蒼天の城

飛島 明

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第三章 次世代編

偽りの婚礼、まことの愛

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「どうだった?我らがご領主さまは!」
 帰ってきた帰蝶をおみつが陽気に出迎えた。
「完敗だったわ」
 ぼそっと呟く帰蝶に、おみつは(はあ?)と思った。
「あんた。あの子になにか仕掛けたの」
 にやり、と笑うと、おみつは面白そうに訊ねた。帰蝶は項垂れて答えた。
「仕掛けたつもりが、全然動けなかった……」

「ああ、あの子の技は結構すごいわよ?」
 何故か嬉しそうにいうおみつ。その口調に帰蝶が不思議そうな顔をした。
「はは様はご領主を知っていなさるの?」
「ええ。瘤瀬の菜をの時からね。妹分なのよ、あの子。ご領主になってからも、しょっちゅう我が家に来てるわよ、ねえ四郎?」
 夫を振り返り、確認を求めた。四郎が笑顔で頷く。

「そうなの……」

「あの子がね、ご領主になるときには、
”ああ、もうこの子は変ってしまうのね。もう姉として、妹して会えなくなるのね”
って思ってたけど……ところが全然!
『菜を』のまんまよ!お転婆で、破天荒で!」

 それは諏名姫さまだけじゃないけどね。
 ぼそり、と知良が呟くのをぺしん!と彼の頭をはたく。

「あんたも好きになれるわよ、帰蝶!
あの子は自分のことより他人のことばっかり考えているんだから!」
 まったくもう!と嬉しそうにおみつが騒いでいるのを、四郎がこれまた、うんうん、と呟きかけ。ふと、帰蝶の表情に目をとめた。
「帰蝶?どうしたんだい?
顔色がすぐれないようだけど……」
 四郎が心配そうにいい、おみつがさっと顔色を変えて、帰蝶を診た。
「あら、本当。城に登って、緊張したの?」

「あの人は……っ!
草太が欲しいから側においてる、て言ってたわ!」
 帰蝶が口の中で呟き、徐々にその言葉は大きくなり、ついには叫んだ。
「なにが他人のことばかり考えてるよ!
そんなの、外面じゃない!!」

 おみつと四郎がきょとん、とした。
「あの人って、菜を?」
 意味を噛み締めると、おみつは何故か嬉しそうな顔になった。四郎も顔をぐしゃぐしゃにして今にも泣きそうになっている。
「菜をが、そんなことを?」
 おみつが囁くように嬉しそうに聞いた。

「……そうよ」
 帰蝶は違和感を感じた。
「そう……あの子。
ようやく、そういうこと言えるようになったのね」
 おみつがそっと目元と指先でぬぐう。
「あの子ね。
知良がね、生まれてこれたのはあの子のおかげなの……」

 四郎がいつのまにか、おみつの肩を抱き、うん、うんと力一杯頷いた。知良も驚いて目を見開いていた。



「まだね。ひっそりと瘤瀬に隠れ棲んでいたとき……」

 芽生えた新しい命を戦乱に巻き込まれないようにする為に、四郎とおみつは駆け落ちを決意していた。
 当時の瘤瀬は、敵から身を隠すための里。暗黙のうちに里に入る者には死を、また出る者も棺おけに入らねば出ることは適わなかった。

「出奔を手伝ったりすれば当然、その者にも報いがくる。
だけど菜をは笑って、『出て行っていい』と言ってくれたのよ」

 おみつの声は涙まじりであった。
 どれだけ過酷な生活であったかは。普段陽気なおみつが泣き咽び、四郎が過去の亡霊からおみつを護るように、おみつの肩を抱いて眼を爛々としていることでも察しがつく。

「それだけじゃないわ。
いっつもあの子、自分のことは一番最後で!」
 諏和賀を取り戻した後、一番働いていたのは菜をであった。雨露が凌げる小屋が出来ると体の弱いものから休ませた。
「少ない食料は人に与えてばっかりで、自分は食べやしない!
骨や死体が出てくればあの子、真っ先に駆け寄ったわ」
 忍ぶといえど、眉をしかめたくなるような悪臭の骸たち。それを。
「抱きしめて、弔いの準備して!
挙句の果てに、どうしても幸せになろうとしないのよ、あの子!」
 おみつが心底悔しそうに叫んだので、帰蝶は混乱して、おみつに尋ねた。
「どういうこと?
 草太のこと、ずっと好きだったんでしょう?」


「だからだよ。
草太にはそのとき、『こはと』という恋人がいて……。
敵の間者だったから、草太が斬り殺したんだ。
自分が諏名姫であることを敵に知られない為に草太はこはとを殺して……、
それを知った菜をが自分のせいだって。
そんな相手に自分から言える訳ないだろう?」
 四郎が辛そうに言った。

 帰蝶は呆然とした。
 幸せそうに笑っていたあの人は、あんなに暖かく笑えるようになるまで、どれくらい涙を流したのだろう。

「だから、最近なのか。お二方が祝言上げたの」
 のんびりと知良が言った。
 長かったよね、ずっと。

(そういえば)
 知良の独り言のような呟きに、帰蝶も思い返していた。

 物心ついたときから、大人たちは寄ると触ると『いつあの二人は祝言を上げるのか』だの。『いやその前にそもそも名乗りはあげてるのか』など、喧しかった。
 そこに草太が通りかかると、じろっと睨みつけられてお終い、だったけれど。
 父の時苧に『うかうかしてると、どこぞの鳶に取られるぞい』とか言われても、やる気なさそうに『そんな奇特な鳶なんぞ、いねー』だの。『オレは、一人の女に縛られる気はねぇんだよ』とか言っていた。


 不知火の森の求婚者が現れたときも皆一様に色をなし、草太を攻め立てていた。
 みな、当然のように草太と諏名姫が夫婦になると信じて疑っていなかったからである。
 しかし。
 皆がじれじれとしているのに、二人の距離は縮まらず。
 挙句の果てに諏名姫がその男に子を作ってやる為に腹を貸し出す、とまで言い出した。
 それでも、草太と諏名姫の仲は一向に親展しなかったのである。

「草太さんも時間が必要だったんだろうね」
 知良がまたぼそり、と言った。
「?」
「だって諏名姫さまのために己の恋人を殺したんだもの。
諏名姫さまが悪くないにしろ、諏名姫さまのこと赦せなかっただろうし。
まして恋人を殺さざるを得なかった自分のことも赦せなかっただろうしね」

 諏名姫さまも当然ご自分を責めておいでだったろうし、真っ当な人間なら当たり前の気持ちだと思うよ。
 まして相手が死者なら、どう償ったって死者がそれで満足してくれてるかわからないしね。

「『幸せになることが償い』だなんて、普通は考えないよ」
 冷静な知良の言葉は、あらためて二人の恋路の難しさを感じさせたので。
 なんとなく、皆、しん、と静かになった。
「ようやく赦せたんだろうね」
 知良がそういった。




「『幸せになることが償い』って誰が言ったの?」
 二人になったとき、気になっていたことを帰蝶は知良に訊ねてみた。
「功刀さんがさ、諏名姫さまの手をとりたいのに取れないでいる草太さんにそう言ったんだって」

「功刀が?」
 意外であった。
「うん。紫湖ちゃんの薬を取りにきたときにね。
ぽろっと昔語りをして。
どうみても草太さんも諏名姫さまのこと好きなのに、手を出さないから歯痒いって」

「草太は諏名姫のこと好きだったの?!」
(驚いた)
 草太の意を介さず、無理矢理に伴侶に添わせられたのかと思っていたのだ。確かに疾風も言っていたではないか、『諏名姫は兄者の全てだ』と。
(あれはお役だけの事かと思ってたのに……!)

「好きだったらしいよ、子供のときから。
でも兄妹として育ったから、勘違いしてたらしいよ」

(なんだ)
 そうだったのか。
 帰蝶はほっとした。
 なぜか、あの姫が草太に片思いのままだと可哀想だと思ったのだ。


「草太さんは姫さまのこと、妹としてしか見てなかったらしいんだけど。
功刀さん曰く、
『妹だっていうんなら、妹に求婚しようとしている男を睨んだだけで殺せるような気を込めるんじゃねえ!』
って」

 知良の言い方があまりに功刀のそれにそっくりだったので、帰蝶はくすくすと笑った。

「疾風さんにも聞いたら、
『ああ、菜をを他の鳶に攫われるぞって、じい様が心配してた話?
ないない、そんなこと、ある訳ない。
だって兄者が、菜をに名乗りをあげたい奴ら、片っ端から牽制してたからな!
勿論、オレ含めてな』って」

 知良の口から、疾風が諏名姫に名乗りを考えていたことを聴いても、帰蝶の心は不思議と穏やかなままだった。
 それよりも。

「あんた。瘤瀬衆の内情に、詳しいのね?」
 帰蝶が訝しんだ。
 知良がぽりぽりと頭をかいた。
「ここはね、諏和賀一の名医の家だよ。
しかもご領主さまが数日に1度は遊びにこられるんだ。
当然、瘤瀬衆のたまり場さ」

「……そうなんだ」
 帰蝶は瘤瀬に籠っていたから、そんな社交場があるとは初めて知った。

「だから、色々な話が聴けて当然さ?オレを瘤瀬衆に、という話もあったんだよ」
「そうなの?!」
「うん。功刀さんが”気配に敏いってのは、第一級の忍ぶの資質だ”って言ってくれてね。
疾風さんも”本草学に詳しいしな、探索や隠密に向いている”て言ってくれて」
「そうだったんだ……」
「尤も、父者が渋い顔して、立ち消えになったけどね」

(それはそうかもしれない)
 帰蝶は思う。
 本草学を修めた薬師として、陽のあたる道が約束されているというのに。薬を使って暗殺したり人の秘密を探ったりする影の道を歩かせたくない、という親心であったのだろう。

「まあ、子供の頃は……、諏名姫さまに憧れの気持ちがない訳じゃなかったから、さ」
 そういう知良の横顔を見る方がちくん、と胸が痛んだ。
 知良は帰蝶の顔色に気づくと、とりなすように言った。
「勿論、子供の頃の話だよ」

 こっちは年とって年齢が近づいたような気になってくるとさ、母者の、年の若い叔母上どのみたいな気持ちになってね。
「あの人、こういう風に人を保護者みたいな気持ちにさせちゃう人間を、一体何人持ってるんだろうね」
 その感覚は、会って間もない帰蝶にもわかった。
 二人は笑顔で頷く。
「で、功刀さんがさ、どうして、お姫さんの気持ちに応えてやらないんだ?て聞いたら『幸せってなんだ?』て。
『オレが何をしてやれば幸せにしてやれるのかわからない』て、草太さんが言ったてさ」

 オレも小さかったから、功刀さん、そんなこと話したことも憶えてないかもしれないね。

「功刀さんも、自分の為に、大好きな女を亡くしたんだって。
功刀さんもやっぱり苦しんで。
で、あの通りの人だからさ、”オレが嬉しい方が女も嬉しいだろうよ”って思うことにしたんだって。
それで、草太さんに、『幸せになることが償いであってもいいんじゃないか?』て言ったんだって。
……帰蝶。あんた、泣いてるのか?」

 帰蝶は泣いていたらしい。
 なんて赦される言葉だろう。
 その言葉に凍てついた草太と諏名姫の心も赦されたに違いなかった。

「あんたもさ、幸せにならないとね」
 そういうと知良は涙をぬぐってやり、優しい顔をした。
「あんたは……、あたしと一緒になって、幸せになれるの?」

 帰蝶はそう知良に訊ねた。

「さあ?どうだろうね?」
 知良はとぼけた声でそう答えた。
 でも帰蝶は彼の瞳が、”二人で幸せになろう”、と囁いていたので、怒らなかった。
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