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第5話

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「先生、居ますか?」

 私は玄関扉をノックし先生を呼ぶ。
 居ないのだろうか?

 先生からピアノの指導を受けて数ヶ月が経過した。
毎日、玄関扉をノックし、先生を呼べば必ず扉を開けてくれた。
不在なんて事、今日が初めてであった。

「……何かあったのかな?」

 ドアノブに手をかけると鍵が空いていた。
ドラマや小説なんかで見たことがある。
こういった鍵がかかっていない場合は
大抵、中に居る人物が倒れていると相場が決まっている。

「まさかね」

 本当に先生が中で倒れていた場合、大事である。
一応、入って確認をしよう。
万が一見当違いだった場合は謝ればいいのだ。

 私は部屋の中に入る。
電気のついていない、相変わらず薄暗い室内。
普段だったら、2階のピアノがある部屋へ直行している所。
だけど、今日は事情が違う。

「先生、ごめんなさい。少し部屋を拝見します」

 私は先生の自宅を探索を始める。
1階は台所と大きめのリビング、2階へと続く階段。
通路の先に洗面台とお風呂とトイレといった構成だ。

 リビングは殺風景で椅子とテーブル以外は何もない。
台所は冷蔵庫と必要最低限の食器のみ。
水回りの横に薬が置いてあるのが見えた。

 袋には聞いたことのない薬名が沢山羅列されている。
氏名欄に”サクラダ様”と記載があった。
私はこの時、先生の名前をこの時初めて知った。

 ……今は関係の無いこと。先生を探さないと。

 1階を散策しても先生の姿は見えなかった。
 となると2階だろうか。

 私は2階への階段を上る。

 2階には、私が普段ピアノを指導してもらう部屋を含め3部屋あった。
 まずはピアノ室を見る。
 先生は居ない。

 次に向かい側の部屋を開ける。
 倉庫だろうか。
 沢山のダンボールが積まれており、床には沢山の譜面が落ちていた。

 私は床に落ちていた譜面を1つ拾い上げる。

 作曲者:サクラダ

 ここにも先生の名前が記載されていた。
1階の薬が入った袋にも”サクラダ”の文字がある事から
先生の名前はサクラダで確定なのだろう。

「作曲……」

 床に散らばる譜面、沢山積まれたダンボールの中身も全て譜面であった。

 そして、どの譜面にも”作曲者:サクラダ”の文字が記載してあった。


 先生は一体どんな人なのだろうか?
数ヶ月、先生の元でピアノを教えてもらった。
しかし、私は先生の事を何も知らない。

 AIによる演奏や作曲が主流の現代において、
人間による演奏を行う先生。

 大量に積まれた譜面。
 自ら作曲を行う先生は何者なのだろう。

 私は譜面を元の場所へ戻し、最後の部屋の扉を開ける。

 その部屋にはベッドが1つ置いてあり、
先生はベッドの近くの床に倒れ込んでいた。

「先生!!」

 私は一目散に先生の元へと近寄る。

「先生、しっかりして下さい!」

 彼の体をゆすりながら意識の確認をする。
何度か呼びかけると先生は咳き込みながら起き上がる。
床下には吐血の後が広がっていた。

「……!?」

 私はそれを見て驚く。
人生で初めて見る吐血が知り合いならば尚の事である。

「先生、今すぐ救急車を呼びます」

「ゲホ……ああ、ソラか。
 うん、救急車は必要ないよ。
 いつもの事だからね」

「いつもの事って……」

「ゲホッ、ゲホッ!!」

 先生は更に咳き込み、血液混じりの痰を吐き出す。
誰が見ても大丈夫そうではない。

 先生は、かすれる声で漏らすように呟く。

「ああ、主治医は嘘つきだなぁ。
 予定よりも早いじゃないか……」

 何が予定よりも早いのだろうか?
 いや、そんな事より救急車を呼ばないと。

 私がスマートフォンを取り出すと先生は
私の手を掴み無言で首を横に振る。

「もう治らない病気なんだよ。
 何か変わるわけじゃない」

 そうして先生は、ゆったりと立ち上がる。

「ソラ、最後に君に話したい事がある」

 ”最後”

 先生の言葉に私は困惑する。

 どうして?
 いきなり最後なんて?
 私はまだ貴方に教わりたい事が沢山ある。

 頭の整理がつかないまま、歩き出す先生の後ろをついていく。


 いつものピアノがある部屋。
 先生はピアノの前に座る。

 先生は深呼吸をして、鍵盤に指を触れる。
川の様に穏やかで、静かな演奏が始まる。
その曲は、私が先生に初めて演奏してもらった”DIVA”の楽曲。

 先生は語りだす。

「何から話そうか。
 そうだな、自身の仕事についてから話すのが良いだろう」

 先生の仕事。
確かに先生は平日、どの日も家に居た。
先生は何をしている人なのだろうか。

「ソラ、AIはどうやって作られるか知っているかい?」

「AIですか。すみません、詳しくは知りません」

「まあ、普通は知識がなくて当たり前だ。
 AIは”自動学習”によって作られる。
 僕たち人間が言葉を学び、文字を知り、会話をして
 出来ることを広げていくように、AIも勉強をして自我を形成していく。
 例えばピアノの演奏。ソラも自分も勉強をし、練習を重ね、
 ピアノの演奏が出来る様になった」

「つまりAIもピアノの勉強が必要ということですか?」

 先生は満足げに頷く。

「その通り。そして、ただ学習するだけでは駄目なんだ。
 教科書通りの演奏ならそこまで。
 そこからは、自ら考え計算し導く”ベース”の考えが必要なんだ」

 先生の演奏が一瞬、音程が外れ、一旦演奏を止める。

 そして、窓から差し込む陽射しを見ながら答える。

「僕はね、そのAIの”ベース”を作る仕事をしていたんだ。
 最後に携わった仕事。それは、とある作曲AIの学習させる事」

 先生は再び演奏を始める。
 私は何となく察する。
 彼が何故、この曲を弾いているのかを……。

「現在、人気絶頂の作曲AI”DIVA”
 僕は、そのAIを学習させた。
 つまり、僕はAI”DIVA”の先生なのさ」

 先生は苦笑しながら語り続けた。

「最初はとても楽しかった。
 自身の作曲や演奏技術を沢山吸収し、成長するDIVA。
 だけれど、ある時、DIVAが自ら楽曲を生成し始めた」

 先生は声を震わせながら口を開く。

「その完璧な楽曲に震えたよ。
 僕の作曲した曲をアレンジし、凌駕した。
 その次点で、DIVAは僕を越えたんだ。
 後は簡単な話しさ。
 AI”DIVA”はネットデビューし、破竹の勢いで有名AIになった」

 室内にDIVAの楽曲が哀しく響く。


「恥ずかしい事に僕はAIに嫉妬した。
 僕自身がベースでありながら、DIVAに越された事が悔しかった。
 だから、僕は何度も、何度も作曲をした。
 だけれど、人間がAIに勝つことなんて出来ない。
 大衆の人気、時代思想の趣味嗜好を寄せ集め計算し、
 作曲するAIと違い、僕は僕の人生で見聞きした範囲でしか曲を作れなかった。
 誰にも見向きもされなくて当然だ」

 私は思い出す。
 2階の倉庫に沢山積まれ、散乱した譜面。
 あれは先生がDIVAに対抗するために書き連ねた譜面だったのだ。

「そこから病気が分かってね。
 余命幾許も無く、仕事も辞めた。
 毎日、何も無く、死を待つプレッシャーを感じる日々。
 そこで出会ったのがソラ、君だよ」

 街中でストレス検知をされていた先生。
そうか……あの時、既に先生は病気を患っていたのか。

「鍵を落としたのは偶然だった。
 君が鍵を届けてくれて、お礼に演奏をしたくなったんだ。
 本当は、ただの自己満足だったけれど」

 活躍するAIの影で一人、誰からも評価されない先生の演奏。
 だけど、私はあの日……

「演奏を終えて、君はこの部屋に飛び込んできた。
 そして、演奏の感想として君は”不完全”と評価してくれたんだ。
 それがとても嬉しかった」

 私の”不完全”の言葉に、先生は”最高の賛辞”だと笑った。
 確かにあの時、私は人生で初めて”楽しい”を感じたのだ。

「先生、私にピアノの指導を提案したのは……」

 先生はピアノの鍵盤を見ながらゆっくりと頷く。

「僕の残りの人生。君に託そうと思ったんだ。
 ”完璧”が求められるこの現代において、
 ソラは僕の”不完全”を理解してくれた。
 僕という”意志”を誰かの心に残しておきたくなったんだ」

 先生は演奏を終える。

 私の鼓動が早くなる。
 先生の先ほどの言葉を思い出す。

 ”ソラ、最後に君に話したい事がある”

 嫌だ。
 私はまだ先生に教えて貰っていない事が沢山ある。
 ピアノを上達させて”楽しい”を知りたい。

 それでも終わりはあっけなく訪れる。

 先生は私の方を見ながら微笑む。

「ソラ、これでピアノの授業はお終い。
 勝手に決めてしまってごめんね」


 先生の痩せこけた頬。
 かすれた声で絞り出すように伝える最後の言葉。

 嫌でも分かる。
 先生はこれ以上の指導が無理な事が。


 気づけば私は部屋から立ち去っていた。

 先生と私。
 お互いの利害が一致した関係。

 先生は自身の意志を継がせる為に、私にピアノの指導をした。
 私は自身の”楽しさ”を追い求めて、先生の元で指導をしてもらった。

 お互いの自己満足の為の関係。
 それでも、私にとっては世界が広がった大事な関係であった。

 私はひたすら走った。
 行く宛も無く無我夢中で走った。

 胸が気持ち悪い。
 現実を受け入れたくない。
 嫌だ、嫌だと駄々をこねる子どもみたいに、頭の中が整理が出来ていない。

 気持ち悪くて、嫌になって。
 ひたすら現実逃避がしたかった。

 私の中に渦巻くこの感情を、私はまだ知らない。



 その日以来、先生は私の前から姿をくらますのであった。
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