蒼天の城

飛島 明

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第一部 再興編

母の涙(1)

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 あの時。
 諏名姫が身分を晒した為、里が割れた。
 征伐隊は羅生丸が納めてくれた。

 里の方は、なまじ女が多く残っていた分、感情のわだかまりが残った。
 特に、こはとの死が菜をのせいであった事を、ずっと黙っていたことに怒りが発したのである。

 八雲や、大局を見ることの出来る者が諌めても、火は収まらなかった。
 諏名姫は、あからさまに罵られ、無視され、唾を吐きかけられ。

 殺されかけた。



 里の者達の中には、『諏名姫の首を土雲に差し出したらどうか』と、己の身の安寧を謀ろうとした浅ましい者も少なくはなかったのである。
 流石に、おめおめと殺されても何の意味もありはしなかったので、それだけは防いだ。

 あとは菜をは何も弁解もせず黙々と、一人で防壁を確認し罠をしかけ、物見をこなした。
 その姿に、諏名姫を猜疑の目で見ていた者達の中から、やがて一人また一人と作業に加わる者が増えていった。

 土雲が襲ってきた時、狼煙はあげたが、菜をは里に残っている者だけで戦い抜くつもりであった。
 諏名姫への疑念が棄てきれずにいた一部の者たちは、その場に及んでも小屋の中に隠れ、怯えているだけであった。物陰から様子を窺うだけであったが、休む間もなく常に前面に身を挺し、里の為に闘う菜をの姿にとうとう彼女の元に集い始めた。ついには、一丸となって襲撃に絶えぬいたのだ。



 最後に瘤瀬に現れたのは、たったの四騎であった。
 前衛は。
 見た目、可憐な顔の小娘と、年のころ三十になるや、ならずの青年。
 後衛は。
 若者二人の働きを見届けようとするかのような、二人の壮年の男達であった。

 だが、4人から吹き付ける殺気は命のやり取りをしてきていた里の者ですら、金縛りにするに充分であった。

 青年の唇から漏れた言葉は意外なものであった。
『渡して貰おうか、あの子を』
 誰しもが諏名姫のことであると考えたが。



『娘をどこにやった! 顔に火傷のある娘だ!!』
 反応のない里の者に業を煮やし、青年が絶叫した。
 風が若者の顔にかかった髪をはらう。
 里人たちに動揺が走った。
 そこには、懐かしい顔が。焦げておらず、年を経たらこのような顔になるであろうというような風貌があった。

 まさか。
 里の者が凍りついた。
『姉者は返さぬ』
 菜をが里の者を庇うように前へ進み出た。

『そりゃあ、返せぬワイなあ』
 少女が愉しげに、漂軽げにいう。
『来る途中、霊返しの術を行われぬよう処置してあった新しい土饅頭があったワイな』
『っ、』
『おおかた、うちらの放った蜘蛛が葬られているのであろ。返せぬ訳さ』

 少女は無垢なその花のような顔に、年増の性悪で狡猾な商売女のような笑顔で嘲った。
 青年の瞳が、赤く染まった。絶望に彩られた狂気が満ちる。

『そうさ、こはと姉者は里の者だ。お前らに姉者の骸をやる訳にはいかぬ』
 菜をは、決然としていった。

『そんな詭弁が罷り通るかっ!』
 青年が吠えた。

『お前らこそ取り戻しにくる位なら、なぜ姉者を間者に放った!
姉者はお前らが仕込まねば、花嫁御寮として幸せに暮らしてたんだ!』
 菜をは叫んだ。
 里の者は息を呑んだ。菜をの魂の叫びを聴いたのだ。

 青年の目がちかりと光ったのを見、娘の双眸が昏く瞬いた。

『くくく……どうやらこのお嬢ちゃんが、この虫けらサンたちの拠り所らしいねェ』
 少女は舌なめずりするようにいった。
 どうっと、菜をの周りの者が倒れていった。
 はっと菜をが、少女を見遣る。
『ふふ。心配ないよ、今のところはね。目も見えるし、音も聞こえる。ただ、動けないし、口も利けないだけさァ』
 少女は愉しそうにいった。

『毒使いか』
 菜をが低く呟いた。
 激昂の炎はなりを潜め、闘気が面に上った。ゆっくりと菜をが、娘に正面を向けた。

 青年がその姿に刀を構える。
 その姿を見ようともせず、少女が言い放つ。
『手を出すんじゃないよ、音丸。
その子は……そうだねえ。
身の程知らずにも、あちきに歯向かった罰として、どんな毒を遣ってやろうかねェ。
あちきに、『お願い、抱いて』と。善がらせて股を開かせて。のたうちまわらせてみようか』
 謡うような、愉しげな声であった。

 だが、娘が制したのも聞かず、青年が仕掛けた。
『娘の命をあがなって貰おうか!!』
 が。
 娘の手が一閃した、と思った刹那、青年が無理矢理に地面に押し付けられた。
 苦しげに呻いているその顔を、娘がぐ、と踏みつけた。

『手を出すんじゃないといったろォ、このあばずれがッ』
 仲間と言えど容赦なく制裁をくだす少女に、里のもの達の目が見開かれた。

『肝心なことをきかないうちは、お預けだよ』
『……この、陰、間、がッ……、』
 青年が苦しげに呟いた。
 陰間、という男娼への蔑称の言葉に一同がみな、少女に目をやった。
 少女といってもよい小柄な風貌に、隠してもむしろ隠すことにより、ちろちろと浮かび上がる妖艶な女の色香。

 この少女が……男だというのか?
 そもそも、この少女は連れの青年へ向かってなんと言った?

『駄目じゃなあい、音丸ゥ。あちき達のことばらしちゃァ』
 少女はむしろ、嬉しそうであった。

『くっく。この出来そこないはねェ、蜘蛛の産みの親さ。
こんなでも、元は女だったんだヨォ?
もっとも美味しく育つ前に、こんなになっちゃたけどさ』

 娘が言うなり、蛾が灯りに引き寄せられるように青年がふらふらと娘に近づいてきた。少女はその、青年の襟を掻き開き、瘤瀬の衆目にその姿を曝した。
 日に焼けてごつごつとした筋肉に覆われはしてはいたが、そこだけはまろやかに優しい場所に、縦横に走った刀創。
 そして、無残な火傷のあと。

 この青年のようにしか見えない女は、一体どのような半生を送ってきたのであろうか。
 里の者達は目をそらし、暗澹あんたんとした思いを禁じえなかった。
 この女はおそらくこはとを『蜘蛛』にすべく、力づくで奪われたのだ。

 ――そもそも、こはとを生んだことも。本意であったか。

 菜をだけが、娘と、女をじっと見ていた。
 その面は氷のように静かで、じっとその場に立っていた。
 女は無念な形相を浮かべたまま、娘になすがままにされていた。

『これでも首領の女をして、羽振りのいい時もあったのにサ。
こんなでもサ、いっぱしの雌犬なんだねェ。
閑な時にちょいと遊んでやると、ヒィヒィ言いながらよがるのサ。面白ぅいだろう?』

 青年の首筋を、花より紅い唇からはみ出した舌がちろり、と舐めあげた。手が女の胸をねぶる。
 仲間だというのに、冷酷に青年を、否。こはとの母を辱める娘の姿に、里の者はこの娘こそがこはとの真の仇なのだと悟った。

 里の衆たちから怒気が立ち込めるのを、娘は恐れる様子もなく、却って嬉しげに眺めている。
『さ、あちきのお喋りはここまで。今度はお前らが話す番だよ。諏名姫はどこにいる?』

 里の者は凍りついた。
 一瞬にして娘の気が、立ち向かう勇気を萎えさせ、死を選択する方がその何倍も楽かというように恐怖に変じたのだ。

『年は十五、六。顔は……まあ、あの奥方と領主のタネなら美形かな』
 わざとらしくぐるりと周囲を見渡し。
『お前かい?』
 娘は――どうしても娘としか見えないのだ――最後に菜ををねぶりつけた。

『……その、娘、じゃない……』
 しわがれた声がした。
 八雲であった。

『姉者!』
 菜をがはっとして声がした方角に体を動かそうとした。
 菜をの体が不自然に傾いだ。

『ほ。あちきのしびれ薬をくらっても喋れるたァね。たいしたもんだねェ。どら、顔を見せなよ』
 娘が八雲をみやると、八雲の顎がかくっとあがった。菜をは、娘の指がわずかに動いたのを見逃さなかった。
 娘はつまらなそうに八雲を値踏みした。
『ふん。お前じゃァ、役不足サ。姫君が孕むかよッ』

『う、ああああっ』
 八雲が絶叫した。
 音丸と呼ばれたこはとの母が八雲の側に立ち、刀を振りかざした。八雲に刃をつきたてているのだ。身をよじる自由はあるようで、八雲は必死に避ける。が、すんでで避けきれない。少しずつ、彼女の衣が裂け、躰のそこここに赤い花が、ぱっと咲く。
『姉者っ! やめろ!』
 菜をは絶叫した。
 いつのまにか、菜をの体の自由は奪われていた。
 しかし、声は里の者と違い、出せた。わざと、菜をの声帯は自由にさせているのだ。




 娘は菜をに近づくと、その顔を覗き込んだ。菜をの頬をべろりと舐めあげた。そして、にんまりと笑った。
 ハッと菜をが、娘の顔を見た。
 嬲っているのだ。

『やめろッ、風霧丸っ』
 音丸が娘に向かって叫んでいた。
 どうやら体の自由を娘に奪われているらしい。必死に抗じているようで、その端正な顔は歪み、厭な汗が顎から滴っていた。

『アハハハ。なにを、いい子ぶってるのサ、音丸ゥ?
いままで何人もその手で、身重の女の腹に剣をつきたててきたじゃァないかァ。
お前が、自分の赤子と暮らせないことに憤ってさア。
その女も同じだよ。お前と違って、幸せな、幸せな女サ。
さア、いつものように、腹を割いて、そのなかから赤子を取り出してみせてごらんな』

 娘は愉しげに、女を支配していた。

『……やめろっ』
 音丸が苦しげに喘いでいたが、八雲に刃をつきたてるのは止まらなかった。
 八雲は血まみれであったが、それでも菜ををみつめ名乗るなと瞳で訴えていた。
 それすらも娘は愉悦のタネにしていく。

『諏名姫ぇぇ? お前は果報モンだねェ。なかなか忠義な手下がいるじゃないサ』
『手下じゃない! みな、あたしの家族だ!』
 菜をは叫んだ。

『アハハハ。愉しいことをいうお姫ちゃんだねェ?
その家族にあんたはなにをしたのさァ?
お前のせいで、うちらが放った蜘蛛は殺された。そう、『こはと姉者』がね』
『……こはと姉者の名を口にするなっ』
 菜をの面には、あえて封印してきたきもちがあふれ出てきた。食いしばった歯の間から、喘ぐように呟くのが精一杯であった。

 風霧丸は歌うようにさらに菜をを追い詰める。

『お前が先の戦乱の折り、殺されておれば。
みィンな、こんな辺鄙な里に隠れて棲むことはなかった。
そもそもお前がいなければ、諏和賀は戦場になってないんだヨ?
そして今またお前は、もう一人の『姉者』を殺そうとしてるのさァ。因業な娘だねェ?』

 娘の言葉が菜をの心に毒のように染み込んだ。

『うぅ……』
 菜をの体から我知らず力が抜け、刀をもつ手がだらりと下がる。

『くっくっく。快楽に溺れさせて、のたうちまわらせてやろうとしたけど。
そういう表情もおいしいじゃないのさァ。
さあ、自分の手で自分の首を落としてごらんよ。
そうすれば、こいつらを見逃してやるよォ?
そらそら。早くしないと、お前の好きな『家族』とやらの心の臓に、あちきの仕込んだ毒が廻るよ。
とっとと、おしよォ』

 風霧丸が周りを指し示した。
 里の者のなかには、白目をむき泡を吹いている者が出始めていた。

『あ、ああ……』
 菜をはがっくりと首をおとしたまま、のろのろと首に刀を近づけていった。
『菜を!!』
 八雲の絶叫が響いた。
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