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父親

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「……言い訳を聞こうか」

 柊は出張に来て迷子になったと言った親父の雅人まさとを東京駅まで迎えに行き、家に入れた後直ぐに玄関で正座させた。

「智香に会いたかった、反省はしている。だから会わせてくれ」

 立ち上がろうとした雅人を柊は肉食獣の目つきで制した。

 思うところのある雅人は柊にそんな目をされて立ち上がれず腰を下ろす。

「で? 姉貴に会いに来たことを出張で迷子と偽った挙句、家が分からないから迎えに来いと言った。これに間違いは?」

「……ないな」

「堂々とできる立場なのか?」

「……できないな」

「ならまず態度を改めろよ……。これじゃ俺がこっちに来る前と立場が逆じゃねーか」

 柊が初めに上京したいと言ったときが土下座までして頼み込んだけれど、駄目の一点張りだった。

「そうだな、あのときは俺が悪かった」

「悪いと思っているなら頭を下げろよ」

「そうは言うが、お前はあのとき膝こそついたが頭を下げたのか? ん? どうなんだ?」

「……っ!」

 痛いところを突かれてしまった柊は奥歯を噛み締める。

「それで? 俺が頭を下げれば柊は満足なのか? それで智香に会わせてくれるのか?」

「……会わせてやるよ、ただし姉貴が――」

 会いたがるとは思わないけど、と柊が言い終わる前に雅人は素早く頭を下げた、かと思えばスッっと立ち上がり、

「さて、会わせてもらおうか」

 ――プライドってもんがないのかよ……。

 案の定扉を開けた先のリビングで六時を過ぎたあたりなのに酒を飲んでいる智香に、

「……何しにこっちに来たんだー?」

 シッシっとビールを持っていない左手で雅人を追い払う素振りを見せる。

「ほら、な? 会いたがるとは思っていないだろ?」

「……智香、俺はタバコを吸っていないぞ? それと、酒を止めろと言ったよな?」

「どーせ今日だけでしょー? そういうけどさー? そっちはタバコ止めれるの? むりでしょー? それと一緒ー」

「そ、それは……」

 図星をつかれたみたいで、雅人は言い返せずにいた。

「これでも姉貴は抑えている方だったりするんだぞ?」

 普段から酒の量を気に掛けているからこそ言える柊の言葉だ。

「……そ、そうか……」

 机の上には開けられたビール缶が三本並んでいる。

「ごめん、嘘ついた。親父を説教している間にいつもの量にまで増えてた」

 柊はまだ開けられていないビール缶を二本智香から奪い取り、冷蔵庫に放りこむ。

「今日はあと一本で最後にしろよ? じゃなきゃつまみを作らないからな」

「けちー」

 口を尖らせてはいるけれど、机に項垂れているあたり我慢してくれるみたいだ。智香が我慢をしないときはどこからともなく焼酎を取りだすから。

「普段ならここまで嫌われると立ち直れないけど、今日は凄いことがあったからな」

 柊は料理を作りにとりかかり、智香はテレビを見ているので雅人は一人でそう言った。

「聞きたいか? 聞きたいだろお前ら」

「……」

「今テレビ見てるんだけどー?」

 地面に固いものがぶつかる音が聞こえたので柊が料理を一時中断して振りかえると、膝から崩れ落ちた雅人がいた。

 四十歳を過ぎているというのに智香に会うために土下座をしたり、相手にされずに膝から崩れ落ち、父親としての威厳が全く感じられず柊は哀れに思うけれど、一応は聞いてあげることにする。

「聞いてやるから」

「……お前というのが誠に遺憾ではあるが良いだろう」

 雅人は智香に聞いてもらいたかったみたいで、苦虫を噛み潰したような顔をした。

「柊、お前に迎えに来てもらう前のことなんだが、秋葉原ってところで昔に少しだけ世話をしてやった子に出会ってな」

「それで?」

 柊は料理をしているので、背中越しに続きを聞く。

「でるとこでてて可愛かった、以上」

「世話って何? 事と次第によっちゃおふくろに言いつけるけど?」

「世話っていってもそんな電話するようなことじゃない、それに、今その子はお前くらいの年齢だ」

 柊はタオルで手を拭いてから、雅人の方を向きおもむろにスマートフォンを取りだして耳に当てる。

「ああ、おふくろ? 親父がロリコンだった」

「ちょっと待て柊!」

「電話は嘘だけどさすがに引くわ」

 柊はただ取りだしてスマートフォンを耳に当てただけだったけれど、予想を上回るほど雅人は取り乱していた。

「昔にその子がやばい状況だったのを救ってやっただけだ」

「ふーん?」

「なんだその疑うような目は」

「いや、別に? で? 結局何の話だったんだ?」

「珍しいこともあるもんなんだなーって話だよ。相手はこれくらいの子だったのに俺も向こうも認識しあえてな」

 当時相手の身長がこれくらいだったと太ももあたりを手で叩いた。

「それだけ?」

 柊はこれで話が終わりだと思ったので、再び料理を作り始める。

「それだけと言えばそれだけなんだが……反応薄くないか?」

「親父を相手にするよりも、腹を空かせてる姉貴に飯作る方が重要だ」

 柊が料理を再開するために台所へと向き直るとき、寂しそうにビール缶を見つめている智香のためにも早く料理を作り上げようと思った。

 ここに住むための条件として、智香の生活面全ての面倒をみると言ってでてきたので。

「親父嫌いなものってなかったよな?」

「ん? 俺の分の飯も作ってくれるのか? 嫌いなもの……は特にないな。あれば美恵みえに殺されてしまう」

 美恵と言うのは雅人の妻で、柊と智香の母親だ。

「二人分も三人分も作る手間なんて変わらないし」

 それもそうか、と付け加えて作り終わった料理の盛り付けを行う。

 野菜の肉巻きと味噌汁にご飯。雅人の分の茶碗はないので、適当なもので代用した。

「作り終わってから聞くか?」

 柊は雅人のもっともな意見を軽く無視した。

 智香は料理が目の前に来たことで、本日最後のビール缶のプルタブを開けた。

「いただきます」

 三人は声を揃えて食べ始める。

 食事の後には雅人のために布団の用意や場所の確保をしなければならないこと考え、柊は溜息を吐く。

 ――洗い物くらいはさせるか……。

 一つでも手間を減らすため、雅人を使えるだけ使おうと考えた。
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