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私の初恋
** 貝殻を耳に当てて
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「てっ店内改装!?」
「そうだ、お盆休みの前に改装した方が客寄せになるからな!お前たちもたまには休みたいだろ?この機会にちょっとした夏休みだ」
「で、何日くらい休みになるんですか?」
「そんなに休んでられないからな、3日くらいを予定している二号店のオープン前にこっちも新しくしときたいからな」
「店長らしいですね…」
「そういうことで来週は3日間休業するからな」
「はい、わかりました」
3日間も休み…夏休みに3日間も休み…柚子と3日間も会う時間が取れる。
人目を気にせずガッツポーズをしていた俺を二人の霧島達が眺めていた。
「おい、上崎邪魔だ」
「崎先輩きもっ」
「うるさいな!俺は今幸せに満ちてるんだ、放っておいてくれよ!」
「崎先輩のことだからどうせ柚子先輩とデート出来る、とか考えてるんでしょ」
「純一お前、すげーなエスパーかよ」
「そんなこと丸わかり、顔に書いてあるし」
「まじか」
「にやけすぎ」
「純一だって有坂さんとデートするんだろ?おあいこじゃねーか!」
純一は俺を見つめ整った顔を歪に歪める。こいつは人間の中でも最低な生き物だ。
頭の中は人を馬鹿にすることしか考えていない。そんな奴が柚子と同じ写真部にいることが心配で仕方がなかった。
「おっそうだ、お前ら、俺と一緒に海行かね?」
「何だよ兄さん海って?」
「霧島さんと海?嫌なんですけど…」
霧島さんの提案に俺と純一は首を傾げた。男子三人で海、しかも霧島兄弟は美形、取り残された感の俺…。想像しただけで悲しくなってきた。
そんな俺たちを霧島さんはやれやれと小馬鹿にした。
「誰も三人とは言ってねえし、俺の嫁とお前達の彼女、連れてきたらいいだろ」
「ふうん、舞ちゃんも来るんだ」
「それなら行きます!柚子にも聞いてみます」
舞ちゃんとは霧島さんの奥さんにあたる人でなかなかの美人だ。
純一は柚子の友達の有坂乙葉ちゃんと最近付き合い始めたばかりだ。柚子からその話を聞いた時は複雑な心境になった。
純一を柚子から遠ざけたいのに、それが困難になってしまった。純一が柚子に意地悪をしないとは限らないから余計に不安だ。
そんなこんなでバイト終わり、携帯画面を開くと天使からの優しい愛が俺を包む。
『お疲れ様です!今日も忙しかったのかな?私は今ピアノが終わって帰るところだよ、課題曲が難しくて思案中です…頑張らなきゃね! バイト終わったら連絡ください』
可愛らしい絵文字に飾られた文面を見ているだけで頬が緩んだ。
俺にとって柚子が一番の癒しだ。
純一が来る前に身支度を済ませバイト先から出た。
自宅の部屋に着くと携帯画面をタップして柚子に電話をかけた。
2コール目で俺の聞きたかった柔らかくて優しい声が耳に入る。
『もしもし樹君、お疲れ様です』
「もしもし柚子?お疲れ様!ちょっと話したいことがあって電話したんだけど今大丈夫か?」
、
『うん、大丈夫だよ』
「ピアノ行き詰まってるのか?」
『ちょっとね…連符に指が追いつかなくて…何回も練習してるんだけど…先生にも怒られちゃって…駄目だなってちょっと凹んでた…でもね、樹君の声聞いたら元気になった!何だか、頑張れそうな気がするの!気じゃなくて頑張れる!』
「おう!柚子なら大丈夫だ!」
『ありがとう…嬉しすぎて泣きそうになってきた』
「おい、泣くなよ!」
『うん!ありがとう樹君!』
「あのさ、柚子…来週のどこか時間取れる日あるか?」
『来週…えっと待っててね…』
スケジュール表をめくる音を聞きながら、俺は神様に祈りを捧げた。
神様っ、どうか柚子とデートさせてください…。お願いします!
『樹君!来週ピアノ教室も部活もないからいつでも大丈夫だよ!』
神様!ありがとうございます!!!
今まで生きてきてこんなにも神様に感謝したことがあっただろうか、嬉しさのあまり体が勝手に踊り出しそうだ。
『よっしゃ!あのさ、来週店が店内改装で休みになるんだ、それで霧島さんから海に行かないか誘われてて、俺と柚子と純一と乙葉ちゃんと霧島さん夫婦でどうかな?柚子が嫌じゃなきゃきて欲しいんだけど』
『海かあ!行きたい!樹君あのね…私、恥ずかしいけど…泳げなくて…砂浜で遊んでてもいいかな…』
泳げない柚子、砂浜で遊ぶ柚子、何を想像しても可愛い姿しか浮かばない。
ついつい一人でニヤニヤしてしまう。
「可愛い…」
『えっ!?何で!?』
俺の心の声ははっきりと漏れてしまい、柚子の耳に入ってしまったらしい…。
「いっ、今のなし!!」
『えー!きになる!!』
「ああ、もう…!正直に言うから笑うなよ!」
『はい』
「泳げなくて浮き輪に掴まる柚子も、砂浜で遊ぶ柚子も、想像したら可愛いくて声に出ちゃってた」
『樹君…嬉しい…よし!決めた!浮き輪持って行くし、砂浜でも遊ぶ!もっと樹君に可愛いって言ってもらいたいんだもん』
ああ、これ以上俺をどうする気だ…。
可愛い過ぎてどうにかなりそうだ。
「楽しみにしてる!」
『うんっ!』
「じゃあまた連絡するから…」
電話を切ろうとしたその時、俺の天使は俺に恋の矢を突き刺した。
『あっ待って樹君…あのね…その…大好き…じゃあね!』
照れ隠しからかすぐに柚子は電話を切った。
俺は呆然と携帯を握りしめ立ち尽くしていた。
柚子…今のは反則だ…。
花白柚子は天使から悪魔になりつつあるのかもしれない…。
俺はこの日の夜、二回も鼻血を出したのだった。
* 「わああ、綺麗~!樹君、見て見て!カモメさんがいるよ!あっ、あっちにも!」
霧島さんの車に揺られること一時間、車を降りるなり興奮気味の柚子が俺の手を引いて走り出した。
有坂さんと純一はその光景を後ろから眺めている。霧島さん夫婦とその子供たち二人はパラソルの設営に励んでいた。
二人の子供はまだ小さく三歳と五歳だ。霧島さんによく似た息子と、奥さん似の次男は将来、美男美女になることは保証されている。
俺は浮き輪を片手に走り出した柚子に連れて波打ち際までやってきた。
波が押したり引いた日を繰り返し、キラキラと日差しを反射させて光っている。
「あっ、そうだ。着替えないと濡れちゃうね…樹君待ってて、乙ちゃんと着替えてくるね!」
俺を置いて走り出した柚子を見送って、柚子が喜びそうなものがないか屈んで探し出した。
「ヤドカリ発見!柚子、喜ぶかな…」
適当に穴を掘ってヤドカリをその中に放してみた。うろちょろと歩き回ったり、貝の中に引っ込んだりするさまは、柚子に似ている気がする。
ヤドカリをつついて遊んでいると、頭上から冷めた声が落ちてきた。
「何やってんすか崎さん…きもい…」
声の主は振り返らなくても分かった。
「うるせーな、純一!お前はちびっこたちと遊んでろよ!」
「崎さんこそ、ちびっこと遊んでた方が好感度上がるんじゃないですか?俺は顔もいいし性格もいいからこれ以上の好感度は要らないですけどね」
「ムカつく奴だな本当に」
「どういたしまして」
何に対してのどういたしましてなんだか…。
つくづく鼻について嫌気がさす。心底虚しいのはこいつが外面はいいし、顔もいいから俺の味方は柚子しかいないことだ。
純一に馬鹿にされ続け、イラつき始めた頃。 天使が俺の前に舞い降りた。
「樹君、おまたせ!あれ?ヤドカリさんだ!可愛い!」
「なっ…!」
俺は思わず声も出ずに柚子に見とれていた。
可愛いらしい水色のフリルの付いた水着はビキニほどのインパクトはないが、柚子には似合っていた。
それに、さっきまでのパーカー姿からは想像の出来ない姿に声を失い、目が点になる。
いつか、霧島さんが言っていた…おっとりおっ…だと。
でかい…たしかに、でかい…。
普段の細身な姿から想像のつかないスタイルに気絶しそうなくらいの刺激を受けている…。
目のやり場に困るとはこの事をいうのか…。
「どうかな…?似合ってる?樹君!?」
あまりの刺激に無反応だった俺を心配そうに柚子は見つめてきた。
「ああ、似合ってる」
やっと絞り出せた声は情けなく裏返ってしまった。
なんて情け無い彼氏なんだ…。
間抜けな俺の横で純一は男らしく、ピンクのビキニ姿の有坂さんの腰に手を回して海に歩き始めた。
その姿を見ていると、俺をちらりと振り返り、あっかんべをしてきた。
「ちっ、あいつ!」
「まあまあ、樹君。私たちも遊ぼう」
柚子に慰められた俺は、柚子の胸を見ないようにしながら手を繋いで海に入った。
夏の日差しに冷たい海水が体に優しく伝わった。
浮き輪を被った柚子を少しずつ海の中に連れて行った。これじゃまるで恋人というより、幼い子供と遊ぶパパだ。
「樹君、すごい!私が浮いてるよ!」
「大丈夫か?怖くなったら言えよ」
「ありがとう!」
「足、バタバタしたりしてみたら泳いでる雰囲気楽しめるんじゃないか?」
俺の提案を素直に聞いた柚子は、白くて細い足をバタバタと動かしていた。
「わあ、楽しい!」
「よかったよかった!」
「樹君といるから楽しいんだね!」
「俺も柚子といると幸せだ」
「嬉しい!」
柚子と付き合う前の俺は海に来ても目に入る恋人たちに石を投げたくなったけど今は幸せすぎて溶けてしまいそうだ。
「あっ、樹君見て見て!」
「ん?」
柚子が指差した方に目をやると、純一たちが波打ち際で水を掛け合ってじゃれ付いていた。
「ちっ、なんだよあいつ」
「幸せそうだね」
「いちいち、ムカつくんだよな…さっきだってヤドカリと遊んでたら馬鹿にしてきやがった…」
「私は樹君がヤドカリと遊ぶ姿好きだけどな、きっと霧島君も樹君に構いたくてしょうがないんだよ」
ニコッと笑った柚子の優しさに涙が出そうになる。
さっきのヤドカリはちゃんと海に逃がして、その姿を柚子と見送った。
海から砂浜に上がると霧島さんジュニアたちに囲まれて四人で砂のお城を作り始めた。
「おい、いつき!わかめ取ってこい!」
「わかめ、わかめー!」
「ったく、しょうがねーな」
霧島さんジュニアからの要望に応えてわかめを探して歩き出した。
柚子も楽しそうに子供たちとお城作りに夢中になっている。
要望されたわかめは見つからなかったが、それっぽい海藻を拾って帰った。
「来たかいつき!おそかったな!」
「きたか、きたかー!」
「樹君おかえり!あっ見て見てお兄ちゃんわかめ持ってきてくれたよ!ありがとう言おう」
「いつき!ありがとう」
「ありがとう!」
柚子のおかげで生意気でしかなかった霧島さんジュニアたちが可愛いく見えてくる。
きっと柚子はいいお母さんになるんだろうな。柚子の将来の夢は音楽教室らしいが、保育士も向いているかもしれない。
そんな事を思いながら砂のお城に海藻を飾り付けた。
「かんせい!」
「できた、できた!」
「上手にできたね!」
「本当だな!」
四人で時間をかけて作った砂の城はまあまあ上手くできていたと思う。
霧島さんジュニア達は砂の城を親に見せるために駆け出していった。
生意気だけど、親を呼びに行く所は子供らしくて愛らしい。
その後も柚子と言うよりは霧島さんジュニアと過ごした時間の方が優っている1日を送った。
霧島さんからそろそろ戻るかと声がかかり車の方に戻ろうとした。ふと気がつくと、乙葉ちゃんと純一の姿が見えない。
霧島さんに探しに行ってくると伝えて走り出した俺の後を柚子が駆け足でついて来た。
「樹君、私も行くよ」
「悪いな柚子」
そんなに遠くにはいないはずだから近場を2人で探していると岩陰によく知った人影を見つけた。
「あっ見つけた!乙ちゃ…」
純一達を見つけて走り寄ろうとした柚子はいきなり踵を返し俺の元にやって来た。
「どした?」
「樹君…乙ちゃん…乙ちゃん達が…」
顔を真っ赤にして取り乱す柚子の言葉の続きを待っていると、柚子は恥ずかしそうに口を開いた。
「乙ちゃん達が…キッ…キスしてる…」
「まじかよ…」
「どうしようっ!見ちゃった…」
「とりあえず落ち着けよ」
未だに取り乱している柚子を宥めながら純一達からは見えない位置の岩陰に柚子を座らせた。
柚子は優しいから人のプライバシーを覗いたような気になって取り乱しているのは明らかだった。
「柚子、あれは偶然だから大丈夫だ!なんか言われたら俺から話しつけるからさ」
「うん…」
「柚子?」
「あのね…普通のキスより深いキスだった…」
「……」
あいつらまだ高校生なのに、そんなことしてるのか…。
俺も言葉を失って、柚子の頭をただただ撫でていた。
「ありがとう樹君…私ね、乙ちゃんが離れていくみたいで寂しくて…乙ちゃんのあんな幸せそうな顔見ちゃったら私…」
溢れ出した感情は柚子の頬を伝って地面に染みを作っていく。
「柚子、泣くな!有坂さんだって俺たちが付き合い始めてから寂しい気持ちになったこともあるかもしれないだろ、だから泣くなよ…泣き止むまで側にいるから」
泣きじゃくる柚子をゆっくり抱きしめて泣き止むまで言葉通り側にいた。
柚子も泣くだけ泣いたらスッキリしたのか掌で涙を拭ってから天使のような笑顔を俺に向けた。
「よし、元気満タン!ごめんね樹君…私、泣き虫で…でも、樹君のおかげで元気になった!私には樹君がついてるんだもん。私だって1人じゃないからもう大丈夫」
「よし、じゃあ行くか!立てるか?」
「うん!」
岩陰からゆっくり立ち上がると、純一達が車の方に向かって歩いて行く姿が見に入った。
純一達の後ろを一定の距離を開けて歩いて車まで戻る。隣を歩く柚子は何事もなかったように笑顔で歩いている。俺はその笑顔を見て叔父からの話を思い出す。
『2号店が出来たら店長を霧島に任せて副店長をお前にしたい、卒業後は新店舗に就職してほしい…頼む』
卒業後、進路、そんなこと俺には関係ないと思っていたのに、現実は非情でそんな俺に御構い無しに時だけが過ぎていった。
柚子とこのまま一緒になるなら叔父の話には頷けない。飲食業で生計を立てるのなら土日や祝日、長期休暇の時期は仕事になる。
一方の柚子は音楽教諭になるのが夢…。
そうなれば、2人の休みは被ることはない。
つまり、一緒にいる時間は取れないということだ。夏休みが明けたら本格的に進路の話は避けられないだろうし、タイミングを見て柚子には切り出そうと思っていた。
柚子のことは好きだ。だけど、柚子を悲しませるくらいならいっそのこと手放した方がいい…。
今日、ここに来るまでに揺らいでいた決意は、柚子の涙を見てちゃんとしたものに変わった。
車に戻ると、霧島さんジュニア2人は寄り添って眠っていた。霧島さんから遅いぞとお叱りを受けながら車に乗り込んだ。
帰りの車ははしゃぎ疲れた皆は眠りこくっていた。俺は一人眠れずに流れる景色に目をやっていた。
いつまでも柚子といたい…。
だけど、これ以上好きになる前に…。
そんなことばかり夏休み中の俺は悩んでいたんだ。
「そうだ、お盆休みの前に改装した方が客寄せになるからな!お前たちもたまには休みたいだろ?この機会にちょっとした夏休みだ」
「で、何日くらい休みになるんですか?」
「そんなに休んでられないからな、3日くらいを予定している二号店のオープン前にこっちも新しくしときたいからな」
「店長らしいですね…」
「そういうことで来週は3日間休業するからな」
「はい、わかりました」
3日間も休み…夏休みに3日間も休み…柚子と3日間も会う時間が取れる。
人目を気にせずガッツポーズをしていた俺を二人の霧島達が眺めていた。
「おい、上崎邪魔だ」
「崎先輩きもっ」
「うるさいな!俺は今幸せに満ちてるんだ、放っておいてくれよ!」
「崎先輩のことだからどうせ柚子先輩とデート出来る、とか考えてるんでしょ」
「純一お前、すげーなエスパーかよ」
「そんなこと丸わかり、顔に書いてあるし」
「まじか」
「にやけすぎ」
「純一だって有坂さんとデートするんだろ?おあいこじゃねーか!」
純一は俺を見つめ整った顔を歪に歪める。こいつは人間の中でも最低な生き物だ。
頭の中は人を馬鹿にすることしか考えていない。そんな奴が柚子と同じ写真部にいることが心配で仕方がなかった。
「おっそうだ、お前ら、俺と一緒に海行かね?」
「何だよ兄さん海って?」
「霧島さんと海?嫌なんですけど…」
霧島さんの提案に俺と純一は首を傾げた。男子三人で海、しかも霧島兄弟は美形、取り残された感の俺…。想像しただけで悲しくなってきた。
そんな俺たちを霧島さんはやれやれと小馬鹿にした。
「誰も三人とは言ってねえし、俺の嫁とお前達の彼女、連れてきたらいいだろ」
「ふうん、舞ちゃんも来るんだ」
「それなら行きます!柚子にも聞いてみます」
舞ちゃんとは霧島さんの奥さんにあたる人でなかなかの美人だ。
純一は柚子の友達の有坂乙葉ちゃんと最近付き合い始めたばかりだ。柚子からその話を聞いた時は複雑な心境になった。
純一を柚子から遠ざけたいのに、それが困難になってしまった。純一が柚子に意地悪をしないとは限らないから余計に不安だ。
そんなこんなでバイト終わり、携帯画面を開くと天使からの優しい愛が俺を包む。
『お疲れ様です!今日も忙しかったのかな?私は今ピアノが終わって帰るところだよ、課題曲が難しくて思案中です…頑張らなきゃね! バイト終わったら連絡ください』
可愛らしい絵文字に飾られた文面を見ているだけで頬が緩んだ。
俺にとって柚子が一番の癒しだ。
純一が来る前に身支度を済ませバイト先から出た。
自宅の部屋に着くと携帯画面をタップして柚子に電話をかけた。
2コール目で俺の聞きたかった柔らかくて優しい声が耳に入る。
『もしもし樹君、お疲れ様です』
「もしもし柚子?お疲れ様!ちょっと話したいことがあって電話したんだけど今大丈夫か?」
、
『うん、大丈夫だよ』
「ピアノ行き詰まってるのか?」
『ちょっとね…連符に指が追いつかなくて…何回も練習してるんだけど…先生にも怒られちゃって…駄目だなってちょっと凹んでた…でもね、樹君の声聞いたら元気になった!何だか、頑張れそうな気がするの!気じゃなくて頑張れる!』
「おう!柚子なら大丈夫だ!」
『ありがとう…嬉しすぎて泣きそうになってきた』
「おい、泣くなよ!」
『うん!ありがとう樹君!』
「あのさ、柚子…来週のどこか時間取れる日あるか?」
『来週…えっと待っててね…』
スケジュール表をめくる音を聞きながら、俺は神様に祈りを捧げた。
神様っ、どうか柚子とデートさせてください…。お願いします!
『樹君!来週ピアノ教室も部活もないからいつでも大丈夫だよ!』
神様!ありがとうございます!!!
今まで生きてきてこんなにも神様に感謝したことがあっただろうか、嬉しさのあまり体が勝手に踊り出しそうだ。
『よっしゃ!あのさ、来週店が店内改装で休みになるんだ、それで霧島さんから海に行かないか誘われてて、俺と柚子と純一と乙葉ちゃんと霧島さん夫婦でどうかな?柚子が嫌じゃなきゃきて欲しいんだけど』
『海かあ!行きたい!樹君あのね…私、恥ずかしいけど…泳げなくて…砂浜で遊んでてもいいかな…』
泳げない柚子、砂浜で遊ぶ柚子、何を想像しても可愛い姿しか浮かばない。
ついつい一人でニヤニヤしてしまう。
「可愛い…」
『えっ!?何で!?』
俺の心の声ははっきりと漏れてしまい、柚子の耳に入ってしまったらしい…。
「いっ、今のなし!!」
『えー!きになる!!』
「ああ、もう…!正直に言うから笑うなよ!」
『はい』
「泳げなくて浮き輪に掴まる柚子も、砂浜で遊ぶ柚子も、想像したら可愛いくて声に出ちゃってた」
『樹君…嬉しい…よし!決めた!浮き輪持って行くし、砂浜でも遊ぶ!もっと樹君に可愛いって言ってもらいたいんだもん』
ああ、これ以上俺をどうする気だ…。
可愛い過ぎてどうにかなりそうだ。
「楽しみにしてる!」
『うんっ!』
「じゃあまた連絡するから…」
電話を切ろうとしたその時、俺の天使は俺に恋の矢を突き刺した。
『あっ待って樹君…あのね…その…大好き…じゃあね!』
照れ隠しからかすぐに柚子は電話を切った。
俺は呆然と携帯を握りしめ立ち尽くしていた。
柚子…今のは反則だ…。
花白柚子は天使から悪魔になりつつあるのかもしれない…。
俺はこの日の夜、二回も鼻血を出したのだった。
* 「わああ、綺麗~!樹君、見て見て!カモメさんがいるよ!あっ、あっちにも!」
霧島さんの車に揺られること一時間、車を降りるなり興奮気味の柚子が俺の手を引いて走り出した。
有坂さんと純一はその光景を後ろから眺めている。霧島さん夫婦とその子供たち二人はパラソルの設営に励んでいた。
二人の子供はまだ小さく三歳と五歳だ。霧島さんによく似た息子と、奥さん似の次男は将来、美男美女になることは保証されている。
俺は浮き輪を片手に走り出した柚子に連れて波打ち際までやってきた。
波が押したり引いた日を繰り返し、キラキラと日差しを反射させて光っている。
「あっ、そうだ。着替えないと濡れちゃうね…樹君待ってて、乙ちゃんと着替えてくるね!」
俺を置いて走り出した柚子を見送って、柚子が喜びそうなものがないか屈んで探し出した。
「ヤドカリ発見!柚子、喜ぶかな…」
適当に穴を掘ってヤドカリをその中に放してみた。うろちょろと歩き回ったり、貝の中に引っ込んだりするさまは、柚子に似ている気がする。
ヤドカリをつついて遊んでいると、頭上から冷めた声が落ちてきた。
「何やってんすか崎さん…きもい…」
声の主は振り返らなくても分かった。
「うるせーな、純一!お前はちびっこたちと遊んでろよ!」
「崎さんこそ、ちびっこと遊んでた方が好感度上がるんじゃないですか?俺は顔もいいし性格もいいからこれ以上の好感度は要らないですけどね」
「ムカつく奴だな本当に」
「どういたしまして」
何に対してのどういたしましてなんだか…。
つくづく鼻について嫌気がさす。心底虚しいのはこいつが外面はいいし、顔もいいから俺の味方は柚子しかいないことだ。
純一に馬鹿にされ続け、イラつき始めた頃。 天使が俺の前に舞い降りた。
「樹君、おまたせ!あれ?ヤドカリさんだ!可愛い!」
「なっ…!」
俺は思わず声も出ずに柚子に見とれていた。
可愛いらしい水色のフリルの付いた水着はビキニほどのインパクトはないが、柚子には似合っていた。
それに、さっきまでのパーカー姿からは想像の出来ない姿に声を失い、目が点になる。
いつか、霧島さんが言っていた…おっとりおっ…だと。
でかい…たしかに、でかい…。
普段の細身な姿から想像のつかないスタイルに気絶しそうなくらいの刺激を受けている…。
目のやり場に困るとはこの事をいうのか…。
「どうかな…?似合ってる?樹君!?」
あまりの刺激に無反応だった俺を心配そうに柚子は見つめてきた。
「ああ、似合ってる」
やっと絞り出せた声は情けなく裏返ってしまった。
なんて情け無い彼氏なんだ…。
間抜けな俺の横で純一は男らしく、ピンクのビキニ姿の有坂さんの腰に手を回して海に歩き始めた。
その姿を見ていると、俺をちらりと振り返り、あっかんべをしてきた。
「ちっ、あいつ!」
「まあまあ、樹君。私たちも遊ぼう」
柚子に慰められた俺は、柚子の胸を見ないようにしながら手を繋いで海に入った。
夏の日差しに冷たい海水が体に優しく伝わった。
浮き輪を被った柚子を少しずつ海の中に連れて行った。これじゃまるで恋人というより、幼い子供と遊ぶパパだ。
「樹君、すごい!私が浮いてるよ!」
「大丈夫か?怖くなったら言えよ」
「ありがとう!」
「足、バタバタしたりしてみたら泳いでる雰囲気楽しめるんじゃないか?」
俺の提案を素直に聞いた柚子は、白くて細い足をバタバタと動かしていた。
「わあ、楽しい!」
「よかったよかった!」
「樹君といるから楽しいんだね!」
「俺も柚子といると幸せだ」
「嬉しい!」
柚子と付き合う前の俺は海に来ても目に入る恋人たちに石を投げたくなったけど今は幸せすぎて溶けてしまいそうだ。
「あっ、樹君見て見て!」
「ん?」
柚子が指差した方に目をやると、純一たちが波打ち際で水を掛け合ってじゃれ付いていた。
「ちっ、なんだよあいつ」
「幸せそうだね」
「いちいち、ムカつくんだよな…さっきだってヤドカリと遊んでたら馬鹿にしてきやがった…」
「私は樹君がヤドカリと遊ぶ姿好きだけどな、きっと霧島君も樹君に構いたくてしょうがないんだよ」
ニコッと笑った柚子の優しさに涙が出そうになる。
さっきのヤドカリはちゃんと海に逃がして、その姿を柚子と見送った。
海から砂浜に上がると霧島さんジュニアたちに囲まれて四人で砂のお城を作り始めた。
「おい、いつき!わかめ取ってこい!」
「わかめ、わかめー!」
「ったく、しょうがねーな」
霧島さんジュニアからの要望に応えてわかめを探して歩き出した。
柚子も楽しそうに子供たちとお城作りに夢中になっている。
要望されたわかめは見つからなかったが、それっぽい海藻を拾って帰った。
「来たかいつき!おそかったな!」
「きたか、きたかー!」
「樹君おかえり!あっ見て見てお兄ちゃんわかめ持ってきてくれたよ!ありがとう言おう」
「いつき!ありがとう」
「ありがとう!」
柚子のおかげで生意気でしかなかった霧島さんジュニアたちが可愛いく見えてくる。
きっと柚子はいいお母さんになるんだろうな。柚子の将来の夢は音楽教室らしいが、保育士も向いているかもしれない。
そんな事を思いながら砂のお城に海藻を飾り付けた。
「かんせい!」
「できた、できた!」
「上手にできたね!」
「本当だな!」
四人で時間をかけて作った砂の城はまあまあ上手くできていたと思う。
霧島さんジュニア達は砂の城を親に見せるために駆け出していった。
生意気だけど、親を呼びに行く所は子供らしくて愛らしい。
その後も柚子と言うよりは霧島さんジュニアと過ごした時間の方が優っている1日を送った。
霧島さんからそろそろ戻るかと声がかかり車の方に戻ろうとした。ふと気がつくと、乙葉ちゃんと純一の姿が見えない。
霧島さんに探しに行ってくると伝えて走り出した俺の後を柚子が駆け足でついて来た。
「樹君、私も行くよ」
「悪いな柚子」
そんなに遠くにはいないはずだから近場を2人で探していると岩陰によく知った人影を見つけた。
「あっ見つけた!乙ちゃ…」
純一達を見つけて走り寄ろうとした柚子はいきなり踵を返し俺の元にやって来た。
「どした?」
「樹君…乙ちゃん…乙ちゃん達が…」
顔を真っ赤にして取り乱す柚子の言葉の続きを待っていると、柚子は恥ずかしそうに口を開いた。
「乙ちゃん達が…キッ…キスしてる…」
「まじかよ…」
「どうしようっ!見ちゃった…」
「とりあえず落ち着けよ」
未だに取り乱している柚子を宥めながら純一達からは見えない位置の岩陰に柚子を座らせた。
柚子は優しいから人のプライバシーを覗いたような気になって取り乱しているのは明らかだった。
「柚子、あれは偶然だから大丈夫だ!なんか言われたら俺から話しつけるからさ」
「うん…」
「柚子?」
「あのね…普通のキスより深いキスだった…」
「……」
あいつらまだ高校生なのに、そんなことしてるのか…。
俺も言葉を失って、柚子の頭をただただ撫でていた。
「ありがとう樹君…私ね、乙ちゃんが離れていくみたいで寂しくて…乙ちゃんのあんな幸せそうな顔見ちゃったら私…」
溢れ出した感情は柚子の頬を伝って地面に染みを作っていく。
「柚子、泣くな!有坂さんだって俺たちが付き合い始めてから寂しい気持ちになったこともあるかもしれないだろ、だから泣くなよ…泣き止むまで側にいるから」
泣きじゃくる柚子をゆっくり抱きしめて泣き止むまで言葉通り側にいた。
柚子も泣くだけ泣いたらスッキリしたのか掌で涙を拭ってから天使のような笑顔を俺に向けた。
「よし、元気満タン!ごめんね樹君…私、泣き虫で…でも、樹君のおかげで元気になった!私には樹君がついてるんだもん。私だって1人じゃないからもう大丈夫」
「よし、じゃあ行くか!立てるか?」
「うん!」
岩陰からゆっくり立ち上がると、純一達が車の方に向かって歩いて行く姿が見に入った。
純一達の後ろを一定の距離を開けて歩いて車まで戻る。隣を歩く柚子は何事もなかったように笑顔で歩いている。俺はその笑顔を見て叔父からの話を思い出す。
『2号店が出来たら店長を霧島に任せて副店長をお前にしたい、卒業後は新店舗に就職してほしい…頼む』
卒業後、進路、そんなこと俺には関係ないと思っていたのに、現実は非情でそんな俺に御構い無しに時だけが過ぎていった。
柚子とこのまま一緒になるなら叔父の話には頷けない。飲食業で生計を立てるのなら土日や祝日、長期休暇の時期は仕事になる。
一方の柚子は音楽教諭になるのが夢…。
そうなれば、2人の休みは被ることはない。
つまり、一緒にいる時間は取れないということだ。夏休みが明けたら本格的に進路の話は避けられないだろうし、タイミングを見て柚子には切り出そうと思っていた。
柚子のことは好きだ。だけど、柚子を悲しませるくらいならいっそのこと手放した方がいい…。
今日、ここに来るまでに揺らいでいた決意は、柚子の涙を見てちゃんとしたものに変わった。
車に戻ると、霧島さんジュニア2人は寄り添って眠っていた。霧島さんから遅いぞとお叱りを受けながら車に乗り込んだ。
帰りの車ははしゃぎ疲れた皆は眠りこくっていた。俺は一人眠れずに流れる景色に目をやっていた。
いつまでも柚子といたい…。
だけど、これ以上好きになる前に…。
そんなことばかり夏休み中の俺は悩んでいたんだ。
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