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第一部 再興編
姫君の伽(3)
しおりを挟む祖父が見た目通りの、好々爺ではない事を骨の髄まで知っている草太ですら、時苧の鋭さにこうして時折驚かされる。
時苧が、その吃驚した草太の顔を見てお見通しじゃ、と笑った。
「ほれ」
時苧は衣の襟を左右に広げてみせた。
草太はじっと祖父の躰を凝視する。齢60を越えるというのに、壮年の盛りを誇る屈強な身体。その、臍の左上に、草太と菜をと同じ痣があった。
(!)
草太がとくと検分しおわった、と見るや。
さりげなく乱れた襟を直し、言葉を続けた。
「小篠や奥方にはないがの。
吉蛾の由来の蛾を隠れ紋にしたものよ」
隠れ紋とは、入れ墨の一種である。特殊な技法により、躯に彫りつけられた紋だ。普段は見えないが、肌が上気したりすると浮かんでくるのだ。
(吉蛾)
草太は、幼少時の頃。
諏河のうえに黄金の蛾が落ち
その羽から生まれた土地は肥沃の大地となり
民人を豊かにし、吉兆に導いた
よって、この地は吉蛾の里と言うなり
と誰かが謡っていた事を思い出した。
「代々、吉蛾の頭領が彫り込まれるのよ。
一郎太、太郎一、ましらの勘三、そして草太、お前にな」
「じゃあ、なぜ、菜をに?」
「菜をはな……。お前に懐いていた。
あの子は小さいなりに、お前との絶対切れない絆が欲しかったんじゃろう。
儂とお前にあって自分にないもの。この隠れ紋を欲しがってな。”くれ”と言い出して聞かなんだ」
(まさかッ!)
一瞬、凶悪なものが草太の顔に浮かんだ。
(じじー、娘の体に瑕をつけやがったのかッ)
時苧は、じろりと祖父とねめつけてきた孫の眼差しを平然と見返し。
「ちゃーんと断ったよ。
ぬし、憶えておらなんだか。
儂が柔らかーく諌めようとしたら、ぬしが突然怒鳴り出しての。
『そんなことしても、お前を妹とは認めない!』とな」
(……昔のオレ、ひょっとしてもの凄ーく。まずいことを口走ってないか?)
「菜をものー。
普段、儂に反対されてもぬしに云われると、ぴたっと言う通りにするのに。
どうしても、妹である証しが欲しかったんじゃろ。
ある日、なーんか熱心に作っておるなーと思ったら、火にそれをくべての」
何を作っているんだと見守っていたたら。
「火から取り出したこてを地面においたかと思うと、迷わず背中をその上に押し付けたのよ」
「……あの馬鹿ッ、!」
ち、と草太は舌打ちをした。
(あたら女の柔肌に、傷をつけやがって!)
「ぬしがなー、それを知ってまーた烈火のごとく怒り出してなー」
時苧が明後日を見て呟いたのに、草太は嫌な汗をかいた。
(まずいッ。なんか、まずい方向にいきそうだ!)
理屈ではない、忍ぶとしての、人間としての野性の勘が草太に告げて居た。
「わ、わかった、じい様!わかったから」
(皆まで言うな!)
慌てて時苧の言葉を遮ろうとするが、遅かった。
「血相を変えて、菜をを滝つぼまで抱えていきおった。
と思ったら、冷たい水に菜をも自分もずぶぬれになりながら、浸からせておったよ。
『こんな馬鹿なやつはオレの女房にしないからな!』って怒鳴りながらのう」
(ああああ)
草太はのたうち回りそうになった。
(死ねるっ。餓鬼の頃の俺は何てことを言っとるか!)
時苧は、わざとらしそうに遠い目をした。
「思えば、ぬしは。
『菜を』でありたいあの子を『諏名姫』として。
ずぅっと見つめておったたんじゃのう……」
「~~~っ!!!」
草太は頭を抱え込んだ。
恐らく祖父に真っ赤になった己の顔を見せたくなかったからだ。
「それからじゃの。
ぬしが、どんな鍛練でもあの子を連れていくようになったのは」
(俺の戯け者……っ!)
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