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幕間(1)
真の名(3)
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「阿蛾は名をどうすると?」
草太は諏名姫の居間に、妹が忍んで戻っていったのを知っていて訊ねた。
◇
時苧に拾われ、瘤瀬で育った子供はみな二つ名を持っていた。
名前から素姓が割れ、諏名姫への手繰る手がかりにならぬよう時苧が講じたのだ。
しかし、諏和賀を取り戻した今は、真の名を堂々と名乗れるのだ。
そこで時苧と諏名姫が相談した結果。
婚儀をする折。
もしくは成人となり、これからの生きる途を選ぶ時。
どちらの名を選ぶか決める、と定めた。
すなわち。
真の名に戻り、諏和賀の民として生きること。
但し事ある時は、瘤瀬衆の下になり新しい諏和賀の里民を指揮し、統率すること。
もしくは時苧のつけた名前を名乗って瘤瀬の、忍ぶの衆として生きることを。
羅生丸と八雲は正式に夫婦となり、四郎とおみつに戻った。
疾風は、瘤瀬の次期頭領・草太の片腕となるべく、疾風の名前を取った。
草太には”小鷲”という仮の名があった。
瘤瀬の次期棟梁としての道を進む彼は、仮の名を名乗るのが流れだった。
彼自身も、『草太』に訣別しようと考えていた。
吉蛾が滅んだこともあり、新生諏和賀に生きるという意味でだ。
しかし彼の真の名は、亡き御領主自身が自らの幼名を彼に与えたもの。
『諏和賀に仕える、忍ぶ一族の棟梁の孫』に付けられた名でもあった。
『ぬしは”草太”に戻れ』
『なぜ?』
『今の諏和賀の衆の大半は、くいっぱぐれに戦火や重い税などで他国の圧政から逃れた者。
殆ど、寄せ集めよ。生粋の諏和賀の者など、何人もおらぬ』
『そうだな』
『他国からの者の、わしらを見る目を見て。ぬし、何も感じてはおらぬか』
『……』
時苧の言葉に思い当たるふしがあり、草太は黙った。
刺すような蔑むようなまなざしに、格下の者をから指示され反発するようなまなざし。
それは今まで草太ら、瘤瀬の者が経験したことのない目であった。
今まで草太たちが暮らしてきた瘤瀬には上下の差というのは、経験と年齢以外なかった。ゆえに新生諏和賀の民と一緒に里を復興している瘤瀬衆はその目に戸惑いを隠せなかったのだ。
『他国では忍ぶという存在は、民より下の存在よ。
諏和賀の新しい民にすれば、わしらは”下”の者よ。
なんで”下”の者がわしらに指図するか、と思うであろうよ』
時苧の言葉に草太の瞳に殺意がのぼった。
『なんだと』
『この諏和賀が特殊なのよ。
わしらは、外の邦では外道の者よ。
そんなものが普通の民と交わることが不思議なんじゃ』
時苧は自嘲するでもなく、淡々と事実を述べた。
『亡き殿ご一族や旧い里人達は我らと濃い繋がりがあったが、新参者には理解できまい。
おいおいに馴染んでいくであろうが、今は時が惜しい』
『……』
諸国を諜報活動で歩き回った時苧の言葉は真実であったろう。
吉蛾にいた時から、探索・諜報を仕事としていた時苧は『外』の知識も豊富だ。武士より忍ぶを生業としている者達が一般の者からさげずまれていたのは、どの国でも同じであった。
だが、草太には、釈然としない想いが残った。
(人の上に人がいるものか)
『そこでな。ぬしの名が効いてくるのよ』
『オレの名?』
『さよう、ぬしは間違うことなき、先代のお館さまの奥方の血縁に連なる者。
畏れおおくも、現ご領主である諏名姫の年長の従兄でもあられる』
時苧は芝居がかった口調で言った。
『そんなものはおいおい知らしめていけばいいし、知らんでもいいことなんじゃが、な。
わしらの存在を諏和賀の者に浸透させる為に、時を費やせないんじゃ』
『なるほどな……』
草太は時苧の考えを理解した。
『つまり、新しい里人の人身を掌握するには虎の威を借りることだと。
”てめーらが胡散臭そうに見ていやがる集団は、姫君の近しい存在だ。
そのアタマを張ってるのは姫君の親族だ、文句あっか”
というハッタリをかます為にも。
亡き殿のご幼名をもつオレの名が効いてくる、という訳だな』
草太=その時は小鷲を名乗っていたが=は静かに言った。
『ま、ありていに言えば、そうじゃな』
時苧はあっさりと肯定した。
『殿のご幼名が『草太』であることは、生き残りなら周知の事実じゃからの』
諏名姫の下に、人心を一つに掌握しきれてない今。
せっかくもう一度生き返ろうとしている諏和賀であったが、絶えず甘い汁を啜ろうと虎視眈々と周囲を見張っている他国に目をつけられて、再び蹂躙されるおそれがあった。
そんな時だからこそ、領主に親しい存在を誇示し、人心を一つにする必要があったのだ。
祖父である棟梁の時苧の言葉は、政治的な駆け引きも尤もであると思い、胸中複雑な想いがあったが、小鷲は『草太』に戻ることにしたのである。
『わかった』
草太はそういうと、真の名に戻ることに決めたのであった。
もうひとつ、時苧には深謀遠慮があったのだが、それはまだ秘められていたままであった。
それはやがて瘤瀬衆の存在ともに、時苧の目論見通り、じわじわと浸透していくことになる。
その時、こっそりとほくそえんだ時苧の笑みに気付いていたのは、同席していた疾風や瘤瀬の長老だけであった。
草太は諏名姫の居間に、妹が忍んで戻っていったのを知っていて訊ねた。
◇
時苧に拾われ、瘤瀬で育った子供はみな二つ名を持っていた。
名前から素姓が割れ、諏名姫への手繰る手がかりにならぬよう時苧が講じたのだ。
しかし、諏和賀を取り戻した今は、真の名を堂々と名乗れるのだ。
そこで時苧と諏名姫が相談した結果。
婚儀をする折。
もしくは成人となり、これからの生きる途を選ぶ時。
どちらの名を選ぶか決める、と定めた。
すなわち。
真の名に戻り、諏和賀の民として生きること。
但し事ある時は、瘤瀬衆の下になり新しい諏和賀の里民を指揮し、統率すること。
もしくは時苧のつけた名前を名乗って瘤瀬の、忍ぶの衆として生きることを。
羅生丸と八雲は正式に夫婦となり、四郎とおみつに戻った。
疾風は、瘤瀬の次期頭領・草太の片腕となるべく、疾風の名前を取った。
草太には”小鷲”という仮の名があった。
瘤瀬の次期棟梁としての道を進む彼は、仮の名を名乗るのが流れだった。
彼自身も、『草太』に訣別しようと考えていた。
吉蛾が滅んだこともあり、新生諏和賀に生きるという意味でだ。
しかし彼の真の名は、亡き御領主自身が自らの幼名を彼に与えたもの。
『諏和賀に仕える、忍ぶ一族の棟梁の孫』に付けられた名でもあった。
『ぬしは”草太”に戻れ』
『なぜ?』
『今の諏和賀の衆の大半は、くいっぱぐれに戦火や重い税などで他国の圧政から逃れた者。
殆ど、寄せ集めよ。生粋の諏和賀の者など、何人もおらぬ』
『そうだな』
『他国からの者の、わしらを見る目を見て。ぬし、何も感じてはおらぬか』
『……』
時苧の言葉に思い当たるふしがあり、草太は黙った。
刺すような蔑むようなまなざしに、格下の者をから指示され反発するようなまなざし。
それは今まで草太ら、瘤瀬の者が経験したことのない目であった。
今まで草太たちが暮らしてきた瘤瀬には上下の差というのは、経験と年齢以外なかった。ゆえに新生諏和賀の民と一緒に里を復興している瘤瀬衆はその目に戸惑いを隠せなかったのだ。
『他国では忍ぶという存在は、民より下の存在よ。
諏和賀の新しい民にすれば、わしらは”下”の者よ。
なんで”下”の者がわしらに指図するか、と思うであろうよ』
時苧の言葉に草太の瞳に殺意がのぼった。
『なんだと』
『この諏和賀が特殊なのよ。
わしらは、外の邦では外道の者よ。
そんなものが普通の民と交わることが不思議なんじゃ』
時苧は自嘲するでもなく、淡々と事実を述べた。
『亡き殿ご一族や旧い里人達は我らと濃い繋がりがあったが、新参者には理解できまい。
おいおいに馴染んでいくであろうが、今は時が惜しい』
『……』
諸国を諜報活動で歩き回った時苧の言葉は真実であったろう。
吉蛾にいた時から、探索・諜報を仕事としていた時苧は『外』の知識も豊富だ。武士より忍ぶを生業としている者達が一般の者からさげずまれていたのは、どの国でも同じであった。
だが、草太には、釈然としない想いが残った。
(人の上に人がいるものか)
『そこでな。ぬしの名が効いてくるのよ』
『オレの名?』
『さよう、ぬしは間違うことなき、先代のお館さまの奥方の血縁に連なる者。
畏れおおくも、現ご領主である諏名姫の年長の従兄でもあられる』
時苧は芝居がかった口調で言った。
『そんなものはおいおい知らしめていけばいいし、知らんでもいいことなんじゃが、な。
わしらの存在を諏和賀の者に浸透させる為に、時を費やせないんじゃ』
『なるほどな……』
草太は時苧の考えを理解した。
『つまり、新しい里人の人身を掌握するには虎の威を借りることだと。
”てめーらが胡散臭そうに見ていやがる集団は、姫君の近しい存在だ。
そのアタマを張ってるのは姫君の親族だ、文句あっか”
というハッタリをかます為にも。
亡き殿のご幼名をもつオレの名が効いてくる、という訳だな』
草太=その時は小鷲を名乗っていたが=は静かに言った。
『ま、ありていに言えば、そうじゃな』
時苧はあっさりと肯定した。
『殿のご幼名が『草太』であることは、生き残りなら周知の事実じゃからの』
諏名姫の下に、人心を一つに掌握しきれてない今。
せっかくもう一度生き返ろうとしている諏和賀であったが、絶えず甘い汁を啜ろうと虎視眈々と周囲を見張っている他国に目をつけられて、再び蹂躙されるおそれがあった。
そんな時だからこそ、領主に親しい存在を誇示し、人心を一つにする必要があったのだ。
祖父である棟梁の時苧の言葉は、政治的な駆け引きも尤もであると思い、胸中複雑な想いがあったが、小鷲は『草太』に戻ることにしたのである。
『わかった』
草太はそういうと、真の名に戻ることに決めたのであった。
もうひとつ、時苧には深謀遠慮があったのだが、それはまだ秘められていたままであった。
それはやがて瘤瀬衆の存在ともに、時苧の目論見通り、じわじわと浸透していくことになる。
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