君と紡ぐうた

白川ゆい

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大切なもの side律

支え

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 飛び降りようとして、やめた。死んでも何も変わらない。いや、変わるかな?少なくとも、好きでもない人と結婚しなくてすむ。だけど私が死んだら家はどうなるの?……私は何回、同じことで悩んでるんだ。そろそろ決着を……

「死ぬの?」
「………!」

 急に声をかけられて、振り向くと明るい髪の男子生徒がいた。……この子は確か、そうだ、片桐律。彼はいつも中心にいて、かなり目立っていたから知っている。彼のクラスの英語を受け持ったことはないけれど。

「なに?死ぬほど辛いことでもあったの?」
「あなたには関係ない」
「確かに、俺先生の名前すら知らないし。……だけど俺、見逃せるほど優しくないんだよね」
「……」
「一緒に死ぬ?」
「……死のうとも思ったことない人がそんなこと言っちゃダメよ」
「……そうでもないよ」

 そう言った片桐くんの顔は、切なくて、儚げで。私は目を逸らせなかった。

「少なくとも、先生よりは死にたいって気持ち強いと思うけど」

 そういたずらに微笑まれて、私は顔が熱くなっていくのを感じた。見透かされていたんだ。本当は死にたくないってこと。本当は誰かに助けてほしいって、願ってること。

「先生」
「……」
「俺、この時間はいつもここにいる」
「……」
「慰めてほしかったらおいで」
「何様よ……!」

 口ではそう言ったけれど、私は絶対に来てしまうと思う。片桐くんには、不思議な包容力があった。初めて話した私にも『この人なら何とかしてくれるんじゃないか』って期待させるような、不思議な魅力。片桐くんがいつもみんなに囲まれている理由がわかった気がした。

「あなたも、頼っていいわよ」
「へ?」
「頼りたかったら頼りなさいって言ってんの!」

 そう言うと、片桐くんは固まった。

「な、なによ」
「先生ツンデレ?」
「はぁ?!」
「はは。俺の幼なじみの子にすっげー似てんだもん」
「付き合ってるの?」
「なんで?」
「すっごく嬉しそうな顔してるから」
「付き合ってないよ、告白はされたけど」
「好きじゃないの?」
「好きだよ、可愛いし。だけどそういう好きじゃない」
「好きな人がいるの?」
「いる」
「そうなんだ」
「妹だけどね」
「妹?妹が好きなの?」
「うん。すっげー可愛いの。聞いてくれる?」

 それから片桐くんは、妹さんについて本当に楽しそうに喋った。片桐くんが妹さんをどれだけ大切にしているかが伝わってきた。

「妹に恋愛感情があるの?」
「もしそうだとしたら、軽蔑する?」
「……しないわ、たぶん」
「たぶんって。正直な人だな」
「だって、もし自分が親だったらやっぱり」
「そうだなぁ。ま、それはないよ。恋愛感情なんかで片付けられない。家族愛なんかでも片付けられない」
「難しいね」
「確かに。自分でもよくわかんねーよ。ただ、アイツよりも大事なものなんてできない。絶対に。ま、病んでるもの同士仲良くやろうよ」

 片桐くんはそう言って笑った。だから私も笑顔を返した。

「笑顔初めて見た」
「片桐くんが笑いすぎなんだよ」
「そうかも」

 私はまだ、わかっていなかったけれど。彼のすべては、妹さんでできていた。彼に包容力がある理由。彼がよく笑う理由。彼の素敵なところは全部、妹さんが理由だった。


「先生、ここわかんない」
「あぁ、ここはね……」

 高2の秋。進学校であるこの学校では、もうすでに受験の準備を始めている子がほとんど。そういえば片桐くんも2年生だ。勉強とかしてるのかな。真剣に勉強してるところ想像できないけどな。
 そんなことを考えていると

「先生」

 男子生徒に声をかけられた。この子は確か

「どうしたの?福島くん」

 福島楓。私はよく女子生徒から恋愛相談を受けるから知っている。その女の子たちは絶対に泣いていて。みんな『好きな人がいるからって福島くんに振られた』と言った。見た目は軽そうなのに意外と一途らしい。……それは片桐くんも一緒か。

「先生、わからないところがあるので放課後準備室に行っていいですか?」

 放課後、か。

「あの、放課後は……」
「屋上に行くから、無理?」

 驚いて顔を上げた。どうしてこの子が知っているんだろう。探るように福島くんの目を見ても、何も読み取れなかった。

「……いいわ、来て」
「ありがと、先生」

 福島くんはどこまで知ってるんだろう。片桐くんと話していたことは?……私がいつも、飛び降りようとしていたことは?
 放課後、福島くんは本当に準備室に来た。けれど屋上でのことは何も言わず、真剣に英語の質問をしてきた。

「頑張るのね」
「うん、俺大学で国際関係勉強したいから」
「じゃあ英語は絶対必要なんだ」
「まぁねー。先生教えるのうまいから助かってる」
「そう?よかった」
「律は法学部行きたいらしいよ」
「……そう、って、え?!」
「だから、法学部」

 なんで、急に片桐くんの話?やっぱり福島くんは聞いていたのかな。昨日の放課後の、屋上での会話。

「……昨日、聞いてたの?」
「言っとくけど俺のほうが先客だったよ?」
「……盗み聞きなんて悪趣味」
「聞こえてきたんだって。俺先生にも律にも興味ないよ」

 福島くんって、意外にズバズバ言うタイプらしい。『いつも優しくて王子様みたい』ってみんな言ってたんだけどな。

「片桐くんと友達じゃないの?」
「友達じゃない。でも一緒にいるのはアイツが一番楽」
「……よくわかんない」
「お互いに干渉しないから」
「薄っぺらいの?」
「うん。だけどいいんだよこれで。俺、本当は王子様なんかじゃいし」
「知ってるんだ。自分が王子様って言われてるの」
「うん。一週間に何回告白されると思ってんの」

 ……今の発言、彼女いない男の子が聞いたら殴りたくなるだろうな。だけどなぜか私には嫌みに聞こえなかった。本当のことだと思うし。ちゃんと告白を聞いて、返事をしているだけでも偉いと思う。

「ほんとは腹の中で黒いことばっか考えてる」
「……」
「誰にもバレてないと思ってたら、律にはバレてた」
「……」
「ま、そういう奴だよ律は」

 福島くんはそう言って笑った。友達じゃないとは言っていたけど、慕っているんだと思う。
 片桐くんは、難しい。妹さんへの感情といい、福島くんとの関係といい。私にはよく理解できない。でも片桐くんがすごく魅力的な人だと言うことだけはわかった。
 それにしても、福島くんはどうして私に片桐くんの話をしたんだろう。それを聞くと、福島くんはあっさり答えた。

「え、先生律のこと好きなんでしょ?」
「な……、そんなわけないでしょ!」
「なんで?」
「片桐くんは生徒だし、私は教師なの!」
「そう言ってる時点でもう好きだと思うよ。ほんとに興味なかったら教師だとか生徒とか以前の問題だし」

 ……なるほど。さすがモテ男は言うことが違う。

「で、でも!昨日会ったばかりで……」
「そんなの関係ないよ。物心ついた瞬間に好きって自覚する場合もあるんだし」
「それとこれとは……」
「失礼しまーす……」

 誰かが入ってきたことで、私は自分がムキになっていたことに気づいた。

「福島さん、どうしたの?」

 準備室に入ってきたのは、1年生の福島椿さんだった。私は彼女のクラスの英語も受け持っているから知っている。彼女は綺麗だけど控えめで、クラスでも特に目立っているわけではなかった。特に親しく話しているわけではない。どうしたんだろう。

「……椿」

 そう言ったのは福島くんだった。

「楓、あの、ごめん。屋上行ったけどいなかったから心配になって」
「メール見てない?」
「今日、携帯忘れて……」
「あ、そういや朝言ってたな。悪い。行こうか」

 ……二人は、付き合っているんのだろうか。福島くん、すっごく優しい顔してるし。名前で呼び合ってるし。……ん?でも同じ苗字……

「先生、ありがとう。またよろしく」
「え?あ、うん……」
「先生も一緒に屋上行く?たぶん律いるよ」
「っ、私はいい!」

 福島くんはニヤニヤ笑っていた。これからずっとからかわれるのかと思うと心が重くなった。
 ふぅ、とため息を吐いて椅子に座った時だった。ピリリ、と色気のない携帯の着信の音が響いた。それは、母からの電話で。私はまたため息を吐いて電話に出た。

「……もしもし」
『希?あなたわかってるわよね?今日7時から』
「わかってます。ちゃんと行くわ」
『絶対よ?来なかったらお母さんがお父さんになんて言われるか』
「……はい」

 いつも、そうだった。父は自分の会社を大きくすることにしか興味がなくて。母はどうしたら父の機嫌を損ねないかだけを考えてる。2人ともに不倫相手がいることももちろん知っている。……だから絶対に、好きじゃない人となんて結婚したくない。父と母のようには、なりたくない。
 電話を切ると、私は帰る準備を始めた。……今日は結局、屋上には行けなかったな。別に行きたかったわけじゃないけど。
 午後7時。私はお母さんと一緒に高級料亭にいた。

「失礼のないようにね」
「……はい」

 お母さんが開けた襖の奥には、私の婚約者とそのご両親。私はため息を吐きたくたるのをこらえて笑顔を作った。

「こんばんは、希さん」
「こんばんは」

 私の婚約者は、大企業の御曹司。だからといってそれに甘えているわけではなく、仕事もかなりできるらしい。モデルみたいなスタイルで、顔もかなりのイケメン。気づかいがうまくて優しい。完璧な人。こういう形で出会っていなければ私も好きになっていたかもしれない。こうして会うのは5回目。両親は2人になれるようにと別室に行った。

「2人きりは初めてですね」
「……はい。あの、蓮見さん……っ」
「そろそろ名前で呼んでいただけませんか」

 そう微笑まれて、戸惑う。だって今、縁談はなしにしてほしいと言おうとしたから。

「……希さん」
「……はい」
「希さんは高校で先生をされてるんですよね。よければ生徒の話を聞かせてもらえませんか」

 変わらずニコニコしている蓮見さんの意図は読み取れなくて。私はとりあえず学校のことを話すことにした。

「えっと……私は1、2年生の英語を受け持ってます。進学校だからみんな勉強大変そうだけどとってもいい子たちです」
「変わった生徒とかいますか?」
「変わった生徒……」

 その時私の頭に浮かんだのは片桐くんの笑顔だった。

「います……いつも、ニコニコしてる男の子」
「へぇ」
「人に頼られるばかりで、自分は人に甘える方法を知らない。みんなそれをわかっているのに、彼に頼ることをやめられない。不思議な子です……」

 昨日、初めて話した。それなのにもっと前から彼のことを知ってる気がした。どうしてなのかは、わからない。でも今、すっごく彼に会いたいことだけは確かだった。

「……すみません。私、行かなきゃいけないところができました」

 私はそう言って立ち上がった。蓮見さんは何も言わなかった。だけどニコリと笑った。私は蓮見さんにペコリと頭を下げると走り出した。どこにいるかなんて知らない。連絡先も知らない。もちろん家も知らない。今会えるのは、奇跡に等しい。それなのになぜか会えるような気がした。彼は、あそこにいるような気がした。
 タクシーを降りると、私はまた走り出した。毎日来ている学校。真っ暗な学校は不気味で、でもなぜか怖くなんかなくて。私はただ屋上に向かって走った。疲れも、息切れも感じない。こんなに必死になったのは生まれて初めてかもしれない。
 家に帰ったら怒られるんだろうな。お父さんには殴られちゃうかもしれない。でもそんなこと今はどうでもよかった。
 彼に会えたら、全部吹き飛んでしまう気がした。屋上の扉の前に立つと、私は深呼吸をした。そしてゆっくりと、扉を開けた……
 彼の後姿を見た瞬間、涙が零れた。やっぱり、彼はいた。真っ暗な闇の中で、ただ静かに座っていた。

「……片桐くん」
「……どしたの、先生」

 こっちを向かなくてもわかったらしい。1日ぶりの片桐くんの声に、私の胸は大きく震えた。

「こんな時間に、どうしてこんなところにいるの」
「先生が、来ると思ったから」
「……っ、そんなこと言って、来なかったらどうするの」
「わかってたよ、先生が来ることぐらい。先生、今なら抱き締めてあげるけど、どうする?」

 そう言って片桐くんが腕を広げるから、私は思い切り彼の腕に飛び込んだ。そして私は彼の腕の中で、ゆっくりと話した。

「私ね、本当は結婚なんかしたくないの」
「うん」
「蓮見さんはすっごく優しいし、結婚したら幸せになれると思う。でもやっぱりこの人じゃなきゃやだって思える人と結婚したい」
「うん」
「でもこんなこと両親に言う勇気もない。こんな弱虫な自分大嫌い」
「そっか」
「だから嫌になって、自殺しようとしたの。くだらないでしょ」
「それは、人それぞれじゃん。先生にとってそんなに嫌なことなら、自殺したくなるかもしれない。人の目なんて気にしなくていいよ」
「うん、そうだね……」

 片桐くんの腕の中は、心地よかった。2人だけの時間がずっと続いてほしいと本気で思った。

「ねぇ」
「んー?」
「片桐くんも、私に寄りかかっていいからね」
「……」
「一緒に、泣いてあげるから」
「……うん」

 片桐くんは私の頭に顔を埋めた。泣いてはいなかったと思うけど。彼の体が震えているのはわかった。
 私には、わからない。妹さんへの感情がどういうものなのかもよくわかんないし。妹さんとどういう関係なのかもわかんないし。でも、私は彼を支えたいと思った。彼を、愛しいと思った。その気持ちが、私を生かす唯一ものだった。
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