ひだまりの庭

白川ゆい

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降り続く

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 雨がしとしとと降り続き、なかなか止まない日だった。今日は一日中雨か。テレビで流れる天気予報を聞きながら空を見上げる。その時、家の電話が鳴った。一応携帯は持っているが(もちろんガラケー)、どこに置いてあるか分からないほど放置していることを知っている原田はいつも用事があると家の電話に掛けてくる。

「あい」
『先生すみません、今日うちの社に来ていただけませんか?』
「えーーーーーー」
『その反応予想通りです』
「雨降ってっしなぁ」
『雲一つない晴天でも嫌がるでしょうが。先生が今度書きたいって言ってた歴史ものの分野の著名な先生が今日たまたまいらっしゃるんです。お話聞く時間設けていただきましたから』
「…………」
『先生』
「チッ、分かった行くよ」

 電話を切ってもう一度舌打ちをする。今日は日曜日。きっと街には人が溢れている。いつも人の気配のない静かなこの家にいる俺としては憂鬱で仕方ない。

「あー、めんどくせぇけど行くか」

 舌打ちが止まらない。俺は重い体を無理やり起こして立ち上がった。

***

 桜の季節、やはり街には人が溢れていた。皆上を向き、桜と向き合うように立ち止まる。俺は桜から目を逸らすように下を向き歩いた。

「ねえ、何あの子」

 近くから小さな声が聞こえた。その声は近くにいたカップルの女の方で、男に耳打ちしている。俺は何気なくそのカップルの視線の先を見た。

「……」

 そこには、道路に這いつくばる女がいた。今日は朝から雨が降っている。つまり、びしょ濡れの道路に、だ。

「あまり見ない方がいいよ」

 カップルはひそひそと彼女をけなしながら去って行った。俺は何となく、彼女から目が離せない。何をしているのか。彼女は傘も差していない。白いブラウスが肌に張り付いている。俺はまた舌打ちをして彼女に近付いた。
 彼女は道路に這いつくばり、壁と壁の隙間を見ていた。俺も彼女の後ろからそこを覗き込む。

「ねこ……?」

 思わず声を上げた俺を彼女が振り向いた。

「……っ」
「あ、いや、悪い、何してんのかと思って……」
「え、あ……、子猫がここから出られないみたいで……」

 怯えているのか寒いのか、震えている子猫は彼女が伸ばす手を避けるように奥へ奥へと逃げてしまう。俺は黙ってその場を立ち去った。


「ん」

 戻ると彼女はまだ諦めずに手を伸ばしていた。その彼女に、近くのコンビニで買ってきたものを手渡す。

「えさ……?」
「ああ、これ出したら出てくんじゃねーかと思って買ってきた。んで、あんたにはこれ」

 買ってきた傘とタオルを手渡すと、彼女は困惑したように一応受け取る。その間に俺は餌の蓋を開けて子猫の方に近付けてみた。子猫ははじめ警戒して小さな鳴き声を上げていたものの、やはり腹が減っていたのか少しずつこちらに近付いてきた。

「お、出て来たぞ」
「えっ」

 ふわりと柔らかい香りが鼻に届く。少したじろいだ俺を気にもせず彼女は身を寄せてきた。

「あ……」

 彼女が伸ばした手に子猫が触れた。彼女はそれを見逃さず、子猫を抱き上げる。

「よかった……」

 ……思えば俺は、この時からひよりのことを大切に想っていたのかもしれない。この時にひよりが見せた温かく柔らかい微笑みに、時間を忘れて見惚れていたのだから。


「あの、ありがとうございます!」

 彼女は弾けたように笑った。「あ、ああ……」とどもる俺を気にもせず、彼女は餌を食べる子猫を見守っている。
 雨は激しさを増していた。傘に当たる雨音が大きくなる。周りの目なんか気にならなかった。周りから俺たちはどう見えているのか、なんてどうでもよかったのだ。

「あ、ああ……」

 餌を食べ終えた子猫は彼女の腕の中からするりと抜けてどこかへ行ってしまった。

「ま、元気出たみたいだし大丈夫か……」

 少し寂しそうな笑顔で、彼女は下を向く。

「あの……、大丈夫か」
「えっ」
「いや、着替えとか持ってんのかなって……」

 彼女ははじめキョトンとしていたが、ようやく自分の今の状況に気付いたらしい。顔を真っ赤にして自分のからだを隠した。

「あー、知らんおっさんので気持ち悪いかもしんねーけど」
「えっ」

 俺は自分が着ていたカーディガンを彼女にかけた。周りの目から隠すことはできるだろう。

「それ、家帰ったら捨てていいから」
「え、そんな……」
「いやほんとに。一応洗濯はしてあるやつだから汚くはねえと思う」
「だ、だめです!ちゃんと返します!」
「意外と頑固だな。んー、じゃあ」
「……?」
「来るか?野良猫」

 放っておけない、とか。もっとコイツと話してみてえな、とか。頭の中では色々考えてたと思う。大して警戒もせず頷いた彼女に驚いたと共に安心した。


 そしてひよりが初めて俺の家に来た。俺の家の庭を見てすごい、綺麗、と感動しきりなひよりに嬉しくなって、「ここで家事代行バイトしねえ?」と誘った。そしてひよりは家に来るようになった。ちなみにすっかり忘れていた原田との約束は、それから一ケ月後に思い出した。「女の子連れ込んでるなんて先生やらしい」なんて笑っていたから思い出すのに時間がかかった。

「先生、見てください!」
「あ?猫?」

 そして、あの日どこかへ行ってしまった子猫をひよりが拾ってきた時にはさすがにビックリしたりもしたが。

「恨まれてたのか……」

 俺の小さな呟きが誰もいない広い家に吸い込まれて消えた。
 ひよりのことはあまり知らない。家族も、実家も、心の奥で考えていることも。どれだけそばにいても、心に触れたと思っても、結局。

「全然分からなかった」

 何も、分からないのだ。

「先生……」

 あの、出会った日みたいに雨が降っている。俺の前に現れたひよりは、あの日と違い、しっかり傘を差していた。
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