もう一度

拓海のり

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 でも、その前にやることがある。
 僕は二人姉弟だ。姉は大学を出ると、この街に帰ってきて市役所に就職し結婚した。
 結婚相手は同じ市役所の職員で、まだ子供は生まれていなくて、姉はそのまま勤めている。

 久しぶりに姉に電話をして、街の喫茶店で待ち合わせをした。
「聞いたわよ、お母さんに。本当なの?」
 僕の顔を見ると、姉はすでに母から事情を聞いていたらしく、興味津々というよりは呆れ気味に聞いてきた。
「別に……、それより聞きたいこと、あるんだけど」
 姉は盛大にため息を吐いて「何?」と聞いた。
「料理、教えて欲しいんだ」
 姉だとて、結婚する前はからっきし母親の手伝いをしていなかった。
 それでもこうして結婚しているからには、何か作れるんだろう。その料理を聞きたかった。

 いや、本当は母に聞きたかったけれど、とても今は会えない。
 料理をしていれば、その内、少しは作れるようになるかもしれない。でも、折田が忙しいのは今なんだ。何か初心者でも出来る美味いものはないかと思って。

「簡単なのを教えてよ」
 姉は呆れたように僕の顔を見る。それから教えてくれた。
「鍋物とかだったら簡単でいいわよ。それからカレーとか――」
 教えてくれたけれど、姉は途中でふと横を向いて言い出した。
「余計なことを言わないでね」
「何が?」
「もし、うちの人に会っても」
 意味が分からなくて、というより、分かりたくなくて、姉の顔をぼんやりと見る。
「私たちが勤めているのはお堅い役場だから、余計なことが漏れたら困るのよ」
 頬がカッと染まった。
「分かった。ありがと」
 姉に礼を言って、逃げるようにその店から出た。

 僕と折田は何も悪いことをしているわけじゃない。
 でも、世間から見れば後ろ指を指されるようなことなんだ。
 分かっている。
 分かっているけど、肉親に突きつけられると辛い。
 とぼとぼと落ち葉を踏みしめて折田と僕が住む家に帰る。寒くて、体の中まで寒くて、心が凍えそうだった。

 家に帰ると白いワゴンがあった。玄関を開けるとふわっといい匂いが僕を包んだ。
「おかえり」
 相変わらずのボソッとした声が出迎えてくれる。涙が落ちそうになって広い胸に顔を埋める。
 折田は何も言わずしばらく僕の背中をなだめていたが、おなかがぐうっと鳴った。
「ごめん。今日、何?」
 泣き笑いの表情で見上げると「鍋」とぼそりと返事が返ってきた。

 姉の教えてくれた簡単料理の一つだった。
 二人で鍋を囲んで焼酎のお湯割で一杯やる。体も心も、ほかほかと温まってきた。
「鍋っていいな、温かくって」
「もっと、温かくしてやろうか」
 食事が終わると、そのままベッドになだれ込んだ。
 気持ちが高ぶっていたのか、お酒の所為か簡単に身体に火がつく。
「ああ……、折田……」
「すげえ、あんた。どこもかしこも全部ピンクに染まって色っぽい」
 ベッドの上で揉みくちゃにされた。


 僕の母が訪ねて来たのは翌日だった。
 ちょうど、台所でハンバーグを作ろうと奮戦していたところで、べとべとにした手を拭いながら出ると、母は目を丸くして、それから溜息を吐いた。

「寒くなるから、服とか持って来たのよ」
 僕は前日、姉に釘を刺されていたので用心したんだが、母はかまわずに作りかけのハンバーグを手伝ってくれた。
「ほんとにもう、そんな傷だらけの指をして……」
 僕の指にごてごてと巻かれた絆創膏をチラリと見て言う。
「だいぶ慣れた。ほとんど折田が作ってくれるし。でも、僕だって作ってやりたいから――」
「そう……」
 言い合いになるかと思ったけれど、母はため息を吐いただけだった。

 そうこうしているうちに折田が帰ってくる。
 出迎えた僕たちを見て、言葉もなく立ちすくむ折田に、母は言った。
「別々に住んでいるように見せた方がいいわ。隣にお前の表札を出して」
 そんな小細工をと思ったが、母は続けて言う。
「いつも堂々としているのよ」
 そうだ。悪いことをしている訳じゃない。嗜好が普通の人とちょっとばかし違う人間は、世の中に沢山居る。
 おおっぴらにすることはないけれど、卑屈になることもない。

 僕は世間に対して、あまりにも疎い人間のような気がする。帰ってゆく母を送って、複雑な気分になった。
「いいお母さんだな」
 と折田が羨ましそうな顔をする。
「もう、お前の母親でもあるんじゃないのか」
 男同士だけれど、折田と僕とは殆ど結婚したようなものだ。
 すぐそばに居る男の顔を見上げてそう言うと、笑ったのか泣いたのか、顔をくしゃくしゃにして背けた。



 終

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