聖女の母と呼ばないで

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日が高く登った頃、フォン・ヴァッハヴェルは遙香の部屋の扉を訪れた。扉の前には2人の近衛騎士が部屋を守っている。

「様子は?」

フォンが短く聞くと、一人が、

「部屋からはお出になられていません。」

と、答えた。


その答えに頷くと、フォンは扉をノックした。


扉が開き、イザベルが顔を出す。

「様子は?」

フォンは、イザベルにも同じ様に聞いた。

「今朝は、朝食も召し上がられ、顔色もよいです。ハルカ様の準備は整っております。」

イザベルは、お辞儀をしながらフォンの質問に答えた。そのまま、フォンを部屋へ迎え入れる。


部屋の中央に、遙香は姿勢を正して立っていた。アイボリーのブラウスに、紺のロングスカート。濃い茶色の髪は高めの位置でふわふわと揺れ動くように結ばれている。

胸元に飾られた黒曜石のブローチの輝きと共に、その瞳には、昨日は見られなかったしっかりとした意思が宿っているように見えた。


「よく休まれましたか?」

フォンは笑顔を浮かべて遙香に尋ねた。

「お陰様で、よく眠れました。」

遙香も微笑を浮かべながら答える。

「本日のご予定ですが、食堂へ移動したのち昼食を取り、その後医局へ行き検査を受けていただきます。

夕方ごろには終わる予定ですので、お部屋へお戻りいただいた後は、ご自由にお過ごしいただいて構いません。」

「わかりました。」

「では、参りましょう。」

フォンは、それだけ言うと、すぐに扉に向かって歩き出した。

遙香もそれに続く。

扉を出ると、騎士が2人部屋を守るように立っていた。遙香は少し驚いたものの、昨日、アルベルトのほかに2名の近衛騎士が付くと説明されていたことを思い出し、小さく会釈をして通り過ぎた。

遙香とともに部屋を出たアルベルトは、2人の騎士と何やら小さな声で話をしたのち、遙香の後に続いた。





食堂までの道すがら、遙香は別邸の様子を観察した。

廊下には、絵画や壺などの調度品が品よく飾られていた。廊下も階段の手すりもよく磨き上げられており、古さはあるものの傷みはなく、重厚感を漂わせている。よく手入れされている様だった。

誰も口を開くことなく、靴音だけが廊下に響いていた。



食堂に着くと、フォンは昨日と同じ席に遙香を案内した。そして、フォンも昨日と同じ様に遙香の向かいに座る。

遙香が後ろを振り返ると、アルベルトが少し離れた位置に立っていた。


すぐに給仕の者が配膳を始める。
遙香の前に、サラダとスープスパゲティが配られた。

グラスに水が注がれたとき、遙香は「しまった。」と思った。「アルベルトとの合図を決めていない。」

そこで遙香は思い直す。フォンが用意した食事を疑えば、遙香は何も口にできない。ここは、信用していいところのはずだ、と。

フォンが静かに食べ始めるのを見て、小さく、ふっと息を吐き、肩の力を抜いた。部屋を出てから無意識に緊張していたようだ。

手を合わせて「いただきます」と呟くと、遙香も昼食を食べ始めた。



**************************************
静かな昼食が終わり、お茶が運ばれてくる。
遙香とフォンの前にコップが置かれると、フォンが口を開いた。

「お食事は、お気に召していただけましたか。」

「はい、とても美味しく頂きました。」

「お部屋はいかがでしょう。何か不都合などありませんでしたか?」

「いえ、日が差す快適な部屋をご用意していただいて、感謝しています。」

「それはよかった。」

フォンは頷きながら言った。


「さて、医局へ向かう前に、これからのことをお伝えいたします。」

フォンはそう言って、遙香に手振りでお茶を勧めた。

「医局は王城内にあります。検査や診察を受ける際は、別邸から馬車で移動していただきます。

医局の建物に、直接馬車をつけますので、王城内は、警備の観点から出歩くことのないようにお願いいたします。」

「わかりました。」

「明日の午後から、教育係のミッドリード夫人がこの別邸に来ます。教育は、当面の間、この別邸内で行われると考えておいてください。

教育の内容や頻度は、明日からの3日間の様子を確認したのちに、ミッドリード夫人が判断いたします。」

「はい。」

「何かご質問は?」

メモ帳を持ってこなかった遙香は、フォンの説明を頭に刻み込む。そして、午前中に皆と部屋で整理していた内容を思い出しながら、フォンに聞いた。

「この別邸内で、私が立ち入ってはいけない場所があれば教えてください。」

行動可能な範囲を尋ねるか、不可能な範囲を尋ねるか。
遙香は、午前中、なるべく広い範囲の回答を得られる質問はどちらだろうかと考えていた。

「そうですね。」

フォンは言葉を選びながら回答する。

「東の区画は使用人棟のため、立ち入りはご遠慮ください。
1階の全域及び2階のハルカ様のお部屋のある区画については、近衛騎士をつけていただければ制限はありません。
3階より上も、ヴァッハヴェル家の私室となりますので、ご遠慮願います。

1階サロンから出られる中庭は、同じく近衛騎士をつけていただければ、使用していただいて構いません。
門に面した前庭及び敷地奥の庭園は、同じく警備上の観点からご使用はご遠慮くださいますようお願い申し上げます。」

かなり細かく設定されている。遙香は、事前に決められていたことを悟った。

それでも、遙香は、最悪部屋から出るなと言われることも覚悟していたため、想定していた以上の行動範囲を得られて安堵した。

「わかりました。ありがとうございます。」



「他にご質問は?」

「過去の聖女が残した記録などを見せていただくことは可能ですか?」

翻訳の呪文により口頭でのやり取りは支障がないが、この国の文字の読み書きの能力は遙香にはない。
教育が始まっても、すぐに文章が読めるわけではない。
アルベルトが、日本語(丸文字)の勉強をしたと聞いたときから、過去の聖女の手記が存在し、閲覧できるのではないかと予想していたのだ。

彼女達が残したものを見れば、この世界のことをより早く知ることが出来る。遙香は、そう考えた。






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