蒼天の城

飛島 明

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第三章 次世代編

山中での抱擁(6)

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 時苧の小屋

「まだまだじゃのー。菜を」
 時苧がおだやかに言った。
「全くだわ。アバラはもっていかれなかったけど。
何日かは傷むわね」
 帰蝶の放った一撃に、透湖の、いや菜をのわき腹は赤黒く染まっていた。咄嗟に筋肉を締めておらねば、肋は勿論、内臓も潰されていたかもしれなかった。

「あの子ったら!」
 おろおろしながら阿蛾が甲斐甲斐しく菜をの世話を焼く。
「いいのよ、あれ位で。
ここの処、実戦らしいことしてなかったし。
……里もあんまり実戦はないわね?」
 時苧に確認した。

「そうじゃな」
 時苧の穏やかななかにも、焦燥の色が見えるようであった。
 平和が一番だが。
 安易にれてしまうのも人間の悲しさだ。
 狎れは#慢心__まんしん_#を呼び起こし、やがて怠惰と油断に育っていく。
 そんな時に攻め入られたのでは、なすがままに蹂躙じゅうりんされてしまう。
 戦を知らぬ民人はそれも赦される。しかし、闘うことが生業の瘤瀬衆には、それは赦されぬ。

「鍛錬の方法を変えねばならない時かもしれないわ……」
 菜をは呟いた。

 技というものは結局は、遣い手の心を拠り所にしている。
 ある程度までは努力で強くなれる。
 だが、強い力を御すには、欲望に克つには。強靭な心が必要なのだ。
 強い敵に勝つ為にも。生きて、愛する者の許に還る為にも。
 弱い心では、己の信念を貫き通すことは出来ないのだ。

 どんなに技がなくても、体が弱くても心が強ければ、闘える。

 菜をはそれを四郎に教えられたのだ。
 菜を達は、はからずも土雲のおかげで心を鍛えられた。平時に心を強くするのは、非常時の何倍も難しい。だが、やらねばならぬ。血を吐く想いで守ってきたこの地の平和を、次の世代に受け継ぐ為に。

 ふっと菜をはため息をつき、そして話題を変えた。

「ねー、じい様、阿蛾。もしかして、帰蝶って疾風兄者のことが好きなんじゃないのォ?」
「えええ?!」
 二人とものけぞった所を見ると、まるっきりその可能性は考えておらぬようであった。

「なによ、のけぞること?」
「や……じゃが、疾風と帰蝶は20は離れておるぞ?!」
 時苧が喘ぎながら言った。
「そこまで離れてないわよ。せいぜい18か19よ」
「同じぢゃ」
 時苧がぼそっと言う。

「なーに言ってんのよ、自分は50下の女房をめとっておいて」
 菜をが軽くいなす。
 すると阿蛾が「47です」と小さく訂正する。そして。
「多分、片思いの相手がいて。
他の縁談をはねつける為に、草太兄者の名前を出していたのだろうとは思っていたのですが……」
 と細い声で呟いた。

「阿蛾も、そー思う?」
 菜をが勢い込んで阿蛾に確認した。

「”血が繋がっておるから、草太が好き!というても、くっつけられる心配もない”ということか。
わが娘ながら、こまっちゃくれたことをしよって」
 時苧がしかめっ面で言った。
「血筋でしょうね」
 さらっと菜をは言った。
「それより、じい様達としては疾風兄者は婿がねとしてはどーなの?」
「……」

 時苧と阿蛾はこっそり目を見合わせた。


 瘤瀬衆を束ねる女長の夫としては、最良であろう。
 最後の吉蛾の棟梁の遺児でもあり、実力は草太と伯仲はくちゅうする。優しすぎる性格は、かっとんでいる帰蝶をよく支えてくれるであろう。
 がしかし。
 肝心の疾風はどうなのだろう?
 実力を備えながら、地位には恋々としてはおらぬ。欲がなさ過ぎる位だ。そもそも、草太も。菜をですら、地位に恋々としている訳ではない。上に立つ者の義務であるから地位を得ているにすぎないのだ。
 
 ――悪く言えば疾風は。上に立つ者の一人でありながら、上に立つ事を放棄しているとも言える。

 とはいえ草太の片腕として。諏名姫の、諏和賀の。そして瘤瀬のよき相談役として、無くてはならぬ存在の一人である。


 ……その疾風が心底惚れぬいているのが、誰あろう。目の前の透湖、いや、菜をの諏名姫なのだ。
 それは瘤瀬衆なら誰でも知っている。
 草太ですら、だ。

(その草太はたった一言、疾風に言ったそうじゃの。『あいつを絶対不幸にはしない』と)
 時苧と阿蛾はこっそりと眼で語り合っていた。
(それで、疾風兄者は完全に身をひいたのですね)


 ――とはいえ、頭と心は別のモノだ。
 その証拠に人柄もよく、領主の信頼も篤く、技量にすぐれているというのに。押し寄せる女どもになびかないではないか?
 疾風が菜をに操を立てて衆道に走ったとも、一生不女犯の誓いをしたとも聞こえてはおらぬ。
 本人も伴侶を探しているようではあるのだが……いかんせん、いいところまで行かぬのだ。



 阿蛾も時苧も、何度”とうの疾風本人から夜這いをたしなめられた”と、泣き喚く女に駆け込まれたことだろう。瘤瀬の女のなかには、疾風を想うあまり、逆上して菜を闇討ちしかけた者がいるほどだ。
 ……当然ながら、菜をには闇討ちにすら認知されぬほどの幼稚なものであった。
 毒物など、口にしても幼い頃から躯が馴れていることもある。殺気は流石に感じているのだろうが。上からモノが落下してこようが、下に落とし穴があろうが。そんなもの、無意識に躯が避けてしまう。菜をにしてみれば、せいぜい物を避けている感覚しか持っておらぬだろう。

「他の那に、女がいるとも聞かないしねぇ~。
本当なら、里の者とくっついてくれると嬉しいのだけど」

 そして、とうの菜をは疾風が聞いたら、三度くらい悶絶して死にそうなことをさらっという。
 時苧と阿蛾はそっとため息をついた。



(どうして時苧の身内のくせに揃いも揃って、朴念仁と鈍感に育ったのであろう)、と。

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