“私だけに”優しい上司と焼肉に行くまで

植木苗

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私はすぐに電話をかける。同期のさゆりに。

不倫なんで絶対にしたくない。たとえ、向こうがその気でも、関係ない……話なんだけど。とんとご無沙汰な私には、100%断れるかと言われたら……残念ながら数%の不安が残る。

0.000001%くらいだけど。

課長は私好みの塩顔で、スーツを完璧に着こなしている。

スーツフェチからすると、そもそもスーツを着ているだけでポイント高いのに(チョロすぎ)、おまけに脚まで長い。

それに……課長は冷たい冷たいと言われているけど、実際はそうじゃない。“私だけに”って意味じゃなくて。

出勤している私にはわかる。課長はいつも、後輩のフォローをしていることを、ちゃんと知っているんだから。

電話で何度も頭を下げたり……

──え? 木下が連絡ミスを? 申し訳ございません……いえ、あの。担当を変えるのはもう少し待っていただけないでしょうか? ……今回は、私の指導が行き届いていないための不手際です。本当に申し訳ございません。

褒めてあげるように、クライアントにお願いしたり……

──そうでしたか! 田中が良いプレゼンを!……それは、ありがとうございます。お手数ですが、佐々木さまからも、田中に一言伝えていただけると、幸いです。おそらく、そのほうが本人も喜びますので……ありがとうございます。

あんな部下想いなところを見ると……いいなと思っちゃうでしょ。普通。

だからこそ、私に迫ってくるなんて、信じられないけれど……仕事の出来と家庭的というのは、まぁイコールではないものだ。

私は、家庭を壊すような悪女には、絶対になれないはず……だけど、“私だけに”優しい課長を目の前にすると……やっぱり不安は残る。

さゆりならきっと、私の溢れた欲望と、課長への邪な気持ちを断ち切ってくれるだろう。それくらい、彼女は信頼できる同期なのだ。

「もしもし。どうしたの?」

「あのさ! ちょっと今夜どう? 結婚の話とか聞きたいし。あと……」

「あと?」

「ちょっと相談が……」

◇◇◇

「結婚おめでとう~」

カチン。

ビールグラスで乾杯する。

「で? 何、相談って?」

「え? あぁ、その前にさゆりの結婚の話を……」

「いいよ! 相談が先! そのために呼んだんでしょ?」

「あ? バレてた?」

「バレバレ」

さすがは我が同期で、親友だ。

「えっとぉ……もしね。あくまで仮定の話なんだけど、社内で誰かと誰かが不倫している、いや。これからするかもって聞いたら、どう思う?」

「は? それ誰の話? もしかして……」

「いや。違う違う! あくまで仮定の話で」

「みよちゃんのこと?」

「え?」

みよちゃんとは、私とさゆりの四年後輩。WEBマーケティング課に所属している。以前、私も同じ部署だったからよく知っている。

「どういうこと? みよちゃん、不倫してるの?」

「うん。同じ課の鈴木課長とね。結構噂になってる」

「マジで? 知らなかった……上にはバレてないの?」

「もうすぐ、バレるんじゃない? 私でも知ってるくらいだし」

「マジか……もうすでに……」

はぁ。隣の部署で同じ事態になっているとは……世も末。不倫大国・日本なのか……いや。私は不倫なんて絶対にしないけど。

「すでにって何? もしかして、あいりの話?」

「いや。違うんだけど……今後そうなる可能性が0.00001%くらい……」

「え? 相手はどこの課? うちの課ではないよね……広報課とか?」

「え? なんでうちの課は外されるの?」

さゆりはポカンとしている。そんなに、課長はなしなのか。

「いや。だって……うちの課に、既婚者男性って、いないじゃん」

「え? 河村課長は?」

「あの人、二年前に離婚してるよ? 出張中、奥さんに男連れ込まれて、自宅でバッタリ。子どもいなくて、まだマシだったよね」

肩の力が抜ける。心のモヤモヤもシャワーの水で流される。

「ええええ!? それマジ? なんで、そんなこと知ってるの?」

「日村くんに聞いた。その時、課長と仕事の電話してたんだって。とんでもない修羅場の音声が流れてきたって、言ってたよ。まぁ秘密だけど」

それって……私と同じじゃん……え? じゃあ、課長は何? えっとえっと。シンプルに“私だけに”優しい独身男性ってことなの?

ずっと黙ったままの私を見て、さゆりはニヤリと嫌らしく笑った。

「あぁ~。あいりの相手って、やっぱり課長なんだぁ」

「え? やっぱりって何?」

「ちょっと前からおかしいなって、思ってたんだよね。課長、あいりにだけ、なんか違うもん」

「え? さゆりもそう思う?」

「バッチリ見たことはないけど。今日の個別ミーティングも、笑い声。聞こえてたよ」

さすがは、さゆり様。全てお見通しなのか。

「……でもさ。付き合っているとかじゃないのよ。なんか、私にだけ特別感あるなって、その程度のことで。そもそもプライベートは、誘われてないし。ただ、優しいだけかもしれないじゃん」

「男女の仲で、そんなことってある? きっと奥手なんだよ」

「そ、そうかな……」

課長はバツイチ……これは課長にとって、良くないことなのだけど、今の私にとっては? チャンス到来……と思ってもいいですか? 神様……
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