婚約破棄のために偽装恋人になったら、ライバル店の天才パティシエに溺愛されすぎています

草加奈呼

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第二章

24・新作ショコラ

 三月上旬。
 今日は待ちに待った、ティエリー・カロン氏のホームパーティーの日だ。
 フランスのショコラティエは、バレンタインが過ぎると、今度はイースターに向けて忙しくなると聞いた。特にMOFともなると、新作ショコラをお披露目するパーティーを開くことがあるらしい。そんな貴重な機会に招かれるなんて、フランスに来て良かったと改めて思う。

 朝からそわそわして落ち着かず、何度も時計を見ながら準備を進めた。
 いつもより念入りにメイクをして、お気に入りのワンピースを着ると、鏡の前でじっくりと今の自分の姿をチェックする。
 
「これで、いいかな……?」

 白のフリル袖と、黒のシックなフレアスカートのワンピース。
 これが私の持っている一番おしゃれなものだった。

 普段、アクセサリーなんてしないし、まさかフランスでパーティーに誘われるなんて思ってもいなかったから、私が持っているのは愁さんにもらった婚約指輪だけだ。

「首周りが少し淋しいな……」

 そう思いながらも、待ち合わせの時間に遅れそうになったので、コートを羽織って学生寮の部屋を飛び出した。

《あら、アマネ! 今日はデート?》

 私のめかしこんだ姿を見てそう思ったのか、入口の受付にいる管理人さんが、笑顔で声をかけてきた。

《あ、はい……。そんなところです》

 はにかんでそう言いながら、外出許可のリストに名前を記入する。
 パーティーに行くなんて、ちょっと恥ずかしくて言えなかった。

《じゃあ、きっと遅くなるわね。大丈夫よ、十時を過ぎるようだったら、外泊許可を書いておくから》

 管理人さんは、すべてを察したように親指を立ててくる。

 フランスは、三月になってもまだまだ寒い。
 晴れた日中は、ほんのり暖かく感じるものの、油断するとすぐに冷たい風が頬を刺す。
 
 待ち合わせは、サン・ジェルマン・デ・プレ地区にある教会前。
 この教会も、歴史のある建造物だ。
 サン・ジェルマンはパリの中でも高級住宅街として知られている。
 MOFともなればこんな場所に住んでいるのも納得がいく。

 教会前に辿り着くと、スーツ姿の愁さんが目に入った。
 スーツの上に、私がプレゼントしたストールを巻いてくれている。
 いつもは自然に流している髪も、今日はカッチリとセットしていた。
 行く人々……特に女性たちが、愁さんを見ている。
 中には、声をかける人も。ま、まさかナンパなんて……ことはないよね?

「愁さん、お待たせしました」

 タイミングを見て声をかける。

「ああ、天音さん。良かった」

 少し困った顔で、ホッとした様子の愁さん。

「参ったよ。結婚式の参列者と間違われて……。女性に声をかけられて困っていたんだ」
「あ……あ~。なるほど。愁さんは素敵ですから、ちょっとわかります」

 そうだよね。こんな神聖な場所でナンパかも……なんて考えてしまった自分が恥ずかしい。

「天音さんも、今日は一段と可愛いね」

 しかし、愁さんは私の姿をじっと観察するように見ると、顎に手を当てて考え出した。
 
「……そうか、ごめん。気がつかなかった」
「えっ?」
「留学中に、急にパーティーなんて言われても困るよね。まだ時間はあるし……行こう!」

 愁さんは、私の手を取って歩き出す。
 
「えっ? 行くって、どこへ?」

 連れてこられたのは、サンジェルマン大通りにあるブティックだった。
 こんな高級なお店に入ったのは初めてだ。

ボンジュールこんにちは

 愁さんが、軽く手を上げて店員さんに挨拶をする。
 フランスでは、客の方から挨拶するのがマナーだ。
 慌てて、愁さんに倣うように私も挨拶する。
 
《こんにちは……!》

 黒いスーツに身を包んだ女性店員が微笑んで応じた。

《ボンジュール、ムッシュ、マダム。ようこそお越しくださいました》

 洗練された物腰で、まるで舞踏会に招かれた貴族のような気分になる。
 愁さんが一歩前に出て、さらりと告げた。
  
《今からパーティーに行くんですが、彼女をコーディネートしていただけませんか》

 その言葉に、思わず愁さんの顔を見上げる。
 
「えっ? 愁さん……?」
「そのままでも可愛いけど、せっかくだから」

 愁さんは、まるで私を宝石みたいに扱ってくれるように、ふっと優しく微笑む。

「MOFのパーティーなんて、なかなか参加できるものじゃないだろ?」
「……そうですね」
「だったら、思いっきり楽しんだ方がいい。せっかくだし、ドレスアップもイベントのひとつだよ」
「愁さん……」
 
 愁さんの気遣いにうれしく思う。
 本当は、このままじゃ子どもっぽいかなと自分でも思っていたところだった。
 
 店員さんがドレスにアクセサリー、靴まで、次々と持ってきては手際よくコーディネートしてくれる。
 試着を終えると、今度は小さな口紅を取り出した。

《少し、赤を入れさせていただきますね》

 唇にのせられたのは、落ち着いたトーンの赤。
 ほんのひと塗りなのに、大人っぽさが一気に増す。

 髪も、ヘアアイロンで軽くウェーブをかけてもらう。
 鏡の中で仕上がっていく自分を見ていると、胸が高鳴って仕方がなかった。

《いかがでしょうか?》
 
 試着室の鏡に映る自分を見た瞬間、息をのんだ。
 まるで別人みたい。メイクと髪型ひとつで、こんなに変わるなんて。
 どこかの国のプリンセスになった気分だ。
 
 エレガントなドレスは、深みのあるボルドーのサテン生地。
 照明の下で滑らかに艶めき、ワインのように上品な輝きを放っている。
 胸元は控えめなスクエアカットで、過度な露出はないものの、鎖骨のラインが美しく際立つデザインだ。

 アクセサリーは最小限に、華奢なパールのネックレスと、シンプルなイヤリング。
 だけど、さりげなくドレスの品を引き立てている。

 ドレスを身につけたまま試着室を出ると、愁さんが一瞬動きを止めた。
 驚いたように目を見開いたまま、私をじっと見つめている。
 店員さんにコーディネートしてもらったから、変ではないはず……だけど、似合っているかどうかは、また別だ。
 緊張で裾をぎゅっと握ると、それに気づいたように愁さんは微笑んだ。
 
「……似合ってる」

 その言葉が、迷いを吹き飛ばしてくれる。
 全身を見つめられるその視線が、少しだけくすぐったい。
 でも、やっぱり愁さんに言われるのが一番うれしい。

「こんな素敵なドレス……夢みたいです」
「それなら、今日の記念にプレゼントするよ」
「えっ? ……いいんですか?」
「もちろん。君は、僕の婚約者なんだから」

 そう言って、愁さんは私の手を取った。

 そして改めて実感する。
 今日、私はただの留学生ではなく、愁さんの「婚約者」としてこの場に立つのだと。
 ドレスに合わせたコートも購入し、私たちはブティックを後にした。
 脱いだ私の服は、お店の方から宅配で学生寮へ送ってもらうことができた。
 

 ブティックから、ティエリー・カロン氏の家は歩いて十数分ほどで着いた。
 パリの高級住宅街に佇む白亜の邸宅。
 受付の方に案内され、パーティー会場の扉を開けると、甘く芳醇なカカオの香りが私たちを包み込む。
 華やかなドレスやシックなスーツに身を包んだゲストたち、美食家や業界関係者、そして数人のジャーナリスト。フランスの製菓界を牽引するMOFのショコラティエ、ティエリー・カロン氏のホームパーティーは、ただの社交の場ではなく、新作ショコラのお披露目の場でもあった。

 そんな華やかな空間に少し緊張しながら立っていた。
 愁さんは、落ち着いた表情で辺りを見回している。
 そして、スーツ姿でグレイッシュな髪の男性を見ると、小さく手を上げて近寄っていった。
 私は、慣れないヒールで愁さんの後ろをゆっくりとついていく。

 一言二言、フランス語で会話をしたかと思うと、男性は私の方を見てにっこりと笑顔を向けた。

ビアンヴュニュようこそ、天音。愁から話は聞いているよ》
「天音さん。彼が、MOFのティエリー・カロン氏だよ」

 世界的に有名なショコラティエが目の前にいる。

《は、初めまして!》

 握手を交わし、軽く自己紹介をする。
 興奮のあまり顔が熱くなってきた。

《君は、神の舌と呼ばれるほどの味覚だそうだね? どうだい、私のショコラを試してみるかい?》
 
 カロン氏はそう言って、会場の中央に置かれた大きなガラスケースの前へ進む。
 そこには、イースターへ向けた新作ショコラが、ずらりと並べられていた。
 イースターといえば、ウサギやニワトリを模したチョコや、イースターエッグが有名だ。

 カロン氏が促すと、アシスタントらしき人が卵型のショコラのひとつを取り出して、ナイフで半分に割った。断面からは、滑らかなキャラメル色のガナッシュが現れ、甘くスパイシーな香りがふわりと漂った。

「いい香り……」

 そうつぶやくと、カロン氏は満足したように口の端を上げて笑った。
 その香りにつられるように、会場にいた人たちは一斉に中央へと視線を向ける。
 私たちは、意図せずして注目されてしまった。
 
《さあ、天音。この香りはなんの食材だと思う?》

 カロン氏は、イタズラっぽく微笑む。
 こんな大勢の人の前で試されるなんて、カロン氏は人が悪い。
 だけど、とても楽しそうだ。

《一口いただいても?》
《どうぞ》

 ショコラを口にすると、滑らかなガナッシュがふわりと香りを立てながら舌の上でほどける。
 そして、あとからほんのり感じるスパイシーな余韻。

「これは、バニラ……? ううん、少し違う……スパイス……あ!」

 昔、お父さんが焼き菓子に使っていた、珍しい食材を思い出す。
 
「……トンカ豆」
 
 舌だけじゃない。記憶が、それを確信に変える。
 答えた瞬間、周りからわっと拍手が起こって驚く。
 カロン氏も、意外そうな顔で大きな拍手をしている。
 
《……素晴らしい! 日本では馴染みがないと思っていたがね》
《彼女の父は、腕のいいパティシエなんです》

 愁さんが間に入って、答えてくれた。
 
《なるほど、そうだったのか。いや、私のアシスタントに欲しいくらいだよ》
《……それはダメです》

 愁さんがにっこりと笑って答えると、カロン氏はその意を察したのか肩をすくめた。

《おっと、それは残念だ》
 

 その後、私はすっかりカロン氏のショコラに魅入られ、いろんなショコラを味見させてもらった。その度に、近くにいるアシスタントの人に「これはなに?」「これはどんなレシピで?」など質問攻めにしてしまった。

 愁さんのことも忘れて会場を回っていると、周りがざわっと騒がしくなった。

《シュウ! 久しぶりね!》
 
 そう言って現れたのは、アッシュブロンドの髪の、スラリとした長身の女性。
 シンプルなドレスを完璧に着こなし、周囲の視線を集めている。
 私でも見たことがある。日本でも有名なモデル、シャルロット・ヴィルニエだ……!
 愁さん、ティエリー・カロンだけでなく、モデルと知り合いなんてどこまで人脈が広いんだろう。
 彼女は迷いなく愁さんに近づくと、頬にキスをする。
 
「……!」

 目の前の光景に、私は息をのむ。
 たしかに、海外では挨拶でキスをすることはあるけど……。
 馴染みのない私は、それを見てモヤモヤする。
 
 そんな私を見て、彼女はクスリと微笑んだ。

《あなたがシュウのフィアンセね? 初めまして》
《は、はじめまして……》

 緊張で少し震えながらも、握手をする。
 この感じ、覚えがある。
 以前風間さんと会った時とよく似ている。

 一体、愁さんとどんな関係なんだろう……?
 婚約者である私の目の前で、挨拶とはいえキスをするなんて、よほど親しい間柄に違いない。
 嫌な汗が出て、一気に疲労が襲ってきた。

「天音さん、彼女は──」

 愁さんがなにか言いかけたとき、周りからシャッターの音が響き、いくつものフラッシュが。
 気づけば、報道陣の人たちがカメラをこっちに向けている。

《シャルロットとクリモト氏のフィアンセ、いい絵になりそうだな!》

 え、えーっ!? フランスのメディアに載せられてしまう!?
 あたふたしていると、意外にも私の前に立ってくれたのは、シャルロットだった。

《ちょっと! アマネは一般人よ! 勝手に撮らないで! 取材なら、私が向こうで受けるわ》

 そう言って、シャルロットは報道陣と共に隅の方へ移動しれくれた。
 去り際に、振り向いて軽くウインクしてくれたシャルロットは、とても素敵だった。

「はぁ……ごめん、天音さん」
「どうして愁さんが謝るんです?」
「連れてきたのは僕だし、それに彼女は──」
《シュウ! ちょっとこっちを手伝ってくれ!》

 愁さんが言いかけた時、カロン氏が助けを求めた。

「──と、ごめん、ちょっと行ってくる」
「はい」

 愁さん、なにを言いかけたんだろう?
 それに──そっか。シャルロットを連れてきたのは愁さんだったんだ。
 もしかして、元カノ……なんてことはないよね?
 愁さんに限って、そんな。
 だけど、私の心の中は不安でいっぱいなままパーティーを過ごした。
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