蒼天の城

飛島 明

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第三章 次世代編

命のみなもと(3)

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 出立したのではない、姿を消したのだ。



 皆は騒然となった。
 時苧は草太が第二の土蜘蛛となることを恐れ、苦渋の決断の末、討伐隊をひそかに結成しようとした。
(わしは、また身内の者を、わし自ら討とうとせねばならんのか……!)
 ”己はこんな責め苦を享けるような、どのような業を背負ったのだろう”。
 時苧は自問自答せずにはいられなかった。
 しかし、時苧にとって、実の孫の草太より諏名姫が大事であった。それは時苧が、何よりも諏名姫という名の諏和賀家の存続を、既に選び取っていたからだ。

 ただし、瘤瀬の者が誰も加わりたがらなかったので、外部の者のみで結成し、時苧自身が指揮をとろうとしたとき。

 諏名姫は初め、”草太、出奔す”の報に接した時は、蒼白な顔になった。彼女は、敵に回った”瘤瀬の草太”の恐ろしさを、誰よりも知っていたからだ。
 しかし、最初の衝撃から立ち直り、毅然とした表情を取り戻すと。
『私が申し付けたのよ。草太の行き先はわかっている』

 しかし、皆はその言葉を言葉通りに受け止める者はいなかった。
『なれど』
 諏名姫は反論を赦さなかった。
『諏和賀の領主として命じる。私の下知なく草太を追うこと許さぬ!』
 と討伐に向かおうとする時苧を、押し留めた。




 諏名姫の寝所の『警護』はその晩から始まった。
 初めは、疾風や功刀が交互に『警護』を仰せつかっていた。
 しかし、子供に恵まれることはなかった。
 段々、諏名姫の『警護』に二人以外の男が加わるようになった。その顔ぶれは、諏和賀に流れ者として居ついた素性の知れない者であったり。日によっては複数の人間が領主の寝所に侍ることもあった。中には寄る辺ない乞食なども混じっていた。


 人々はひそひそと噂をするようになった。


 時苧には、諏名姫の物言わぬ抗議のようにも思えた。
 それでも。
(姫に子を産んで頂かねばならぬ……!)
 そうでなければ、こんな非道を強いた事を冥土で待っておわす殿に詫びても、詫びきれぬ。

(たとえ、不具で生まれてもいい。阿呆でどうしようもない暗愚であっても構わない。ただ、#姫__すわが_#の血筋でさえあれば……!)
 が。
 一年も経つ頃には。
 いまだ懐妊の気配のない領主に、里人たちもあきらめの境地に達していた。


 ◆

 初めは時苧はさりげなく警備役に尋ねたものだ。
 ”姫の具合はどうじゃった”、と。

 警備役はしかし、一様に目をふせた。あるいは勇気のあるものはきっと時苧をにらみつけた。共通しているのは、頑として口を割らないことだ。

「我ら、警護の者。命を賭して姫をお護りするが務めなれば!」だの。
「姫のおん為ならばこの命、棄てても惜しくありませぬ!」だの。
 頬を染めて俯く者など、要領を得ない反応ばかりであった。

 警護に当たった者が皆、諏和賀の民人達よりも領主への崇拝の度が越している事に対して疑いようはなかった。
”やはり、あやつ。きちんと伽を申し付けておるのか”とも思う。
 しかし、どうしても時苧が欲しい真実には近づくことが出来ぬ。

 忍ぶの勘がささやくのだ、酷い違和感を。
 忍ぶという人種は、幻惑の術も使うが、その核は徹底的な現実主義である。事実優先、その事実を根拠と確証から位置つける、非常に理知的な集団なのだ。

 時苧は最後の手段とばかり、警護役を暗闇に引っ張り込んだ。催眠術をかけ、領主の寝所の事を探った。
 結果。判明したことは予想していたとはいえ、時苧にも衝撃的であった。
(菜を、草太。赦せとは言わぬ。業は、この時苧が煉獄まで背負っていくゆえ……!)
 それでも、習性から時苧は信じきれないでいた。地獄に堕ちついでとばかり。より確証をつかむ為に、阿蛾を侍女として次の間に潜入させたのだ。



「なんじゃと?」
「姉者は寝所で『蛾楽』を用いているようですわ……」
 阿蛾が沈んだ声で夫に告げた。
「『蛾楽』?そんなもの使わんでも……、と」
 並の男なら、あの娘にめろめろじゃろう、そういいかけて、時苧は慌てて口をつぐんだ。
 彼の愛しい可愛い女房は、なによりも亭主を愛し崇拝していた。けれども、それよりもなによりも、誰よりも諏名姫に忠義を誓っていたのであるから。

「姉者ご自身がお酔いになる為ですわ!」
 阿蛾は涙を堪えているような口ぶりで呟いた。いつもは崇拝の眼で見つめる夫を、この時は恨めしく憎しみも込めて睨んでいた。
「あやつが……、自分の為に使っておると?」
 時苧は阿蛾の言葉を繰り返した。
「酔わねば、他の男などと肌を合わせられないからですわ!」
 そういうと姉の痛ましさに耐え兼ねたのだろう、最愛の夫を罵る前に、阿蛾は走り去ってしまった。




 忍ぶの者は、房中の術も授けられる。
 人としての大事な営みが、一番古い商売であり拷問にもなりえるのは仕方のないことであったろうか。

 ともあれ、精神を支配される房事を完全に操れることが、忍ぶとしてまず重要なのであった。
 阿蛾も疾風も、時苧が育てた子らは、時苧とシミ婆によって房事の鍛錬を施されている。
 忍ぶの子らはある程度の年齢になると、そうした鍛錬もこなし、精神を強化していく。
 基本的には夫がいる忍ぶの女は房事が必要になるような探索には参加しないが、夫が他の女と房事を行ったとしても、任務のうちだとわきまえている者が多い。

 しかし、時苧が房中の術を施さなかった娘が二人いた。
 こはとと菜をである。

 こはとは間者と見切っていた為に、取り込まれる危険をかんがみ、肌を合わせなかった。
 菜をは実の孫娘として育ててきたからだけではなく、主家の姫に時苧が触れられなかったのである。
(いずれ姫は婿君を迎えられ、諏和賀再興の礎となられるお方。おん玉体に、卑しい忍ぶのわし風情がきずをつけられぬ)
 それは”孫娘”に対する肉親的な遠慮と、主家への忠義のあらわれであったであろう。
 その事実を伏せる為にも、仲間同士、房事の鍛錬の内容については話し合うことを堅く禁じられていた。

 そういう意味では、菜をは忍ぶとして不完全体であった。
 だからこそ、無垢なまま長嶺に躯を与えようとすることも出来た。蛾楽の里で好きでない男に肌に触れられて、拒否感を持つに至ったのだ。



 貞節な一人の女が、国の行く末の為に好きでもない男と肌を合わせる。
 精神を騙す為に。心の悲鳴を押し隠す為に媚薬が必要な孫娘が、時苧は哀れであった。そんな責め苦を孫娘に強いたのは、誰でもない時苧自身であった。

(菜を……っ)

 そして、薬というものはどんな良薬であれ、常用性があるものだ。
 常に用いなければならなくなる。常に用いることにより体が免疫をもち効きにくくなるので、より一層強い薬でなければならなくなる。

 まして『蛾楽』は媚薬ではあったが、毒薬でもあった。
 蛾楽の里の者達は唯一の収入源である毒蛾、『蛾楽』を育てる。知らず知らず撒き散らされる『蛾楽』の燐粉を体内に蓄積し、死んでいく。諏和賀の領主を、天寿でなくして喪うことは出来なかった。


 ◆


 これほどに男をとっかえひっかえしても懐妊しないのであるならば、仕方がない。

(駄目なのか……)
 時苧は絶望の気持ちであった。

 そして、里人たちは、草太の姿が見られることを切望し始めていた。
 諏名姫への敬愛の念が薄れた訳ではない。しかし、諏名姫が子を得る為に草太を遠ざけていたのはわかっていた。
 草太以外の男と同衾どうきんしながら姫に子が出来ぬなら。今まで子が出来ずとも、それは草太に非がないことを意味する。
 そうとわかれば邦の守護神たる草太に、一刻も早く諏和賀に戻ってきて欲しかったのである。
 里人達は、彼を”領主の伴侶”としてではなく、”諏和賀の一の長、瘤瀬の草太”として慕っていたのであるから。








(もう潮時か……)
 時苧は目を閉じた。
(今更じゃが、草太と菜をの子を抱きたかったの)
 もう、その望みは永遠に絶たれてしまった。

 この一年、草太が第二の土雲として諏和賀を襲うことが無かったことについては、大いに安堵した。反面、どれだけ探索の手を尽くしても、彼の行方は杳として知れなかった。
(あやつ、既に草葉の露と化しているのかもしれぬ)
 そう思うと、不覚にも目に涙が浮かぶのを禁じ得なかった。
(わしは、諏和賀の最後の血を絶やさぬよう努めた結果、一勘の最後の血を喪ってしまったのだ)
 何よりも大事であった妻の、その一族の望みは潰えた。己が一族の望みの火を、掻き消してしまったのだ。
 先代の殿に誓った約束も、砂上の楼閣と化した。さらさらと、希望が砂のように手から零れ落ちていく。涙が、滂沱と流れるに任せた。

(草太。菜を。済まぬ……っ)



 涙を流しきった時苧は、冷静に”瘤瀬の棟梁”の貌に戻って思案した。
(草太を喪った現在。もうこれ以上、諏和賀の唯一の求心点、諏名姫をも喪ってはならぬ……)
「誰にとっても哀しい諏名姫の子作りを、もう辞めさせねばならぬ」

 時苧は決意した。



 その晩。
 時苧と菜をは、大木の処で話をしていた。
 この晩、珍しく諏名姫は男と同衾しておらなかった。時苧が呼び出したからだ。

「菜を」
 領主ではなく、孫娘として呼んだ。
「もう、いい」
 祖父の言葉に、菜をである諏名姫はぽろぽろと涙を零した。
「辛かったな」
 そんな呟きが聞こえた。は、と菜をが顔を上げると、時苧の姿はもう、何処にも見えなかった。

 翌日。
 かくして、一年が過ぎた頃。諏名姫は草太を呼び戻す、と宣言した。





 暫くして、草太が還ってきた。
 皆が彼をわっと取り囲む。深夜まで宴が開かれ、やがて闇に紛れて草太は領主の寝所へと姿を消した。相変わらずの睦まじさに、皆は一様にほっとしたのだった。

が、時苧だけは昏い表情を浮かべていた。




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