蒼天の城

飛島 明

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第一部 再興編

母の涙(2)

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 と。
 菜をの体が一閃した。

『ぎゃああああああッ』
 悲鳴と同時に皆の体が自由になる。
 娘が両腕を抱えて、のたうちまわった。
 抑えても、抑えても鮮血がこぼれおちる。
 風霧丸の足元に10本の指が散らばっていた。きらきら光っているのは、指に纏わりついている糸であった。

『お前が糸を遣ってみなを操ってたのは見切ってた。指がなくば、操れないだろう!』
 冷たい、菜をの声。
 そして、彼女が銀の光と跳んだ。
『お前に言われずともわかっている。
贖えるとも思っても居ない。
あたしはお前達を滅ぼしたら、自分で自分の命に始末をつける!』

 しかし。菜をの渾身の一撃は娘には届かなかった。
 菜をが、がくりと膝をつく。

『用心のためにお前にしびれ薬を吸わせてたんだっ』
 風霧丸が喚いた。
『ちくしょうっ、あちきの指をっ!!
音丸っ、お前の娘はこいつが殺したんだッ!
こいつを斬ってしまえ!』

 娘が金切り声をあげた。

 皆がはっとみやる。
 菜をは青年の糸も切り落としていたのだ。菜をは音丸と呼ばれた青年に目を向けた。
 狂おしい瞳の色をみれば、娘を奪いとられてより10数年、行方を探してきた母親の瞳であった。

『……こはと姉者の母者……』
 音丸は、ゆっくりと菜をに近づいてきた。
 菜をが体をちょっとでも動かすと、刺すようなしびれが走る。ゆらり、と立ち上がったが、闘いたくはなかった。
『お前が娘を殺したのか』
 音丸が菜をに問うた。

『そうだ』
 菜をは瞳に力を込めた。媚びもせず、命乞いもしない眼差し。
 里の者から、悲鳴のような気が迸った。

 音丸が、刃を菜をの上にふりかざした。








『ぎゃあああああっ』
 断末魔の悲鳴が木立のなかを駆け巡った。
 風切丸が胴体と腰から下が分断されていた。音丸が、体を翻し風切丸の体を一閃したのだ。二つに分かれた体がゆっくり崩れ落ちてゆく。

 血の泡を口から吐き出しながら、風切丸は呟いた。
『……殺したね……、あちきを殺したね。
だが、それでお前の呪いが解けると思うな。
あちきが死ねば、お前も死ぬんだ、音丸ッ!
お前に仕込んだ毒を包んでいる繭はもうじき解ける……』

 毒婦の形をした猛毒の青年は、それきり首をがくりと落とした。



『風霧丸ッ』
 後衛であった、壮年の男の一人から悲鳴が上がった。
 里の者が一斉に残りの二人を見た。

 がっしりとした男、かど平は黙然として立ち、もう一人の叫んだ男、佐門がすっかり慌てふためいて逃げ出す算段をしていた処を。かど平が切り捨てた。
『く……っ、かど平、貴様っ裏切りよったか!』
『元より俺は土雲衆になった憶えはない』

 ちら、とかど平は音丸を見た。

 音丸とかど平は同じ郷の者だった。
 音丸が一郎太に魅せられ、その妾となってからも彼女を見守る為、行動を共にしていたのだ。音丸が軛を断ち切ったのならば、かど平にも土雲衆に未練はなかった。

 かど平は、武器を捨てると胡坐をかき、恭順の意を示した。
 呪縛から解けた瘤瀬の者達がかど平を縛した。地面に擦り付けられたその眼差しは、じっと音丸を見つめていた。


『何故、私を助けてくださった? 姉者の母君』
 刺すようなしびれも気にせず、こはとの母に近づき、菜をはむしろ不思議そうに呟いた。

『……あの子は。ここで。幸せだったのか』
 音丸の殺気を秘めた声。
 彼女はあらためて、菜をに向き合った。
 かえり血を浴びた顔は静けさを取り戻し、美しかった。
 嘘を見通す、真摯な双眸。黒く、光がきらめくその瞳は、こはとのものにそっくりであった。

 それを菜をは、真っ直ぐみつめた。

『幸せだった。皆に慕われてて。生涯の伴侶と出会って。その人を愛し、愛されていた』
 音丸が回りをみまわすと、皆が一斉にうなづいた。

『そう……、か』
 音丸ががくりと膝をついた。顔にどす黒い、紫や青の斑点が浮かんできた。

『母君っ』
 菜をが血相をかえて、音丸を助け起こそうとした。
 その足元に、音丸からの刀子が飛ぶ。
『……くる……、な……。風……霧丸の毒……、触れた者……、る、累が…………。
 あのひと……、は誰……も、シ信じてッ、お、ら……おらぬ。ここ・れ、ば……こうなる……、わかってい、いた』

『母君、母君!生きて!ここで、一緒に暮らそう!』
 喪われていく命に菜をは半狂乱であった。
 覚えてもおらぬ母の面影を音丸の上に重ねてたのかもしれない。

『たのみ……わが……子、っそば、葬て……も、らえ、ま、まいっ、か……』
 菜をは涙であふれた顔でうなづくしか出来なかった。
『わかった。ぬしの名前は』
 音丸の傍に膝まづいた里の長老が問うた。こはとの母はしっかりと答えた。
『於兎、と』
『おと、か。よき名じゃ』
 長老が微笑んだ。

『かど平……』
 音丸は、いや、於兎は暗殺者から母親、女に還っていった。菜をが頷き、瘤瀬衆は男への戒めを解いた。
 かど平が於兎に近寄ってきた。

『いま、まで……あり、がとう……。おま、お前のにょ、女房に』
 なっていたら、こはとと3人。ささかやでも幸せな時を営めたであろうに。
 が、自分は焔に惹かれた蛾のように一郎太に魅せられてしまった。そしてその焔に身も心も焼き尽くされたのだ。

 かど平が優しく於兎を抱きしめた。
 死斑から有り得ない色の毒血が湧き出でて、かど平をみるみる汚していく。彼も苦し気な表情になってきていた。

 皆、二人を見守っていた。

『あの世で娘と3人。楽しく暮らそうぞ』
 かど平が優しく言うと、於兎はにっこりと笑って事切れた。

『頼みがある』
 かど平はごふ、と血を吐きながら瘤瀬衆に懇願した。
『風霧丸の毒は空気に溶けて災厄を起こす。
半時以内に、俺達の躯を石棺か何かで封じよ。……それと。俺とこれを、娘の傍に』
『約束する』
 菜をが頷いた。




 こはとと於兎は、ようやく死して親子の名乗りをあげられたのであった。
 新しい土饅頭に、花が手向けれていないことはなかった。
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