィクターはすぐ目の前に立っていた。彼女が何か言う前に、白い手袋をはめた手で首を掴まれる。
「大人しく白の書を渡せば、命は助けて差し上げますよ?」
「うう……っ」
ヴィクターの右手がギリギリと首を締めてくる。そのまま持ち上げられ、りあの踵が宙に浮いた。
『ユーノリアしゃまっ』
『ユーノリア様っ』
エディとハナが叫んでヴィクターに飛びかかった。しかし、ハナは目玉の使い魔に跳ね飛ばされ、エディはヴィクターの手によって払い落とされる。
ひどく息苦しくて、りあの視界が霞む。思わずヴィクターの右手を両手で掴んだが、どうやっても外れそうにない。
(なんで私がこんな目にっ)
そこでふと、りあはゲームの操作方法を思い出した。ここがゲームと同じような世界なら、きっと魔法も使えるはずだ。
だが、今はウインドウなんて見えないし、キーボードもなかった。りあは半ばヤケクソで、右手の指を一本立てる。
(F1キー……小規模爆発魔法!)
――ドォンッ!
辺りに轟音が鳴り響いた。
「くっ……!」
ヴィクターの手が外れ、りあは爆風に吹き飛ばされる。その体は山道を外れ、空へと放り出された。
「きゃあああ」
悲鳴を上げながら、りあは針葉樹の森へと真っ逆さまに落ちていく。白くけぶる灰色の空を見たのを最後に、りあの意識はぷつりと途切れた。
◆
「ここには初め、何もなかった。そこに神は、美しき青い宝玉を入れて世界を作った。その世界アズルガイアには人や妖精族が生まれ、平和に暮らしていたが、宝玉に含まれていた小さな不純物から魔王が生まれ、その配下である魔人や魔物が人々を苦しめている」
雪山の斜面を登りながら、青年は歌うように呟いた。息を吐き出すたびに、目の前の空気が白く染まる。
青年――レクスは背が高く、紺色の防寒着姿が様になっている。大剣を背負って山を登る様子は、険しい崖に棲息するカベヤギ並みに軽快だ。
目元はオレンジのゴーグルで覆われ、耳当て付きの帽子の下からは茶色い髪が覗いている。首や耳につけた銀製のアクセサリーが、きらりと光を放っていた。
静かで冷たい雰囲気を持つ彼には、雪山がよく似合う。
「どうせ世界を作るなら、不純物のない宝玉を使えばよかったのに。そう思うだろ? ラピス」
「またですか~? 王子。イライラすると、すぐ創世神話にケチつけますよね」
レクスの後ろを歩くケット・シーの青年――ラピスは呆れたように言った。レクスの胸くらいの身長しかない彼は、青い宝石がはめられた白木作りの杖に、全体重を預けて息を吐く。
手と足先だけが白く、他はふかふかした青い毛で覆われているにもかかわらず、毛糸の帽子や毛織のマントを身につけ、白いマフラーをぐるぐると首に巻いていた。
レクスは足を止め、猫の姿をした従者を赤茶色の目で睨む。
「王子はやめろと言ってるだろ。これで何回目だ」
「申し訳ありません。ですがボクからすれば、王子は王子なので。だって、こーんなに小さい頃からお傍にいるんですよ?」
ラピスが手で小ささを表現すると、レクスは鼻で笑った。
「五番目の王子など、いてもいなくても同じだろ。だから王子なんて呼ばなくていい」
「まあ、世間じゃ『幻の王子』と呼ばれたり、実は死んでるんじゃないかと囁かれたりしてますけどね。それは王子が――いえ、レクス殿が悪いんですよ。十六の時に城を出て以来、たまに思い出したように里帰りするだけなんですから。誰も想像していないでしょうね、まさか王子が冒険者になって、しかもSランクに到達してるだなんて!」
ラピスはそう言って、「にゃしし」と笑う。
「カノンの町の皆だって、驚くと思いますよ。あの『竜殺しのレクス』が、実は王子だなんて知ったら!」
「……ばらすなよ」
「はーい」
しっかりと釘を刺されたラピスは、不満げに返事をした。
「レクス殿はただの剣術馬鹿のふりをしてますけど、ボクはちゃんと分かってるんですよ。本当はお兄さんを助けるためなんだって! 各地を回ってお城に情報を送りながら、魔物を倒して治安維持……実に涙ぐましい話です。ううう、ボク、涙で目の前が見えなくなってきました」
「泣くなよ、鬱陶しい」
レクスが嫌そうに言ってみせても、ラピスは気にした様子もなく鼻をズズッとすする。
「ああ、本当に寒いですね、ここ。涙と鼻水が凍っちゃいましたよ。やだなあ」
ラピスは面倒くさそうに呟くと、金色の目で周りを見回した。
「ところでレクス殿。本当に、こんなところに魔人がいるんですか? 例の目撃情報、怪しすぎると思うんですよね。だって人っ子一人いやしませんよ。ガセだったんじゃないですか?」
レクスも周囲に目を向けた。ホワイトローズ・マウンテンの中腹であるここは、眼下には雪が積もった灰色の岩肌が、その向こうには針葉樹の森が見える。更に遠くには、カノンの町の時計塔がうっすらと見えていた。
「確かに辺鄙なところだが、人や魔人がいてもおかしくはない」
「なんでそう言えるんです?」
「現に、俺とお前がここにいるだろ」
「……」
ラピスはあからさまに苦い表情をした。
「ボクはレクス殿の付き添いでもなきゃ、こんな寒いところには来ませんよ。家でゴロゴロしています。あ、言うのを忘れてましたが、危険手当はたっぷりお願いしますね」
今度はレクスが渋面を作る番だった。
「がめつい奴だな。嫌ならついてこなくていい」
「冷たい殿下。レクス殿の従者が務まるのは、アズルガイア中を探しても、ボクくらいなものですよ? ドラゴンの巣穴に、ヒドラの棲む火山……あなたについていって、まともなところに行けたためしがありません。今日もほら、こんな雪山ですしね!」
「帰っていいぞ」
すげなく言って、レクスはさっさと歩き出した。ラピスはその後を必死に追う。
「帰りたいですけど、帰れないんですよ! レクス殿を放って帰ったら、母さんにどやされます。お優しい王妃様と違って、ボクの母さんはドラゴンより……いや、荒地の魔王よりおっかないんです」
「そうかそうか、大変だな」
完全に他人事なレクスの背中を、ラピスは恨みがましく見つめた。だが、レクスはその視線を平然と受け流す。
「俺だって、好きでこんなところに来ているわけじゃない。ここにはホワイトドラゴンの姿をした大精霊が住んでいるという伝説があるくらいで、狩りがいのある魔物もいないしな。だが、魔人ヴィクターを見かけたという噂があるなら別だ」
「……レクス殿をここまで怒らせるなんて、あの魔人も余計な真似を。おかげでボクまでこんな目に遭うんですから。ああ、寒い」
大袈裟に身震いするラピス。レクスは呆れ顔で溜息を吐いた。
「なあ、ラピス。俺はいつも不思議に思ってたんだが、立派な毛皮があるのに、なんでそんなに着込むんだ? マフラーなんてするだけ無駄だろ」
「寒がりなんです! もう、猫扱いしないでくださいよ。ボクは猫じゃなくてケット・シーですって、小さい頃から何度も言ってるでしょう?」
まったく、とぼやくラピスに、レクスは苦笑する。そう言われても、レクスには羽が生えた猫にしか見えないのだから仕方ない。
それより魔人を探さねばと思い出したレクスは、意識を切り替え、雪を踏みしめながら山道を歩く。
その時、遠くから轟音が響いてきた。
「やばいですよ、レクス殿。雪崩かもしれません!」
「ああ、そうだな」
「そう言いながら、なんでまだ登ってるんですか?」
「雪崩ぐらいじゃ死なないから平気だ」
「ボクは平気じゃありません!」
戻ろう逃げようとわめくラピス。それを無視して山道を歩くレクスの耳に、今度は爆発音が届いた。続いて女の悲鳴も聞こえてくる。
――真上だ。
はっとして上を向くと、灰色の髪を持った女が針葉樹の森へと放り出されたのが見えた。その体はこちらの方へ落ちてくる。
レクスはとっさに高く跳躍し、空中で女を受け止めた。
背中からまっすぐ森へと落ちていく中で、山道の端からこちらを見下ろす男と目が合った。
「王子――っ!」
ラピスの叫び声を聞きながら、レクスは下の状況を確認する。そして騎士の固有スキルである〈ミラーシールド〉を使った。これは一日に一度だけ、物理攻撃によるダメージをゼロにできる。
そのまま雪の積もる地面に背中から落ちたが、スキルのおかげでダメージは受けずに済んだ。先ほど、雪崩くらいじゃ死なないと言ったのも、このスキルがあるからだ。
レクスは女を抱えたまま起き上がり、もう一度山道を見上げる。だが、そこにいた男の姿はすでになく、物寂しい風音が聞こえるばかりだった。
二章 始まりの町カノン
パンの焼ける香ばしいにおいに誘われ、りあの意識はまどろみからふっと浮かび上がった。
目を開けると、木でできた天井が見える。視界の端で白いカーテンが揺れていた。
(……どこ? ここ)
寝ていたベッドの上で、ゆっくりと上体を起こす。白い花弁が窓からひらりと舞い込んできて、掛け布団の上に落ちた。りあは指先で花弁をそっと摘まみ上げる。
近くに桜の木でもあるのかと思い、窓から外を見た。すると、見慣れぬ三角屋根の向こうに広がる青空に、島が浮いていた。花弁はそこから降ってくるようだ。
本来なら驚くべき光景だが、寝ぼけているりあは、綺麗だなあとぼんやり考える。
『ユーノリア様ーっ!』
『しゃまーっ!』
そんな声とともに、もふもふしたものが顔に張りついてきた。
「何!?」
りあはぎょっとして、それらを掴んで引きはがす。すると、羽の生えたハリネズミとフェレットが目をうるうるさせて、りあを見上げていた。
「あ……っ」
気を失う前のことを思い出し、りあは改めて部屋を見回す。こぢんまりとした木造の部屋には、アンティークっぽくて可愛らしい雰囲気の家具が置かれている。どう見ても、りあのアパートではない。
もう一度窓の外を見てみると、浮島から花弁が降ってくるという不思議な光景がそこにあった。
「そうだった。私、『4spells』のアバターと入れ替わって……」
りあは、さあっと青ざめた。チェストの上に置かれた鏡に、急いで駆け寄る。
「うっそぉ……」
鏡に映る姿は、アバターのユーノリアそのものだった。
「本当に入れ替わったの? わあ、人形みたい。綺麗……」
りあは頬や髪にぺたぺたと触れてみる。ユーノリアは神々しいくらいの美人なので、すぐにでもモデルか女優に転職できそうだ。雪のように真っ白な肌は滑らかで、爪の先まで整っている。菫色の目は神秘的だし、灰色の髪は緩やかに波打っていて気品が感じられた。
だが、口を閉じて無表情になると、機嫌が悪そうに見える。綺麗すぎる人が無表情だと少し怖いだなんて、りあは初めて知った。
「美人も大変なのね」
そんな能天気な感想を呟いた後、りあは自分の着ている服を見下ろす。綿のネグリジェは似合っているが、ちょっとサイズが大きい。誰が着せてくれたのだろうと考えていると、宝石精霊達が両肩に飛びついてきた。
『急に起き上がって大丈夫なんですか? ユーノリア様ったら、あれから丸一日眠っていらしたんですよ。ハナ、とっても心配しました!』
『あの魔人は近くにいませんから、安心してくださいね、ユーノリアしゃま』
「……そっか、町には結界があって、魔人や魔物は入れないものね。体は大丈夫よ、ありがとう」
りあがお礼を言うと、二匹は嬉しそうに飛び上がり、小さな前足でハイタッチをした。なんとも癒やされる光景である。
「ところで、あれから何があったの?」
『ユーノリア様が崖下に落ちたところを、通りかかった冒険者の方が助けてくださったんです。おかげで無事にカノンの町まで来ることができました』
ハナの説明を聞いて、りあは首を傾げる。
「冒険者?」
そこで、部屋の扉をノックする音が響いた。
「は、はいっ」
0
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