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一章 女王様、初めてのお忍び

女王様が隣にいらっしゃる

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 二日後。城下町の聖堂で祈りをささげる人々の中に、ヒノカの姿があった。

「いつもはこんなことせんけどな……今回は世話になったヤツがいるし、女神さんに聞いてもらうことがあるねん」

 聖堂の最奥に立つ女神像は慈悲深く耳をかたむけている。ヒノカは城下町の出来事を細やかに話し続けた。

「今日この町を出発するで。ウチを助けてくれたアイツのこと、これからも見守ってやってくれな……それと、ありがとうとか何か伝えておいてくれるか? んー、もっと気のきいた言葉にすべきやろか……思いつかん。そこんとこ女神さんの裁量で言葉選んどいてくれると助かるわ」

「あら、そこはちゃんと自分の言葉で伝えるべきですよ?」

「……は?」

 隣に女王がいた。

「な、なんでおるねん!!」
「しーっ! 大声を出してはいけませんよ」
「おおっとと。じゃあ外にこいや、ちょっとツラ貸してもらおうかい!」

 どかどかと大股で聖堂を出る。庭の木の下なら迷惑にならないだろう。女王もとことことついてきた。

「なんでここにおるんや。城におらんとあかんちゃうの?」
「抜け出してきました」
「またかーい! しかも今度は真っ昼間に!」
「ヒノカこそ、もう出発したものと思っていました。ですがおばさまから聖堂にいると聞いたもので急いで来たのですよ?」
「あー、まあホラ。旅は何があるかわからんし、ゲン担ぎくらいしてもおかしくないやろ」
「それにしてはずいぶん熱心に祈っていましたね?」

 しばしの沈黙。枝の葉のさざめき。

「ぬああーーーー!」

 ヒノカは頭を抱えて叫んだ!
 驚いたのか、木から二羽の鳥が飛び出す。 
 誰にも聞かれたくないことを――女神像は別。この場合は人間に対してだ――最もそう思っている相手に聞かれて体が震える。
 頭の上に鍋をのせたらお湯が沸くかもしれない。少しでも熱を逃がさなければ。

「横で聞いてたならもうええやろ! 言いたいことは全部言った、この話は終わり! よっしゃ今度はそっちが答える番やで! なんでまた抜け出したんや」
「ゲオルの件で改めて感じました、私はもっと多くを知るべきだと。今度は各地を旅してまわろうと思います」

 背筋を伸ばして答える女王の瞳には、強い意志の火が宿っていた。

「ヒノカ、私と一緒に来ていただけますか? 旅慣れたあなたがいてくれたら、とても心強いです。行き先は……歩きながら決めるのはどうでしょう。あなたが行きたいところでもいいですよ」

 女王はにっこりとほほえむ。多くの人間と出会ってきたヒノカにとっても、とびきり手ごわい笑顔だ。

「ははっ、相変わらず一途なお嬢やな。アンタと一緒なら退屈せずにすみそうやわ」
「まあ。お願いを聞いてくれるのですね」
「おう。アンタは強くてええやつやけど世間知らずやし、ちゃんと見てないと落ち着かんわ」
「ありがとう、ヒノカ!」

 女王が両手をにぎってくる。手だけでなく笑顔からも暖かさを放っているかのようだった。彼女は太陽だ。それも、とびきり気まぐれで、少し頑固な。

「こういうところがなぁ……」

 木から飛び出した鳥たちが、仲睦まじく町の外へと向かう姿が見えた。



 野原の緑がそよいで美しいグラデーションを奏でる。遠くに見える林にはどんな自然の営みがあるのだろう。空に浮かぶ雲は気ままに流れる。
 道は優しく足を受け止め、次の一歩を心待ちにしているようだ。どうして足が二本しかないのだろう、そんなもどかしさすら感じるほど、歩くのが心地よい。

 振り返ると、すっかり小さくなった町と城が見える。あと少し歩けば完全に地平線の向こうだ。

「……行ってきます」

「おーいお嬢! はよ行くでー!」
「ええ!」

 女王の旅が、始まる。
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