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第三章 次世代編
命のみなもと(2)
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生憎。
領主の寝所へ、忍んでいける人間はこの世には一人しかおらぬ。
領主が異様に気配に敏い為、気配を殺す事に長けている忍ぶですら、寝所に侵入することは叶わない。功刀や疾風ですら、次の間までがせいぜいである。
――しかも。
以前、功刀が冗談で領主の寝所に忍んでいく草太に茶々を入れたら、テレ屋の領主と想い人はそのまま姿をくらましてしまった。そんな訳で、寝室内にいるのかすらわからぬ者たちへ、どうやって他の者が邪魔できるというのか。
時苧ならば忍ぶことも可能であろうが、何が悲しくて孫同様の娘に、夜這いをかけねばならぬのか。
(そんなことをしたら亭主を誰よりも愛し、そして領主に誰よりも忠誠を誓っている彼の女房に殺される)
第一、時苧は子種を領主に授けることは出来ても、それでは命題の”妻の血筋を領主の血に戻す”、という意義は叶わない。で、あれば。時苧が忍ぶ価値も、意味もないのだ。
ごくり、と知らず功刀の喉がなる。
(兄者……)
寝所から姫の気配が功刀に向かって発信されてきた。その気は露ほども彼を『兄者』ではないと疑ってはおらぬ。男の背中に、どっと冷たい汗があふれた。
『兄者。申し訳ないけれど、月の障りなのです。
今宵は一人で寝たいのです』
とでも言ってくれないか、と功刀は最後の頼みをかけていたのだ。
だが。
(お待ちしておりました)
優しい声で言われたとき、功刀は卒倒しそうになった。
覚悟を決めて、次の間に居る侍女に気づかれぬよう、姫の寝室の戸を開けた。なかば自棄になりながら、部屋に一歩を踏み出す。
(屠られる獣の気持ちがわかったぜ)
わかった処でどうなる事でもなかった。彼は紫湖を連れてしばらく出奔しようかと、半ば本気で考えていた。
寝所の中では、姫が冬の月のような澄んだ瞳で彼を見つめていた。
◆
翌日。
「草太に、探索に出て貰おうと思っているの」
御前会議で、諏名姫は言った。
領主の座の後ろには、草太が静かに控えている。
「はて」
時苧は穏やかに言った。
「ご領主が瘤瀬の次期を遣わそうとは、いかなる御用事ですかな」
時苧の何も変わらぬ表情の中に、領主の真意を探ろうとする狡猾さを感じているのは、領主とその伴侶。そして疾風や功刀だけであったろう。
「『蛾楽どのへのご機嫌伺い』と言えば、わかって貰えるかしら?」
諏名姫は悪戯っぽく微笑んだ。
蛾楽といえば、時苧のかつての愛人のひとり。時苧の作った情報網、『蜘蛛の巣』の間者のひとりでもあったのだ。
時苧はしゃっくりを飲み込んだような表情になった。
時苧は以前、菜をと草太の仲を取りもとうと画策していた。先に潜伏していた草太を追わせて、菜をを蛾楽の里に出立させたことがあった。
草太を蛾楽が気に入り、更に蛾楽が菜をを里の男に娶わせようとした為、あわやの事態に陥る処であった。後に、菜をが蛾楽の里を訪れた事自体が、祖父の計画だったことを知った草太からこっぴどく叱られたのだ。
『じじー、なに考えてやがる!
一歩間違えば、てめぇの領主を知らない男の毒牙にかませるところだったんだぞ!』
帰ってくるなり、鬼の形相のような草太の貌をみて、計画は失敗したのを悟ったのだった。
『てめぇの愛人の性格くらい、頭に入れて計画を練っておけ!』
以来、『蜘蛛の糸』が結びなおされた蛾楽からは、たまに連絡がくるようになった。
……菜を宛てに、だ。
時苧や草太には、ぴたりと何も寄越してこない。それゆえに、諏名姫が草太を蛾楽に遣るというならば。時苧はあえて、それ以上探る気にはなれなかったのである。
気を取り直して、時苧が訊ねた。
「……して。どれくらいをお考えなのですかな」
「一年くらいかしら。
その間の、私の寝所の”警護”は入れ替わり、瘤瀬や諏和賀の者にして貰うから」
聞き捨てならない事をさらり、と言われて瘤瀬の棟梁は、無礼と知りながら訊き返した。
「は?」
祖父であり配下である男の無礼を咎めることなく、領主はにこやかに微笑んだ。
「草太は諏和賀の領主の寝室の警護役よ。その草太が留守中に、賊が私の寝所に入りでもしたら、大変でしょう」
「……は」
時苧は平伏して承知した。
(つまりは、諏名姫は違う子種を探すことを決意されたということなのだろう)
ただ、その場に草太にはいて欲しくない。
その為の任務なのだと、皆は理解したのであった。
その場にいた者は気の毒そうな顔をしていた。雄として役立たずを宣告されてしまった男の顔を、これ以上見たくない。この場に居たくない。いたたまれない、やりきれない。皆、複雑な表情を浮かべていた。
石女と評される雌よりも、種がないと宣告される雄の方が辛いというが。
ある者は草太から目をそらし、ある者はこっそりと草太の顔を窺った。草太はというと、事前に諏名姫から用の向きを言い遣っているのか、平常とかわらぬ静かな顔であった。
だが翌日、草太は姿を消した。
領主の寝所へ、忍んでいける人間はこの世には一人しかおらぬ。
領主が異様に気配に敏い為、気配を殺す事に長けている忍ぶですら、寝所に侵入することは叶わない。功刀や疾風ですら、次の間までがせいぜいである。
――しかも。
以前、功刀が冗談で領主の寝所に忍んでいく草太に茶々を入れたら、テレ屋の領主と想い人はそのまま姿をくらましてしまった。そんな訳で、寝室内にいるのかすらわからぬ者たちへ、どうやって他の者が邪魔できるというのか。
時苧ならば忍ぶことも可能であろうが、何が悲しくて孫同様の娘に、夜這いをかけねばならぬのか。
(そんなことをしたら亭主を誰よりも愛し、そして領主に誰よりも忠誠を誓っている彼の女房に殺される)
第一、時苧は子種を領主に授けることは出来ても、それでは命題の”妻の血筋を領主の血に戻す”、という意義は叶わない。で、あれば。時苧が忍ぶ価値も、意味もないのだ。
ごくり、と知らず功刀の喉がなる。
(兄者……)
寝所から姫の気配が功刀に向かって発信されてきた。その気は露ほども彼を『兄者』ではないと疑ってはおらぬ。男の背中に、どっと冷たい汗があふれた。
『兄者。申し訳ないけれど、月の障りなのです。
今宵は一人で寝たいのです』
とでも言ってくれないか、と功刀は最後の頼みをかけていたのだ。
だが。
(お待ちしておりました)
優しい声で言われたとき、功刀は卒倒しそうになった。
覚悟を決めて、次の間に居る侍女に気づかれぬよう、姫の寝室の戸を開けた。なかば自棄になりながら、部屋に一歩を踏み出す。
(屠られる獣の気持ちがわかったぜ)
わかった処でどうなる事でもなかった。彼は紫湖を連れてしばらく出奔しようかと、半ば本気で考えていた。
寝所の中では、姫が冬の月のような澄んだ瞳で彼を見つめていた。
◆
翌日。
「草太に、探索に出て貰おうと思っているの」
御前会議で、諏名姫は言った。
領主の座の後ろには、草太が静かに控えている。
「はて」
時苧は穏やかに言った。
「ご領主が瘤瀬の次期を遣わそうとは、いかなる御用事ですかな」
時苧の何も変わらぬ表情の中に、領主の真意を探ろうとする狡猾さを感じているのは、領主とその伴侶。そして疾風や功刀だけであったろう。
「『蛾楽どのへのご機嫌伺い』と言えば、わかって貰えるかしら?」
諏名姫は悪戯っぽく微笑んだ。
蛾楽といえば、時苧のかつての愛人のひとり。時苧の作った情報網、『蜘蛛の巣』の間者のひとりでもあったのだ。
時苧はしゃっくりを飲み込んだような表情になった。
時苧は以前、菜をと草太の仲を取りもとうと画策していた。先に潜伏していた草太を追わせて、菜をを蛾楽の里に出立させたことがあった。
草太を蛾楽が気に入り、更に蛾楽が菜をを里の男に娶わせようとした為、あわやの事態に陥る処であった。後に、菜をが蛾楽の里を訪れた事自体が、祖父の計画だったことを知った草太からこっぴどく叱られたのだ。
『じじー、なに考えてやがる!
一歩間違えば、てめぇの領主を知らない男の毒牙にかませるところだったんだぞ!』
帰ってくるなり、鬼の形相のような草太の貌をみて、計画は失敗したのを悟ったのだった。
『てめぇの愛人の性格くらい、頭に入れて計画を練っておけ!』
以来、『蜘蛛の糸』が結びなおされた蛾楽からは、たまに連絡がくるようになった。
……菜を宛てに、だ。
時苧や草太には、ぴたりと何も寄越してこない。それゆえに、諏名姫が草太を蛾楽に遣るというならば。時苧はあえて、それ以上探る気にはなれなかったのである。
気を取り直して、時苧が訊ねた。
「……して。どれくらいをお考えなのですかな」
「一年くらいかしら。
その間の、私の寝所の”警護”は入れ替わり、瘤瀬や諏和賀の者にして貰うから」
聞き捨てならない事をさらり、と言われて瘤瀬の棟梁は、無礼と知りながら訊き返した。
「は?」
祖父であり配下である男の無礼を咎めることなく、領主はにこやかに微笑んだ。
「草太は諏和賀の領主の寝室の警護役よ。その草太が留守中に、賊が私の寝所に入りでもしたら、大変でしょう」
「……は」
時苧は平伏して承知した。
(つまりは、諏名姫は違う子種を探すことを決意されたということなのだろう)
ただ、その場に草太にはいて欲しくない。
その為の任務なのだと、皆は理解したのであった。
その場にいた者は気の毒そうな顔をしていた。雄として役立たずを宣告されてしまった男の顔を、これ以上見たくない。この場に居たくない。いたたまれない、やりきれない。皆、複雑な表情を浮かべていた。
石女と評される雌よりも、種がないと宣告される雄の方が辛いというが。
ある者は草太から目をそらし、ある者はこっそりと草太の顔を窺った。草太はというと、事前に諏名姫から用の向きを言い遣っているのか、平常とかわらぬ静かな顔であった。
だが翌日、草太は姿を消した。
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