蒼天の城

飛島 明

文字の大きさ
上 下
40 / 142
第一部 再興編

硬い決意(2)

しおりを挟む
 気配を自在に操れるという技は、逢瀬にはまことうってつけだ。
 密会場所も決めずに済むし、棲んでいる小屋の前で石を投げて他の住人にみつからずに済む。

 菜をが眼を覚ましたのは、ある気配があったからだ。

 眼を覚ましはしたが、身動きはしなかった。
 自分を呼んでいる気配ではなかったからだ。
 そっと八雲が身をおこして、すべらかに小屋の外へ出て行くのを認めた。
 野暮であることは重々承知していた。
 が、ここ何日か気にかけていた娘であったので、菜をも忍び出た。

「……。……、」
「……………………」
 男と話しているようだった。
 菜をは、気配を殺したまま、2人に近づいてゆく。

「オレ達の子が」
 男が密やかに嬉しそうに言った、この声は。
「うん。今日、動いたんだよ」
 八雲の声も、あふれんばかりの嬉しさであった。

(姉者に、子が)
 菜をは安心した。
 ここ数日、八雲の様子がおかしかったのだ。
 この様子では相手の男、羅生丸も喜んでいるらしい。
(今度こそ、花嫁御寮が見れそうだ)
 菜をは安堵し、小屋へ戻ることにしかけた。

 と。
「どうしよう」
 羅生丸が怯えた声をだした。
 もともと名前に反した、優しい、気弱な性格なのだ。
 ……否。
 羅生丸の母の願い通りに育った若者であった。
 彼が幼い頃、よく名前と性格が違うと苛められていた。その小さな背中を、時苧が慰めていたのを菜をは憶えていた。



『じじ……、やだよォ……こんな名前。
 みんな、みんな、似合ってないって言うんだ』
 羅生丸はべそをかいていた。

『ぬしの名は、ぬしの母が付けてくれた立派な名前じゃよ』
『母者が?
違わい、母者がつけてくれたオイラの名前は四郎だよ。
羅生丸なんかじゃないやい』
 時苧が慈愛を込めて諭したのに、羅生丸はきかんきに言った。

『ぬしがな』
 時苧の声はあくまで穏やかで優しかった。
『ぬしが大きうなっても、羅刹のように生きないで欲しいと願って母御は息絶えたのよ』

 母の手によって、かめに隠されていた子。
 生き残りを探していた時苧に、母が渾身の力を込めて甕を指さした。

 母には、己がすがった男が吉蛾衆の棟梁であったことをわかっていた筈だ。
 ……その男に委ねれば最後。
 我が子も修羅の途を歩むであろうことを。

 だから、彼女はこいねがった。
『この子は羅正丸と呼んでやってくださいませ』
 ”お願い、この子に闇の途を歩ませないで”。
 時苧は頷いた。
『あい、わかった』

 自らは己れの孫を領主の子の身代わりに差し出し、修羅の道を歩もうと決意していたであろう時苧。彼は、己が手に愛する我が子を託すしかなかったであろう母親のどう感じたのだろう。

『ぬしに優しい、おだやかな子に育ってほしいという願いがこもってるんじゃよ』
 そう諭している姿を菜をは覚えていた。
しおりを挟む

処理中です...