蒼天の城

飛島 明

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第一部 再興編

暖かい涙(1)

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 ざざざざざ。
  藪を乱暴に掻き分ける。小さな枝が顔や、腕にあたり、行く手を阻む。

  「……っくっ」
 嗚咽を必死に飲み込む。

 眼に浮かぶのは、草太の憎悪と、侮蔑の表情。
 あんな言い方をしたくはなかった。
 だが、あのような言い方をする方向に仕向けたのは、他ならぬ菜を自身なのだ。諏名姫として生きると決意しながら、無意識に疾風に甘えてしまった。あまつさえ素姓を名乗ってしまった。そこにあったのは、単純に己のことだけ。疾風に告げて、肩の重荷を少しでも軽くしたかったのだ。

 草太の怒りと侮蔑の表情は、菜をの、弱さと浅ましさに向けられたものであった。
 そして草太はあくまで主君を傷つけぬことを選んだ。疾風を弑する道を選ぶことで、己の道を通そうとした。菜をの過ちのために、草太に疾風を。唯一背中を預けられると信じている他ならぬ疾風を弑させる処であったのだ。



 疾風は、草太になら黙って討たれてしまう。
 草太も、疾風を自らの手で弑してしまったら、彼の心は二度と闇から戻ってこられないだろう。まして、菜をの為に、無二の半身同士の2人が彼我に裂かれるなど、再びあってはならなかった。それだけは、断じてさせる訳にはいかなかった。

「うっ……」
  菜をの顔は、涙と、泥で汚れていた。

 目的の場所にきた。
 衣を脱ぎ棄てるのももどかしく、滝壷に飛び込み目茶目茶に泳ぎだした。
「……うっ、ううっく、」
  この滝壷は幼い時より、菜をの秘密の場所であった。
悲しい時に慰めてもらい、心弱くなっている時に励ましてもらっていたのだ。ここでなら、人目も憚らず、思いっきり泣くことが出来る。

 菜をは、どうしようもなく無力だった。
 大切な人たちが己れの為に死ぬ。己れの為に、大切な者を失った仲間達。
 それなのに何も出来ず、皆の影に隠れているだけの自分。
 そして諏名姫に徹しきれない己。

「うっひっく、ううう……っ、」
 いっそ自分の命を絶てれば、どんなによいだろう。
 自分の命で、みなの命をあがなえれば。しかし、それはつながりを断つことだ。
 みなの命によって生き延びることの出来たつながりを。
 心の支えである、たったひとつのつながりの諏和賀の再興という細い、脆い絆さえ。

 逃げ出したかった。
 恥も外聞もなく。
 諏和賀の再興など知ったことではない。ただの里の娘として暮らしたかった。
 一生、卑怯者と卑ずまれても。一生、そのひとの側にいられなくなっても。

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