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留学

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誰か私に説明して欲しい。どうしてこんな事になったのか。
大体この方との思い出と言えば、ボートに乗せてもらってわんわん泣いて、みっともない所を見られたことくらいだ。

それに一番大事な事がある。
「あの、私は子爵家の娘で、殿下と釣り合いが取れません」
そうだ、のほほんと育った子爵家の次女の私に、王太子妃など務まる訳がないではないか。侯爵子息にも婚約破棄されたほどなのに。

「ああ、それは大丈夫だよ」
何が大丈夫だと?
「君は公爵家の養女になって、隣国に留学するんだ」
「養子とか、留学とか……」
(聞いていない、何も聞いていない)
「優れた教師陣を付けてあげるから、頑張るんだよ」
「いや、頑張れって言われても──」
「時々私も会いに行ってあげるよ」
いや、そんな、もう決まった風にてきぱきと言われても、頭も心も追いつかないのですが。

「君ののんびりした感じが気に入っていた。私が留学している間にダヴィード卿に先を越されたが、婚約が無くなったのでよかった」
のんびりした感じが好きなら、この鬼の様なハードモードを、私に押し付けたりしない筈だ。
「あの時ボートを揺らして本当に悪かった。君が私の方に来てくれないかと期待したんだ。泣くほど怖かったんだね。泣き顔も可愛かったけど」
そんなことをサラリと言って笑う。きっとこの方は鬼畜だと思う。


  ***


オルランド殿下と内々で婚約をして、すぐ隣国に送り出された。
私はのんびりして優秀じゃなかったけれど、教師陣は優秀だ。
礼儀作法、語学、王子妃教育、ダンス、そして学校。毎日が勉強だった。

周りは皆知らない人ばかり。聞き慣れない隣国の言葉。優秀な教師に振り回される毎日。マリアやダヴィードの事など思い出す暇もない。

くたびれ果てた頃にオルランド殿下が来た。
「やあ、頑張っているね」
聞き慣れた故国の言葉が懐かしい。相変わらず爽やかな笑顔の殿下。
「はい、頑張っておりますわ」
やけくそでお返事した。でも、本当に頑張っているわ、私としては。

「お土産を持ってきたよ」
殿下が差し出したものは、お花とクッキー、もうひとつ四角い箱がある。
開くと髪留めが出てきた。青い宝石を花のようにモチーフにして金の金具で装飾してある。お揃いのイヤリングも入っていた。
殿下の青い瞳と同じ色だ。

あの日買えなくて、想いと一緒にどこかに忘れ去った、髪留め。

この殿下の下さった髪留めを、殿下の色を、私は堂々と髪に飾れるのだ。
どうしよう、嬉しい。すごく嬉しい。
「ありがとうございます、殿下」
「気に入ったらつけて見せて。この国を少し案内してあげるよ。今日は街を歩いてみようか」
侍女につけてもらうと「似合うよ」とにっこりされる。
いやもう恥ずかしいし。

殿下にエスコートされて街を歩きながら、この国の歴史や産業、文化などを説明される。海に面して作られた、水の集まる王都。高台に上がれば向こうに港が広がる。白い帆の帆船がいくつも浮かんでいるのが遠くに見えた。

「あの船に乗ると見知らぬ国に行けるのでしょうか?」
「行けるよ、世界は広い。東国からは色んな物が入って来る。船のある国は交易をして栄える。船乗りは船と資金が欲しくて国にやって来る」
「遠い国に行くのは大変なのですね」
「我が国にも海に面した綺麗な所はある。そうだな船を仕立てて遊びに行けるのもいいかもしれないな。綺麗な宿を作って、遊ぶ場所を作って」
「美味しい食事もあるといいですわね」


「ああ、時間だ。もう帰らないと」
楽しい時はあっという間に過ぎる。

オルランド殿下を見送っていたら、涙がぽろっと零れた。
いや、これはホームシックなわけで。
殿下はとっても複雑な表情をしてから、私を抱きしめてくれる。余計に涙がポロポロと零れ出てしまう。

殿下の手がすっと頬を滑り落ちて、顎を持ち上げられキスをされた。
「ヒック」
涙が止まって留まっていた一粒が瞬きでポロリと零れ落ちた。
「そんな顔を、誰にも見せてはいけないよ」
ハンカチを顔に押し当てられてしまった。
「はい」
殿下のハンカチで鼻を押さえて目だけ出して見上げる。
「隠して。また来るからね」
くるりと殿下が背を向けたのを見てからハンカチで顔を覆った。
何だか本当の恋愛をしているみたい。

殿下は時折やって来て、私の進捗状況を見てあちこち連れ回した。
そりゃあもうハイスぺ王子だから、何もかも素敵なわけだけれど、やっぱり目立つわけで、そうすれば新聞社も追いかけて来るわけで、新聞にすっぱ抜かれる前に私たちは正式に婚約発表した。
といっても私はウルビーノ公爵令嬢エウジェニア・セラフィーナ・モンテフェルトロという長ったらしい名前になっていて、新聞に出たのは公爵令嬢エウジェニアという名前だけであった。


三年の夏休みにやっと許可が出て実家に帰った。三日間実家で化粧もせず髪も結わず、普段着でだらりと過ごした。
「セラフィ、いつもそんな格好で居るんじゃないでしょうね」
流石に母が心配する。
「この頃、物騒になったのよ。若い娘を狙った犯罪があったりするし」
「大丈夫よ、お母様。今だけ、どこにも行きませんから、ね」
そう言って母に甘えると仕方のない子ねと許して下さった。


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