婚約破棄された令嬢はどん底で運命に出会う

拓海のり

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7 タラシ?

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 二人で話すように促されて、テラスのある広い部屋に案内された。
 お茶を出されて一口飲んで、ほうと息を吐く。
 かなり緊張していた。
 それを見てエドゥアールは微笑んだ。
「緊張されましたか?」
「はい、とても。あの──」
「エドゥアールと」
「ありがとうございます。わたくしもナディーヌとお呼びくださいませ」

 どうしようかと思ったけれどやっぱり聞いておきたい。ご本人の口から。早く聞いておいた方がいい筈だと、思い切って率直に聞いた。
「それで、エドゥアール様は、もうお元気ですの?」
「はい、あなたのご両親と研究所のおかげですよ」
 あっさりエドゥアールは答えた。あの新薬でお治りになったのだ。では、あの感染症に罹っていらっしゃったのだ。

 冬に悪化して吐血して死ぬ。雪の上に点々と広がる喀血が華のようで、あるいはその病気になると肌の色が血も通っていないアラバスターのように白くなることから、アラバスター肺炎と呼ばれる病。不治の病とずっと言われていた。

「よかったですわ」
 病名が分かってホッとすると逆にエドゥアールが聞く。
「本当にそう思われますか?」
「はい?」
「あなたの結婚相手に、私のような病み上がりの者で、しかも、感染症で」
 少し顔が辛そうになる。
「あのお薬をちゃんと半年、真面目に飲めば治ると聞いていますわ。治って元気になった方をたくさん存じております」

 領地に帰れば研究所があって病院がある。最近は研究が進んで病気に罹らない研究も随分進んだ。父も母も兄も自分も病気に罹らないと言われている。
 実際ナディーヌは何度か治った元患者に会った。
「そうですか」
 彼は少しほっとしたような表情になる。治ってもやっぱり怖い人は居る。

「あなたこそ、わたくしのような婚約破棄ばかりの女を──」
 特別美人だと言われたことも無い。あの馬車での少しの時間でどうして見初めることが出来るのだろう。ゴーチェと姉の痴態を見て逃げて、暴漢に襲われそうになって抗い泣いた。涙と汗にまみれ、酷い格好を晒していた。どうして望まれたのか分からない。

「私はそんなに変わった人間ではないですよ。誰もが望むような女性を手に入れたつもりです」
「はあ」
「もっとよく知り合いたかったけれど、あまりのんびりもしていられなくて」
(それはどういう意味なのだろう)

 エドゥアールはすいと立ち上がって、ナディーヌの隣に腰を下ろす。
 薬草の香りが近付いてくる。
「あなたにキスしても──」
 その言葉に驚いて顔を見る。
「ええと、結婚式は一週間後ですよね?」
 この男もベルトランと同じだろうか。でも、エドゥアールはお酒を飲んでいる訳ではないし、この部屋はとても明るい。
「固いのかな、それとも嫌なのかな」
 隣に座った彼は、顔を覗き込みながら言う。

 やはり公爵家の方々は皆様お綺麗なのだ。間近にある綺麗なアイスブルーの瞳を見てそう思う。
 繊細な顔の造作は作り物めいていて、身体の姿勢も、こんな風に身を乗り出していても、たぶん絵になる程に綺麗なのだろう。
 ナディーヌがここに座っていていいのだろうか。儚いとか綺麗とかとは縁がない様な娘だ。

「君のことをね、家族にちょっと話したんだ。可愛いとかしっかりしているとか。そしたらみんなが乗り気になって。こちらに帰ってすぐ病院に行って、もう大丈夫だってお墨付きをもらってね。でもほら、普通の人はやっぱり私が怖いと思うでしょう? あそこで出会ったのは運命なのかなって思った」
「運命?」
 それはあの真実の愛みたいなアレかしら?
 ナディーヌのやさぐれた心にその言葉が引っかかる。

「あの……」
「はい」
「もしかして、わたくしがモルヴァン伯の娘だから婚約者に──」
 少し拗ねたようなナディーヌの言葉にエドゥアールは蕩けるように笑った。

 ああ、綺麗な笑顔だわ、魅入られそう。
「もちろんそれもありますが、それだけじゃない」
 ナディーヌの頭に手を置いてポンポンと優しく撫でる。
 頬に血が上って来るのは、決して子ども扱いされて腹が立つ所為ではない。

 薬草の香りとニコニコと覗き込んで来るアイスブルーの綺麗な瞳。高くも低くもないノーブルな声。

「あの時、君はとても酷い目にあって涙を流していたけれど、丁寧に受け答えしていて、ちゃんと背筋を伸ばしていた。しっかりしているのに、こうして側にいると君は恥じらいとか初々しさがあってとっても可愛いし、君のような人に私の側にいて欲しいと思う」

 こんな風によどみなく話す彼からは、病気の気配など欠片もない。
 ナディーヌは公爵令息の看護師代わりに、結婚する訳ではないのだろうか。
 では何の為に──?
 分からない。分からなくて首を捻るナディーヌの顎を掬って公爵令息の綺麗な顔が近付いて来る。

「キスしても」
「ずるい」
「ほら、もう婚約者だし」
「婚約者でも、そんなことは」
「じゃあ、これがファーストキスなんだね」
 決まったように言わないで欲しい。

 唇に軽く触れるだけの。
 頬が染まってしまって、
「可愛い」と囁かれた。

 多分こんなに側にいても嫌じゃないのは、この方からかすかに香る薬草の匂いの所為だとナディーヌは思う。
 しかし、それをエドゥアールに言うと、少し悲しげな顔をする。
「どうしてですか? わたくし、この香りとても好きですけど。わたくしの田舎の香りですわ、優しくて懐かしくて」
 途端に嬉しげな顔になって、ナディーヌを抱きしめて「どうぞ存分に」と囁く。

「快方に向かっていると聞いて、希望が湧いて、色々考えたけれど、結婚のことはあまり自信が無くて。結婚してくれる人がいるだろうかとか。
 君を知って、それこそ、君を望んだけれど、嫌われたらどうしようと。こんなに近くに居ても嫌がられないなんて」

 それでナディーヌは彼にとって、キスがとても大事なことなのだと分かった。
 新薬が開発されたのは最近で、それまでは死病だった。
 家族とも離れ、ひとりで病と闘っていたのだろうか。触れることも、抱きしめることも出来ず。
 今でも怖がる人はいる。多分馬車の中でローブや口元を覆っていたのは、まだ診断が出ていなかったからだろう。
 もしかしたらご家族は、まだ彼を怖がっているのかもしれない。

「ナディと呼んでも? 私のことはエドと」
「はい、エド様」
「呼び捨てで、ナディ」
「エド……」
 また唇が近付いてくる。
(大事なことじゃなくて、ただのタラシじゃないのかしら)
 そう思ったと同時に、背後で執事に「ウオッホン」と咳払いをされて、唇が掠めるようにして逃げて行った。
 いや、執事がいるなんて気が付かなかった。人前で恥ずかしい。
 ナディーヌは顔を覆った。

「ごめん、ちょっと舞い上がっていて。しばらくこんな感じだけれど、許して欲しい」
「はあ」
 あっさりとエドゥアールは立ち上がって手を差し伸べる。
「屋敷を案内するね」
 彼の手に手を重ねながら、試されていたのかなとふと思う。見上げれば儚げな印象は少し薄れて、公爵家ご令息の威厳というか、自信というようなものが垣間見えた。

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