蒼天の城

飛島 明

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幕間(1)

真の名(2)

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 同じ日の夜更け、諏和賀の城。

『阿蛾? どうしたの。瘤瀬がなにか?』
『姉者』

 諏和賀城の奥深く、領主である諏名姫の居間に忍んで来た娘がいた。
 次の間の宿直は瘤瀬の者であったが、動かない。
 おそらく阿蛾の気配を悟っていて、動かないのであろう。しかし、いつでも飛び込めるようにしている次の間の気配も伝わってきた。

 諏名姫も気配封じの術をかけながら、衾を剥ぐと起き上がり寝室から居間に忍び出た。
 居間に控えていた侍女はなにも気付かず、健やかな寝息をたてていた。

(今朝がた城を発った阿蛾がもう、ここに戻って来ようとは)
 阿蛾は獣を飼いならせる技を持つ。
 瘤瀬と諏和賀城を1日で往復できるのは彼女にしか懐かない、肉食の大鷲に乗って飛翔するしかない。緊急事態かと諏名姫は身構えた。

『姉者。姉者は”諏名姫”ですか。それとも”菜を姉者”なの?』
 阿蛾は謎めいた問いかけに。
『私は、”諏名”でもあるし、瘤瀬の頭領の、時苧の孫の”菜を”でもあるわ』
 諏名姫は微笑んで答えた。



 ◆

『皆の者。わたしは、”菜を”を還そうと思う』
 諏和賀を取り戻した日、瘤瀬衆に告げた。

 十数年前、諏名姫を逃がす為に首を討たれた娘。
 その躯は今もどこに眠っているやわからぬ。
 時苧の本当の孫であり草太のまことの妹である、娘へ。

『ぬしは、わしの孫じゃよ』
 時苧が諏名姫の肩に手を置いた。
『ぬしさえ厭でなけでば、な』

『じい様……いいの?』
 諏名姫は涙の溜まった瞳で見上げた。
 ほんとうは棄てたくなかったのだ。名を通しての瘤瀬とのつながりを。”菜を”として、時苧と草太と家族として暮らしたつながりを。だが、赦される訳がないと思ったのだ。
 例え、時苧が赦してくれても、草太が己を赦す筈がないと。


『お前が瘤瀬との縁を切るのであれば、オレ達も今後一切諏和賀に関わりを持たぬ』
 草太がそっぽを向いて言った。
 疾風が、そんな不器用な草太を小突く。

『諏名姫、瘤瀬の総意として姫君に申し上げる。
どうか、”瘤瀬の菜を”でもいてくだされ』
 草太と疾風の小突きあいを尻目に、瘤瀬の最長老のシミ婆が頭を垂れた。
 ざっと瘤瀬衆が皆、それに倣う。
 無論、時苧も。疾風も。
 そして草太もだ。シミ婆がにや、と歯の抜けた顔で姫に笑いかけた。

『御身はすでに我らの”家族”なんじゃ』
『ばあ様……っ!』
 菜をはシミ婆の小さな背中に抱きついて泣いた。その姿を嬉しそうに瘤瀬の里の者が見守っていた。


 ◆


 菜をの微笑みを見つめた阿蛾がほっと一息つき、また表情を厳しくした。
『ならば。頭領の肉親の”菜を姉者”にお願いがございます』
 阿蛾があらためて頭を下げた。

『なに?』
 さすがに諏名姫、菜をは不審に思った。この娘は何を頼みにきたのか?

『頭領のところへお嫁に入ること、お許し願えますか?』
『はいいっ?!』
 菜をは素っ頓狂な声をあげ、気配封じの術が壊れた。

 すぐ、次の間の瘤瀬衆から気配が来た。
(姫、なんぞ)
(ごめん、なんでもないの)
(かしこまりました)
 それだけ、宿直の者と気配を交わすと、慌てて封じの術をかけ直す。

 菜をはあらためて、阿蛾を見た。
 昔は骨ばった、小さな娘であった。が、ここ数年の間に女らしい肉付きになり、しっとりとした風情になったと思ってはいた。ダレと名乗りをあげるのか、人の口にも上るようにもなっていた。

 ……妹を女に成長させたモノがまさか、そんな理由であったとは。

『……聞いていい?』
 菜をはおそるおそる聞いた。
『はい、なんなりと』
 阿蛾はしっかりと菜をの瞳を見据えて返事をした。
『どうして、じい様なの?』

 阿蛾の瞳に人生の選択をした者のみが持つ強さを見た。
(既にこの子は決意しているのだ)
 確信してしまうと、なんとなく気おされてしまう。

 我ながら間の抜けた問いをする、と思いながらどうしても不思議であったので訊ねた。

 人を愛するのに是非はない。そして理由も必要はない。
 ……必要はないが、時苧をそもそも男として見たことがなかったのだ。
 が、それも不思議はないだろう。
 血のつながりがないとはいえ、祖父と孫として時間を共有してきたのだであるから。
 大好きな祖父ではあったし、人物として愛すべき器量の持ち主で、忍ぶの棟梁としての力量には、心服してすらいたけれど。

(だとすれば、阿蛾も同じなのではないの?)

 菜をの問いに、阿蛾はぱっと瞳を輝かせた。ぽっと頬を染めて得たり、と話し出した。
 言いたくて、言いたくて。ようやく聞いてくれる相手を見出せた阿蛾は、堰を放たれた奔流のように話し出した。
 菜をは間抜けな問いをしたことを、今更ながら激しく後悔した。
(これが、”恋する女になぜ?は不要”って奴か……!)



 やがて夜も白む頃、まだ話したりなさそうではあったが、阿蛾は名残惜しげに時苧のいる瘤瀬へと戻っていった。

『……ああ~……』
 菜をはよろよろと寝所に戻ると、褥の上にひっくり返った。

 どんなに時苧が男らしいか。
 どんな処が大人で、シビれてしまったのか。
 どんな仕草が護ってあげたい程いとおしく、可愛らしいのか。
 どんな所作がたくましく……、さんざん聞かされてぐったりとしてしまった。






 そこへ、草太が飛び込んできたのだ。

 里一番の俊足を誇る草太とはいえ、気が急いでいたあまり相当な速さで戻ってきたのだろう。流石にきつかったらしく所々着物はすり切れ、あちこち擦り傷だらけで、荒い息を肩でしている。


 2人はぐったり、あるいはげんなりししていた。しかし、それぞれから聞いた話を目の前の前の相手に聴かせ、はああ……、と深いため息を同時ついた。眼を見交わせるtこおなく、一つの意見に到達していた。

「認めるしかないだろうな」
「でしょうね」
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