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第三章 次世代編
命のみなもと(1)
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目の前に、領主の寝所への扉があった。
それを開ければ、自分の子が未来の領主になるのだ。そう思うと、体の底から震えがわきあがってくる。
心底いい女とも思い、惚れてなくても抱けると思っていた。
だが。
子に恵まれないから、自分の女に他の男を差し出す男。
惚れた男に抱かれたと信じ、実は伴侶でもない男の子を世継ぎを望むお家の為に生ませられる女。
そして、誰も幸せにはならぬ劫火の火付けに加担する自分。
◆
領主。
誰が”上に立つ者”になるべきか、は。
まずは、その天賦の才を人民が認めた者が立つのが、民にとって一番幸せだ。
次の案として民や臣が認めやすいのは、やはり己らが認めた領主の血をひく者が、一番だろう。
それがいない時は?
領主のどんな傍系の血筋にでも、少しでもその面影を見出そうとする。そのわずかな血筋すらいない時に、争いが起こるのだ。
やがて別の天賦の才を持つ者が現れるまで。
しかし、その人間が”上に立つ者”、と民や臣に認められるまではかなりの時間を要する。
領主には、未だ子がいなかった。
『仲の良すぎる夫婦には子が出来にくい』とは言う。
領主は気にしていないようであったが、その伴侶と周辺は違った。
伴侶に遠慮しつつ、領主の血族の広がりが増えぬことを憂慮し、領主に愛人をもつように勧めたのだ。
城主は、当然の如くはねのけた。
『子が出来ぬ原因は、わたしにあるかもしれぬ』
(だから、それを他の男で試しなされと言うておる!)
城主のほうに問題があるならばそれも仕方がない、と諦める事も出来よう。
しかし、当の領主からは。
『次代の領主がわたしの血をひいておらねばならぬ、という法はない。
しかるべき時期に、すぐれた人物をたててもよいと思うのだが』
驚天動地のような発言がされた。
これには里の長達はなにより、瘤瀬衆の棟梁がうろたえた。
彼にはひそかに二番目の妻の血筋と、領主一族との分かれた血と一つにするという目的があり、その願いは成就寸前であったのだから。
里の者からは、我こそはという人間はかえって出てこない。
皆、諏名姫と草太の偉大さに呑まれてしまっているからだ。
しかし、近隣諸国の領主の次男坊やら三男坊、更には庶子まで。一国の主になれるのならば、と。喜んで、はせ参じよう。小賢しいことに、我こそはと名乗り出て政にもシャリシャリ出てくる筈だ。
そんなことをしたら、争いが起こるに決まっている。
(またこの地に戦乱がっ!)
時苧はぞっとした。
この地が平和でいられるのは誰のおかげか。民も、そして時苧すら、いやという程わかっているのだ。
諏名姫だ。
彼女がいるからこの地を平和で治めようとする。
彼女だからこそ、他国者や忍ぶ者が闊歩するこの混沌とした地を、治めることが出来る。
諏名姫の慈愛に包まれ、彼女を護ろうとする求心力こそが諏和賀の力の源なのだ。
彼女の血統だから、民は無条件に次世代の領主を上に立つ者、として認める。
だが、その血統を彼女は作らぬという。たとえ、それが愛する伴侶に操を立てる為でも。
(諏名姫は、事の重大さがわかっておらぬのか!)
否。
わかっていて尚、彼女は領主ではなく女であろうとしたのだ。
『愛する者の子でなくば、いらぬ』と。
時苧が草太の、そして菜をの祖父であるだけならば、それはなんと嬉しいことであったろう。しかし、彼は諏和賀の血脈を遺すことを、先代の殿に誓ったのだ。
(わしはっ!なんの為に非道なことをし、なんの為に血を吐く思いでこの地を土雲から取り返したのか!)
息子や孫を死に追いやってまで諏和賀の血統を護ったのは、なんの為であったか。
(我が殿に、”必ずや、あなたのお子を護ります”、と。”諏和賀の血脈を、次世代に受け継いでみせる”と殿の亡骸に誓ったからではないのか!)
時苧は先代の殿を、守役として可愛がり慈しんできたのだ。太郎一や一郎太が殿の遊び相手として城に上がっていたのも、その縁からだ。
打算はあった。
しかし、城門の上に八つ裂きに晒されていた先代の殿の亡骸を回収して、その御前に流した血の涙は本物であったのだ。
領主の血統を護るということが、時苧にとって至上の命題であったということ。実はこの時初めて、時苧自身にもわかったのだ。
それまで、分かれた血筋を一つにするという口伝に執着していた為、時苧自身ですら”領主の血統の存続は、口伝の成就の為”と信じ込んでいたのだ。
命をかけて護った領主に”己の血統に諏和賀を受け継がせなくてよい”、と宣言されて、時苧は嬉しいとは到底思えず動揺した。その動揺の大きさに、時苧自身が『ぢつは、わしはお家が一番の人間じゃったのじゃな』と驚愕していた程だ。
しかし、新しい生命は一向に芽吹く気配もみせない。
『せめて城主の血統だけでも、次世代につなげねばならぬ』、とそろそろ時苧も諦めて思い始めていた矢先だった。
だが、城主が新しい愛人を頑として拒む以上、正統な方法では違う者は城主の寝所には入れない。
思いあぐねた棟梁と次期が卑怯な手段を取って、その役者に彼に白羽の矢を立てた、という訳だ。
――人の気配を盗める功刀に。
◆
今宵、草太はおらぬ。
今晩の諏名姫の夜伽を功刀に草太自ら命じた後、彼は諏和賀の里からいなくなったのだ。
功刀の生涯でこんな絶望的な気持ちになったのは、既に物言わなくなった女を抱きしめた時くらいだ。
(ちくしょー、誰か止めてくれっ)
せめても無駄な抵抗をしてみせて、地獄のような責め苦の拷問にあって素直に死んだ方がましだった、と思った。
(お姫さんに素姓をあかして、他の子種を貰ってくれと懇願してみようか)
諏名姫は怒り狂うかもしれない。彼女は氷のように冷静でいるように見えて、焔のように熱い女だ。
(いっそ、殺してくれ……ッ)
それを開ければ、自分の子が未来の領主になるのだ。そう思うと、体の底から震えがわきあがってくる。
心底いい女とも思い、惚れてなくても抱けると思っていた。
だが。
子に恵まれないから、自分の女に他の男を差し出す男。
惚れた男に抱かれたと信じ、実は伴侶でもない男の子を世継ぎを望むお家の為に生ませられる女。
そして、誰も幸せにはならぬ劫火の火付けに加担する自分。
◆
領主。
誰が”上に立つ者”になるべきか、は。
まずは、その天賦の才を人民が認めた者が立つのが、民にとって一番幸せだ。
次の案として民や臣が認めやすいのは、やはり己らが認めた領主の血をひく者が、一番だろう。
それがいない時は?
領主のどんな傍系の血筋にでも、少しでもその面影を見出そうとする。そのわずかな血筋すらいない時に、争いが起こるのだ。
やがて別の天賦の才を持つ者が現れるまで。
しかし、その人間が”上に立つ者”、と民や臣に認められるまではかなりの時間を要する。
領主には、未だ子がいなかった。
『仲の良すぎる夫婦には子が出来にくい』とは言う。
領主は気にしていないようであったが、その伴侶と周辺は違った。
伴侶に遠慮しつつ、領主の血族の広がりが増えぬことを憂慮し、領主に愛人をもつように勧めたのだ。
城主は、当然の如くはねのけた。
『子が出来ぬ原因は、わたしにあるかもしれぬ』
(だから、それを他の男で試しなされと言うておる!)
城主のほうに問題があるならばそれも仕方がない、と諦める事も出来よう。
しかし、当の領主からは。
『次代の領主がわたしの血をひいておらねばならぬ、という法はない。
しかるべき時期に、すぐれた人物をたててもよいと思うのだが』
驚天動地のような発言がされた。
これには里の長達はなにより、瘤瀬衆の棟梁がうろたえた。
彼にはひそかに二番目の妻の血筋と、領主一族との分かれた血と一つにするという目的があり、その願いは成就寸前であったのだから。
里の者からは、我こそはという人間はかえって出てこない。
皆、諏名姫と草太の偉大さに呑まれてしまっているからだ。
しかし、近隣諸国の領主の次男坊やら三男坊、更には庶子まで。一国の主になれるのならば、と。喜んで、はせ参じよう。小賢しいことに、我こそはと名乗り出て政にもシャリシャリ出てくる筈だ。
そんなことをしたら、争いが起こるに決まっている。
(またこの地に戦乱がっ!)
時苧はぞっとした。
この地が平和でいられるのは誰のおかげか。民も、そして時苧すら、いやという程わかっているのだ。
諏名姫だ。
彼女がいるからこの地を平和で治めようとする。
彼女だからこそ、他国者や忍ぶ者が闊歩するこの混沌とした地を、治めることが出来る。
諏名姫の慈愛に包まれ、彼女を護ろうとする求心力こそが諏和賀の力の源なのだ。
彼女の血統だから、民は無条件に次世代の領主を上に立つ者、として認める。
だが、その血統を彼女は作らぬという。たとえ、それが愛する伴侶に操を立てる為でも。
(諏名姫は、事の重大さがわかっておらぬのか!)
否。
わかっていて尚、彼女は領主ではなく女であろうとしたのだ。
『愛する者の子でなくば、いらぬ』と。
時苧が草太の、そして菜をの祖父であるだけならば、それはなんと嬉しいことであったろう。しかし、彼は諏和賀の血脈を遺すことを、先代の殿に誓ったのだ。
(わしはっ!なんの為に非道なことをし、なんの為に血を吐く思いでこの地を土雲から取り返したのか!)
息子や孫を死に追いやってまで諏和賀の血統を護ったのは、なんの為であったか。
(我が殿に、”必ずや、あなたのお子を護ります”、と。”諏和賀の血脈を、次世代に受け継いでみせる”と殿の亡骸に誓ったからではないのか!)
時苧は先代の殿を、守役として可愛がり慈しんできたのだ。太郎一や一郎太が殿の遊び相手として城に上がっていたのも、その縁からだ。
打算はあった。
しかし、城門の上に八つ裂きに晒されていた先代の殿の亡骸を回収して、その御前に流した血の涙は本物であったのだ。
領主の血統を護るということが、時苧にとって至上の命題であったということ。実はこの時初めて、時苧自身にもわかったのだ。
それまで、分かれた血筋を一つにするという口伝に執着していた為、時苧自身ですら”領主の血統の存続は、口伝の成就の為”と信じ込んでいたのだ。
命をかけて護った領主に”己の血統に諏和賀を受け継がせなくてよい”、と宣言されて、時苧は嬉しいとは到底思えず動揺した。その動揺の大きさに、時苧自身が『ぢつは、わしはお家が一番の人間じゃったのじゃな』と驚愕していた程だ。
しかし、新しい生命は一向に芽吹く気配もみせない。
『せめて城主の血統だけでも、次世代につなげねばならぬ』、とそろそろ時苧も諦めて思い始めていた矢先だった。
だが、城主が新しい愛人を頑として拒む以上、正統な方法では違う者は城主の寝所には入れない。
思いあぐねた棟梁と次期が卑怯な手段を取って、その役者に彼に白羽の矢を立てた、という訳だ。
――人の気配を盗める功刀に。
◆
今宵、草太はおらぬ。
今晩の諏名姫の夜伽を功刀に草太自ら命じた後、彼は諏和賀の里からいなくなったのだ。
功刀の生涯でこんな絶望的な気持ちになったのは、既に物言わなくなった女を抱きしめた時くらいだ。
(ちくしょー、誰か止めてくれっ)
せめても無駄な抵抗をしてみせて、地獄のような責め苦の拷問にあって素直に死んだ方がましだった、と思った。
(お姫さんに素姓をあかして、他の子種を貰ってくれと懇願してみようか)
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