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25 偽りの魅了
しおりを挟む「ねぇ、ユイ? 何かあったの?」
セレナが心配そうに聞いてきた。今日は、セレナと二人で街に買い物に来ていた。私は慌てて否定する。
「ううん、何にもないよ!」
「でも、今日のユイ、上の空だよ?」
セレナは、カフェのテーブルを指差す。下を見ると、私が注文したフルーツのタルトが、フォークで何度もグサグサと刺されて、原型を留めないほどボロボロになっていた。
「あ……」
私の手元の惨状を見て、私は無理に笑うしかなかった。
「討伐の遠征疲れが残ってるのかも。なんか、まだ頭がぼーっとしてて」
「嘘よ。遠征疲れでタルトを破壊する人はいないわ。他にも何かあったでしょ?」
セレナは、私の言葉を信じずため息をついた。彼女の鋭い指摘に、私は観念した。ずっと、カイルさんのこと、ゼルフィの質問のこと、そして北区の教会のこと。どれもが私の心をかき乱している。
私は、ポツリポツリと、話し始めた。北区の教会で、私と同じ黒目黒髪の女性が、異世界から来た聖女と呼ばれていること。
それをこの前、ゼルフィと二人で見に行ったこと。多くの人たちが崇拝しているような、異様な様子だったこと。
そして、カイルさんがその調査をしているのに、私には何も教えてくれないことを、もどかしく思っていること。
セレナは、私の話を聞いて目を見開いていた。
「異世界から何人も人を呼ぶって、できるものなのかしらね?」
「いや、ゼルフィもルシアさんも不可能だろうって言ってたよ。国を挙げての召喚しかありえないって」
「じゃあ。そうやって異世界から来た聖女っていうのを否定せずに人を集めてるってことは、何か目的があるのね……」
セレナは、考えるように顎に手を当てた後、急に目を輝かせた。
「私も見てみたいわ、その『聖女』とやら。私たちだけで行けないかしら?」
「でも、この前だってゼルフィの認識阻害の魔法や魔導具とかを駆使して行ったんだよ。私達だけじゃ危ないかもしれない」
「ふっふっふ。ユイ、アストリア商会の商品力を舐めないでよ。認識阻害なんて朝飯前だわ。姿がバレない様な魔導具は、いくらでもあるわ」
セレナは胸を張って言い出した。確かに私も、あのアンジェという女性と、彼女に笑顔を向けていたカイルさんのことがずっと気になってる。セレナの言葉に、好奇心が勝った。
「分かった。じゃあ、一緒に行こう」
セレナは、満足げに微笑むと、すぐに私をアストリア商会へと連れて行った。
数時間後、私たち二人は、王都の北区の教会前に立っていた。
私は、セレナの用意してくれた状態異常無効化の魔導具であるブレスレットをしっかりと身に着け、黒髪を隠すための帽子を目深に被り、認識阻害の眼鏡もかけている。セレナも、同じように徹底した変装をした。
教会は、この前来た時よりもさらに多い人たちで溢れていた。教会周りの広場にも、隙間なく人が集まっている。
今日は、教会の奉仕活動が行われているようだった。教会の職員たちが、炊き出しのようなものを人々に配っており、相当な人数がやってきていた。
だが、その雰囲気は単なる慈善活動ではない。人々は、炊き出しを受け取るたびに、どこか陶酔したような表情で祈りを捧げている。広場には簡易な祭壇が作られ、そこに佇むアンジェに多くの声がかけられていた。
「アンジェ様は聖女だ」
「世界をお救いください」
「愛しております、聖女様」
その物々しい雰囲気は、もはや禍々しくさえ見えた。セレナも、その光景を見て顔が引きつっている。
「あれが聖女様? 凄いわね、何なのあれ」
セレナが、驚きと恐怖の混じった声で囁いた。教会の周囲には、異様な香りが漂っている。
「……この香り」
それは、この前教会の中でも感じた、甘ったるくむせ返るような花の香りだった。今は外にいるというのに、その香りが辺りに充満し、鼻の奥に強くまとわりついてくる。セレナも、ハンカチで口元を押さえながら、顔を歪めた。
「ちょっと、気持ち悪くなるわね。この香りのせいかしら?」
教会周りの広場には、むせ返るような花の香りが漂っていた。この香りが、人々の思考を酩酊させているのでは? と考えた、その時だった。
「あんた、うちの旦那に何をしたのよ!」
人混みの中から、ひとりの女性が祭壇にいるアンジェに向かって走り出た。女性は、教会の職員に止められるが、構わず叫ぶ。
「あんたのせいで旦那がおかしくなったわ! 毎日仕事にも行かずにあんたの名前を呼び続けてるのよ、あんたが何かしたんでしょう!?」
セレナが隣で小さく呟いた。
「あの女性には、状態異常が効かないみたいね。よほど精神力が強いのね」
だが、あの状況はまずい。彼女が暴走したら、取り返しのつかないことになる。そう思った瞬間、女性は職員の静止を振り切り、ナイフを取り出し、アンジェに向けながら飛びかかった。
ザワッと、人々が動揺する。驚きで表情を強張らせるアンジェ。
次の瞬間、アンジェを守るように前に躍り出た影が、空間を滑るように動いた。
──キンッ
甲高い金属音が響き渡り、女性の手からナイフが弾き飛ばされ、遠くの石畳に鋭い音を立てて落ちた。アンジェを守るように横に立っていたのは、カイルさんだった。
彼は、一瞬で状況を制圧し、何事もなかったかのようにアンジェの傍らに立っていた。
ナイフを持った女性は、すぐに職員に取り押さえられた。周囲の人々は、女性に「聖女様に何をするんだ!」と、暴言を浴びせている。
アンジェは、しなだれかかるようにカイルさんに寄り添った。
「カイル様は、私を守ってくださるのですね」
「ああ、アンジェのことは俺が守る」
彼女の問いに甘い言葉で返す。彼の顔は、先日教会で見たのと同じ、とろけるような笑顔だった。
胸がズキリと痛んだ。とても演技には見えない。二人の距離も、表情も、まるで心から想い合う二人そのものだった。足がその場に縫い付けられたように動けない。
そして、アンジェはそんなカイルさんを見て、満足そうに微笑んだ。
「あなたが私の元にいれば、私は何も怖くないわ。すべてが私の物になるのね」
その言葉と、高笑いする表情は、とても聖女とはかけ離れたものだった。その冷酷な野望が剥き出しになった彼女から、目を離すことができなかった。アンジェは、すぐに表情を冷たく変えた。
「私を殺そうとした女は処分してちょうだい」
アンジェの言葉で、取り押さえられた女性が連れて行かれようとする。
(まずい、このままでは……)
私が動こうと力を込めた、その時だった。低い声が、あたりに響いた。熱狂する人々の喧騒を一瞬で切り裂くような、冷たい声だ。
「それが本性か」
「え?」
アンジェが驚いて声のした方を見た瞬間、カイルさんの手が、ガッと彼女の顎を掴んだ。強い力で捕まれ、アンジェの頬がぎりぎりと歪む。
「な……なにをするの……」
アンジェが、苦しげな声を上げる。カイルさんの表情は、いつもの冷酷そのものに戻っていた。彼は掴んだ手を強め、彼女をねめつける。
周囲の人々が、「アンジェ様を離せ!」と叫び始めた。カイルさんは、その人々に一瞥もくれず、冷たく告げた。
「それは、お前たちの本当の感情なのか?」
その瞬間、私はカイルさんと目があった。人々の叫び声で、彼の声は聞こえない。だが、彼は確実に、私を見つめていた。彼の青灰色の瞳が、人々の混乱の中で、ただ静かに私に何かを伝えていた。
そして、彼の口が動く。彼の口は、はっきりと私に告げた。
──『やれ』と。
私は、理解した。この場で、私が唯一できることがあるのだと。それは、一つ。このアンジェという女性の魔力と、禍々しく淀んだ空気を晴らすのだと。
静かに冷静に魔力を紡いだ。ゆっくりと目を閉じ、全身の意識を浄化の力に集中させる。
体内から解き放たれた魔力が、空気を切り裂く嵐となり、教会周辺を巨大な青白い光のドームで包み込んだ。
それは、濁った水の中に一気に光の奔流が流れ込んだような感覚だった。光が人々の肌を優しく通り抜け、魅了の魔法や薬物による負の思念の淀みが、黒い水となって剥がれ落ち消えていく。
「うっ……私は何を……」
「何で、ここでこんなことを……?」
人々の目に生気が戻っていく。まるで長い夢から覚めたかのように、自分たちがしていたことを理解できず、混乱し始めた。
「な……!?」
その様子に、アンジェは驚きで顔を歪ませた。カイルさんは、顎を掴んだままのアンジェに冷たく問いかけた。
「さて、ここからどうする?」
「あ、あんた……! 私の魅了に、かかっていなかったのね!?」
アンジェは、一転して悪態をつき始めた。カイルさんは、フッと鼻で笑った。
「お前の下らない魅了などに、かかるわけないだろう。俺は魔法干渉を跳ね返す。微弱な魔力を補うための小細工をしていたようだが、俺の前では最初から霧散している」
その瞬間、カイルさんの合図で、隠れていた騎士団員と魔道士団員が一斉に教会へと集まり、教会を取り囲んだ。彼らは、司祭や職員、そしてアンジェを次々と捕縛していく。
「離しなさい! 私は聖女よ!」
アンジェは叫び続ける。
カイルさんは、捕縛されたアンジェに冷たい視線を向けたまま言った。
「なぜ、こんな事をした」
「私は聖女なのよ! この国を救う聖女なのよ!!」
彼女は、その狂信的な言葉を繰り返すばかりだった。魔道士団員たちが、集まった人々に向けて大きな声で告げた。
「集まった市民の皆様! この教会で、聖女を名乗った女性は、微弱な魅了魔法に加え、異国の薬を使い、皆様の思考を酩酊させ、操ろうとしていました!」
魔道士団の冷静な説明に、人々は騒然となる。
「この教会は、不審な活動が認められたため、これより王命により封鎖される!」
魔道士団員たちの凛とした宣言が、広場に響き渡った。混乱が続くなか、私は浄化ができたことにホッとする。魔力を使い果たしたわけではないが、なぜだかどっと疲れた。
「ユイ、大丈夫!?」
セレナに支えられ、私はその場にそっと座り込んだ。
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