断片の使徒

草野瀬津璃

文字の大きさ
127 / 178
本編

第二十一話 片恋の君へ  【前編】 1 

しおりを挟む


 ※我ながらぐろい表現がありますので注意。
  出来れば食後に読むことをオススメします。






「……よし」

 青年は小さく呟いて、右手に持っていたナイフをテーブルに置いた。
 左手には、複雑な紋様が刻み込まれた白木作りの腕輪があった。円形に窪んでいる台座に、あの方の目と同じ色をしたブルースピネルを嵌めこんだ。この石は、青年が魔力を宿らせた魔石だった。
 宝石をはめ込んだ部分の裏側には、守護の魔法陣を刻んでいる。
 青年は満足のいく出来の腕輪を、部屋の一画に設置していた簡易祭壇に置く。そして、その祭壇の真ん中にあるハンドベルに似た形の石像に、平伏すように祈りを捧げ始める。

「どうか、精霊様! あの方へのプロポーズが上手くいきますように! いえ、その前に、渡せますように!」

 熱心にぺこぺこ祈る様は、端から見ると滑稽だ。
 その様をたまたま目撃してしまった同僚は、神頼みしている時点で駄目な気がすると胸中でこっそり呟いて、可哀想なので見なかったことにした。

      *

 コポコポと泡が静かな音を立てて水泡木すいほうぼくの幹を上っていく。
 午後の日差しの中、ガラスのような木はキラリと光を反射して、地面に淡い青と水面の影を落とす。

 幻想的な光景は気持ちが落ち着く。
 けれど出てくる魚は巨大なものばかりなので気を抜いていられない。
 今朝も巨大なタコに襲われたばっかりだ。だが、タコはたまたま通りがかったカジキマグロに目標を変えたので、修太達はその隙に逃げたのだ。

「ここまで来たら一安心ね」

 トルファの家から南へと三日歩いた所で、やっと街道に戻ってきた。
 魔法の都ツェルンディエーラから周囲の森にかけられている魔法のせいで、方位磁石は使えない。日の光すら反射して見えるので、太陽の位置で方角を見ることも難しく、何度か迷いかけた。森にかけられている魔法は結界の一種のようで、修太が無意識に魔法を無効化していたお陰か、サーシャリオンやグレイの方向感覚までは狂わずに済んだので、二人の勘を信じて進んでいたのだ。ピアスがそう言ってほっと息を吐く気持ちはよく分かる。

「そうだね。魚に追いかけられるより、遭難の方が怖いもんな」

 啓介がのほほんと笑顔で頷いているが、その返答はどうだろう。修太としては、遭難で死ぬより魚に食われて死ぬ方が悲惨だと思うのだが。
 うろんに思っていると、足元でコウが「わふっ」と鳴いた。ちらりと見ると、「クゥン」と鳴いて、頭を振った。諦めろと言ってるのか、もしかして。
 コウの賢さに戦慄を覚えていると、コウの耳がピクリと動いた。

「オンッ!」

 先頭を歩くフランジェスカに吠え、その前へと飛び出すコウ。

「うわ、何だ?」

 ぎょっと足を止めるフランジェスカ。

「止まれと言っておるぞ」

 サーシャリオンが通訳し、ちらりと左、東の方を見る。東から西南へと続く街道を西南の方へ行けばセーセレティー精霊国の国境だ。
 目の上に手をかざし、遠くを見つめたサーシャリオンは振り返る。

「何やら軍団が駆けてくる。道の端に寄れ。踏みつぶされるぞ」

 そう言った頃には、ドドドドドと低い地鳴りのような音が聞こえていた。皆、急いで馬に踏まれないような位置まで下がる。

「あの青い旗、銀の縁取りがある。王族か!」

 馬を駆る兵士の旗を見て、フランジェスカが驚きの声を上げる。

「げっ。王族なんて面倒くせえ!」

 修太は水泡木の影に身を寄せた。レステファルテの第三王子にグレイごと燃やされかけた記憶は未だ新しい。修太の中では、王族イコール命の危機にひんする厄介事と変換されている。
 そして、それは遠からずも当たった。

「鮫に追われてるぞ!」

 啓介が緊迫のある声で叫んだ。
 思わず軍団の後方を見た修太は、ぐろい光景に口元を手で覆った。
 大人を一呑み出来る大きさの、体長五メートルはあるのではないかと思われるさめの口には、兵士らしきものがくわえられていた。鮫は頭を振り、その人間を引きちぎって臓物と血を撒き散らす。その光景を直視してしまったのだ。
 海賊船で見た死体は動かなかったから、まだ我慢出来た。でも、これは駄目だ。寸前まで生きていた人間が無残に殺される瞬間だったから。

「ぐぅ……無理……っ」

 結局、我慢出来なくて木陰に嘔吐してしまった。だが、修太を責める者は誰もいなかった。
 百戦錬磨のフランジェスカですら、その光景には血の気が引いていた。ピアスも目を反らし、修太の背中をさすって言う。

「駄目よ。見ちゃ駄目……っ」

 泣きそうな声だ。
 普通、こういう場では修太の方が庇うべきなのだろうが、どっちも余裕がなかったのでこの際仕方ないのかもしれない。
 その一方で、啓介は陰惨な光景に頭に血を昇らせていた。普段の温厚さはなりを潜め、純粋な怒りで表情を鋭くしている。
 鮫は尚も逃げる兵士を追いかけ、また一人に襲いかかろうとしていた。

「やめろぉぉっ!」

 右手の人差指を立て、啓介は腹の底から怒鳴る。
 視界が白く染まり、轟音が鳴り響いた。
 あまりの光に視界が戻らず、しかも耳もしばらく聞こえなかった。

(何だ? 何が起きた……?)

 身動きすら怖くて出来ず、視界と音が戻ってくるまでその場で呆然とする。
 そうしてようやく目が見えるようになった時、馬車と馬の小軍団はすぐ側で歩みを止めていた。
 鮫のいた場所には大きなクレーターが出来ていて、焦げくさいにおいが立ち込めている。そして、鮫は尾の一部を残して炭化していた。

「はぁはぁはぁ……」

 肩で荒い息をする啓介。信じられないものを見るような目で、自身の手の平を見ている。

「お前がやったのか……?」

 恐る恐る修太が問うと、啓介はびくっと肩を揺らした。

「……そうみたいだ」

 そして、眉尻を下げてうつむく。

「ごめん。ついカッとなっちゃって……」

 自分でも制御しきれないような大きな魔法を使ったことに、啓介は落ち込んでいた。あんなことをして、怪我人が出たのではないかと怖くなったのだ。

「何故、謝る? そなたは人助けをした。鮫は死んだが、見知らぬ者が殺されて怒るのは悪いことではない」

 サーシャリオンが不思議そうに言い、啓介の頭をぽんぽんと撫でる。

「でも、やりすぎたよ……」
「自覚して反省しているのだから、我から言うことは何も無い。次から気を付けよ」

 あっさりと言って、サーシャリオンは啓介の背中を軽く叩く。啓介は少し納得のいかなさそうな顔をして口を開きかけたが、結局、頷いた。

「うん。気を付ける」

 一方で、修太は吐いたのもあってケホケホ咳き込んでいた。まだ青い顔のまま、ピアスが心配そうに背中をさすってくれる。病人扱いされてる気分だ。

「大丈夫? シューター君……」
「うん。悪い、みっともねえとこ見せて……」

 女子に介抱されている時点で、修太は気まずくて仕方が無い。

「あれは私でもきついぞ。謝ることではない」

 珍しくフランジェスカが慰めるように言った。そのことにびっくりして、吐き気が消える。

「フラン……」
「ん?」
「ありがたいけど、どうした。今日は雪でも降るのか?」
「き、さ、ま……っ」

 フランジェスカは当然のように怒ってにらんできた。

「お前達はここにいろ。他に鮫がいないか見てくる。この血のにおいにつられる奴がいるかもしれん」

 グレイはトランクをその場に置いて、ハルバートを手にして駆けていってしまった。ワンワンと吠え、コウもグレイについて駆けていく。見回りに行ってくれるらしい。
 修太達がその場でそうして固まっていると、鉄製装甲のされた緑色に塗られた大型馬車一台とその次に続く黒塗りの馬車が一台、その周りを固める馬十数頭くらいの軍団から、騎士のような装飾の少ない鎧姿の男が、部下らしき者二人を伴って歩いてきた。

「旅のお方ですか? ご助力感謝致します。我が主も是非礼をしたいと仰せです」

 灰色の髪と赤茶色の目をした男は、身体の前で右の拳を左手で握り込み、慇懃に礼をした。三十代くらいで、水面を眺めている時のような、ほっとさせる空気を持つ男だ。代表で挨拶にきたのを見ると、兵士の中では偉い方なのかもしれない。

「いえ、感謝だなんて……。俺、ついカッとなってしまって。あれで怪我人が出ていないといいんですが」

 啓介が不安そうに問うと、男は目を丸くした。

「あなたがあの魔法を?」
「はい……」
「心配はいりません。怪我人は出ておりません。むしろ、鮫に食われかけていた者が助かりました。私の部下の命を救って頂いたこと、重ねてお礼申し上げます」

 再度礼をする男。
 啓介はその返事を聞いて、やっと笑顔になった。

「名乗り遅れました。私はあちらにおわします、セーセレティー精霊国が第二王女、専属護衛師団プルメリア団の団長を勤めております、ハジク・エンディオと申します」

 修太達は唖然と目を瞬いた。

「あ、あのぉ、失礼ですが、ハジク様。お忍びであらせられるのではないのですか?」

 素性を明かしていいのかと、恐る恐る問うピアスに、ハジクは頷く。

「問題ありません。お忍びではありますが、隠しているわけではありません。それに、第二王女殿下の旅行好きは有名ですから、隠しても意味がありませんので。それならばいっそのこと堂々と行こうというのが我が主のお考えです」

「はぁ……」

 何とも気の抜ける返事をするピアス。

「では、こちらにおいでなのも、ご旅行で?」

 フランジェスカの問いにもハジクは頷く。

「ええ。ミストレイン王国の国境の手前にある町・リストークにてご養生あそばされた帰りになります。途中、王女殿下を狙う盗賊と戦闘になりまして、そのせいで鮫を呼んだようです」

 ハジクは僅かに目を伏せる。

「鮫に立ち向かい、すでに十名が餌食になっていました。それでもあれほどの大物相手には敵わず、逃げることを選びました……。これ以上、犠牲者を出さずに済んで本当に良かった。ありがとうございます」

 そのハジクの後ろでは、部下二名が感に堪えないというように静かに涙を流している。仲間が死んで辛いのだろう。
 沈痛な空気に皆が顔を合わせたところで、グレイが戻ってきた。

「近場に鮫はいないようだ。だが、この血のにおい。また来る前に出立すべきだろう」

 そして、感情の薄い琥珀色の目で、ちらりとハジクを一瞥する。

「話など後でも出来るだろう。身の安全を優先しろ。また部下が死ぬぞ」

 静かだが痛烈な一言に、ハジクは緊張感を帯びた表情で頷く。

「ええ、その通りですね。念の為に確認したいのですが、皆様はどちら方面へ行かれるのです?」
「セーセレティーだから、方向は同じですよ」

 啓介の言葉に、それなら後でも礼が出来ると思ったのか、ハジクは礼を言ってから軍団の方に戻っていった。

「――では、行こう。シューター、きついのなら背負うが」
「平気。吐いたらすっきりした」

 気遣いの見えるグレイの短い問いに、修太は首を振って返し、移動を再開する啓介達について歩き出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

帰国した王子の受難

ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。 取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

【完結】婚約者なんて眼中にありません

らんか
恋愛
 あー、気が抜ける。  婚約者とのお茶会なのにときめかない……  私は若いお子様には興味ないんだってば。  やだ、あの騎士団長様、素敵! 確か、お子さんはもう成人してるし、奥様が亡くなってからずっと、独り身だったような?    大人の哀愁が滲み出ているわぁ。  それに強くて守ってもらえそう。  男はやっぱり包容力よね!  私も守ってもらいたいわぁ!    これは、そんな事を考えているおじ様好きの婚約者と、その婚約者を何とか振り向かせたい王子が奮闘する物語…… 短めのお話です。 サクッと、読み終えてしまえます。

私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。

小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。 「マリアが熱を出したらしい」 駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。 「また裏切られた……」 いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。 「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」 離婚する気持ちが固まっていく。

私を家から追い出した妹達は、これから後悔するようです

天宮有
恋愛
 伯爵令嬢の私サフィラよりも、妹エイダの方が優秀だった。  それは全て私の力によるものだけど、そのことを知っているのにエイダは姉に迷惑していると言い広めていく。  婚約者のヴァン王子はエイダの発言を信じて、私は婚約破棄を言い渡されてしまう。  その後、エイダは私の力が必要ないと思い込んでいるようで、私を家から追い出す。  これから元家族やヴァンは後悔するけど、私には関係ありません。

精霊に愛された錬金術師、チートすぎてもはや無敵!?

あーもんど
ファンタジー
精霊の愛し子で、帝国唯一の錬金術師である公爵令嬢プリシラ。 彼女は今日もマイペースに、精霊達と楽しくモノ作りに励む。 ときどき、悪人を断罪したり人々を救ったりしながら。 ◆小説家になろう様にて、先行公開中◆ ◆三人称視点で本格的に書くのは初めてなので、温かい目で見守っていただけますと幸いです◆

おっさん料理人と押しかけ弟子達のまったり田舎ライフ

双葉 鳴
ファンタジー
真面目だけが取り柄の料理人、本宝治洋一。 彼は能力の低さから不当な労働を強いられていた。 そんな彼を救い出してくれたのが友人の藤本要。 洋一は要と一緒に現代ダンジョンで気ままなセカンドライフを始めたのだが……気がつけば森の中。 さっきまで一緒に居た要の行方も知れず、洋一は途方に暮れた……のも束の間。腹が減っては戦はできぬ。 持ち前のサバイバル能力で見敵必殺! 赤い毛皮の大きなクマを非常食に、洋一はいつもの要領で食事の準備を始めたのだった。 そこで見慣れぬ騎士姿の少女を助けたことから洋一は面倒ごとに巻き込まれていく事になる。 人々との出会い。 そして貴族や平民との格差社会。 ファンタジーな世界観に飛び交う魔法。 牙を剥く魔獣を美味しく料理して食べる男とその弟子達の田舎での生活。 うるさい権力者達とは争わず、田舎でのんびりとした時間を過ごしたい! そんな人のための物語。 5/6_18:00完結!

処理中です...