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第四章 異世界に来たけど、自分は反逆します

第百三話

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 聖女の塊はズルズルとその身を引きずりながら城の中へと入っていく。その後をアレクサンダーと共に追ったのだが、とても見ていられるような状態ではなかった。

 聖女が這っていった床には粘着質な黒い汚れが残っている。まるでナメクジが通ったあとのようなそれは、腐臭が酷かった。鼻で呼吸するのが辛く、口で呼吸をしたのだが、ねっとりとした嫌な空気が肺に入り込んで咳き込んだ。

「アレクサンダー、クインシーは大丈夫?」

「眠ってるから大丈夫だろう」

 地下で受けた闇は全て払い落としたのだが、クインシーはぐったりとしたままだった。きっと闇に飲まれまいと抵抗して気力を使い果たしてしまったのだろう。アレクサンダーに抱えられているクインシーは固く目を閉じて深く眠っている。むしろ今は眠ったままの方が良い気がする。城の中は聖女のせいでめちゃくちゃになっているから。

 たまたま聖女の前に出てきてしまったメイドが叫び声を上げながらその場にへたりこんだ。逃げようと手足をばたつかせているが、腰が抜けてしまって上手く動けず、メイドは聖女の塊の中へと吸収されてしまった。

 そうして城の中にいる人たちを一人、また一人と取り込んでいく。彼女たちはただ闇雲にやっているのではなく、吸収した人の生命力を奪って自分のものにしているのだ。しかも、相手の意識を保ったままで。外に放置されている魔導師のように、痛みと苦しみを味合わせるやり方だ。あのドロドロとした塊の中に何人もの人間を溜め込み、少しずつ溶かしていく。身体が溶かされるというのがどういうものなのか。興味は湧くけど、知りたいとは思えなかった。たまに浮き出る人の顔が苦痛に歪み、殺してくれと叫んでいるのを見ると、一生知らなくてもいいものなのだと理解した。

「この先は……」

 ふとアレクサンダーが足を止める。海もアレクサンダーの隣に並び、聖女たちの行方をじっと見つめた。

「この先は何があるの?」

「魔導師たちの自室だ」

 聖女たちは先に魔導師たちを生け捕りにするつもりらしい。生け捕りという表現であっているのかはわからないが。

 城に入ってから適当に動いているのかと思ったけど、そうでもないらしい。彼女達の恨みの矛先は魔導師と国王なのだから当たり前なのだけれども。
 赤い絨毯が敷かれた廊下を這い、聖女の塊は近くの部屋へと侵入した。人の形をしていない彼女らは部屋の扉を開けず、床と扉の間の僅かな隙間から中へと入る。一体どういう原理でそんなことが可能なのか。吸収している人間たちが引っかからないのは何故だ。

「アレクサンダー、アレってどうやって入ってるの……」

「わからん。お前の方が詳しいんじゃないのか?」

「わかんない。彼女達の意識はもう俺とは途切れてるんだ。地下から出たあとら辺から。自分たちの欲望のままに動けるようになったから駒が要らなくなったんじゃないかな」

「駒だと?」

 海は過去の聖女たちからしたら駒でしかない。城の中に呪いを撒き、聖女たちが地下から出られるようにすることを頼まれていた……というか、軽く脅しに近かったけど。海は聖女たちから言われたことを全てやってのけた。彼女たちからしたらお役御免である。

「ただ、全部終わった時にあの人たちは満足するのかって話なんだよね」

「しないだろう。恨みは晴らせても、その後に残るのは虚無だ」

「……じゃあ、これからもずっと苦しむの?」

「そうなるだろうな」

 復讐を終えても彼女たちの気が済むことは無い。魔導師を殺しても、国王を殺したとしても、彼女たちが受けた苦しみが無くなるわけではないからだ。本当の救いは復讐に加担することではなく、彼女たちが成仏して新たな生を受けることなのではないだろうか。前世とか来世とかを信じているわけではないが、彼女たちが生まれ変われるとしたら。

 海はその手助けをすべきだったのではないかと後悔した。

「俺間違ってたのかな」

「何がだ?」

「こんなことをさせるんじゃなくて、復讐を忘れさせて成仏させてあげればよかったんじゃないかって」

「無理だ。カイがどれだけ聖女たちに説いたとしても、聞く耳を持たなかっただろう。あれはもう……自身にかけた呪いだ」

 国を呪うように自分に呪いをかけた。痛みや苦しみ、悲しみを忘れぬように。復讐を終えるまでは決して許してはならないと。

「気が済むまでは好きにさせるしかない。下手に手を出せばこちらの命とて危うくなるだろうな」

「……わかった」

 魔導師の苦しむ声を聞きながら海はアレクサンダーの言葉に渋々ながら頷いた。

 部屋にいた魔導師たちは全員塊の中に吸収された。最初に取り込まれたメイドはもう跡形もなく溶けていた。
 魔導師も少しずつ溶かされているのか、皆苦痛の音をあげてもがいている。

 残るはエヴラールだ。彼は部屋の何処にもいなかった。きっと国王のそばに居るのだろうけど、何か嫌な予感がする。

 聖女の塊と共に国王のいる部屋へと向かう。部屋に辿り着いた時、塊はピタリと止まった。

「どうしたんだ」

「わかんない……けど、なんか嫌な感じがする」

 この扉の先にエヴラールと国王が居る。何も知らない二人は呑気に話でもしているのかもしれない。いや、そう思いたかった。

 聖女たちが入るのを躊躇っているのを感じ取り、代わりに海が扉を開け放つ。

「なんだ……これは……」

 アレクサンダーと一緒に入った部屋の中は真っ赤に染まっていた。床に転がっているのは国王で、そばに立っているエヴラールは全身に血を浴びていた。

「……全て貴様らのせいだ」

 そう呟いてこちらを振り向いたエヴラールの目は憎悪に染まっている。今にも海に掴みかからんとしているエヴラールの前に聖女の塊が姿を現したが、エヴラールは特に怯えることも無くただ、気味の悪いものを見るように彼女らを見下げた。

「ほかの魔導師たちを食ったのか! 聖女の残りカスの分際で!」

 エヴラールは持っていたナイフを聖女たちへと投げつけた。普通のナイフであれば人間と同じように取り込んで溶かしてしまうのだが、エヴラールの使っていたナイフは特殊らしく、聖女の塊に突き刺さったナイフは溶けることも無く形を維持していた。

「哀れな女共よ! 聖女としてその身に力を得たというのに!」

「哀れはどっちだ、エヴラール」

「黙れ! 騎士団風情が何を言うか! 拾ってやった恩義も忘れて歯向かうか!」

「拾ってもらっただと? ふざけるな! 貴様らが勝手に作り上げ、俺たちを飼い殺しにしたのだろう!」

 キレたアレクサンダーは、抱えていたクインシーを海に渡してエヴラールに掴みかかっていた。力量の差でエヴラールはいとも簡単にアレクサンダーに掴み上げられる。これまで我慢していたものがここで爆発したのだろう。アレクサンダーはエヴラールを罵りながら何度も壁にエヴラールを叩きつけていた。

「……ん……」

「クインシー?」

「カ……イ?」

 腕の中でクインシーが動いたかと思ったら、今目が覚めたらしい。クインシーは天井をじっと見つめたあと、自分を横抱きにしている海へと目を向けた。

「……どういう状況?」

「えっと……説明すると長くなるんだけど……」

「うん。なんとなくわかるけど……とりあえず下りてもいい?」

 恥ずかしそうに頬を赤くしたクインシーが困り顔で海の肩を叩く。ゆっくりと下ろすと、クインシーは両手で顔を覆った。

「待って。なにこれ。え? 俺、いつからカイに抱えられてたの?」

「ついさっきだけど……。外から城の中まではアレクサンダーが」

「え、恥ずかしいんだけど。カイに抱えられてたのが凄く恥ずかしいんだけど!」

「アレクサンダーが今取り込み中だから俺が抱えるしかなかったんだよ……悪かったな、俺で」

「違うって!! ひ弱そうなカイに抱かれてたのが嬉しいんだよ! なにその急な男前!」

 ひ弱って……喧嘩売ってるのか。
 少しの間くらいなら抱えていられるわ。長くは無理だけど。横抱きにしたまま動き回るのはちょっと無理だけど!

 女の子のようにひゃーひゃー言っているクインシーに呆れながら笑った。こっちは興奮して騒いでいて、あっちはブチ切れて怒っているこの図。

「なんだかなぁ……」


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