私、魅了魔法なんて使ってません! なのに冷徹魔道士様の視線が熱すぎるんですけど

紗幸

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38 金茶の影

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「え、ラザード国からヴィオラ殿下が来てるの?」

 一瞬、大きな声が出てしまい、セレナは焦ったように口元を押さえた。ここは、アストリア商会の建物内にあるセレナの私室だ。すぐに我に返ったセレナは、胸を撫で下ろした。

 私は、カイルさんから聞いたラザード公国から使者が来ている話をセレナに話したところだった。セレナは、北区の教会での事件でラザード公国の薬が使われていたことを知っているため、このタイミングでの公女の来訪を不審に思ったようだ。

「ラザード公国のヴィオラ殿下といえば、眉目秀麗で、代々ラザード公国を治めてきたラザード公爵家の公王ザルバド殿下のひとり娘よね。性格はかなり苛烈と聞くわ」

 セレナはそう言いながら、書棚から一冊の厚い資料を取り出した。それは、各国主要国の地図や、王族・貴族の顔絵、紋章などが詳細にまとめられた商会の極秘の資料のようだ。

「ほら、この方よ」

 セレナは資料をパラパラとめくり、一枚の精緻な絵姿を見せてきた。それはヴィオラ様の肖像画だった。背中まで豊かに流れるウェーブがかった赤茶の髪に、強い光を宿す赤い瞳が印象的な美しい女性だった。

「ラザード公爵家には、他にも二人の息子がいるんだけど、一番薬学の知識に精通しているのはヴィオラ様と言われているらしいわ。熱心な宗教家とも知られているわね」

 ふと、その絵姿の横に描かれている、龍のような紋様が私の目に入った。セレナは、私の視線に気づいたようだ。

「それはラザード公国の国章ね。ラザード国は、龍を神の化身として崇めていて、古代から続く強い信仰の対象なの。公国の建国神話に龍が登場する歴史があり、それで国旗にも描かれることになったのよ」

 セレナは資料に視線を落としながら説明を続けた。

「ちなみに、公王は、龍を飼っているという噂話もあるわね」

 そのスケールの大きな話に思わず感心した。

「その話も凄いけど、アストリア商会の情報量って凄いね」
「商売は情報が命だからね。こういった資料は全て揃えられているわ」

 セレナは資料を閉じ、真剣な顔になる。

「逆に言うと、ユイ。あなたの情報も、各国は掴んでいると思うわ」
「え?」
「このアルヴェリア王国が国を上げて召喚した異世界人ですもの。公式には公開されてはいないものの、水面下でそういった情報は掴んでいると思うわ。ラザード国にも、あなたの情報は確実に入っているでしょうね。だからこそ、カイル様はユイにしっかりと護衛をつけているんでしょう」

 たしかに。セレナに会いに行くために馬車を用意してもらった際も、熟練の護衛騎士の方をつけてくれていた。

「愛されているわねぇ」
 セレナはそう言って、茶目っ気たっぷりの笑顔を向けた。
「まさか、ユイがヴァレンティス侯爵家に住むなんてびっくりだわぁ」

 冗談めかしたその一言が、私の核心を突いた。思わず顔を真っ赤にして俯き、無言で頷いてしまう。そんな顔を見て、セレナはすぐに何かを察したようだ。

「え、もしかして、やっとユイって自分の気持ちに気づいたの?」

 顔を真っ赤にしたまま小さく頷くと、「遅すぎでしょ」と言いながら声を上げて笑っていた。セレナは楽しそうに、じっと見つめてくる。

「で、その公女様のお相手に忙しくて、なかなか帰ってこないカイル様に会えなくて寂しくなってるの?」
「いや、そんなんじゃないから」

 思わず強気に答えたが、胸の中には少しだけ否定しきれない寂しい気持ちがあった。ヴィオラ殿下がアルヴェリア王国に来られている今、カイル様は公式行事や交渉の場での対応で忙しいようだ。夜は必ず邸に帰ってくるものの、夕食を共にする時間はここ数日取れていない。
 セレナは、私の一瞬の表情の変化を見逃さなかったようだが、それ以上は追及しなかった。

 その後も、私たちは他愛のないおしゃべりや、これからの商会の戦略についてなど、さまざまな話をしながら、和やかな時間を過ごした。セレナと話すことで、心に安らぎが戻ってくるのを感じた。


 セレナに笑顔で見送られながら、アストリア商会の重厚な玄関を出た。ヴァレンティス侯爵家の馬車が玄関前に来てくれている。
 馬車に乗り込もうとした、その時、まだ誰もドアに触れていないにもかかわらず、突然馬車のドアが開いた。

 その中から飛び出た人物は、私に向かって一直線に、驚くほどの勢いで飛びかかってきた。驚愕する私に、護衛騎士は一瞬反応したが、戸惑いのせいで動きが止まってしまう。

(な、何!?)

 身構えた私にぶつかってきたのは、金茶色の髪に緑色の瞳を持つ、迫力のある美人の女性だった。
 彼女は、私の全身を包み込むように、ふわりと、優しく抱きしめてきた。

「会いたかったわぁ!!」

 突然の出来事に、完全に思考が停止した。いや、私よりも護衛騎士さんたちのほうが、予期せぬ事態にオロオロと戸惑っているかもしれない。一体誰なんだろうと思っていたら、馬車に同乗していた従者が慌てて「その方は、マリアベル様です!」と教えてくれた。

 「え?」と混乱していると、その女性の方が体を少しだけ離し、私に満面の笑みを向けた。

「ユイさん、はじめまして。わたくしは、カイルの母です」
「え……えぇ!?」




──ヴァレンティス侯爵家の応接室

 目の前には、芳醇な香りのする紅茶が湯気を立てている。向かい側のソファには、気品あふれる柔らかな雰囲気の女性──カイルさんの母、マリアベル様が座っていた。金茶色の髪は艶やかに輝き、緑色の瞳は優しく瞬く。非の打ち所のない美しい顔立ちに、柔らかな笑顔をのせている。

「ごめんなさいね、驚いたでしょう? メリアには止められたんだけど、ユイさんに早く会いたくて、馬車で待っていたのよ」

 ちらりとマリアベル様の背後に控えるメリアさんを見ると、「すみません」と顔に書いてある。

 私は侯爵家で大変お世話になっていることを、丁重にお礼を告げた。

「いいのよ、自分の家だと思って、ゆっくりと過ごしてちょうだいね」

 そう穏やかに言われ、私はただ恐縮するばかりだった。

「それにしても、カイルはあなたに優しくしてる?」
「はい、とても良くしていただいています」
「カイルは、あなたに贈り物をしているの?」
「あの、私は今侯爵家にお世話になっていますが、その、そういう贈り物をし合うような関係では無くて……」

 私の言葉を遮るように、マリアベル様は軽くため息をついた。

「だめね、あの子は……」

 その言葉と同時に、侍女たちが大きな箱を次々と運び入れる。

「ユイさんのためにと思って用意したのよ。事前にどんな雰囲気の子か伺っていたけど、思った以上に可愛らしいお嬢さんで、これはぴったりかもしれないって思ったの」

 箱の蓋が開かれ、中からは華やかな絹やベルベットの衣装、繊細な刺繍の靴が現れる。マリアベル様はメリアさんと一緒に、目を輝かせながら私に合う服を選び始めた。戸惑い、ついオロオロとしていると、マリアベル様はそっと手を取り、温かなまなざしで伝える。

「あなたにと思って用意したのよ。遠慮しないで、貰ってちょうだいね。それに、こんな可愛い娘が欲しかったのよ」

 そう言われ、抵抗する間もなく、マリアベル様が選んだ柔らかな橙色の繊細なレースがふんだんにあしらわれたドレスに着替えさせられた。鏡に映ったのは、今まで見たこともないほど華やかで、可憐な雰囲気を纏った自分だった。

「可愛いわぁ~!」とマリアベル様が声を上げる。服に合わせたメイクやヘアセットも完璧に仕上げられ、完成した装いは、私の心をさらに高鳴らせた。
 ふと、マリアベル様が少し鋭い眼差しで私を見た。

「ねぇ、あの子は自分の気持ちをあなたに伝えていないんでしょう?」

 思わず体が硬直する。
「あの、マリアベル様、私たちは本当にそういう関係ではなくて……」
「あらやだ、わたくしのことは『お母様』って呼んでいいのよ!」

 強く言い切られ、否定する言葉を完全に失ってしまった。マリアベル様は、私の手を優しく握る。

「カイルはね、こうやって女性を連れてくるどころか女性の影すら無かったわ。婚約者の打診も今まで多く来たけど、中々上手く行かなくてね。主人に似て魔法一筋で、このヴァレンティス家の名を背負って苦しんでいるのかと思っていたけれど……」

 マリアベル様は、私を見て柔らかく微笑んだ。
「あなたみたいな素敵な女性を連れてきてくれて、私は本当に嬉しいわ」
「え。あの……」
「あの子が、こうやって貴女をここに住まわせて欲しいって頼みごとをしてきたのも、今までで初めてのことなのよ」

 その決定的な一言に、顔が一気に真っ赤になってしまう。

「少しでもユイさんの胸の中にあの子がいるなら、仲良くしてあげてちょうだいね」

 そう穏やかに言われ、どうしたらいいのかわからなくなる。

「近いうちに、旦那様もあなたに会いたいって言っていたから来るはずよ。でも今回は、私が我慢しきれなくて先に来ちゃったわ」と笑っている。

「さて、とはいえあの子から告白はさせないと駄目ねぇ。ほんとにヘタレなんだから。誰に似たのかしら……」と、お母様は愉快そうにブツブツ言っていた。


 カイルさんのお母様からの想像を絶する後押しに、どうしたものかと戸惑うことしかできなかった。


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