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六章 公爵の孫娘

女王様は通りすがりの旅の者であられる

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「ちょ、ちょい待ち! まさかウチのお母ちゃんが『バレンノース公の娘』だったっていうんか!?」

 ヒノカに両肩をつかまれ、大きくゆさぶられる。反応を見るかぎり、やはり母親の身分のことは聞いていなかったのだろう。
 もし知っているならば今までの旅の中で、世間話に出てきてもおかしくなかった。


「でも珍しい名前だし、偶然とは思えな……あっ!」

 ソニアは両ひざをついて頭を下げる。

「あ、あたし……ごめんなさいヒノカさん……ほんとうにごめんなさい!」

「いや謝らなくてええ……っていうか、親の名前が同じだけで、まだわからんやろ? ほんまに偶然かもしれんやろ?」

 たしかに名前の一致だけならば、女王もこれほど強い確信を持つことはなかった。

「お嬢にしてはずいぶんと決め打ちやないか?」



「もちろん他にも判断材料があります。ヒノカ……いつも使っている笛を見てください」

「……これか。これがどうかしたか?」

「はい。笛の頭にほどこされた彫刻……それはバレンノースの紋章なのです。裏には古文字で『リア』とも彫られていますよ」

「……ホンマかいな。ウチが知らないからって、適当なこと言っとるんじゃないやろな」



 文字はともかく、紋章ならばソニアという証人がいる。

「盾の中に描かれた、流れる川、その中にたたずむ一本の剣。ソニアさんなら見たことがあるでしょう」

「……ほんとだ! バレンノース様の紋章だよ、あたし何度も見せられた!」



 さすがのヒノカも『偶然』ではすませられないと悟ったのだろう……力が抜けたようにへたりこんでしまった。

「……お嬢は、最初からウチのこと……公爵の孫やと思ってたんか……?」

「いいえ。初めて気づいたのは、初めて笛を教わった、あのときです……」

「なら最近か……」

「ええ。ヒノカが芸を始めるといつも見惚れてしまうので、それまで笛の装飾を気にしたことがありませんでした」

「いやいや、そないなこと言わんでええから!」

「病で亡くなったお母様の形見だから、大切にあつかってほしいと言っていましたね」

「……両親が死んで、家もなくて……そんなウチにとって、これが故郷みたいなものや。唯一のつながりやねん」

 ヒノカの目からひとすじの涙が流れる。

「ウチがほんとうに孫だとしたら……この笛が……お母ちゃんが、つないでくれたんかなあ……っ」



 宿の部屋のなかで、しばしのあいだ嗚咽だけがあった……



 落ち着いてきたころあいを見て、女王はふたたび話しはじめた。

「私は謝らなければなりません。今まで話さなかったのは、あなたがバレンノース公のもとに行ってしまうと思ったから……」

 目をふせ、ヒノカに頭を下げる。

「つまり個人的なわがままのせいです。申しわけありませんでした」

 この地へ来るまでに話すべきだという後悔があった。ヒノカが許すとわかっているからこそ、心苦しさが胸を刺す。



「……今でなけりゃ、聞いても信じなかったと思うで。気に病むことやない」
「ヒノカ……」



 ああ……あなたならそう言うと思っていました。





「ヒノカさん、あたしが言うのもなんだけど、バレンノース様のところに行くの?」

 ソニアの問いかけに、ヒノカはしばし考えこむようにして答えた。

「いや難しいなあ……ずっと知らなかったわけやし、おじいちゃんがいるからって『じゃあ会いに行きます』とはなかなか……」

「絶対、会いにいったほうがいいよ!」

 これまでとはうって変わって強い言葉に、女王もすこしおどろいた。

「ソモンが言ってたの。バレンノース様はもう長くないって」
「っ!」

「あたしね、孤児院にいたの」





 孤児院。この言葉がソニアの口から出たとき、部屋の空気がすこし変わった。

「みんなでよく話してたんだ。あたしたちの本当の家族はどんな人だろうって。ごっこ遊びもたくさんしたりして。でも、もう……」

 こぼれた涙をぬぐって、ソニアはつづけた。

「会わなかったらきっと後悔する……ヒノカさんは優しい人だから。バレンノース様が亡くなったら、寂しかったかな、とかいろいろ考えちゃうんじゃない?」

「それは……」

「ヒノカ、私からもお願いします。どうか公爵と会ってください」

 女王もまた、はやくに両親を亡くし、祖父母もいない身である。
 ヒノカとバレンノース公を引き合わせたいと思う一方、最愛の友人を手放したくもなかった。

 だがいまは――



「公爵の病状は、私の耳にも届くほどです。猶予はありません」
「お嬢まで……」



 ヒノカはしばらく黙っていたが、やがて大きくうなずいた。

「……わかった! ふたりの言うとおりや。ここで会わんかったら、もうそれまでなんやな」

「ヒノカ……!」

「正直に言うとまだ孫だってことも信じられん……半信半疑や。けど、お嬢の鋭さを信じるわ!」

 女王はほっと胸をなでおろした。その中に熱い決意がみなぎりつつも、わずかに寂しさの風が吹いている。



「……で、どうやってバレンノース公のところまで行くつもりなんや。まさか乗りこむつもりじゃないやろな?」

「うふふ、そのまさかですよ」

「やっぱりそうなるんかーい!」

 ヒノカのツッコミが胸にたたきこまれる。それが心の隙間を埋めてくれたように感じられた。

「お嬢のことやから心配はせえへん。といいたいところやけど、今回はあの男が気になるな……待ち伏せでもしとるんやろか」

「ル・ハイドですね。彼の言う罠とは、城をさしているのでしょう。ですが受けて立ちますよ」



「あ、あのう……エルミーナさんっていったい何者なの……?」

「ほれほれ、ソニアがぽかーんとしとるで。こういうときはなんて返すんや?」



「通りすがりの旅の者です」
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