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27 隠し子(2)

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 昨日、結局女と赤ん坊は屋敷のどこかに連れて行かれた。夜遅く義純が帰って来るまで誰も逃げ回って暖斗の相手にならなかった。
「義さん! あの人! 赤ちゃん! 誰?」
 帰って来た義純の腕を捕まえても聞きたい言葉が上手く出て来ない。
「何言ってるんだ、お前」
 いきなりそう聞いてきた暖斗に義純は不機嫌な様子で相手にならなかった。
「早く風呂入って寝ろ」と暖斗を追い払おうとした。
「だ、だ、だ……、誰の誰の誰の……」
 追いすがって聞こうとしても、やはりどうしても聞けない。
「はる……、お前と遊んでいる暇はねえんだ」
 義純は暖斗に疲れた様子で言うと、脩二を呼んで暖斗を預けさっさと書斎に行ってしまったのだ。
 暖斗はその日一晩まんじりともしないで考えたが答えが出てくるわけはなかった。


 東原の広いマンションに案内されると、東原は葉月に暖斗をまかせて自分は料理に取り掛かった。
「俺も手伝うよ」
 暖斗が申し出る。東原は首を振ったがじっとしていると何処までも落ち込んでいきそうな暖斗だった。

「じゃあ、俺も」
 葉月も仕方なしに申し出たがもとより王子様の葉月は料理なんか学校で習った事くらいしかしたことがない。暖斗と東原が料理の相談をしているのを手持ち無沙汰に聞くことしか出来ない。
「カレーにしようか?」
「そうだな、合宿みたいだ」
「それにサラダとスープをつけて」
「よっしゃ」
 暖斗は腕まくりをして東原が出した野菜を手際よく皮を剥いたり切ったりした。東原は米を研いで仕掛け、暖斗の刻んだ玉ねぎを炒めている。
「葉月君。そこのレタスとかトマトを洗ってくれないか」
「ええっ?」
 東原にやっと仕事を頼まれても葉月は戸惑うばかりだ。ボールの中にレタスを放り込んで水をいきなり出したものだから水が撥ねて東原の眼鏡に飛んだ。
「わっ!何すんだよ」
「ああ、悪い」
 東原はびしょ濡れになった眼鏡を取って葉月をチラッと流し見てから拭いた。葉月はその顔を見てこの前の事を思い出し背筋をゾクッと震えさせた。

(あれ……、東原って……)
 その東原を見て首を捻ったのは暖斗だった。その意外に整った容貌。いや、それよりもどこかで見たことがある顔だった。何処でだっけと思い出している内に、濡れた東原に代わって炒めていた手元のフライパンからいい匂いがしてきて暖斗は考えを中断した。

「暖斗、訳を話してくれないか」
 葉月が改まってそう聞いたのは夕飯のカレーを皆で平らげて片付けた後の事だった。
「いつまでもここに居る訳には行かないだろう? 俺で出来る事は何でもする。他ならぬ大切な友人の暖斗の為だからな」
 今にも手を握りそうな勢いで暖斗の横に陣取り切々と訴えた。
「ありがとう葉月。でも俺は……」

 これは義純と暖斗の家庭内の事である。世間には義純のところに養子に行った事になっている。普通の人間に言えるような問題ではなかった。
「葉月君。人間、人に言えない事の二つや三つ誰にでもあるものだよ。如月君。僕のとこだったら大丈夫だよ。遠慮しなくていいからね」
 お茶を入れていた東原が後ろから二人の間に割り込むようにカップをトンと置いて言った。
「ありがとう、東原君。でも俺はずっと此処に居る訳には行かない」
 そう此処に居る訳には行かなかった。しかしどうすればいいというのか。
 暖斗は義純に聞けなかった──。

 東原のマンションに逃げ出して来たものの問題は一つも解決するわけではない。暖斗にはそれが分っていたがその事は口にするのも考えるのも怖かった。
 とんでもない所にお嫁に行ったと思っていたが、今まで暖斗は義純に随分大事にされていたと思う。自分も義純に頼りきりになっていたかもしれない。
 だって、一晩離れただけでこんなに心細い──。

 暖斗のその風情はか弱くて頼りなげで葉月の恋情を煽った。葉月は必死になって暖斗を慰めたが、こういう時に一杯やれば暖斗が元気になるということは飲めない葉月には思いも寄らない事だった。
 葉月にとって不幸な事に。


 その夜更け、東原のマンションに現れたのは背の高いがっしりとした体格の三十前の男だった。
 厳つい顔は整っているが非常に鋭い目付きでドアを開けた東原を射殺した。
「うちのがお邪魔しているそうだな」
 どうして此処を知っているのか如月義純であった。
 さすがの東原も緊張した面持ちで頷いてどうぞと部屋に招じ入れる。
「よく話し合った方がいいと思います」と言わでもな言葉を吐いて義純にギロッと射殺された。東原は首を竦めて暖斗のいる居間に案内した。

 義純は東原を視線で射殺したが何も言わないで東原の案内した部屋のドアを勢いよく開けた。
 暖斗が気が付いてギョッとしたように座っていたソファから飛び上がり逃げようとする。
「ばかやろう! 何が気に入らない!」
 義純は三歩で暖斗に追いつき腕を捕まえて怒鳴った。葉月と東原が間にはいる間もあらばこそだった。
 暖斗は睨みつける義純をしばらく睨み返していたが、やがてその瞳から大粒の涙が溢れて零れた。
「お前は俺の嫁だ。そうじゃねえのか? 何で逃げる必要がある。家でふんぞり返っていればいい」
 義純はあっさりと二人の秘密を暴露する。

 東原も葉月も「えっ?」と驚いたように二人を見るが、義純と暖斗はもう二人の世界に入っていた。
「だって、だって、義さん、俺はガキなんか出来ないよ」
 暖斗は男だった。どうひっくり返っても女にはなれない。可愛い赤ん坊を突きつけられて暖斗の嫁という立場はあっさり崩れた。こんなにも脆いところに立っていたと知った。

 しかし義純には先刻承知のことだったのだ。
「あほう。男のお前に誰が子供を生めって頼んだ。お前は俺の立派な嫁だ。今まで通り家を仕切って俺を大事にしてくれる分には誰も文句は言いやしねえ」
「でも、義さん……」
「もうグダグダ言うねえ。帰るぞ」
 義純は暖斗を小脇に抱えると邪魔したなと鋭い目付きを幾分和らげて出て行った。引き止める暇もない。
(大体義純の嫁という言葉はどういう意味なんだ……)
 後に残された東原と葉月はただ唖然とするばかりだった。


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