蒼天の城

飛島 明

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第三章 次世代編

山中での抱擁(7)

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 翌朝。
 透湖と疾風が旅仕度を終えて、まだ姿を見せぬ帰蝶を待っていた。

 旅仕度といっても、簡単なものだ。
 眠る時は、夜露から体を守る褥兼用の外套を体に巻きつけるだけ。愛用の得物に火打石など。この二人なら食料など、どこでも調達できるし薬にしても同様だった。躰ひとつあれば、道具に頼らずとも銭も着るものすら、全て手に入れることが出来るのだ。

 時苧と阿蛾が見送った。
 よほどなにか考えることがあったのが、帰蝶は時苧と阿蛾の小屋には帰ってこなかった。

 口では疾風の小屋に泊まるといっていた菜をも、帰蝶が帰ってこなかったので時苧と阿蛾の小屋に結局留まっていた。
 阿蛾がはらはらしていると、帰蝶が姿を現した。寒さにこわばっていたような堅い体つきと、赤い眼。どこかで夜明かししたに違いなかった。その姿をみて、透湖はやさしく微笑んだだけであった。
「じゃあ、出かけましょうか」


 全てが鍛錬だった。
 眼にふれるもの、耳に届くもの。肌に感じるものすべてについて、透湖は彼女に教える。
 生き物の証。
 天空の事象。
 住まう、この地の鼓動。
 そして透湖の存在自体が。

 この地で生まれた精霊の生まれ変わりではないのか。そう思わしめるほど、自然と調律のとれた姿。姿隠しの術を遣っているのではないかと勘繰るくらい、その立ち居姿は自然のなかで違和感がない。

「瘤瀬の力はそもそも、自然の力を利用したもの。
ない力は使えない。
気配封じの術にしろ、姿隠しの術にしろ、ね。
自然を知れば、調和するのはとても楽になる。
こんなふうに、ね」

 透湖が言い終わると、彼女の姿が消えた。

「帰蝶。今、私の姿を喪ったわね?」
 声の方向を向いても、気配すら掴めない。

「兄者」
 疾風がひゅっと礫をなげると、なにか柔らかいものにあたって、下に落ちた。それは声がして、帰蝶が見つめている方向であった。疾風を振り返ると、静かな表情。
「兄者」
 再び透湖の声がすると、今度は疾風の姿も消えた。と、帰蝶の首筋を太刀筋が過ぎり、風が彼女の首を薙ぐ。
「帰蝶。気の流れを読みなさい。
気の流れが曲げられ、断ち切られている処。つなげられ、流れ出しているところを読みなさい」

 ひゅん、ひゅん、と先端に錘がとりつけられた細い紐が帰蝶の周りを舞う。
 それは徐々に速度をあげ、かまいたちとなって帰蝶の着物を裂いていく。帰蝶はおびえたりせず、いつしか半眼になり、気配を読むべく集中していた。

 そのまま細い紐が半径をせばめた、そのとき。帰蝶が唐突に動き、錘を跳ね飛ばした!
「よし」
 ふっと透湖と疾風が姿を現した。見ると、姿を消した場所から一歩たりと二人とも動いておらぬ。
 帰蝶は、透湖と疾風の与えてくれるものを、五感のすべてで受け取ろうとしていた。



 池をみつけたので、水浴びをすることにした。
 春まだはやく、水は冷たい。脚を少し入れてみると雪解けの冷たさに、帰蝶はすぐ脚をひっこめてしまった。
 みると、透湖は気持ちよさそうに肩まで水に浸かっている。
 瞬間、悔しくて帰蝶も無理やり入った。すぐ、体中が痺れるような冷たさに苛まれる。

「帰蝶。気の練成をするの」
 透湖は気持ちよさそうにいう。
「気の練成?」
 帰蝶は歯の根も合わないのを、無理やり言葉を搾り出した。

「己の気の流れを自在に操れるようにするの。
丹田に気を集めなさい。
気を集めて、熱をつくり、四肢にその気を配るの」

 触って御覧なさい。
 そう透湖に言われ、おそるおそる彼女の腕に触れると、彼女の腕はこの水の中でも常温を保っていた。
 むしろ、熱いくらいの熱を持っていた。帰蝶は眼をつぶり、気を丹田に持っていくよう集中する。
 ほんのり、腹が温かくなってきたような気がした。更にその暖かさを強化しようとする。

 ぎり、ぎり、と音がしたような気がした。
 それが己が歯を食いしばっている音だと気づいたのは、集中を中断されてからであった。

「帰蝶ったら」
 呆れたような声が頭の上で振ってきた。
「いきなりはできないわ、全ては鍛錬の賜物。
無駄な鍛錬はひとつもないし、鍛錬に近道はないのよ」

 我知らず落ち込み、帰蝶が俯いていると上から声が掛かった。

「己の今日の限界を超えてはいけない」 
「え?」 
「だが、『明日』に限界を作ってはならない」 
「……」

「『今日』出来ずとも、『明日』出来ればいいの」 
「!」 
「『明日』は必ずくる、そうだろう?」 

(一つ一つの言葉は、いつも父者や母者。草太や疾風に言われたことばかりなのに、このひとに言われると、どうしてこんなにも身に沁みてくるのだろう)
 帰蝶はそう思った。

「仕方ないわよ。親には歯向かってみたいわよね。
それが親を乗り越える一歩だし」
 帰蝶が疑問を口にすると、透湖はそういった。瞬間、大人の女性というより、近しい姉のような存在に思えた。帰蝶は勢い込んで尋ねた。
「透湖もそうだったの?」

「あたしの人生なんて、歯向かってばかりの人生よ」
 透湖はぷう、と頬を膨らませて答えてくれた。更に帰蝶は訊ねた。
「なにに?」

「じぶんに。
 運命に。
 祖父に。
 兄に。
 姉に。
 周囲に。
 流されてやるものかって思ったわ。
欲しいものは己の手で勝ち取るものよ」


「疾風が透湖は『護るものがあるから強い』て言ってた」
 遠い目をした彼女を見つめながら、帰蝶は疾風が透湖のことを言っていたのを想い出した。

「……」
 透湖はしばらく考え込んでいた。

「そうね」
 指折り数えていた。

「周りの人々。
 祖父。
 姉。
 そして、兄。
 限りない奇跡に巡り合ったこの地を」

 先ほどと全く同じ答え。

「歯向かったもの全てが『護りたい』もの?」
 帰蝶の言葉に、透湖は歌うように告げる。自分自身に語り掛けているような声。

「己を縛る全てから、逃げたかったわ。
欲しいものだけ選び取りたかった」

 それだけでは、人は生きていくことは出来ない。

「だけど、逃げていたら、欲しいものも逃げていくの。
欲しいものを手に入れるか諦めるか、どちらかを選ばなくてはならないと気づかされたわ」

 あきらめるのは嫌だったのよ。

「そうしたら、運命に流される訳にはいかないじゃない。
自分との折り合いをつけるために、運命があたしに逆らうんなら運命を振り向かせるしかないじゃない」

 運命を振り向かせる為に、努力してきた。
 その努力がいつだって報われ訳ではない。むしろ報われない事の方が多い。
 それでも。

「物事って、あたしが何かしただけじゃ動かないわ。
相手との折り合いで動くのよね。
”何かを護りたい”、ていうより、その時は運命が差し出した条件を飲み込んだんだわ。
そして欲しいものを手に入れた」

 帰蝶は静かに語る透湖の横顔をじっとみていた。
(このひとはきっと、あたしとそんな代わらない年でありながら、色々な選択をしてきたんだ)

「そうしたら、不思議よね。
手に入れたものを、誰にも奪い取られたくなくなったのよ」
「……」
(このひとでも、執着するのか)
 飄々として、風みたいに生きているかのように見える、このひとですら。

「逃げたかったときは、なににも執着がなかったわ。
一番大事なものですら、逃げるためには捨ててもいいと思っていたのに。
だのに今は、手に入れたものが、あたしから逃げていかないような努力をしなくてはならなくなった」

 それが『護るべきものがある強さ』ってことなのかしら?
 そう言って、透湖は首を傾げてみせた。

「宝物って、不思議なものでね、大事にしてないと、逃げちゃうのよ。
より欲しがってくれる人のところへ行ってしまうの。
でもね、力づくで支配していても、やっぱり逃げちゃうの。
ううん、宝物の生命力が薄くなっていってしまう、って言った方が正しいかしらね」
 彼女の言葉は謎めいて、帰蝶にはわからない処もあった。
 (だけど、透湖くらいに大人になったら、自然にわかることなのかもしれない)
 そう思い、帰蝶は素直に頷いた。
「そうなんだ」

「そうなの。宝物の意に沿うように。
しかも、”あたしの傍が誰の傍よりもあんたにとって幸せなのよ!”て宝物に思わせなくちゃいけないんだから、面倒くさいわよね」

 ふふ、と透湖は笑った。

「だけど、欲しいものが己の手にあることが幸せなんだから、少しくらい面倒なことしなくちゃね。
面倒なんて思ってない自分がいるの、知ってるのよ」
 嬉しそうに幸せそうに笑う透湖の顔が帰蝶には自分のことのように嬉しくて、しかし、寂しい気持ちもあった。
「あたしには、『護るべきもの』なんてない……」


 瞬間、恐ろしい勢いで襟ぐりをつかまれた。


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