131 / 142
第三章 次世代編
偽りの婚礼、まことの愛
しおりを挟む
「どうだった?我らがご領主さまは!」
帰ってきた帰蝶をおみつが陽気に出迎えた。
「完敗だったわ」
ぼそっと呟く帰蝶に、おみつは(はあ?)と思った。
「あんた。あの子になにか仕掛けたの」
にやり、と笑うと、おみつは面白そうに訊ねた。帰蝶は項垂れて答えた。
「仕掛けたつもりが、全然動けなかった……」
「ああ、あの子の技は結構すごいわよ?」
何故か嬉しそうにいうおみつ。その口調に帰蝶が不思議そうな顔をした。
「はは様はご領主を知っていなさるの?」
「ええ。瘤瀬の菜をの時からね。妹分なのよ、あの子。ご領主になってからも、しょっちゅう我が家に来てるわよ、ねえ四郎?」
夫を振り返り、確認を求めた。四郎が笑顔で頷く。
「そうなの……」
「あの子がね、ご領主になるときには、
”ああ、もうこの子は変ってしまうのね。もう姉として、妹して会えなくなるのね”
って思ってたけど……ところが全然!
『菜を』のまんまよ!お転婆で、破天荒で!」
それは諏名姫さまだけじゃないけどね。
ぼそり、と知良が呟くのをぺしん!と彼の頭をはたく。
「あんたも好きになれるわよ、帰蝶!
あの子は自分のことより他人のことばっかり考えているんだから!」
まったくもう!と嬉しそうにおみつが騒いでいるのを、四郎がこれまた、うんうん、と呟きかけ。ふと、帰蝶の表情に目をとめた。
「帰蝶?どうしたんだい?
顔色がすぐれないようだけど……」
四郎が心配そうにいい、おみつがさっと顔色を変えて、帰蝶を診た。
「あら、本当。城に登って、緊張したの?」
「あの人は……っ!
草太が欲しいから側においてる、て言ってたわ!」
帰蝶が口の中で呟き、徐々にその言葉は大きくなり、ついには叫んだ。
「なにが他人のことばかり考えてるよ!
そんなの、外面じゃない!!」
おみつと四郎がきょとん、とした。
「あの人って、菜を?」
意味を噛み締めると、おみつは何故か嬉しそうな顔になった。四郎も顔をぐしゃぐしゃにして今にも泣きそうになっている。
「菜をが、そんなことを?」
おみつが囁くように嬉しそうに聞いた。
「……そうよ」
帰蝶は違和感を感じた。
「そう……あの子。
ようやく、そういうこと言えるようになったのね」
おみつがそっと目元と指先でぬぐう。
「あの子ね。
知良がね、生まれてこれたのはあの子のおかげなの……」
四郎がいつのまにか、おみつの肩を抱き、うん、うんと力一杯頷いた。知良も驚いて目を見開いていた。
「まだね。ひっそりと瘤瀬に隠れ棲んでいたとき……」
芽生えた新しい命を戦乱に巻き込まれないようにする為に、四郎とおみつは駆け落ちを決意していた。
当時の瘤瀬は、敵から身を隠すための里。暗黙のうちに里に入る者には死を、また出る者も棺おけに入らねば出ることは適わなかった。
「出奔を手伝ったりすれば当然、その者にも報いがくる。
だけど菜をは笑って、『出て行っていい』と言ってくれたのよ」
おみつの声は涙まじりであった。
どれだけ過酷な生活であったかは。普段陽気なおみつが泣き咽び、四郎が過去の亡霊からおみつを護るように、おみつの肩を抱いて眼を爛々としていることでも察しがつく。
「それだけじゃないわ。
いっつもあの子、自分のことは一番最後で!」
諏和賀を取り戻した後、一番働いていたのは菜をであった。雨露が凌げる小屋が出来ると体の弱いものから休ませた。
「少ない食料は人に与えてばっかりで、自分は食べやしない!
骨や死体が出てくればあの子、真っ先に駆け寄ったわ」
忍ぶといえど、眉をしかめたくなるような悪臭の骸たち。それを。
「抱きしめて、弔いの準備して!
挙句の果てに、どうしても幸せになろうとしないのよ、あの子!」
おみつが心底悔しそうに叫んだので、帰蝶は混乱して、おみつに尋ねた。
「どういうこと?
草太のこと、ずっと好きだったんでしょう?」
「だからだよ。
草太にはそのとき、『こはと』という恋人がいて……。
敵の間者だったから、草太が斬り殺したんだ。
自分が諏名姫であることを敵に知られない為に草太はこはとを殺して……、
それを知った菜をが自分のせいだって。
そんな相手に自分から言える訳ないだろう?」
四郎が辛そうに言った。
帰蝶は呆然とした。
幸せそうに笑っていたあの人は、あんなに暖かく笑えるようになるまで、どれくらい涙を流したのだろう。
「だから、最近なのか。お二方が祝言上げたの」
のんびりと知良が言った。
長かったよね、ずっと。
(そういえば)
知良の独り言のような呟きに、帰蝶も思い返していた。
物心ついたときから、大人たちは寄ると触ると『いつあの二人は祝言を上げるのか』だの。『いやその前にそもそも名乗りはあげてるのか』など、喧しかった。
そこに草太が通りかかると、じろっと睨みつけられてお終い、だったけれど。
父の時苧に『うかうかしてると、どこぞの鳶に取られるぞい』とか言われても、やる気なさそうに『そんな奇特な鳶なんぞ、いねー』だの。『オレは、一人の女に縛られる気はねぇんだよ』とか言っていた。
不知火の森の求婚者が現れたときも皆一様に色をなし、草太を攻め立てていた。
みな、当然のように草太と諏名姫が夫婦になると信じて疑っていなかったからである。
しかし。
皆がじれじれとしているのに、二人の距離は縮まらず。
挙句の果てに諏名姫がその男に子を作ってやる為に腹を貸し出す、とまで言い出した。
それでも、草太と諏名姫の仲は一向に親展しなかったのである。
「草太さんも時間が必要だったんだろうね」
知良がまたぼそり、と言った。
「?」
「だって諏名姫さまのために己の恋人を殺したんだもの。
諏名姫さまが悪くないにしろ、諏名姫さまのこと赦せなかっただろうし。
まして恋人を殺さざるを得なかった自分のことも赦せなかっただろうしね」
諏名姫さまも当然ご自分を責めておいでだったろうし、真っ当な人間なら当たり前の気持ちだと思うよ。
まして相手が死者なら、どう償ったって死者がそれで満足してくれてるかわからないしね。
「『幸せになることが償い』だなんて、普通は考えないよ」
冷静な知良の言葉は、あらためて二人の恋路の難しさを感じさせたので。
なんとなく、皆、しん、と静かになった。
「ようやく赦せたんだろうね」
知良がそういった。
「『幸せになることが償い』って誰が言ったの?」
二人になったとき、気になっていたことを帰蝶は知良に訊ねてみた。
「功刀さんがさ、諏名姫さまの手をとりたいのに取れないでいる草太さんにそう言ったんだって」
「功刀が?」
意外であった。
「うん。紫湖ちゃんの薬を取りにきたときにね。
ぽろっと昔語りをして。
どうみても草太さんも諏名姫さまのこと好きなのに、手を出さないから歯痒いって」
「草太は諏名姫のこと好きだったの?!」
(驚いた)
草太の意を介さず、無理矢理に伴侶に添わせられたのかと思っていたのだ。確かに疾風も言っていたではないか、『諏名姫は兄者の全てだ』と。
(あれはお役だけの事かと思ってたのに……!)
「好きだったらしいよ、子供のときから。
でも兄妹として育ったから、勘違いしてたらしいよ」
(なんだ)
そうだったのか。
帰蝶はほっとした。
なぜか、あの姫が草太に片思いのままだと可哀想だと思ったのだ。
「草太さんは姫さまのこと、妹としてしか見てなかったらしいんだけど。
功刀さん曰く、
『妹だっていうんなら、妹に求婚しようとしている男を睨んだだけで殺せるような気を込めるんじゃねえ!』
って」
知良の言い方があまりに功刀のそれにそっくりだったので、帰蝶はくすくすと笑った。
「疾風さんにも聞いたら、
『ああ、菜をを他の鳶に攫われるぞって、じい様が心配してた話?
ないない、そんなこと、ある訳ない。
だって兄者が、菜をに名乗りをあげたい奴ら、片っ端から牽制してたからな!
勿論、オレ含めてな』って」
知良の口から、疾風が諏名姫に名乗りを考えていたことを聴いても、帰蝶の心は不思議と穏やかなままだった。
それよりも。
「あんた。瘤瀬衆の内情に、詳しいのね?」
帰蝶が訝しんだ。
知良がぽりぽりと頭をかいた。
「ここはね、諏和賀一の名医の家だよ。
しかもご領主さまが数日に1度は遊びにこられるんだ。
当然、瘤瀬衆のたまり場さ」
「……そうなんだ」
帰蝶は瘤瀬に籠っていたから、そんな社交場があるとは初めて知った。
「だから、色々な話が聴けて当然さ?オレを瘤瀬衆に、という話もあったんだよ」
「そうなの?!」
「うん。功刀さんが”気配に敏いってのは、第一級の忍ぶの資質だ”って言ってくれてね。
疾風さんも”本草学に詳しいしな、探索や隠密に向いている”て言ってくれて」
「そうだったんだ……」
「尤も、父者が渋い顔して、立ち消えになったけどね」
(それはそうかもしれない)
帰蝶は思う。
本草学を修めた薬師として、陽のあたる道が約束されているというのに。薬を使って暗殺したり人の秘密を探ったりする影の道を歩かせたくない、という親心であったのだろう。
「まあ、子供の頃は……、諏名姫さまに憧れの気持ちがない訳じゃなかったから、さ」
そういう知良の横顔を見る方がちくん、と胸が痛んだ。
知良は帰蝶の顔色に気づくと、とりなすように言った。
「勿論、子供の頃の話だよ」
こっちは年とって年齢が近づいたような気になってくるとさ、母者の、年の若い叔母上どのみたいな気持ちになってね。
「あの人、こういう風に人を保護者みたいな気持ちにさせちゃう人間を、一体何人持ってるんだろうね」
その感覚は、会って間もない帰蝶にもわかった。
二人は笑顔で頷く。
「で、功刀さんがさ、どうして、お姫さんの気持ちに応えてやらないんだ?て聞いたら『幸せってなんだ?』て。
『オレが何をしてやれば幸せにしてやれるのかわからない』て、草太さんが言ったてさ」
オレも小さかったから、功刀さん、そんなこと話したことも憶えてないかもしれないね。
「功刀さんも、自分の為に、大好きな女を亡くしたんだって。
功刀さんもやっぱり苦しんで。
で、あの通りの人だからさ、”オレが嬉しい方が女も嬉しいだろうよ”って思うことにしたんだって。
それで、草太さんに、『幸せになることが償いであってもいいんじゃないか?』て言ったんだって。
……帰蝶。あんた、泣いてるのか?」
帰蝶は泣いていたらしい。
なんて赦される言葉だろう。
その言葉に凍てついた草太と諏名姫の心も赦されたに違いなかった。
「あんたもさ、幸せにならないとね」
そういうと知良は涙をぬぐってやり、優しい顔をした。
「あんたは……、あたしと一緒になって、幸せになれるの?」
帰蝶はそう知良に訊ねた。
「さあ?どうだろうね?」
知良はとぼけた声でそう答えた。
でも帰蝶は彼の瞳が、”二人で幸せになろう”、と囁いていたので、怒らなかった。
帰ってきた帰蝶をおみつが陽気に出迎えた。
「完敗だったわ」
ぼそっと呟く帰蝶に、おみつは(はあ?)と思った。
「あんた。あの子になにか仕掛けたの」
にやり、と笑うと、おみつは面白そうに訊ねた。帰蝶は項垂れて答えた。
「仕掛けたつもりが、全然動けなかった……」
「ああ、あの子の技は結構すごいわよ?」
何故か嬉しそうにいうおみつ。その口調に帰蝶が不思議そうな顔をした。
「はは様はご領主を知っていなさるの?」
「ええ。瘤瀬の菜をの時からね。妹分なのよ、あの子。ご領主になってからも、しょっちゅう我が家に来てるわよ、ねえ四郎?」
夫を振り返り、確認を求めた。四郎が笑顔で頷く。
「そうなの……」
「あの子がね、ご領主になるときには、
”ああ、もうこの子は変ってしまうのね。もう姉として、妹して会えなくなるのね”
って思ってたけど……ところが全然!
『菜を』のまんまよ!お転婆で、破天荒で!」
それは諏名姫さまだけじゃないけどね。
ぼそり、と知良が呟くのをぺしん!と彼の頭をはたく。
「あんたも好きになれるわよ、帰蝶!
あの子は自分のことより他人のことばっかり考えているんだから!」
まったくもう!と嬉しそうにおみつが騒いでいるのを、四郎がこれまた、うんうん、と呟きかけ。ふと、帰蝶の表情に目をとめた。
「帰蝶?どうしたんだい?
顔色がすぐれないようだけど……」
四郎が心配そうにいい、おみつがさっと顔色を変えて、帰蝶を診た。
「あら、本当。城に登って、緊張したの?」
「あの人は……っ!
草太が欲しいから側においてる、て言ってたわ!」
帰蝶が口の中で呟き、徐々にその言葉は大きくなり、ついには叫んだ。
「なにが他人のことばかり考えてるよ!
そんなの、外面じゃない!!」
おみつと四郎がきょとん、とした。
「あの人って、菜を?」
意味を噛み締めると、おみつは何故か嬉しそうな顔になった。四郎も顔をぐしゃぐしゃにして今にも泣きそうになっている。
「菜をが、そんなことを?」
おみつが囁くように嬉しそうに聞いた。
「……そうよ」
帰蝶は違和感を感じた。
「そう……あの子。
ようやく、そういうこと言えるようになったのね」
おみつがそっと目元と指先でぬぐう。
「あの子ね。
知良がね、生まれてこれたのはあの子のおかげなの……」
四郎がいつのまにか、おみつの肩を抱き、うん、うんと力一杯頷いた。知良も驚いて目を見開いていた。
「まだね。ひっそりと瘤瀬に隠れ棲んでいたとき……」
芽生えた新しい命を戦乱に巻き込まれないようにする為に、四郎とおみつは駆け落ちを決意していた。
当時の瘤瀬は、敵から身を隠すための里。暗黙のうちに里に入る者には死を、また出る者も棺おけに入らねば出ることは適わなかった。
「出奔を手伝ったりすれば当然、その者にも報いがくる。
だけど菜をは笑って、『出て行っていい』と言ってくれたのよ」
おみつの声は涙まじりであった。
どれだけ過酷な生活であったかは。普段陽気なおみつが泣き咽び、四郎が過去の亡霊からおみつを護るように、おみつの肩を抱いて眼を爛々としていることでも察しがつく。
「それだけじゃないわ。
いっつもあの子、自分のことは一番最後で!」
諏和賀を取り戻した後、一番働いていたのは菜をであった。雨露が凌げる小屋が出来ると体の弱いものから休ませた。
「少ない食料は人に与えてばっかりで、自分は食べやしない!
骨や死体が出てくればあの子、真っ先に駆け寄ったわ」
忍ぶといえど、眉をしかめたくなるような悪臭の骸たち。それを。
「抱きしめて、弔いの準備して!
挙句の果てに、どうしても幸せになろうとしないのよ、あの子!」
おみつが心底悔しそうに叫んだので、帰蝶は混乱して、おみつに尋ねた。
「どういうこと?
草太のこと、ずっと好きだったんでしょう?」
「だからだよ。
草太にはそのとき、『こはと』という恋人がいて……。
敵の間者だったから、草太が斬り殺したんだ。
自分が諏名姫であることを敵に知られない為に草太はこはとを殺して……、
それを知った菜をが自分のせいだって。
そんな相手に自分から言える訳ないだろう?」
四郎が辛そうに言った。
帰蝶は呆然とした。
幸せそうに笑っていたあの人は、あんなに暖かく笑えるようになるまで、どれくらい涙を流したのだろう。
「だから、最近なのか。お二方が祝言上げたの」
のんびりと知良が言った。
長かったよね、ずっと。
(そういえば)
知良の独り言のような呟きに、帰蝶も思い返していた。
物心ついたときから、大人たちは寄ると触ると『いつあの二人は祝言を上げるのか』だの。『いやその前にそもそも名乗りはあげてるのか』など、喧しかった。
そこに草太が通りかかると、じろっと睨みつけられてお終い、だったけれど。
父の時苧に『うかうかしてると、どこぞの鳶に取られるぞい』とか言われても、やる気なさそうに『そんな奇特な鳶なんぞ、いねー』だの。『オレは、一人の女に縛られる気はねぇんだよ』とか言っていた。
不知火の森の求婚者が現れたときも皆一様に色をなし、草太を攻め立てていた。
みな、当然のように草太と諏名姫が夫婦になると信じて疑っていなかったからである。
しかし。
皆がじれじれとしているのに、二人の距離は縮まらず。
挙句の果てに諏名姫がその男に子を作ってやる為に腹を貸し出す、とまで言い出した。
それでも、草太と諏名姫の仲は一向に親展しなかったのである。
「草太さんも時間が必要だったんだろうね」
知良がまたぼそり、と言った。
「?」
「だって諏名姫さまのために己の恋人を殺したんだもの。
諏名姫さまが悪くないにしろ、諏名姫さまのこと赦せなかっただろうし。
まして恋人を殺さざるを得なかった自分のことも赦せなかっただろうしね」
諏名姫さまも当然ご自分を責めておいでだったろうし、真っ当な人間なら当たり前の気持ちだと思うよ。
まして相手が死者なら、どう償ったって死者がそれで満足してくれてるかわからないしね。
「『幸せになることが償い』だなんて、普通は考えないよ」
冷静な知良の言葉は、あらためて二人の恋路の難しさを感じさせたので。
なんとなく、皆、しん、と静かになった。
「ようやく赦せたんだろうね」
知良がそういった。
「『幸せになることが償い』って誰が言ったの?」
二人になったとき、気になっていたことを帰蝶は知良に訊ねてみた。
「功刀さんがさ、諏名姫さまの手をとりたいのに取れないでいる草太さんにそう言ったんだって」
「功刀が?」
意外であった。
「うん。紫湖ちゃんの薬を取りにきたときにね。
ぽろっと昔語りをして。
どうみても草太さんも諏名姫さまのこと好きなのに、手を出さないから歯痒いって」
「草太は諏名姫のこと好きだったの?!」
(驚いた)
草太の意を介さず、無理矢理に伴侶に添わせられたのかと思っていたのだ。確かに疾風も言っていたではないか、『諏名姫は兄者の全てだ』と。
(あれはお役だけの事かと思ってたのに……!)
「好きだったらしいよ、子供のときから。
でも兄妹として育ったから、勘違いしてたらしいよ」
(なんだ)
そうだったのか。
帰蝶はほっとした。
なぜか、あの姫が草太に片思いのままだと可哀想だと思ったのだ。
「草太さんは姫さまのこと、妹としてしか見てなかったらしいんだけど。
功刀さん曰く、
『妹だっていうんなら、妹に求婚しようとしている男を睨んだだけで殺せるような気を込めるんじゃねえ!』
って」
知良の言い方があまりに功刀のそれにそっくりだったので、帰蝶はくすくすと笑った。
「疾風さんにも聞いたら、
『ああ、菜をを他の鳶に攫われるぞって、じい様が心配してた話?
ないない、そんなこと、ある訳ない。
だって兄者が、菜をに名乗りをあげたい奴ら、片っ端から牽制してたからな!
勿論、オレ含めてな』って」
知良の口から、疾風が諏名姫に名乗りを考えていたことを聴いても、帰蝶の心は不思議と穏やかなままだった。
それよりも。
「あんた。瘤瀬衆の内情に、詳しいのね?」
帰蝶が訝しんだ。
知良がぽりぽりと頭をかいた。
「ここはね、諏和賀一の名医の家だよ。
しかもご領主さまが数日に1度は遊びにこられるんだ。
当然、瘤瀬衆のたまり場さ」
「……そうなんだ」
帰蝶は瘤瀬に籠っていたから、そんな社交場があるとは初めて知った。
「だから、色々な話が聴けて当然さ?オレを瘤瀬衆に、という話もあったんだよ」
「そうなの?!」
「うん。功刀さんが”気配に敏いってのは、第一級の忍ぶの資質だ”って言ってくれてね。
疾風さんも”本草学に詳しいしな、探索や隠密に向いている”て言ってくれて」
「そうだったんだ……」
「尤も、父者が渋い顔して、立ち消えになったけどね」
(それはそうかもしれない)
帰蝶は思う。
本草学を修めた薬師として、陽のあたる道が約束されているというのに。薬を使って暗殺したり人の秘密を探ったりする影の道を歩かせたくない、という親心であったのだろう。
「まあ、子供の頃は……、諏名姫さまに憧れの気持ちがない訳じゃなかったから、さ」
そういう知良の横顔を見る方がちくん、と胸が痛んだ。
知良は帰蝶の顔色に気づくと、とりなすように言った。
「勿論、子供の頃の話だよ」
こっちは年とって年齢が近づいたような気になってくるとさ、母者の、年の若い叔母上どのみたいな気持ちになってね。
「あの人、こういう風に人を保護者みたいな気持ちにさせちゃう人間を、一体何人持ってるんだろうね」
その感覚は、会って間もない帰蝶にもわかった。
二人は笑顔で頷く。
「で、功刀さんがさ、どうして、お姫さんの気持ちに応えてやらないんだ?て聞いたら『幸せってなんだ?』て。
『オレが何をしてやれば幸せにしてやれるのかわからない』て、草太さんが言ったてさ」
オレも小さかったから、功刀さん、そんなこと話したことも憶えてないかもしれないね。
「功刀さんも、自分の為に、大好きな女を亡くしたんだって。
功刀さんもやっぱり苦しんで。
で、あの通りの人だからさ、”オレが嬉しい方が女も嬉しいだろうよ”って思うことにしたんだって。
それで、草太さんに、『幸せになることが償いであってもいいんじゃないか?』て言ったんだって。
……帰蝶。あんた、泣いてるのか?」
帰蝶は泣いていたらしい。
なんて赦される言葉だろう。
その言葉に凍てついた草太と諏名姫の心も赦されたに違いなかった。
「あんたもさ、幸せにならないとね」
そういうと知良は涙をぬぐってやり、優しい顔をした。
「あんたは……、あたしと一緒になって、幸せになれるの?」
帰蝶はそう知良に訊ねた。
「さあ?どうだろうね?」
知良はとぼけた声でそう答えた。
でも帰蝶は彼の瞳が、”二人で幸せになろう”、と囁いていたので、怒らなかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
魔王の残影 ~信長の孫 織田秀信物語~
古道 庵
歴史・時代
「母を、自由を、そして名前すらも奪われた。それでも俺は――」
天正十年、第六天魔王・織田信長は本能寺と共に炎の中へと消えた――
信長とその嫡男・信忠がこの世を去り、残されたのはまだ三歳の童、三法師。
清須会議の場で、豊臣秀吉によって織田家の後継とされ、後に名を「秀信」と改められる。
母と引き裂かれ、笑顔の裏に冷たい眼を光らせる秀吉に怯えながらも、少年は岐阜城主として時代の奔流に投げ込まれていく。
自身の存在に疑問を抱き、葛藤に苦悶する日々。
友と呼べる存在との出会い。
己だけが見える、祖父・信長の亡霊。
名すらも奪われた絶望。
そして太閤秀吉の死去。
日ノ本が二つに割れる戦国の世の終焉。天下分け目の関ヶ原。
織田秀信は二十一歳という若さで、歴史の節目の大舞台に立つ。
関ヶ原の戦いの前日譚とも言える「岐阜城の戦い」
福島正則、池田照政(輝政)、井伊直政、本田忠勝、細川忠興、山内一豊、藤堂高虎、京極高知、黒田長政……名だたる猛将・名将の大軍勢を前に、織田秀信はたったの一国一城のみで相対する。
「魔王」の血を受け継ぐ青年は何を望み、何を得るのか。
血に、時代に、翻弄され続けた織田秀信の、静かなる戦いの物語。
※史実をベースにしておりますが、この物語は創作です。
※時代考証については正確ではないので齟齬が生じている部分も含みます。また、口調についても現代に寄せておりますのでご了承ください。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる