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弐章 小鬼の初恋と幽玄の郷
弐 1
しおりを挟む小さな手で私の頭を撫でていた感触が残る。
あの後、喜助くんは指切りげんまんをして、あやかし書房を出て行った。
また来るねと言って。
「あらら、しおり殿気に入られちゃいましたね」
「ほんに、気に入られてしまいましたね」
左近も右近もそうぼそりと口にする。
「何だか、可愛くてつい……指切りまでしてしまいました……」
愛想笑いを顔に張り付けて、左近右近を見ると「やれやれ」と言われてしまう。
何か変な事をしたのだろうか?
小さな子供の戯れに合わせたといえば聞こえは悪いけど、私は指切りするしかなかったのではないのかな?
「容易く約束はしない方がいい。厄介なことにならなければいいが……」
後ろにいた白雲が、私に言った。
「厄介な……こと?」
聞き返すと、白雲は「はぁ……」とため息を吐く。
「まあ、しおり殿のお優しいところは良きところですぅ」
「そうそう、良きところですよねぇ」
「え? え? 厄介なことって何ですか!?」
そう三人に聞くも、皆、持ち場へと戻ってしまった。
「え~っ!」
それからも、あやかし書房はぼちぼちとお客様がやってきた。
そんなお客様の要望を聞いている、こぎつねたちの様子を見て学ぶ。
すると急に冷たい空気が、あやかし書房へと入って来た。
「白雲はん、ごきげんよう」
「やあ、雪比先生。今日はどんな御用ですか?」
サラサラの白いロングヘア―の雪比先生という女性と、同じく白い髪のロングヘア―の白雲が並んで談笑していると、そこだけが別の空間になったように思える。
「……お似合いですね、あの方は?」
と右近に聞くと、右近が「ああ」と教えてくれた。
「あのお方は、恋愛小説家の雪女の雪比先生ですぅ。また、今日もよく冷えてらっしゃいますねぇ」
「雪女の恋愛小説家? へぇ……綺麗な人」
ほんのりと薄桃色の着物がよく似合う、本当に美しい人でしばし見惚れてしまっていると、私の視線に気づかれてしまった。
「白雲はん、そこの……人間は?」
「ああ、最近うちで働きだしたんだ。挨拶して」
白雲に手招きされて、私はそそくさと美しい雪女の前に出た。
「は、春しおりといいます。よろしくお願いします!」
と挨拶をしたとたんに、急激に場の空気が凍り付く。
「ふぅん。春しおりさんねぇ。私は雪比です、以後お見知りおきを」
「は、はいっ!」
圧がすごい。
それに寒い。
「それで雪比先生、今日は資料になるような本を見に来たんでしたね? 奥へ案内しますよ」
「あら? 白雲はん自ら案内してくれますの? 嬉しい」
そういうと、私の挨拶はなかったことのように葬られ、二人はあやかし書房の奥へと消えて行った。
再び、店の空気は元の温度に戻った。
「しおり殿のこと、警戒したんですねぇ」
「雪比先生、主のことが好きですもんねぇ」
と左近と右近が話している。
「そっか……あの先生、白雲のことが好きなのね」
無愛想な白雲があんなに微笑んで接客していた。
作家先生ということもあり、特別なお客様だからなのかな。
私に微笑んだのはたった一回だけ……私がこの姿であることに驚いた時に一度だけ。
まあ、私はとつぜんここにやってきた厄介者だもの。
あ、そうそう。今のうちに聞いておこうかな。
「ところで、さっき喜助くんのこと、厄介なことにならなきゃいいけどって……どういうことなのかな?」
左近と右近がお互いの顔を見合わせて、左近が教えてくれる。
「いいですか? あのかわいい姿に騙されてはいけませんよぅ」
「そうです、そうです」
「喜助さんは、もう五十年もこのかくりよで生きていますから、いつ大人になりたいと言い出すか……徳も積んでいるでしょうし」
「あれは、たぁんと積んでいるでしょうねぇ」
「それが私に何の関係が……?」
左近と右近が同時に大きなため息を吐く。
そういえば、白雲もため息をついていたっけ。
「しおり殿、もう少し危機感をお持ちくださいな」
「お持ちくださいな」
「え? え?」
聞くと、『徳を積むと願いが叶う』というのは、婚姻も結べると言う事だという。
「いいですか? もし、喜助さんが大人の姿になってしおり殿と婚姻を結びたいと言ったとしましょう。そうすれば、あなたは喜助さんが離縁を申し出ない限り、このかくりよの世から出られなくなってしまいます」
「そうです、そうです。元の世界に戻りたいのでしょう?」
考えてもみなかったというか、知らなかった。
『徳を積むと願いが叶う』というのはそういうこともあるのだ。
「それって、断れないの?」
「徳の多い方が少ない方に従うのですよ。そう言う事になっております」
「例外もあるにはありますよねぇ」
「例外?」
「それは、教えられません。僕たちは例外を知らないのですから」
「そうそう、教えようがありませんねぇ」
そういうと、左近も右近も仕事に戻る。
……『徳を積むと願いが叶う』か。
すると再び、店の奥から冷気が足元へとやってきた。
「では、雪比先生。本はのちほどお屋敷へ届けさせます」
「白雲はんが来てくださってもええんですよ。歓迎します。何なら、このあとお食事でも」
「申し訳ありません。夕ご飯は、従業員たちと一緒にと決めておりますので」
「残念。また来させてもらいます」
雪女の雪比先生は、少しがっかりとした様子で私の横を通り過ぎる。
「……かくりよに長居せんと早うお帰り」
すれ違いざま彼女が残した言葉に、私は心底身震いした。
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