蔑ろにされる黒髪令嬢は婚約破棄を勝ち取りたい

拓海のり

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『グルミャウ』
「だあれ」
 がさりと植え込みが揺れて、何かが顔を出す。私がそちらを見ると猫が──、猫だろうか、大きい。大きいけれど、鳴き声が高くて子猫っぽい。

 その日はオーガスタス王国の第二王子レイモンド殿下の十歳の誕生日で、盛大にお祝いのパーティが催され、王宮の広いガーデンに国内の貴族の子女が集められ、大層賑やかであった。レイモンド殿下のひとつ下でハズウェル侯爵家の令嬢である私も、このパーティに母親と共に参加していた。

『君は誰?』
 猫の方から声がした。子供の声っぽいけれど、この猫が喋っているのかしら。周りを見ても誰もいない。
「猫ちゃん、私はローズマリーよ」
『ローズマリー、可愛い名前だね』

 猫はそこに座って私を見ている。焦げ茶の縞模様で顔の下とお腹が白い。
 普通の猫と同じように顔を手で撫でてペロペロ舐めて、そして口を大きく開けて欠伸をした。とても鋭い尖った牙があって私は少し怖かったけど、猫は立ち上がって植え込みの中へスタスタと歩いて消えた。

「ローズマリー」
 植え込みの中にいた私を母が呼びに来た。
「はい、お母様。あれは猫ですか」
「何もいないわよ」
 母は見なかったようだ。


  ◇◇

 黒い真っ直ぐの髪。切れ長の二重の瞳。小ぶりの鼻と口。
 このオーガスタス王国では金髪碧眼の王侯貴族が多い中、私のこの黒髪はあまり好ましくないとされる。興奮した時はグリーンに輝く榛色の瞳の色もよろしくないとされる。

 それなのにハズウェル侯爵家の一人娘である私は、第二王子レイモンド殿下の婚約者になってしまった。

 王太子殿下はレイモンド殿下と一回りも歳が離れていて、すでに結婚して子供もいる。レイモンド殿下は臣籍降下して爵位と領地を賜るか、婿に出される予定であった。下に第三王子がいるが、彼は教会に入って聖職につく予定である。

 第二王子の婚姻相手については他国の王女、国内の貴族から幅広く検討されたが、ハズウェル侯爵家が広い領地に農作物が豊富で、早くから領内に接する広い湖と運河で交易をして非常に裕福であった為、王家から目を付けられたのだ。


 私は貴族学校に入学してからは眼鏡をかけ、髪を三つ編みにして図書館でガリガリ勉強をしていて、ガリ勉令嬢と言われる。揶揄を含んでそう呼ばれるのは、勉強をしても大した成績ではないから。入学時の成績は上から三番目だったけれど、今は真ん中あたりをうろうろしている。
 もちろん手加減しているのだ。理由は私の婚約者にある。

「ローズマリー」
 図書館から出ると、婚約者の第二王子レイモンド殿下に呼び止められた。彼は金髪碧眼のキラキラした見目麗しい王子様である。
「学校には慣れたか」
「はい、お気遣いいただきありがとう存じます」
 レイモンド殿下にこうやって声掛けをされるのは大変珍しい。彼は自分の婚約者が私のような黒髪榛色の瞳の容姿であることを酷く不満に思っている。

 貴族学校は全寮制で、十五歳で入学して十八歳で卒業する。成績が良ければ平民も入学することが出来て奨学制度もある。他にも騎士学校やお嬢様用花嫁学校や、普通に平民や下位貴族が通う学校もあるが、貴族は貴族学校を出るのが望ましいとされる。

 私はレイモンド殿下よりひとつ年下で、現在二年生だ。入学して一年、声もかけず近付きもせず放置したうえで今更何の用事なのか。

「うふふ、私が忠告いたしましたのよ」
 レイモンド殿下の横には、ピンクブロンドの甘やかな髪に青い瞳の令嬢がいる。手を殿下の腕に遠慮なく絡めて私に恩を着せる。
「ローズマリー様が婚約者だから、ちゃんと気を使わないといけないって」
 この方に引き合わされた覚えも、名前呼びを許した覚えもないのだけれど、そんな事はこの二人の間ではどうでもいい事なのだろう。

「まあ、お返事も頂けないなんて、私が下位貴族だからバカにしてるんだわ。私に恥をかかせる気ね、酷いわ。皆さま仰っているわ、大した成績でもないのに図書館でガリガリ机に齧りついて、それなのに成績はさっぱりだって。お顔も大したことないのに取り澄ましてみっともないって」
 バカにしているのはどちらなのかしら。

「アリス、別にこのような奴に気を使う必要はない」
「そうね、ローズマリー様は可愛げのない面白みのない女だと聞いてるけど、そんなあなたをレイ様は蔑ろにせずちゃんと正妻にすると言っているのよ」
 レイ様とか既に愛称呼びする仲なのね。私が口をはさむ前に二人は言いたい放題、貶し放題だ。

「本当に皆様の言う通りね」
 私は何も言わずただ頭を下げた。その横をレイモンド殿下とピンクブロンドの令嬢が、私を蔑んだ目で見て、腕を絡めたまま通り過ぎる。


 令嬢はアリスという、ハースト男爵の庶子だ。昨年、魔力が多いからと男爵家に引き取られ貴族学校に編入した。それから瞬く間に上位貴族の子息連中と仲良くなり、レイモンド殿下とも渡り廊下を腕を組んで歩くくらい親密になった。

 私がこの貴族学校に入学してみれば、すでに殿下とアリスというカップルに、その他取り巻き勢という図式が出来上がっていた。私の入る余地は毛の先程もない。
 彼らの所為で私に近付いて来る者はおらず、彼らの取り巻きに甚振られるのも嫌なので、必然的に私の過ごす場所は人気の少ない図書館しかない。

 黒い髪をひとつに結び三つ編みにするか、二つに分けて三つ編みにするかして、似合わない眼鏡をかける。手に持っているのは教科書か編み針か刺繍道具だ。
 レイモンド殿下いわく、淑女はそうしたものらしいが私のはやり過ぎかもしれない。でも、王子に蔑ろにされる令嬢にはこのくらいの芸しかない。

「お前は顔がよくない。髪は黒髪で忌避されるべき存在だ。おまけに胸もない。存在意義がないではないか。私の婚約者など図々しいにもほどがある」
 自分の婚約者と決められた男に、面と向かってそう言われるのは悲し過ぎる。

 黒い髪、榛色の瞳の少女は蔑ろにされる。軽やかなブロンド青瞳の少女には敵わなくて。噂で可愛げがない、面白みがないと決めつけられる。
 私は彼を好きだとみんなに思われている。私が希って彼を婚約者としたのだと。
 いったい誰が自分を蔑ろにする男を好きになれようか、誰もそう思わないのか。


 ※猫ちゃんはメインクイーンをモデルにしております。
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