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君と紡ぐうた
不器用な愛
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いつも冷静な莉奈の声が珍しく焦ってたから。おかしいとは思ったんだ。あまりの衝撃に、携帯を落としかけた。私の様子がおかしいことに気付いた兄が携帯を奪う。そして少し話した後、私の手を引いて立ち上がった。
「り、りっくん……」
「帰ろう」
「りっくんは……」
「俺も。俺も一緒に帰るから」
その言葉に、少し安心する。けれどさっきから何度も頭の中で繰り返される言葉。椿さんが連れ戻されたっていう、事実。楓さんと椿さんの気持ちを思うと、胸が張り裂けそうだった。
兄と私は新幹線に乗り込んだ。座席に座ってからも、兄は私の手を握ったまま。
……りっくんがいてくれて、よかった。1人だったら、不安に押し潰されそうだったから。
「……なぁ、ハル」
新幹線の中で、兄が呟く。私に話しかけているようで、だけど独り言のように。
「どんだけ想っても、報われない想いってあんだな」
兄の、私の手を握る力がキュッと強くなって。すぐに弛んだ。
駅に着くと、私たちはタクシーに乗ってお城を目指した。早く着いてほしい気持ちと、現実を見るのが怖い気持ち。それが一緒に来て、心の中がぐちゃぐちゃだった。
そしてとうとう、タクシーがお城に到着した。スタジオに入ると、莉奈が私とりっくんを泣きそうな顔で見たのがまず目に入った。次に、黒いソファーに座るエージさん。足を組んでジッとどこかを見つめている。翼さんは壁にもたれて立ち、何かに耐えるように歯を噛み締めていた。……そして、楓さんは。一番落ち着いているように見えた。ソファーに座って、背もたれに背を預けて。穏やかに、いつもの王子スマイルで言ったんだ。
「おかえり」
って……。わけがわからなくて。一番辛いはずの楓さんがどうしてあんなに普通なんだろう……。そして、翼さんと反対側にいる人を見て、私は絶句した。
「……んで、お前が……」
兄も納得が行かない様子。その人は私を見て、ハッキリと言った。
「あなたが、私の言うこと聞かないからよ」
その人……茜さんは、私を見て不敵に笑った。
「まさ、か……」
「そうだよ」
私の震える声に、楓さんの穏やかな声が答えた。
「茜ちゃんがご丁寧に俺の親に椿の居場所を伝えてくれたんだ」
「楓、さ……っ」
「本当にありがた迷惑だよ。まさかこんなに嬉しくない優しさがあったなんて」
……ダメだ、楓さんがキレてる。楓さんはフッと笑うと立ち上がった。
「おかげで、椿は泣き叫びながら車に乗せられたよ」
いつも通りに見える楓さん。しっかりした足取りで、茜さんの元へ向かう。……そして。ダンッ!と茜さんの顔のすぐそばの壁を殴った。茜さんの顔が青ざめる。
「まさかここまで自分のことしか考えられない人間がいたなんて驚きだよ」
私はその時、初めて楓さんを怖いと思った。いつか、楓さんが言ってたことを思い出す。
『俺、感情がないんだ』
……ダメだ、このままじゃ。楓さん、何するかわかんない。私は急いで楓さんに駆け寄った。
「楓さん、待って!」
楓さんが私を見る。……冷たい目。こんな目、初めて見た。
「…悪いけど。ハルちゃんに言われても止められねぇ」
声は、いつもの楓さんなのに。怒りを堪えるように、楓さんは声を絞り出しているみたいだ。
「この人を殴っても楓さんが傷つくだけです!」
……すでに、さっき壁を殴った右手から血が滴り落ちてる。私はその手を握り締めた。
「……大事な、手なのに……」
「大事な女も、守れない手なのにか?」
「……っ」
楓さんは、自嘲するように笑った。
「……悪い。ちょっと1人にさせて」
楓さんはそう言うと、スタジオを出て行った。シン、とするスタジオ。私はただ、楓さんの血がついた自分の手を見て呆然としていた。……その時だった。
「……なぁ」
静まりかえるスタジオに響く低い声。みんなの視線がその声の主・エージさんに向かった。
「あんたは、俺が陽乃と別れたら満足なのか」
「……っ」
エージさんの目は、茜さんに向かっている。茜さんはさらに青ざめていってるような気がした。
「もし俺が陽乃と別れても、俺はあんたを好きにならねぇ。それでも別れてほしいのか」
茜さんの瞳が揺れる。そして、震えながら、絞り出すように声を出した。
「そういう、ことじゃなくて……」
「そういうことって?」
「私を、好きになってほしいわけじゃなくて……」
「……」
「ただ、私も英司くんを見てるんだってこと、知ってほしくて……」
茜さんの声はどんどん小さくなっていって。最後のほうは聞き取りづらかったけど、エージさんにはちゃんと聞こえてたみたいだ。
「あぁ、知ってるよ。すっげー迷惑だけどな」
エージさんはハッキリと、いつもと同じ口調でかなりキツいことを言った。
「……いいよ、付き合っても」
「……っ」
「あんたがそれで黙るなら。形だけになるけど付き合おうか」
茜さんの顔は一瞬輝いて、すぐに歪んだ。目には涙が浮かんでいるようだった。
「そういうことじゃ、なくて……」
「俺にとってもそういうことじゃねぇんだけどな」
エージさんは立ち上がると、私のほうに向かってきた。そして私の頭にポンと手を置くと、優しく。本当に優しく微笑んだ。
「俺がコイツをそばに置く理由、わかるか」
「……」
茜さんの視線を感じる。けれどそれにいつものような鋭さはなくて。私はただ、エージさんの優しい瞳に見惚れていた。
「……コイツはいつも、自分が傷つくことなんて考えねぇんだよ」
「……っ」
「律がキレても楓がキレても、俺がキレても。絶対に止めようとする」
「……」
「それで自分が怪我しても絶対相手を責めない。そんな……そんな強さに惹かれる」
「……」
「俺もコイツみたいに強くなりたい。自分のことなんて省みずに、相手のことを考えられる強さが欲しい」
……本当は、今すぐエージさんに抱き着きたかったんだ。でもここには兄もいるし、何より茜さんがいるし。ウズウズしていると、茜さんが呟いた。
「……英司くん」
本当に小さな声。でもエージさんはそれにもしっかり反応する。ちゃんと、茜さんの言葉を聞こうとしているんだ。
「ごめんなさい」
茜さんは深く、頭を下げた。あの茜さんが。
「自分のことしか考えられなくて。迷惑かけてごめんなさい」
エージさんは、何も言わなかった。茜さんはエージさんをジッと見て言葉を待っているようだったけど。諦めたのか、スタジオを出て行った。
「お手」
エージさんはいつも通り嬉しそうに私に手を差し出す。……かと思えば。
「りな」
急にエージさんに呼ばれた莉奈は体を揺らす。そりゃそうだ。さっきとは雰囲気が違いすぎてビックリするよね。私もまだ慣れない……。
「楓んとこ行け」
「え……」
ハルのほうがいいんじゃ……と莉奈は続けた。けれどエージさんは意見を変えなかった。真意はわからない。でもエージさんが莉奈のほうがいいって言うんだから莉奈がいいんだろう。
「……莉奈、お願い」
私が言うと、莉奈は困ったような顔をしながらも出て行った。
「翼、メシ食いに行こうぜ」
明らかに莉奈と楓さんを気にしてる翼さんを兄は無理やり連れ出した。二人きりになったスタジオ。未だに手を差し出したままのエージさんに、私は話しかけた。
「楓さんと椿さん、どうなるんですかね……」
「さぁな」
私が手を無視したこともさほど気にせず、エージさんは大きいほうのソファーに寝転んだ。
「さぁなって……。気にならないんですか?」
「あぁ。このほうがよかったんじゃねぇのか」
「え……」
「まぁ、ここからは楓が決めることだから」
エージさんは私に手招きをする。私が行くと、エージさんは私をソファーに座らせて膝の上に頭を乗せた。……膝枕。初めてじゃないけどすごく恥ずかしい。
「律とはどうなった」
「あ……」
そういえば。エージさんのおかげで向き合えたんだった。
「ありがとうございました」
エージさんはフッと笑って目を閉じる。私の言葉ですべて察してくれたらしい。
「5時まで寝る」
昨日は京都から帰った後すぐにバイトだったみたいだし、今日もバイトの後いろいろあったし、寝てないんだろう。私が頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細めた。
トントン。優しく肩を叩かれた気がして目を開ける。膝元を見ればエージさんの綺麗な寝顔。つられて私まで眠ってしまったみたいだ。
「ハルちゃん、おはよ」
そんな声が聞こえて、見上げれば王子スマイルの楓さん。
「あ、楓さん……今何時ですか?」
「4時だよ」
そうですか……と答えて一瞬考える。楓さん…楓さん?!バッと今度は勢いよく振り返ればやっぱりいつも通りの楓さん。椿さんが連れ戻されたのが嘘みたいに、いつも通り。
「大丈夫、ですか……?」
恐る恐るそう問いかければ、もちろんという穏やかな声が返ってきた。
「ハルちゃんにお願いがあるんだけど」
「なんですか……?」
「俺とデートしない?」
「は?」
キョトンとする私を、楓さんは優しく見つめる。どうしたんだろう。なんで急にデート?それに、莉奈はどこに行ったんだろう。
「ね、行こう。5時までには戻るから」
「え、でも……」
私がエージさんを気にしてるのに気付いたのか、楓さんはエージさんの耳元で言った。
「英司、ちょっとハルちゃん借りる。5時には戻るから」
その言葉が聞こえたのか聞こえていないのか、エージさんはんー、と唸った。
「よし、了解得たから行こう」
それを了承と捉えたらしい楓さんは、なんとかエージさんの頭を膝からソファーに移した私をスタジオから連れ出したのだった。
「急にごめんね」
楓さんが車を運転しながら急に言葉を発した。初めての楓さんの車の助手席に戸惑いながらも、私は「全然大丈夫です」と返した。
「ハルちゃんに癒されたい気分だったんだ」
楓さん、普通にしてるけど。本当はものすごくダメージ受けてるんだろうな。
「楓さん、辛いならそれを周りに見せてもいいんですよ?」
そう言うと、楓さんは一瞬目を見開いてすぐに細めた。
「俺、ハルちゃんを好きになればよかった」
「え……」
「英司が羨ましいよ」
楓さんはそれ以上何も言わなかった。だけどその言葉に色々な意味が含まれている気がして。考え込まずにはいられなかったんだ。
「コーヒーでも飲もうか。あ、ハルちゃんは違うのがいい?」
「あ、ホットココアがいいです」
「了解。ちょっと待ってて」
隣町の小さな公園で私たちは車を降りた。ここならきっと、楓さんを知っている人はいないだろう。私は近くにあったベンチに座って楓さんを待つことにした。
しばらくすると楓さんが戻ってきて、温かいココアをくれた。少し寒くなってきたから、そのココアが心まで温めてくれる気がした。
「ねぇ、ハルちゃんはどうして英司を好きになったの?」
いきなりの質問に戸惑う。なんでエージさんを好きになったのか?……そんなのわかんない……ってエージさんに言ったら怒られそう。
「そんなのわかんないよね」
けれど心の中で思ってたことを楓さんに言い当てられて、ギョッとする。なぜ……、この人もしかして心が読めるから女の子にモテるのか?!なんてバカなことを考えていると。楓さんにクスリと笑われた。
「本当に好きなら、理由なんていらないよね」
「……」
そう…なのかもしれない。エージさんの好きなところはいっぱいある。けれど、もし他の人がエージさんのいいところを全部持っていたとしても私はその人を好きにならないんだろう。きっと私は『エージさんだから』好きなんだ。
「俺、さ……最近」
「……」
「椿を好きな理由をずっと探してた。まるで、椿の好きなところを見つけて、俺はやっぱり椿が好きなんだって自分自身に思い込ませるみたいに」
「……っ」
「俺ら、さ」
楓さんが立ち上がる。そして私をまっすぐ見た。楓さんのさらさらな髪を風が揺らす。
「別れてたんだ。椿に振られた」
「……!」
「楓が見てるのは、もう私じゃないよねって……」
初めて聞く事実に、胸が張り裂けそう。まさかあんなに愛し合っていた2人が、自ら別れるなんて……。
「……抱くことも、できなかったよ」
「楓さん……」
「他の女とはバカみたいにヤッてんのに。椿は一度も抱けなかった」
「……」
「そんだけ、好きだったのになぁ……」
楓さんは自嘲するように笑った。まただ。また一人ぼっちみたいな顔してる。まるでこの世に、自分しかいないような顔。私は立ち上がると、ギュッと楓さんの手を握った。何も言えないし何も出来ないけど。私の体温を伝えたかった。楓さんは一人ぼっちじゃないってこと、伝えたかった。
「もう少しうまく、椿を愛してあげたかった……」
楓さんはそう言って、私の首筋に顔を埋めた。体が震えてる気がしたのは、絶対に私の気のせいじゃないと思う。
「り、りっくん……」
「帰ろう」
「りっくんは……」
「俺も。俺も一緒に帰るから」
その言葉に、少し安心する。けれどさっきから何度も頭の中で繰り返される言葉。椿さんが連れ戻されたっていう、事実。楓さんと椿さんの気持ちを思うと、胸が張り裂けそうだった。
兄と私は新幹線に乗り込んだ。座席に座ってからも、兄は私の手を握ったまま。
……りっくんがいてくれて、よかった。1人だったら、不安に押し潰されそうだったから。
「……なぁ、ハル」
新幹線の中で、兄が呟く。私に話しかけているようで、だけど独り言のように。
「どんだけ想っても、報われない想いってあんだな」
兄の、私の手を握る力がキュッと強くなって。すぐに弛んだ。
駅に着くと、私たちはタクシーに乗ってお城を目指した。早く着いてほしい気持ちと、現実を見るのが怖い気持ち。それが一緒に来て、心の中がぐちゃぐちゃだった。
そしてとうとう、タクシーがお城に到着した。スタジオに入ると、莉奈が私とりっくんを泣きそうな顔で見たのがまず目に入った。次に、黒いソファーに座るエージさん。足を組んでジッとどこかを見つめている。翼さんは壁にもたれて立ち、何かに耐えるように歯を噛み締めていた。……そして、楓さんは。一番落ち着いているように見えた。ソファーに座って、背もたれに背を預けて。穏やかに、いつもの王子スマイルで言ったんだ。
「おかえり」
って……。わけがわからなくて。一番辛いはずの楓さんがどうしてあんなに普通なんだろう……。そして、翼さんと反対側にいる人を見て、私は絶句した。
「……んで、お前が……」
兄も納得が行かない様子。その人は私を見て、ハッキリと言った。
「あなたが、私の言うこと聞かないからよ」
その人……茜さんは、私を見て不敵に笑った。
「まさ、か……」
「そうだよ」
私の震える声に、楓さんの穏やかな声が答えた。
「茜ちゃんがご丁寧に俺の親に椿の居場所を伝えてくれたんだ」
「楓、さ……っ」
「本当にありがた迷惑だよ。まさかこんなに嬉しくない優しさがあったなんて」
……ダメだ、楓さんがキレてる。楓さんはフッと笑うと立ち上がった。
「おかげで、椿は泣き叫びながら車に乗せられたよ」
いつも通りに見える楓さん。しっかりした足取りで、茜さんの元へ向かう。……そして。ダンッ!と茜さんの顔のすぐそばの壁を殴った。茜さんの顔が青ざめる。
「まさかここまで自分のことしか考えられない人間がいたなんて驚きだよ」
私はその時、初めて楓さんを怖いと思った。いつか、楓さんが言ってたことを思い出す。
『俺、感情がないんだ』
……ダメだ、このままじゃ。楓さん、何するかわかんない。私は急いで楓さんに駆け寄った。
「楓さん、待って!」
楓さんが私を見る。……冷たい目。こんな目、初めて見た。
「…悪いけど。ハルちゃんに言われても止められねぇ」
声は、いつもの楓さんなのに。怒りを堪えるように、楓さんは声を絞り出しているみたいだ。
「この人を殴っても楓さんが傷つくだけです!」
……すでに、さっき壁を殴った右手から血が滴り落ちてる。私はその手を握り締めた。
「……大事な、手なのに……」
「大事な女も、守れない手なのにか?」
「……っ」
楓さんは、自嘲するように笑った。
「……悪い。ちょっと1人にさせて」
楓さんはそう言うと、スタジオを出て行った。シン、とするスタジオ。私はただ、楓さんの血がついた自分の手を見て呆然としていた。……その時だった。
「……なぁ」
静まりかえるスタジオに響く低い声。みんなの視線がその声の主・エージさんに向かった。
「あんたは、俺が陽乃と別れたら満足なのか」
「……っ」
エージさんの目は、茜さんに向かっている。茜さんはさらに青ざめていってるような気がした。
「もし俺が陽乃と別れても、俺はあんたを好きにならねぇ。それでも別れてほしいのか」
茜さんの瞳が揺れる。そして、震えながら、絞り出すように声を出した。
「そういう、ことじゃなくて……」
「そういうことって?」
「私を、好きになってほしいわけじゃなくて……」
「……」
「ただ、私も英司くんを見てるんだってこと、知ってほしくて……」
茜さんの声はどんどん小さくなっていって。最後のほうは聞き取りづらかったけど、エージさんにはちゃんと聞こえてたみたいだ。
「あぁ、知ってるよ。すっげー迷惑だけどな」
エージさんはハッキリと、いつもと同じ口調でかなりキツいことを言った。
「……いいよ、付き合っても」
「……っ」
「あんたがそれで黙るなら。形だけになるけど付き合おうか」
茜さんの顔は一瞬輝いて、すぐに歪んだ。目には涙が浮かんでいるようだった。
「そういうことじゃ、なくて……」
「俺にとってもそういうことじゃねぇんだけどな」
エージさんは立ち上がると、私のほうに向かってきた。そして私の頭にポンと手を置くと、優しく。本当に優しく微笑んだ。
「俺がコイツをそばに置く理由、わかるか」
「……」
茜さんの視線を感じる。けれどそれにいつものような鋭さはなくて。私はただ、エージさんの優しい瞳に見惚れていた。
「……コイツはいつも、自分が傷つくことなんて考えねぇんだよ」
「……っ」
「律がキレても楓がキレても、俺がキレても。絶対に止めようとする」
「……」
「それで自分が怪我しても絶対相手を責めない。そんな……そんな強さに惹かれる」
「……」
「俺もコイツみたいに強くなりたい。自分のことなんて省みずに、相手のことを考えられる強さが欲しい」
……本当は、今すぐエージさんに抱き着きたかったんだ。でもここには兄もいるし、何より茜さんがいるし。ウズウズしていると、茜さんが呟いた。
「……英司くん」
本当に小さな声。でもエージさんはそれにもしっかり反応する。ちゃんと、茜さんの言葉を聞こうとしているんだ。
「ごめんなさい」
茜さんは深く、頭を下げた。あの茜さんが。
「自分のことしか考えられなくて。迷惑かけてごめんなさい」
エージさんは、何も言わなかった。茜さんはエージさんをジッと見て言葉を待っているようだったけど。諦めたのか、スタジオを出て行った。
「お手」
エージさんはいつも通り嬉しそうに私に手を差し出す。……かと思えば。
「りな」
急にエージさんに呼ばれた莉奈は体を揺らす。そりゃそうだ。さっきとは雰囲気が違いすぎてビックリするよね。私もまだ慣れない……。
「楓んとこ行け」
「え……」
ハルのほうがいいんじゃ……と莉奈は続けた。けれどエージさんは意見を変えなかった。真意はわからない。でもエージさんが莉奈のほうがいいって言うんだから莉奈がいいんだろう。
「……莉奈、お願い」
私が言うと、莉奈は困ったような顔をしながらも出て行った。
「翼、メシ食いに行こうぜ」
明らかに莉奈と楓さんを気にしてる翼さんを兄は無理やり連れ出した。二人きりになったスタジオ。未だに手を差し出したままのエージさんに、私は話しかけた。
「楓さんと椿さん、どうなるんですかね……」
「さぁな」
私が手を無視したこともさほど気にせず、エージさんは大きいほうのソファーに寝転んだ。
「さぁなって……。気にならないんですか?」
「あぁ。このほうがよかったんじゃねぇのか」
「え……」
「まぁ、ここからは楓が決めることだから」
エージさんは私に手招きをする。私が行くと、エージさんは私をソファーに座らせて膝の上に頭を乗せた。……膝枕。初めてじゃないけどすごく恥ずかしい。
「律とはどうなった」
「あ……」
そういえば。エージさんのおかげで向き合えたんだった。
「ありがとうございました」
エージさんはフッと笑って目を閉じる。私の言葉ですべて察してくれたらしい。
「5時まで寝る」
昨日は京都から帰った後すぐにバイトだったみたいだし、今日もバイトの後いろいろあったし、寝てないんだろう。私が頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細めた。
トントン。優しく肩を叩かれた気がして目を開ける。膝元を見ればエージさんの綺麗な寝顔。つられて私まで眠ってしまったみたいだ。
「ハルちゃん、おはよ」
そんな声が聞こえて、見上げれば王子スマイルの楓さん。
「あ、楓さん……今何時ですか?」
「4時だよ」
そうですか……と答えて一瞬考える。楓さん…楓さん?!バッと今度は勢いよく振り返ればやっぱりいつも通りの楓さん。椿さんが連れ戻されたのが嘘みたいに、いつも通り。
「大丈夫、ですか……?」
恐る恐るそう問いかければ、もちろんという穏やかな声が返ってきた。
「ハルちゃんにお願いがあるんだけど」
「なんですか……?」
「俺とデートしない?」
「は?」
キョトンとする私を、楓さんは優しく見つめる。どうしたんだろう。なんで急にデート?それに、莉奈はどこに行ったんだろう。
「ね、行こう。5時までには戻るから」
「え、でも……」
私がエージさんを気にしてるのに気付いたのか、楓さんはエージさんの耳元で言った。
「英司、ちょっとハルちゃん借りる。5時には戻るから」
その言葉が聞こえたのか聞こえていないのか、エージさんはんー、と唸った。
「よし、了解得たから行こう」
それを了承と捉えたらしい楓さんは、なんとかエージさんの頭を膝からソファーに移した私をスタジオから連れ出したのだった。
「急にごめんね」
楓さんが車を運転しながら急に言葉を発した。初めての楓さんの車の助手席に戸惑いながらも、私は「全然大丈夫です」と返した。
「ハルちゃんに癒されたい気分だったんだ」
楓さん、普通にしてるけど。本当はものすごくダメージ受けてるんだろうな。
「楓さん、辛いならそれを周りに見せてもいいんですよ?」
そう言うと、楓さんは一瞬目を見開いてすぐに細めた。
「俺、ハルちゃんを好きになればよかった」
「え……」
「英司が羨ましいよ」
楓さんはそれ以上何も言わなかった。だけどその言葉に色々な意味が含まれている気がして。考え込まずにはいられなかったんだ。
「コーヒーでも飲もうか。あ、ハルちゃんは違うのがいい?」
「あ、ホットココアがいいです」
「了解。ちょっと待ってて」
隣町の小さな公園で私たちは車を降りた。ここならきっと、楓さんを知っている人はいないだろう。私は近くにあったベンチに座って楓さんを待つことにした。
しばらくすると楓さんが戻ってきて、温かいココアをくれた。少し寒くなってきたから、そのココアが心まで温めてくれる気がした。
「ねぇ、ハルちゃんはどうして英司を好きになったの?」
いきなりの質問に戸惑う。なんでエージさんを好きになったのか?……そんなのわかんない……ってエージさんに言ったら怒られそう。
「そんなのわかんないよね」
けれど心の中で思ってたことを楓さんに言い当てられて、ギョッとする。なぜ……、この人もしかして心が読めるから女の子にモテるのか?!なんてバカなことを考えていると。楓さんにクスリと笑われた。
「本当に好きなら、理由なんていらないよね」
「……」
そう…なのかもしれない。エージさんの好きなところはいっぱいある。けれど、もし他の人がエージさんのいいところを全部持っていたとしても私はその人を好きにならないんだろう。きっと私は『エージさんだから』好きなんだ。
「俺、さ……最近」
「……」
「椿を好きな理由をずっと探してた。まるで、椿の好きなところを見つけて、俺はやっぱり椿が好きなんだって自分自身に思い込ませるみたいに」
「……っ」
「俺ら、さ」
楓さんが立ち上がる。そして私をまっすぐ見た。楓さんのさらさらな髪を風が揺らす。
「別れてたんだ。椿に振られた」
「……!」
「楓が見てるのは、もう私じゃないよねって……」
初めて聞く事実に、胸が張り裂けそう。まさかあんなに愛し合っていた2人が、自ら別れるなんて……。
「……抱くことも、できなかったよ」
「楓さん……」
「他の女とはバカみたいにヤッてんのに。椿は一度も抱けなかった」
「……」
「そんだけ、好きだったのになぁ……」
楓さんは自嘲するように笑った。まただ。また一人ぼっちみたいな顔してる。まるでこの世に、自分しかいないような顔。私は立ち上がると、ギュッと楓さんの手を握った。何も言えないし何も出来ないけど。私の体温を伝えたかった。楓さんは一人ぼっちじゃないってこと、伝えたかった。
「もう少しうまく、椿を愛してあげたかった……」
楓さんはそう言って、私の首筋に顔を埋めた。体が震えてる気がしたのは、絶対に私の気のせいじゃないと思う。
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