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初めての出会い
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いつもは授業前のホームルームの二十分前には登校する周船寺唯は、この日は寝坊をしてしまいギリギリの時間に正門へたどり着いた。
普段は規則正しい生活をしているだけに、この遅刻は何か不吉な前触れを意味しているのかもしれない。現に、通学途中に黒猫が横切るのを見てしまった。
今でこそ不吉な前触れだと言われているが、昔の日本や他国では幸運の前触れともされている。
そのどちらなのかは分からないが、唯は正門から見たこともない人が校内へ入って行く姿を前髪の隙間から目撃した。
――嘘でしょ? どうして……。どうして? こんなこと……こんなこと……初めて……。
高校へ入学してまだ一ヶ月と少しなので、当然知らない人は数多く居た。唯は誰とでも仲良くはしていなかったので、一年生だけでもまだ名前も顔も知らない人も居る。二年、三年と、数を数えれば切りがない。
唯が思った初めてというのはそういった意味合いではなく、感じるはずの物を初めて感じなかったのだ。
そんな初めて出会った人に驚き、距離にして僅か五メートルほどの校内へ駆け足で消えて行く姿をただ動けずに目で追うしか唯にはできなかった。
たかだか五メートル。大声をださなくとも声は届くし、少し駆ければ容易に追いつくことのできる距離。
動けることならすぐにでも背中を追いかけて問いたかったし、声をだせるならだしたい。けれど、唯の体は意志とは反して固まる。
――どうして味がしないの……?
唯は、初めて味のしない人に出会った。
――どうしてか分からない。どうして、あの人は味がしないの……。
周船寺唯は遅刻ギリギリで1の3教室へ入り、朝のホームルーム最中目を見開き震えていた。
――そうだ、夢だ。そうじゃなきゃおかしい……。
初めて経験した未知の恐怖に、現実から目を背けるようにして太ももを抓ったり頬を叩いたりする。けれど、痛みだけがじょじょに襲ってきて、夢ではなく現実なのだと唯に知らしめた。
――痛い……。夢じゃない? だったらあの人は本当にいるの?
唯の頭の中は、正門で見かけた人のことでいっぱいいっぱいだった。
教室に誰が入ってこようとも全く気づかない。そんな一人の世界へと入り込んでいた唯を現実へと引き戻したのは、けたたましい女子の話し声だった。
話の内容はくだらなく、昨日のテレビはこうだった。アルバイト先の先輩が気に食わなかった。そんな他愛もない会話。
唯はその会話をしている女子五名から、酸味と辛味がまとわりつくような感覚を脳が感じた。
――不快……。でも、ちゃんと感じる。じゃあ、あの人からは本当に味がしないっていうの?
唯は、人の本質や、そのときの感情を味として感じ取ることのできる共感覚を持っていた。
共感覚は唯の意識とは関係なく起こり、刺激があれば抑制ができず、刺激なしには随意に発現を起こせない。
実際に視覚器や味覚器で感じているわけではなく、性格や感情の味が「分かる」だけ。
――酸っぱい。どうしてあれだけ次々に話せるんだろう。
制御は効かないので、女子たちの感情がないまぜになって唯に襲いかかった。
恋話で盛り上がる女子達は好奇心に満ち溢れていて、それを唯は酸味として感
じ、話の最中、不満や怒りの感情が表れたときには辛味を感じ取った。
そのグループの中で、特定こそできなかったものの酷く苦い味を唯は感じた。典型的な嘘吐きの味。
――きっと高校デビューなんだろうな……。
どれだけ外見を綺麗に着飾ったとしても、唯は本質を見抜いてしまうので根がちゃんとしている人としか付き合わないように心がけてきていた。
例え甘い言葉で優しく話しかけてきたとしても、それが嘘だとすれば直ぐに強い苦味として感じ取ってしまう。本当に優しければ、甘味として感じ取る。
唯は、外見や性格を偽っている人と仲良くなろうとは考えない。それが、孤立に繋がることだとしても。
女子が騒がしく盛り上がっていることもあり、気の弱い女教師はなかなか注意をできずにおどおどするばかり。
注意を掛けようと声を掛けると、「何?」と凄まれて「何でもありません」と返す。
そんな気の弱い臆病な教師を、唯は弱い苦味と感じ取り、ギャルのグループに睨まれたときには渋味を感じた。
――越智先生、辛そう。でも、私にはどうすることもできないし……。
クラス内のほとんどが迷惑といった感情を抱き、辛味、渋味、酸味がないまぜになって唯を襲った。
負の感情を受け入れたくなく、唯は頭を押さえこみ、目を固く閉じた。けれど、唯の意志とは反して、負の感情が味となって唯の脳を駆け巡る。
そんなとき、全てをかき消すほど強く、けれど優しく、そして温かく甘味を感じた。
「先生が困ってるから黙りなさいよ!」
騒がしい音を掻き消すように強く言い放ったのは、三週前にホームルームで決めたクラス委員長の二風谷佳代だった。
役員決めを行ったけれど、クラス委員長だけが空白として残された。そんなとき、ゆるやかで美しい目を黒板に向けながら、黒くて長い髪を靡かせて黒板の前に歩いていった。その人はスラッとした体形から、しなやかな右腕を上げて、黒板に二風谷佳代と書き込んだ。
そのクラス委員長の佳代が越智を助けた。
「はぁ? てめぇーちょーしのってんじゃねーぞ」
グループの中の一人が立ち上がり、睨みながら佳代に近付いていく。その佳代は臆する様子を見せないどころか、睨み返す。
「てめぇ!」
その目に怒りを爆発させたギャルは、殴り掛かかった。
佳代以外の女子は、その光景から目を背けるために堅く目を瞑る。それは唯も同じだった。そんな女子たちとは対照的に、男子は「おぉ」と沸き立つ。
「……離せ!」
――あれ?
殴られる音がしなかったので、唯は恐る恐る瞼を開けた。
すると、佳代を殴り掛かろうとしたギャルの右手を、越智が掴んでいた。
女子達が目を瞑った直後、越智は大慌てで教壇から佳代のいる教室の真ん中へ移動し、ギャルの右腕を掴んだのだ。
「里山さん、貴女を生徒指導室へ連れていきます」
「離せよっ!」
強引に振り払うも、直ぐに腕を掴まれる。
普段なら何も言いだせず、何も行動を起こせずにいただろう。けれど、そんな臆病で何もできない自分に助けをだしてくれた佳代が殴られる。そう思うと、越智は感情の赴くまま動いたと、唯は越智が放つ甘味と辛味の度合いから考えた。
「すみませんが、今日はこれでホームルームを終わります」
言い終わると、里山を引き連れて教室のドアの前まで歩き。
「もし、他にも暴力を奮おうとしたり、奮った人が私のいない間に現れたりしたときは教えて下さい」
越智が里山を連れて教室からでて行くと、静けさだけが残った。
連れて行かれたのがギャルたちの中ではリーダーのような存在だったらしく、残された人はそれ以上騒ぎを立てることはなかった。
教室の静寂を壊したのは、佳代の隣の席にいる唯が言った「すごい」の一言だった。
それを機に、喧嘩ができないだろうと決め付けていた人達から、佳代に対して賞賛の拍手が鳴り響く。
「別に、すごくないよ。実は、怖くて動けなかっただけだから」
笑いながら唯に返した。
唯は、先生が困ってるから黙れよ! と佳代が発言したときに、怖がっていたことを知っていた。注意をできずにいた越智と同じような渋味を感じていたから。
だからこそ、自分にはできない行動と発現をした佳代にすごいと言った。
――友達に、なれるかな?
唯は未だに友達を一人も作れないでいた。
ちゃんとしている人と付き合おうと選り好みをしている間に、地味グループ、明るいグループ、ギャルグループとできあがっていき、いつの間にか孤立してしまっていた。それでも、上辺だけの関係になるよりはとマシだと言い聞かせ、人と関わることから逃げているとは認めなかった。
「二風谷さん、良ければ友達に……」
「二風谷さんだなんてよそよそしい、佳代でいいよ? その代わり私は唯って呼ぶね?」
「……」
唯は、開いた口が塞がらなかった。
友達になれたことが嬉しかったから……ではない。少なからず、嬉しいという感情も確かに唯の中にはあったけれど、なによりも名前を呼ばれたことに驚いた。
――私、名前なんて一度も……。
「どうして? って顔してるね。私もそうだけど、周船寺って名前珍しいでしょ?
だから下の名前を教えて貰ったの」
「誰に?」
「誰って、先生だよ、越智先生。クラス委員長だからクラスの名前を覚えたいーだなんていったら直ぐ教えてくれたよ」
そのときのことを、ジェスチャーを交えて笑いながら佳代は言った。
「それより、嬉しいな。唯の方から声をかけてくれて」
「……どうして?」
恐る恐る聞いてみると。
「嫌われてると思っててね」
佳代はそれまで目立たなかったけれど、クラス委員長に書き込んだことを切っ掛けに話す人が増えていった。誰にでも訳隔てなく接する佳代は、いつの間にかクラスの人気者になっていた。
そんな佳代に唯は近付きたくても近付けず、それが佳代には嫌われていると思われていたらしい。
「そんなこと……ないよ?」
「それに、さ」
佳代はいきなり唯の少し茶色がかった前髪を掻き分けて。
「やっぱり! 可愛いのにもったいないよ!」
そのままヘアピンを取りだして髪を留めた。
「ほらね?」
そう言い佳代はスクールバックからスタンドミラーを取りだし、鏡の面を唯に向けた。
佳代の取りだした鏡には普段人前で顔を晒さない顔が露わになっていて、恥ずかしさのあまり耳まで赤くさせた。ヘアピンを取り外して再び顔を髪で覆い隠す。
「えー、なんで止めるの?」
「だめ、だめなの、その、恥ずかしい……」
「ふーん?」
――こんなんだから、友達ができないんだ。
嫌われてしまったのだと諦めたその瞬間、強烈な酸味が唯を襲った。
「友達になるのやめーよーかなー」
本当に嫌われたんだと思いこませるような、トーンの低い言い方だった。唯は、感じた酸味が何だったのかを考えるよりも先に慌てて謝った。
「ヘアピンをつけてくれたら友達になるよ?」
笑顔の佳代を前に、唯は、さっきの言葉が悪巧みだったと理解した。
けれど、その悪巧みは優しさからくるもので、直ぐに甘美なお菓子のような味を感じた。
クラスが佳代に対して称賛の拍手を送っていることで、酸味に溢れていた。それでも、佳代の酸味や甘味だけはないまぜにならず唯に感じさせた。
唯は佳代に向かって右手を差しだす。
佳代はその手の平にヘヤピンを二つ置く。
唯は佳代にやられたように、前髪を掻き分けて留めてから、
「これでいいんでしょ!」
頬を膨らませて佳代を睨む。空気で膨らんだ頬を鷲掴みされ、一気に口から空気が抜けた。
「硬い硬い、もっと柔らかく。せっかくの美人が台無しだよ?」
美人が、の部分だけを特に強調して。
佳代の言った美人という言葉に反応した男子は、唯を見て首を傾けてこう言った。
「あんな奴いたか?」
――ほら、こうなる。
唯は悲しくなって、泣きだしそうになった。
「あんな可愛いやつ、いたか?」
――え?
侮蔑するような不快な味だと思っていたものは、爽やかな酸味だった。
「ごめん、唯、嫌ならピン取っていいからね? 友達にならないだなんて嘘だからね?」
涙を浮かべる唯に佳代は抱き着いて、子供をあやすかのように頭を撫でた。
「んーん、嫌じゃないよ」
「だったらどうしたの?」
本当に心から心配をしてくれる佳代に唯は、精一杯の笑顔を作って。
「その、嬉しくて」
「唯……」
佳代が力強く唯を抱き締めると、何処からともなく野次が飛ぶ。
「レズきたーー!」
「ちょっと、男子うるさい!」
唯を抱き締めつつも、首だけを動かして野次を飛ばした男子に言うと。
「キース、キース」
と、懲りずに手拍子をしながら煽りを入れてくる。
佳代は唯から離れ、その男子に近付いて。
「私としたいの? だからそんなこと言うの?」
「な、ち、違う!」
男子は必死になって首を横に振って否定する。
「そんな否定されると、悲しいな」
唯にも使ったように、トーンを落として俯きながら言う。いかにも男の方が悪い! といった雰囲気を作ったところでチャイムが鳴った。それと同時に教師も教室に入って来た。
「チャ、チャイムに救われたな!」
「それはどっちかしらね?」
佳代が笑みを浮かべて言うと。
笑いが巻き起こった。
唯もその雰囲気に釣られて笑顔に戻る。
そんなクラスの状況が理解できない教師は、淡々と授業を開始する用意を始め。出席を取り始めた。
普段は規則正しい生活をしているだけに、この遅刻は何か不吉な前触れを意味しているのかもしれない。現に、通学途中に黒猫が横切るのを見てしまった。
今でこそ不吉な前触れだと言われているが、昔の日本や他国では幸運の前触れともされている。
そのどちらなのかは分からないが、唯は正門から見たこともない人が校内へ入って行く姿を前髪の隙間から目撃した。
――嘘でしょ? どうして……。どうして? こんなこと……こんなこと……初めて……。
高校へ入学してまだ一ヶ月と少しなので、当然知らない人は数多く居た。唯は誰とでも仲良くはしていなかったので、一年生だけでもまだ名前も顔も知らない人も居る。二年、三年と、数を数えれば切りがない。
唯が思った初めてというのはそういった意味合いではなく、感じるはずの物を初めて感じなかったのだ。
そんな初めて出会った人に驚き、距離にして僅か五メートルほどの校内へ駆け足で消えて行く姿をただ動けずに目で追うしか唯にはできなかった。
たかだか五メートル。大声をださなくとも声は届くし、少し駆ければ容易に追いつくことのできる距離。
動けることならすぐにでも背中を追いかけて問いたかったし、声をだせるならだしたい。けれど、唯の体は意志とは反して固まる。
――どうして味がしないの……?
唯は、初めて味のしない人に出会った。
――どうしてか分からない。どうして、あの人は味がしないの……。
周船寺唯は遅刻ギリギリで1の3教室へ入り、朝のホームルーム最中目を見開き震えていた。
――そうだ、夢だ。そうじゃなきゃおかしい……。
初めて経験した未知の恐怖に、現実から目を背けるようにして太ももを抓ったり頬を叩いたりする。けれど、痛みだけがじょじょに襲ってきて、夢ではなく現実なのだと唯に知らしめた。
――痛い……。夢じゃない? だったらあの人は本当にいるの?
唯の頭の中は、正門で見かけた人のことでいっぱいいっぱいだった。
教室に誰が入ってこようとも全く気づかない。そんな一人の世界へと入り込んでいた唯を現実へと引き戻したのは、けたたましい女子の話し声だった。
話の内容はくだらなく、昨日のテレビはこうだった。アルバイト先の先輩が気に食わなかった。そんな他愛もない会話。
唯はその会話をしている女子五名から、酸味と辛味がまとわりつくような感覚を脳が感じた。
――不快……。でも、ちゃんと感じる。じゃあ、あの人からは本当に味がしないっていうの?
唯は、人の本質や、そのときの感情を味として感じ取ることのできる共感覚を持っていた。
共感覚は唯の意識とは関係なく起こり、刺激があれば抑制ができず、刺激なしには随意に発現を起こせない。
実際に視覚器や味覚器で感じているわけではなく、性格や感情の味が「分かる」だけ。
――酸っぱい。どうしてあれだけ次々に話せるんだろう。
制御は効かないので、女子たちの感情がないまぜになって唯に襲いかかった。
恋話で盛り上がる女子達は好奇心に満ち溢れていて、それを唯は酸味として感
じ、話の最中、不満や怒りの感情が表れたときには辛味を感じ取った。
そのグループの中で、特定こそできなかったものの酷く苦い味を唯は感じた。典型的な嘘吐きの味。
――きっと高校デビューなんだろうな……。
どれだけ外見を綺麗に着飾ったとしても、唯は本質を見抜いてしまうので根がちゃんとしている人としか付き合わないように心がけてきていた。
例え甘い言葉で優しく話しかけてきたとしても、それが嘘だとすれば直ぐに強い苦味として感じ取ってしまう。本当に優しければ、甘味として感じ取る。
唯は、外見や性格を偽っている人と仲良くなろうとは考えない。それが、孤立に繋がることだとしても。
女子が騒がしく盛り上がっていることもあり、気の弱い女教師はなかなか注意をできずにおどおどするばかり。
注意を掛けようと声を掛けると、「何?」と凄まれて「何でもありません」と返す。
そんな気の弱い臆病な教師を、唯は弱い苦味と感じ取り、ギャルのグループに睨まれたときには渋味を感じた。
――越智先生、辛そう。でも、私にはどうすることもできないし……。
クラス内のほとんどが迷惑といった感情を抱き、辛味、渋味、酸味がないまぜになって唯を襲った。
負の感情を受け入れたくなく、唯は頭を押さえこみ、目を固く閉じた。けれど、唯の意志とは反して、負の感情が味となって唯の脳を駆け巡る。
そんなとき、全てをかき消すほど強く、けれど優しく、そして温かく甘味を感じた。
「先生が困ってるから黙りなさいよ!」
騒がしい音を掻き消すように強く言い放ったのは、三週前にホームルームで決めたクラス委員長の二風谷佳代だった。
役員決めを行ったけれど、クラス委員長だけが空白として残された。そんなとき、ゆるやかで美しい目を黒板に向けながら、黒くて長い髪を靡かせて黒板の前に歩いていった。その人はスラッとした体形から、しなやかな右腕を上げて、黒板に二風谷佳代と書き込んだ。
そのクラス委員長の佳代が越智を助けた。
「はぁ? てめぇーちょーしのってんじゃねーぞ」
グループの中の一人が立ち上がり、睨みながら佳代に近付いていく。その佳代は臆する様子を見せないどころか、睨み返す。
「てめぇ!」
その目に怒りを爆発させたギャルは、殴り掛かかった。
佳代以外の女子は、その光景から目を背けるために堅く目を瞑る。それは唯も同じだった。そんな女子たちとは対照的に、男子は「おぉ」と沸き立つ。
「……離せ!」
――あれ?
殴られる音がしなかったので、唯は恐る恐る瞼を開けた。
すると、佳代を殴り掛かろうとしたギャルの右手を、越智が掴んでいた。
女子達が目を瞑った直後、越智は大慌てで教壇から佳代のいる教室の真ん中へ移動し、ギャルの右腕を掴んだのだ。
「里山さん、貴女を生徒指導室へ連れていきます」
「離せよっ!」
強引に振り払うも、直ぐに腕を掴まれる。
普段なら何も言いだせず、何も行動を起こせずにいただろう。けれど、そんな臆病で何もできない自分に助けをだしてくれた佳代が殴られる。そう思うと、越智は感情の赴くまま動いたと、唯は越智が放つ甘味と辛味の度合いから考えた。
「すみませんが、今日はこれでホームルームを終わります」
言い終わると、里山を引き連れて教室のドアの前まで歩き。
「もし、他にも暴力を奮おうとしたり、奮った人が私のいない間に現れたりしたときは教えて下さい」
越智が里山を連れて教室からでて行くと、静けさだけが残った。
連れて行かれたのがギャルたちの中ではリーダーのような存在だったらしく、残された人はそれ以上騒ぎを立てることはなかった。
教室の静寂を壊したのは、佳代の隣の席にいる唯が言った「すごい」の一言だった。
それを機に、喧嘩ができないだろうと決め付けていた人達から、佳代に対して賞賛の拍手が鳴り響く。
「別に、すごくないよ。実は、怖くて動けなかっただけだから」
笑いながら唯に返した。
唯は、先生が困ってるから黙れよ! と佳代が発言したときに、怖がっていたことを知っていた。注意をできずにいた越智と同じような渋味を感じていたから。
だからこそ、自分にはできない行動と発現をした佳代にすごいと言った。
――友達に、なれるかな?
唯は未だに友達を一人も作れないでいた。
ちゃんとしている人と付き合おうと選り好みをしている間に、地味グループ、明るいグループ、ギャルグループとできあがっていき、いつの間にか孤立してしまっていた。それでも、上辺だけの関係になるよりはとマシだと言い聞かせ、人と関わることから逃げているとは認めなかった。
「二風谷さん、良ければ友達に……」
「二風谷さんだなんてよそよそしい、佳代でいいよ? その代わり私は唯って呼ぶね?」
「……」
唯は、開いた口が塞がらなかった。
友達になれたことが嬉しかったから……ではない。少なからず、嬉しいという感情も確かに唯の中にはあったけれど、なによりも名前を呼ばれたことに驚いた。
――私、名前なんて一度も……。
「どうして? って顔してるね。私もそうだけど、周船寺って名前珍しいでしょ?
だから下の名前を教えて貰ったの」
「誰に?」
「誰って、先生だよ、越智先生。クラス委員長だからクラスの名前を覚えたいーだなんていったら直ぐ教えてくれたよ」
そのときのことを、ジェスチャーを交えて笑いながら佳代は言った。
「それより、嬉しいな。唯の方から声をかけてくれて」
「……どうして?」
恐る恐る聞いてみると。
「嫌われてると思っててね」
佳代はそれまで目立たなかったけれど、クラス委員長に書き込んだことを切っ掛けに話す人が増えていった。誰にでも訳隔てなく接する佳代は、いつの間にかクラスの人気者になっていた。
そんな佳代に唯は近付きたくても近付けず、それが佳代には嫌われていると思われていたらしい。
「そんなこと……ないよ?」
「それに、さ」
佳代はいきなり唯の少し茶色がかった前髪を掻き分けて。
「やっぱり! 可愛いのにもったいないよ!」
そのままヘアピンを取りだして髪を留めた。
「ほらね?」
そう言い佳代はスクールバックからスタンドミラーを取りだし、鏡の面を唯に向けた。
佳代の取りだした鏡には普段人前で顔を晒さない顔が露わになっていて、恥ずかしさのあまり耳まで赤くさせた。ヘアピンを取り外して再び顔を髪で覆い隠す。
「えー、なんで止めるの?」
「だめ、だめなの、その、恥ずかしい……」
「ふーん?」
――こんなんだから、友達ができないんだ。
嫌われてしまったのだと諦めたその瞬間、強烈な酸味が唯を襲った。
「友達になるのやめーよーかなー」
本当に嫌われたんだと思いこませるような、トーンの低い言い方だった。唯は、感じた酸味が何だったのかを考えるよりも先に慌てて謝った。
「ヘアピンをつけてくれたら友達になるよ?」
笑顔の佳代を前に、唯は、さっきの言葉が悪巧みだったと理解した。
けれど、その悪巧みは優しさからくるもので、直ぐに甘美なお菓子のような味を感じた。
クラスが佳代に対して称賛の拍手を送っていることで、酸味に溢れていた。それでも、佳代の酸味や甘味だけはないまぜにならず唯に感じさせた。
唯は佳代に向かって右手を差しだす。
佳代はその手の平にヘヤピンを二つ置く。
唯は佳代にやられたように、前髪を掻き分けて留めてから、
「これでいいんでしょ!」
頬を膨らませて佳代を睨む。空気で膨らんだ頬を鷲掴みされ、一気に口から空気が抜けた。
「硬い硬い、もっと柔らかく。せっかくの美人が台無しだよ?」
美人が、の部分だけを特に強調して。
佳代の言った美人という言葉に反応した男子は、唯を見て首を傾けてこう言った。
「あんな奴いたか?」
――ほら、こうなる。
唯は悲しくなって、泣きだしそうになった。
「あんな可愛いやつ、いたか?」
――え?
侮蔑するような不快な味だと思っていたものは、爽やかな酸味だった。
「ごめん、唯、嫌ならピン取っていいからね? 友達にならないだなんて嘘だからね?」
涙を浮かべる唯に佳代は抱き着いて、子供をあやすかのように頭を撫でた。
「んーん、嫌じゃないよ」
「だったらどうしたの?」
本当に心から心配をしてくれる佳代に唯は、精一杯の笑顔を作って。
「その、嬉しくて」
「唯……」
佳代が力強く唯を抱き締めると、何処からともなく野次が飛ぶ。
「レズきたーー!」
「ちょっと、男子うるさい!」
唯を抱き締めつつも、首だけを動かして野次を飛ばした男子に言うと。
「キース、キース」
と、懲りずに手拍子をしながら煽りを入れてくる。
佳代は唯から離れ、その男子に近付いて。
「私としたいの? だからそんなこと言うの?」
「な、ち、違う!」
男子は必死になって首を横に振って否定する。
「そんな否定されると、悲しいな」
唯にも使ったように、トーンを落として俯きながら言う。いかにも男の方が悪い! といった雰囲気を作ったところでチャイムが鳴った。それと同時に教師も教室に入って来た。
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