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第三章 次世代編
偽りの婚礼(5)
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「瘤瀬の帰蝶と申します」
諏名姫の居室で帰蝶は手をついて挨拶した。
明日が知良との婚儀という前日。
これから諏和賀に住むことでもあり、瘤瀬の次期棟梁ということもあり、諏和賀の領主に目通りとなったのだ。
4月になろうかという腹は、まださほど目立ちはせぬ。
そして相対する諏名姫も身重であったから、領主と忍ぶの次期棟梁の初顔合わせ、という重要な場でありながら、諏名姫の居室が選ばれたのだ。
あたりには草太はおろか、誰もおらぬ。
「ようこそ諏名です。今後ともよろしうに」
「は」
帰蝶は言葉少なだった。
緊張しているのもあるかもしれぬ。
だが、少女の顔を強張らせているのは敵がい心……であろうか。その表情をみて、諏名姫はゆったりと微笑んだ。
(無理もないわねー。領主と二人っていう緊張感もあるだろうし。城にあがるの嫌がってたらしいし)
それに、帰蝶は『諏名姫』との”初めて”の顔合わせなのだ。諏名姫が実は透湖であったことは、帰蝶は知らない。
「帰蝶どの。顔をあげて」
諏名姫が声をかけた。
「は」
帰蝶は不承不承顔をあげ、おや、と眼を見張った。
暖かい、春のような微笑。
女らしい心配りはしているが、里の女と変らぬ質素な着物。
とても、瘤瀬衆四傑の一人とは思えない。
話を聞いた限り、骨っぽくて男まさりの女傑を想像していたのに、その表情は慈しみに満ちている。
それは領主が身重である事は、この表情とは関係ないのだろう。
(なんだろう)
帰蝶は不思議な感覚に囚われた。
(以前、どこかで……?)
草太とは、母方の従兄妹の間柄であるという。草太の面影が彼女に重なるのだろうか。
「わたしにとっても、義理の叔母上になられるのね」
諏名姫がいたずらっぽく笑い、帰蝶はぶっきらぼうに言った。
「年上のご領主さまに、叔母扱いされたくありません」
「あら。草太には散々叔母上って呼ばせているって聞いたわよ?わたしもじい様の孫として育ったし」
この領主はさも、自分も時苧や帰蝶と肉親なのだという風に振舞う。
「あの」
帰蝶が切り出した。
「なぜ、草太なんですか?」
(言ってしまった)
阿蛾が聞き及んだら雷を落とされるのは確実である。
君主が権力をかさに着て、欲しい人間を侍らす。
よくあることだ。
しかし、話に聴く諏名姫という領主はそういう欲とは無縁そうだったから、とても不思議であったのだ。
諏名姫は先を続けて、と首をかしげてみせた。
「なぜ草太なんです?
草太には透湖という想い人がいるのに!」
諏名姫は、ああ、というように頷いた。
「透湖、というのは瘤瀬の者ではないわね?
時苧か草太が紡いだ『蜘蛛の巣』かしら?」
そんな者は知らない、としれっと言って見せた。
むう、とあからさまに不機嫌な顔の帰蝶をよそに、諏名姫は歌うように語り出した。
「幼い頃、草太兄者は世界の全てだった。
いつも、兄者の後をついて回ったわ。
この地を取り戻してくれたのも、兄者だった」
うっとりと語る領主とは反対に、帰蝶は不愉快な気持ちになった。
(国を救った英雄を我が物にしたという事か)
それでは、力づくで里の娘を略奪する領主となんら変わらない所業だ……と。帰蝶の表情に気づいたのか、付け足した。
「ああ、勿論、瘤瀬衆の皆が力を貸してくれたのだけど」
「……」
「大人になって領主になっても、私は兄者のこと忘れられなかったの。
どんどん、欲しくなっていったわ。
だから、お願いそばにいて、て望んだの」
諏名姫は微笑んだ。
その無邪気な表情に、かえって帰蝶はわなわなと怒りに体が震えた。
(なんて我儘な……っ!)
己のそばにいて欲しいだけで、草太を拘束したのか。
(あんなに、なによりも自由が好きなのに……!!)
ふと、この女の実力を試してみたいと思った。
なるほど、諏和賀奪還の立役者は時苧や草太、瘤瀬衆であろう。しかし、彼女もまた、#征伐隊_そうたたち__#の不在を狙った敵の別働隊を破った人物でもあるのだ。
離反していた瘤瀬の民人の心をひとつにまとめあげ、敵を倒したのだと。
そして再興なった後、度々外敵に襲われたこの諏和賀を、一軍を自ら率いて撃退した人物であると。
(よし)
心に決めた刹那。目にも留まらぬ早業で、帰蝶は諏名姫の瞳を狙って指先を瞳と髪一筋につきつけた。
――つきつけた、筈、だった。
姫の躰は反応できなかったようだった。
ただ、穏やかに微笑んで見せた。
「そなたの本気ってこのくらい?」
なんでもないことのように訊ねてきた。
諏名姫の呟きに、あらためて状況を確認した帰蝶は戦慄した。
かのひとの手は、帰蝶を狙って飛来した飛び道具を掴んでいた。
「それ」は帰蝶の命をとるまで至らず警告に過ぎなかったのであろう。諏名姫の背後、帰蝶の正面から飛んできた。
しかし、帰蝶は気付かなかった。そして諏名姫は飛来物を阻む為の動きさえ帰蝶に感知させなかった。
更に気付くと、帰蝶の胸には細い刃物の切っ先が。わずかに肌を切り裂き、薄く血を滲ませていたのだ。
「!」
帰蝶は戦慄した。
その細い刃を持っているのが、諏名姫のもう片方の手であったのだ。
「自己紹介はこれで済んだわね」
お互い身重だから、この程度にしておきましょう?諏名姫はにっこりと笑った。
ざわ、と肌に粟立つのを帰蝶は禁じえなかった。
(帰蝶よりも剛の者だ。そして、おそらく透湖よりも……!)
それを肌で感じたのだ。
この女性なら。草太の首をとることも、一軍を統率することも。可能であると身をもって認知させられたのだ。
「兄者が自由をなによりも愛することは知っているわ。
だから、わたしの側にいるときだけ、わたしのものでいてくれさえすればいいの」
姫の澄んだ瞳に、帰蝶は言うべき言葉が見当たらなかった。
諏名姫の居室で帰蝶は手をついて挨拶した。
明日が知良との婚儀という前日。
これから諏和賀に住むことでもあり、瘤瀬の次期棟梁ということもあり、諏和賀の領主に目通りとなったのだ。
4月になろうかという腹は、まださほど目立ちはせぬ。
そして相対する諏名姫も身重であったから、領主と忍ぶの次期棟梁の初顔合わせ、という重要な場でありながら、諏名姫の居室が選ばれたのだ。
あたりには草太はおろか、誰もおらぬ。
「ようこそ諏名です。今後ともよろしうに」
「は」
帰蝶は言葉少なだった。
緊張しているのもあるかもしれぬ。
だが、少女の顔を強張らせているのは敵がい心……であろうか。その表情をみて、諏名姫はゆったりと微笑んだ。
(無理もないわねー。領主と二人っていう緊張感もあるだろうし。城にあがるの嫌がってたらしいし)
それに、帰蝶は『諏名姫』との”初めて”の顔合わせなのだ。諏名姫が実は透湖であったことは、帰蝶は知らない。
「帰蝶どの。顔をあげて」
諏名姫が声をかけた。
「は」
帰蝶は不承不承顔をあげ、おや、と眼を見張った。
暖かい、春のような微笑。
女らしい心配りはしているが、里の女と変らぬ質素な着物。
とても、瘤瀬衆四傑の一人とは思えない。
話を聞いた限り、骨っぽくて男まさりの女傑を想像していたのに、その表情は慈しみに満ちている。
それは領主が身重である事は、この表情とは関係ないのだろう。
(なんだろう)
帰蝶は不思議な感覚に囚われた。
(以前、どこかで……?)
草太とは、母方の従兄妹の間柄であるという。草太の面影が彼女に重なるのだろうか。
「わたしにとっても、義理の叔母上になられるのね」
諏名姫がいたずらっぽく笑い、帰蝶はぶっきらぼうに言った。
「年上のご領主さまに、叔母扱いされたくありません」
「あら。草太には散々叔母上って呼ばせているって聞いたわよ?わたしもじい様の孫として育ったし」
この領主はさも、自分も時苧や帰蝶と肉親なのだという風に振舞う。
「あの」
帰蝶が切り出した。
「なぜ、草太なんですか?」
(言ってしまった)
阿蛾が聞き及んだら雷を落とされるのは確実である。
君主が権力をかさに着て、欲しい人間を侍らす。
よくあることだ。
しかし、話に聴く諏名姫という領主はそういう欲とは無縁そうだったから、とても不思議であったのだ。
諏名姫は先を続けて、と首をかしげてみせた。
「なぜ草太なんです?
草太には透湖という想い人がいるのに!」
諏名姫は、ああ、というように頷いた。
「透湖、というのは瘤瀬の者ではないわね?
時苧か草太が紡いだ『蜘蛛の巣』かしら?」
そんな者は知らない、としれっと言って見せた。
むう、とあからさまに不機嫌な顔の帰蝶をよそに、諏名姫は歌うように語り出した。
「幼い頃、草太兄者は世界の全てだった。
いつも、兄者の後をついて回ったわ。
この地を取り戻してくれたのも、兄者だった」
うっとりと語る領主とは反対に、帰蝶は不愉快な気持ちになった。
(国を救った英雄を我が物にしたという事か)
それでは、力づくで里の娘を略奪する領主となんら変わらない所業だ……と。帰蝶の表情に気づいたのか、付け足した。
「ああ、勿論、瘤瀬衆の皆が力を貸してくれたのだけど」
「……」
「大人になって領主になっても、私は兄者のこと忘れられなかったの。
どんどん、欲しくなっていったわ。
だから、お願いそばにいて、て望んだの」
諏名姫は微笑んだ。
その無邪気な表情に、かえって帰蝶はわなわなと怒りに体が震えた。
(なんて我儘な……っ!)
己のそばにいて欲しいだけで、草太を拘束したのか。
(あんなに、なによりも自由が好きなのに……!!)
ふと、この女の実力を試してみたいと思った。
なるほど、諏和賀奪還の立役者は時苧や草太、瘤瀬衆であろう。しかし、彼女もまた、#征伐隊_そうたたち__#の不在を狙った敵の別働隊を破った人物でもあるのだ。
離反していた瘤瀬の民人の心をひとつにまとめあげ、敵を倒したのだと。
そして再興なった後、度々外敵に襲われたこの諏和賀を、一軍を自ら率いて撃退した人物であると。
(よし)
心に決めた刹那。目にも留まらぬ早業で、帰蝶は諏名姫の瞳を狙って指先を瞳と髪一筋につきつけた。
――つきつけた、筈、だった。
姫の躰は反応できなかったようだった。
ただ、穏やかに微笑んで見せた。
「そなたの本気ってこのくらい?」
なんでもないことのように訊ねてきた。
諏名姫の呟きに、あらためて状況を確認した帰蝶は戦慄した。
かのひとの手は、帰蝶を狙って飛来した飛び道具を掴んでいた。
「それ」は帰蝶の命をとるまで至らず警告に過ぎなかったのであろう。諏名姫の背後、帰蝶の正面から飛んできた。
しかし、帰蝶は気付かなかった。そして諏名姫は飛来物を阻む為の動きさえ帰蝶に感知させなかった。
更に気付くと、帰蝶の胸には細い刃物の切っ先が。わずかに肌を切り裂き、薄く血を滲ませていたのだ。
「!」
帰蝶は戦慄した。
その細い刃を持っているのが、諏名姫のもう片方の手であったのだ。
「自己紹介はこれで済んだわね」
お互い身重だから、この程度にしておきましょう?諏名姫はにっこりと笑った。
ざわ、と肌に粟立つのを帰蝶は禁じえなかった。
(帰蝶よりも剛の者だ。そして、おそらく透湖よりも……!)
それを肌で感じたのだ。
この女性なら。草太の首をとることも、一軍を統率することも。可能であると身をもって認知させられたのだ。
「兄者が自由をなによりも愛することは知っているわ。
だから、わたしの側にいるときだけ、わたしのものでいてくれさえすればいいの」
姫の澄んだ瞳に、帰蝶は言うべき言葉が見当たらなかった。
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