帝都の緋 ー少女剣士、桐の誓いー

えびまよ

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1908年

第一章:緋色の特務官

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 明治四十一年(一九〇八年)・早朝の東京、総理大臣私邸前。

 冬枯れの空は、薄墨色に沈んでいた。
 第二次桂太郎内閣総理大臣は、重い足取りで玄関ポーチに立つ。
 その胸中は、その日の天候と同じく、湿った雲が立ち込めていた。
 日露戦争後の財政難、そして高まる民衆の不満。
 今日の議会での答弁を思えば、この一雨来そうな空模様が、いっそう気分を暗鬱にさせる。

 馬車の車輪が砂利を踏む音を待つ、そのわずかな静寂を——
 三つの荒々しい足音が破った。

 桂の眼前に立ちふさがったのは、血気盛んな三人の男たち。
 誰もが野良犬のような眼差しを持ち、何よりその腰には、とうに時代遅れとなったはずの刀が下がっていた。

 廃刀令など、彼らの頭には存在しないのだろう。

 桂太郎の背筋に緊張が走る。
 老練の政治家とはいえ、この種の暴力には慣れない。

 「桂太郎!」

 一人の男が刀の柄に手をかけた。

 「世を乱す逆賊に、天誅である!」

 叫び声が、まだ眠る屋敷街に響き渡る。
 三つの刃が同時に鞘を離れ、夜明け前の微かな光を鈍く反射した。

 その刹那——。

 桂の視界に、鮮やかな緋色が走った。

 それは、炎のように激しく、そして雪のように冷たい光景だった。

 一。
 二。
 そして、三。

 桂の脳裏では、ただ光の輪が閃いたとしか認識できなかった。
 風切り音は一つ。三つの身体が時間の差なく、まるで糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。
 遅れて、その体から噴き出した朱色の飛沫が、薄暗い石畳に朝焼けのような模様を描いた。

 そこに立っていたのは、一人の女であった。

 緋色の羅紗袴と黒革のブーツ。
 その装束の鮮烈さは、立ち込める薄闇と血の色との対比において、まさしく現世離れしていた。

 女は腰の刀を鞘に納める際、切っ先を一瞬、血振(ちぶり)のために空へと走らせた。
 その優雅な動作すらも、まるで舞の一節のようである。

 そして女は、総理大臣・桂太郎へと向き直った。

 「総理閣下。」

 その口調には一切の動揺がない。
 まるで今しがた道端の小石を払いのけたかのような、静謐で格式張った響きであった。

 「ご無事、まことに喜ばしく存じます。」

 女は、西洋の貴婦人よりもさらに深く、古式ゆかしい一礼を総理に捧げた。

 彼女こそ、内閣直属の特務官。
 藤原朱音(ふじわら あかね)。
 十五歳にして、**「五七桐」**を背負う者である。

 桂太郎は、冷たい空気の中で呆然とその姿を見つめた。
 「……君が。例の、藤原の……」

 朱音は直立の姿勢に戻り、凜とした声で答える。

 「はい。この身は、陛下より賜りし桐の紋の下、内閣直属の特務に就いております。
 不穏分子の排除、並びに閣下の護衛が、今朝の任務にございます。」

 朱音は周囲を見回した。
 男たちは、全員が一刀の下に絶命している。
 その手際の正確さは、訓練を重ねた暗殺者のそれだった。

 「この者たちの始末は、後刻、内務省の者にて手配致しましょう。
 閣下は予定通り議会へ。護衛は、この朱音が務めさせていただきます。」

 そう言うと朱音は、倒れた男たちから視線を外し、馬車の到着を待つように、恭しく桂の隣に立った。
 その朱の袴は、彼女の使命の重さと、この時代の血の匂いを静かに象徴していた。
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