私、魅了魔法なんて使ってません! なのに冷徹魔道士様の視線が熱すぎるんですけど

紗幸

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3 西区の火災

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 王都での生活は、思っていたよりも穏やかだ。

 花屋が荷車を引く音、パン屋の呼び声、道を掃く音、隣家の子どもの笑い声──すべてが日常の音で、胸の奥がほんのり温かくなる。


「ユイちゃん、おはよう! 今日も元気そうね」
「新しい薬草、入ったんだよ。見てくかい?」

 街に出ると、店主たちは笑顔で迎え、通りすがる人たちは声をかけてくれる。この世界での暮らしに馴染んできてる。そんな穏やかな日々が、とても心地よかった。

 そんな日常の中で、時々カイルが家に顔を出す。いつも突然ノックの音ひとつで現れる。

「団長さん……また来たんですか?」
「通りがかりだ」
「いつも通りがかりなんですね?」
「……偶然が重なっただけだ」

 そんなやり取りに思わず笑うと、彼は少しだけ眉をひそめて視線を逸らす。表情はほとんど変わらないけど、目の奥は少しだけ優しく見える。勝手にそんな気がしてる。

「今は休憩中ですか?」
「業務中だ」
「……? 何の業務です?」
「召喚者の管理業務だ」
「それって私を心配してるってことですか?」
「違う。私の仕事の一つだ」

 淡々とした言葉に、思わず笑みがこぼれる。彼は相変わらずクールすぎて、何を考えているのか分からない。けれど、彼が玄関に立つたびに、なぜか安心するのも事実だった。





 昼下がり、いつものように市場で買い物をしていたときだった。

「火事だ!! 王都西区で火の手が上がったぞ!!」
「家が燃えてる!何人も取り残されてるって!」

 慌ただしい叫び声に、人々の顔が強張る。ざわめきが波のように広がり、あちこちで子どもを抱きかかえる姿が見えた。

「火事……?」

 心臓がどくりとはねた。この世界で火事が起こったとき、どうするんだろう。私は一瞬、足がすくんだ。日本でも経験したことのない災害。

(どうしよう……私に何ができる?)

 人の流れに混じって走り出した。西区は住宅が密集していて、火の回りも早い。近づくほどに焦げた木の匂いと熱気が押し寄せる。

「まだ中に人がいるぞ!」「水を回せ!」

 火の手が上がっていたのは、大きな集合住宅だった。警備隊が大声で指示を飛ばしているが、火勢は強く、黒煙が空を覆っていた。

 炎は住宅を完全に飲み込もうとしていて、隣の建物にも燃え移りかけていた。警備隊と近隣住民がバケツで水をかけているが、全く追いついていない。

 そのとき、空気が一瞬にして変わった。風が止まり、代わりに──魔力の波動が満ちていく。人々がざわめき、視線を向けた先。
 銀糸のような光が、炎の間を切り裂いた。そして、その中心に現れたのは、魔道士団の一団。先頭には、黒の制服を身に纏ったカイルさんがいた。火の色がその肩を照らし、冷たい青灰の瞳が揺れてる。

「防御陣形、展開。──ここからは魔道士団が指揮を執る。」

 静かな声だった。だが、その声が響いた瞬間、混乱していた現場の空気が一変する。命令が次々と飛び、魔道士たちが息を合わせて詠唱を始めた。
 カイルさんが右手をかざす。風の魔法陣が彼の足元に展開され、中心から白い光が立ち昇る。

「《蒼の風輪》」

 低く呟くと、轟音とともに風が生まれた。炎が後退し、空気の流れが変わる。燃え広がるはずの炎が、逆に吸い込まれるように縮んでいった。周囲の魔道士がそこへ水魔法を流し込み、風と水が一体となって火を鎮めていく。水が踊り、炎の音が消えていく。

 まるで嵐のような力。けれどその中心に立つカイルさんは、一切動じない。冷静で、整然としていて、指先ひとつで炎の世界を支配しているようだった。

──あの人、あんなに凄いんだ。

 息を呑んだ。胸が、どくん、と高鳴った。周りの人々が「魔道士団が来た!」「筆頭魔道士様だ……」とざわつく中、目が離せなかった。


「治癒師はまだ来ないのか!?」
「けが人が増えてる! 治癒師を呼んくれ!」

 その声にハッとした。

(……私が、やるしかない!)

 街の人達が、建物から逃げてきた人達を助けている。倒れている人たちのもとへ駆け寄る。かなりの数だ。多くの人が火傷を負って痛みを訴えていた。

「大丈夫、すぐ治りますからね!」

 両手をかざし、魔力を流す。淡い光が傷口を包み、焼けた皮膚が少しずつ元の色を取り戻していく。焦げた服の下から安堵の声が漏れる。

「お、お嬢ちゃん……ありがとう……」
「いいんです。次の方も、こっちに!」

 休む間もなく治癒魔法を繰り返す。ひとり、またひとり治療を続けた。

 だが、そんな中──。

「痛いっ! 火傷したのよ、どうしてくれるの!?」

 甲高い声が響いた。派手なドレスの金髪の女性が、頬を押さえて叫んでいる。派手な人がいるなって思ってたら、近づいてきた。

「ちょっと貴女、私を先に治しなさい! この顔に傷が残ったらどうするの!?」

 ちらっと見ると、頬にわずか小さな火の粉が飛んだようで赤くなっていた。

「すみません。次々と重傷の方が運ばれてきていますので、そちらの火傷は、後ほど必ず手当てしますから、少し待っていて下さい」

 女性は顔を歪めた。丁寧に言ったつもりなんだけどな。

「あとで治しますから……ね」
「私を誰だと思ってるの!? アストリア商会の娘よ!」

 周囲がどよめいてるのが分かった。有名な人なんだろうか。けれど相手にする余裕がない。怪我人が多すぎる。頭を下げたまま、治療のために手を動かし続けた。

「他の方はもっとひどい怪我をされています。少し待っていて下さい」

「そうだ! 他にも重傷な奴がいるんだ! 引っ込めよ!」
「はあ? お金ならいくらでも払うわよ! 早く私を治しなさいよ!」

 ただでさえ怪我人が多いのに、喧嘩まで始まろうとしてる。お金ならあるのよってずっと叫んでる。やめてもらってもいいかな。街の人達が何人か止めに入ろうとしてくれてるけど、遠巻きにしてる人もいる。その、なんとか商会って大店なんだろうな。

 私だって余裕がない。次々と怪我人が運ばれて来る。煤と煙が残るの中、静かに顔を上げた。彼女の青い目と目が合う。

「……じゃあ、お金を出してください」
「ふん、お金が欲しかったのね? 先に言いなさいよ! 回りくどいわね、ほらっ!」

 そう言いながら、彼女は大銀貨を数枚取り出した。その硬貨を指差して静かに彼女に告げた。

「お金で怪我が治るなら、そのお金を握って頼んでください。『私の怪我を治して』って」

 しん、と周りの音が消える。
 周囲の人々が目を丸くし、誰かが小さく吹き出した。

「治療の邪魔をしないでください。私の優先順位はお金ではなく、命の危機にある方です」

 彼女の顔が真っ赤に染まった。「この……私を馬鹿にして……!」と、治療中の私に掴みかかってきた。
 あぁ、しまった煽りすぎたかも。と思った時、すでに彼女の手が振り上げられていた。殴られる! そう思ってぎゅっと目を閉じた。

──しかし、衝撃は来なかった。

 彼女の手首が、誰かの手に掴まれ、ピタリと動きを止めていた。そこには、氷のように冷たい瞳のカイルさんが立っていた。

 黒い外套。煙る風がその肩を揺らしている。周囲がざわつく中、カイルさんは彼女の手首を放し、一切の感情のない声で言った。

「……もうすぐ王城の治癒師が到着する。重傷者が優先だ。下がれ。」

 低く、静かに。だがその一言だけで、彼女は青ざめて動けなくなった。
 周囲がざわめく。
「筆頭魔道士様だ……!」

 威圧でも怒鳴りでもない。ただ存在そのものが、場を支配する。

「……は、はい……」
 彼女は震えながら後ずさった。

 カイルさんにちらりと瞳を向けられてドキッとした。

「……無茶をするな」
「は……はい」

 一瞬、怒られるのかと思った。けど、かけられた言葉は優しかった。青灰色の瞳をまっすぐ見返すと、ほんの一瞬目が細められた。それ以上は何も言わず、彼は現場の指揮に戻った。

 やがて王城の治癒師たちが到着し、治療は一気に進む。

「ユイさん、大変でしたね! すぐ手伝います!」
「ありがとうございます……!!」

 顔なじみの治癒師に声をかけられ、彼らと協力して治療を続けた。すべてが終わる頃には、夕焼けが空を赤く染めていた。

 ホッと息をついていると、カイルさんが静かに近づいてきた。頬に煤がついている。それでも背筋はまっすぐで、眼差しは凪いだままだった。

「……お疲れ様」
「団長さんもお疲れ様でした。……すごかったです、さっきの消火」
「当然の仕事だ」

 それだけを言い残すと、また冷たい風のように去っていった。

 



 数日後。
 いつものように玄関をノックする音がした。開けるとカイルさんが立っていた。手には紙包みを持っている。それをそっと差し出してきた。

「王宮治癒師団からだ。『ユイに渡してくれ』と言って、私に持たされた。先日の礼だそうだ。受け取れ」

 ユイが受け取ると、中には王都で評判の高級な焼き菓子の詰め合わせが入っていた。

「わぁ……お菓子! ありがとうございます!」
「俺は届けただけだ」

 そう言いながらも、わざわざ来てくれたのだ。とても嬉しい。

「じゃあ、一緒に食べましょう」
「……なぜ俺が?」
「団長さん、甘い物嫌いですか?」
「嫌いではないが……」
「じゃあ決まりです!」

 強引に誘う形になってしまったけど、せっかくのお菓子だ。ふたりで食べたほうが美味しいだろう。紅茶を淹れながら、あの日のことを思い出す。

「あの時、助けてくれてありがとうございました」
「助けた覚えはないが」
「……女の人に叩かれそうになったのを、団長さんが止めてくれたじゃないですか」
「お前が煽るからだ。馬鹿なのか」
「うっ……言い返せない」

 反論できなかった。あの日は慣れない現場と緊張もあったけど、確かに、あんな挑発的なことを言う必要はなかった。

「だが……」

 カイルさんは紅茶のカップを静かにソーサーに戻すと、おもむろに懐から小さな包みをもう一つ出した。

「これは、私からだ」

 包みから出されたのは、先ほどの治癒師団からの菓子とは違う、美しい瓶に入れられた砂糖菓子だった。
 可愛らしい砂糖菓子をクールな表情の彼が持つ姿に、一瞬ポカンとしてしまう。

「……え、団長さんから?」
「あの日の一連の行動は、結果的に多くの人間を救った。頑張ったな」 
「っ……!」

 カイルさんは、淡々と、しかし確かにそう言った。こうやって素直に褒めてもらえることが凄く嬉しい。胸がゆっくりと熱くなる。

「……ありがとうございます」
「礼はいい。紅茶が冷める」
「ふふっ、はいっ!」

 二人でお菓子を分け合う午後。窓の外では、鳥の声と風の音。

 ほんの少しだけ、心がほどけていくような穏やかな昼下がりになった。

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