178 / 255
12巻
12-2
「アウグスト、この件は卿に預ける。以後王国情報部とのすり合わせを」
「そうですよね。やっぱりそうなりますよね。私の仕事また増やす気なんですね。わかります」
がっくりとアウグストは項垂れる。
ミリアーナを占領して以来、アウグストの立場はすっかり宰相であり、同じく事実上の大将軍となったラミリーズとともに多忙を極めていた。
海運ギルドの元老院議長をも兼任し、愛人のカトリーヌやラウラと遊ぶ暇もない。
それどころか来月には婚約者のアンジェリカが越してくるというから、アウグストの自由で享楽な日々は二度と戻ってこないかもしれなかった。
その様子があまりに男の悲哀を感じさせるので、思わずバルドもフォローの言葉を口にした。
「もうじきアントリムからアガサが来てくれる。そうすれば内政の負担はかなり軽減されるはずだ」
トリストヴィーにおける内乱が終結したのと同時に、ようやくウィリアム王子へのアントリム辺境伯領の引継ぎが概ね完了したのだ。
つい先日、マウリシア国王ウェルキンは第四王子であるウィリアムが臣籍に降下し、アントリム公爵となることを発表した。
十代貴族に匹敵する巨大貴族の誕生である。
今後マウリシア王国内のパワーバランスは、シルクがトリストヴィー王国の王妃の座を約束されていることも含めて大きく変わっていくだろう。
バルドが残した遺産とも言えるアントリム公爵領は、王家に近い最大勢力として十大貴族を掣肘する役目を負わされるはずであった。
遠く離れた友ウィリアムには、大出世とはいえ難しい役割を押しつけてしまった。
もっとも初めて騎士学校で会ったころのウィリアムの野心と度胸の良さを考えれば、収まるところに収まった、というところかもしれない。
「ああ、ようやくアガサさんが来てくれるんですか! 良かった!」
アウグストの顔がパッと輝いた。
アントリムの行政を仕切っていたアガサと、その腹心の官僚たちがトリストヴィーへ来てくれれば、アウグストの負担の半ば以上は軽減されると言っていい。
彼女の辣腕をもってすれば、新生トリストヴィー王国の行政組織を刷新することも遠からず可能だろう。
「――この際、彼女を宰相にしてしまいませんか?」
「アガサは僕の婚約者だ。宰相にできるわけないだろう?」
「陛下はお嫁さんいっぱいいるんだから、構わないじゃないですか!」
「いや、その理屈はおかしい!」
国王だからなんでも許されるのではなく、権力はある程度分割されるべきだ。臣下最高位である宰相が国王の妻など、許されるはずがなかった。
「そういえば陛下の腹心で、忠誠心が天元を突破したなんでもできるマンがいる、と聞きましたが……」
「テュロスは本当になんでもできそうだけど、僕の執事以外する気がないからダメ」
「それじゃ私の自由時間はどうなるんですかっ!」
「使える人材を育てるしかないだろう?」
「それが簡単にできれば誰も苦労はしないんですよっ!」
トリストヴィー貴族の忠誠を完全に当てにできない以上、その登用には慎重にならざるをえない。
当初から好意的な貴族であっても、現状では国家機密に触れさせるのは躊躇われた。
バルドが掌握するアントリム辺境伯時代の部下とは、まさに宝石より貴重な戦力なのだ。
もちろんアウグストにも有能な部下はいるのだが、ガリバルディ商会の柱石を簡単に引き抜くわけにもいかず、また国家に対して忠誠を誓わせるのは難しいという事情もある。
この先解決しなくてはならない数々の難問を思い、アウグストが頭を抱えるのも無理からぬことではあった。
「――ごめんなさい。あまりマウリシア王国から介入させるわけにはいかなくて」
申し訳なさそうな顔で、シルクが拝むように両手を合わせる。
シルクがランドルフ侯爵家の令嬢であるからといって、マウリシア王国から重臣を迎え入れることは、新生トリストヴィー王国の安全保障上問題がありすぎた。
両国が対等な外交関係を結ぶためにも、介入は必要最小限にとどめるべきだろう。
ふと何かを思いついたように、俯いていたアウグストが顔を上げた。
「……ブルイック、オスト家の家臣の処遇はまだ定まっていないな?」
「はい」
「では残らず私が召し抱える。以後私の執事として家臣の選抜に協力せよ」
「――承りました」
よくよく考えれば今の事態をヴァレリーが予想していないはずがない。そして何より、気難しい彼の部下が有能でないはずがないのだ。
アウグストが喉から手が出るほど欲した人材は、まさに目の前にいたのである。
あのヴァレリーに仕えていた人間だから一筋縄ではいかないだろうが、今のトリストヴィー貴族より何倍も信用できる。
これで夜のアバンチュールを楽しむ時間ができる、とアウグストは満面の笑みを浮かべた。
「亡き主君より、陛下に引き渡すよう言付かっているものがございます」
ブルイックは半ばアウグストの反応を予想していたようで、肩の荷が下りたようにバルドに向かって一礼する。
ヴァレリーの遺命を果たし終えれば、自分はオスト家の家臣ではなくなりアウグストの家臣となる。そう思えば、いささかなりともブルイックが感慨を覚えるのは当然のことであった。
「――こちらへ」
屋敷の大きさには不釣り合いなほど、深く広がる地下倉庫へとブルイックはバルドたちを案内する。
赤さびた蝶番を開け、さらに複数の仕掛けを解除すると、巨大な鉄の扉が鈍い金属の軋む音を響かせて開いていった。
「これが亡きヴァレリー様が、オスト伯として、ガリバルディ商会の会頭として、未来のトリストヴィーのため蓄えられた資産のすべてです」
「なっ……」
「まさか、これほどとは……!」
それっきりバルドもアウグストも言葉もない。
薄暗い倉庫には、トリストヴィー公国の国家予算すら凌駕する莫大な量の金貨が、山のように積み上げられていたのである。
これほどの大量の金貨は、トリストヴィー海運ギルドのトップの座に就いたアウグストですら見たことはない。
曲がりなりにも大国であったトリストヴィー公国の裏を支配し、その力で大商会をも所有するにいたったヴァレリーの財力は並大抵のものではなかった。
この資金あってこその、裏社会支配であり諜報網であり、人材の豊富さだったのだろう。
「その気になれば公国を滅ぼして自分の国を建てることもできたろうに」
「いえ、所詮金でつくる国は亡き親友の目指した国ではない、と」
ヴァレリーはあくまでも理想に殉じた。
経済的に国を乗っ取るだけでは、あるべき国の姿は見えてこない。
日々の生活に忙しい人の心はそう簡単には変わらないのだ。変えるためには、とびっきりに残酷で容赦なく、貪欲で救いようのない流血と憎悪と悲劇が必要であった。
「それが我が主君ヴァレリーという人でありました」
そんなことは十分に知っていたはずのバルドとアウグストであったが、こうして有り余る財産を見せつけられては、まだまだ認識が甘かったと思う。
彼が生涯抱え続けた闇と孤独はいったいどれほど深かったのだろうか。
正直、本気のヴァレリーと戦ったなら、負けないまでも勝てる気がしない。
「……さらに国内に三か所ほど、オスト家の隠し資産がございます。そちらもすべて陛下に」
「大儀である」
言葉はブルイックに向けながらも、本心はヴァレリーに向けて、バルドはそう言った。
受け取ったほうもその真の意思を間違わなかった。
「すべてはこのトリストヴィーのために」
何かをこらえるように天井を見上げてバルドが呟く。
「――すまないが、少しの間一人にしてくれないか?」
「無論、陛下のお気の召すままに」
察しのよいアウグストは如才なく腰を折り、ブルイックやシルクに退出を促した。
男には他人に見せたくない顔があるものなのだ。
「バルド……」
何か言いたそうなシルクだったが、再びアウグストに促されると大人しく退出した。
――バタン。
背後で扉の閉まる音がしたのを確認してバルドは目を閉じる。
思えば……アントリムでマゴットとの一騎打ちに勝利したとき、もうこれからは大人にならなくてはならないと決めた。
両親の庇護のもとから脱し、今度は自分が両親を守り、ともに戦う対等の家族として認めてもらうためにはそうするほかなかった。
マゴットに勝ったあの場所に、バルドは少年期を置いてきた。そのはずであった。
だが、少しご褒美があってもよいのではないだろうか?
トリストヴィー王国の血を引いているという、マゴットが一人で抱えていた深い闇を共有した。
そして自らの血筋を公表して、王国の後継者として名乗りを上げ、故郷マウリシア王国を後にした。それらがもう遠い過去のように思える。
海を越え、アンサラー王国からやってきたミハイルと戦って重傷を負いもした。
一歩間違えれば死んでいたのだ。
こうして五体満足にトリストヴィーを手中に収められたのは、実力だけでなく幸運の存在なしには考えられない。
さらにこの先に待つエウロパ教団との死闘や、アンサラー王国との対決を考えれば、頭が重くなるのも無理からぬことだろう。
バルドの目標はいまだ道半ば、道半ばである。しかし公国との闘いに勝利し、トリストヴィーを取り戻したことをひとつのマイルストーンと考えることはできないだろうか?
『うむうむ、至極当然のこと』
『待て! もうすぐ結婚も控えてるのにそれでいいのか? バルド氏!』
バルドの前々世である岡左内と、前世である岡雅晴が両極の意見を告げた。
「僕は頑張ったよね? それにこれからも頑張っていかなきゃいけないんだから、少しくらい羽目を外してもいいんじゃないかと思うんだ」
『いや、羽目を外すってレベルじゃないから! ていうか左内さんも煽らないで! あんた最近また自重しなくなってきてるよ!』
『坊の人生にゃ手を出しとらん』
『あんたの性癖は人生を破壊するには十分すぎるんだよ! この爺!』
雅晴必死の説得も効力は薄い。残念ながらバルド本人の心が左内のごく近いところにあるからだ。
『思い出すんだバルド氏! セイルーンやアガサさんのときのように見られたらどうする? またあの羞恥地獄を味わいたいのか?』
「で、でもほら、ここにはシルクしかいないし、一人にしてくれと言っておいたし、多少はね?」
『しかりしかり』
『爺! あんたがやりたいだけだろっ!』
『人は素直であるがまま(よい)ぞ』
『素直が美徳なのにも限界があるんだよ! 世の中には!』
しかし雅晴の主張は通らない。
圧倒的なまでの存在感を放つ大量の金貨が、妖しい黄金の輝きが、バルドの理性を狂わせていた。
「――今日は泳ぐにはいい日だね?」
『男には肌で感じることも必要ぞ』
『やっぱりだめだ、こいつらああああああああああ!』
コルネリアスやアントリムのときとは比較にならぬ大量の金貨。利殖家として鳴らした左内でも、これほどの金を目の当たりにしたことはない。
それほどにヴァレリーが貯め込んだ資産は非常識な額だったのだ。
もう我慢できるはずがなかった。何より正式に国王として即位、結婚などということになれば、二度とこんな機会は訪れないかもしれない。
「I CAN FLY!!!」
まるで昆虫が脱皮するかのように手際よく脱衣したバルドは、鼻の穴を大きくして堆く積まれた金貨の山に飛び込んでいった。
ジャララララララッ!
魅惑的な金属音が響き渡り、その音量にバルドと左内は鳥肌が立つほどに興奮する。
「いやっほおおおおおおおおおおおおお!」
『極楽じゃあ! 極楽じゃああ!』
金貨の山の頂上から全裸ダイブ。そしてくるりと前転して転がり落ちる。
全身で金貨の感触を楽しみながら、バタフライの要領で金貨の海をかき分けるバルドの顔は至福に蕩けていた。
まさに男の本懐ここに極まれり。
同時に好事魔多しという言葉を、このときバルドは完全に忘れ去っていた。
「……私、何もわかってなかったのね」
シルクは誰にともなくポツリと呟いた。
かつて、自分こそがこのトリストヴィーを解放して導くと意気込んでいた彼女にとって、バルドやヴァレリーが裏で動いていた一連の事実は衝撃的だった。
そもそもアウグストがヴァレリーの息子であるということすら、まだ完全には消化できていない。
神妙な顔つきのバルドから聞かされたときは冗談かと思ったほどだ。
敵の黒幕が、実は何十年も前から自国を滅ぼすために暗躍していたなど誰が信じるだろう。
人は誰しもがよりよい未来を目指し、その意思と能力によってさまざまな行動を取るが、さすがに人生をかけて国を滅ぼし悪人として名を残したいとは考えない。
それでは自殺ですら生易しい、精神的な拷問を人生に課したようなものである。
「あれを理解しろというのは、まともな人間には無理があります」
苦笑しつつアウグストはシルクを慰める。
基本的に善良な令嬢であるシルクに、父を理解しろというのは、ひどく相性が悪いように思われた。
ああいう性悪な腹黒を相手にするのは、自分のような清濁定かならぬ人間だけで良い。
もっとも、最上位者であるバルドには付き合ってもらうが。
「――でも、私はもっとバルドを知りたいの。私が知らないところで一人で苦しんで欲しくない!」
父アルフォードに啖呵を切ったときのことを、シルクは今さらのように思い出す。
世界を変える力は誰にでもある、そう言ったのは自分ではなかったか。
どんな困難な道のりであろうとも、バルドの傍らにい続けると決めたのは自分ではなかったのか?
誰よりもバルドを知り、バルドに頼られるパートナーでありたい。
そのために自分を磨き上げ、政治・軍略の能力においてもより高みに達したと思っていた。実際、親の欲目もあるかもしれないが、父親のアルフォードをも唸らせている。
――なのに、バルドにもアウグストにも自分の知見が及ばなかったのは、シルクにとって大きなショックだった。
「――愛は時に仕える道化ではない」
「えっ?」
その言葉の意味を、シルクが理解するまでにしばしの時間を要した。
ただアウグストの悪戯っぽい笑みに、どこかバルドに似た雰囲気を感じて、シルクの脳裏で閃くものがあった。その表情が明るく変わる。
「いい笑顔です。間に合わぬことなどありませんよ。すべてはあなたの心のままに、です」
「ありがとう! 私、行ってくる!」
まるで背中に羽が生えたかのように、軽やかにシルクはバルドのもとへ駆け出す。
つい先ほどまでの鬱屈は綺麗さっぱり消えていた。
「……青い青い」
「年寄り臭いですよ、ギッツェ殿」
「放っとけ」
互いにニヤリと笑う二人は、このとき自分たちが主君にとってよいことをしたと信じて疑わなかった。後に「死ぬまで恨む」と言われるとは、夢想だにしていなかったのである。
(バルド! バルド! バルド!)
胸から溢れる温かい思いに急き立てられ、シルクは重い地下室の扉を開けた。
「――バルド!」
そこでは、全裸で金貨背泳ぎを披露するバルドが、決して見せてはならない部分をシルクの視界にさらけ出していた。
「ぱ、ぱおーん?」
「うっそおおおおおおおおっ!」
『だから言わんこっちゃない』
『わえのせいやないで?』
『最初っから最後まで爺のせいだろがっ!』
体格と共に成長した、セイルーンやアガサに見られた時より雄々しくそそり立つブツをガン見して、シルクは火照る頬を両手で押さえた。
「だめよバルド、最初はやっぱりベッドじゃないと……でも、××して〇〇〇するだけなら、でもでも私にも心の準備というものが……」
「お願いだから正気に戻ってシルクさん――!」
もじもじと腰を振り始めたシルクを止めようにも、全裸のままでは如何ともしがたい。
勃ったモノを隠した前かがみの姿勢で、この理不尽な世界にバルドは抗議の叫びを上げた。
「誰か助けてええええええええええええ! せめて記憶をなくしてえええええええええええええ!」
「最悪だ。最低だ……」
翌日、バルドは自分のしでかしてしまったことの大きさに頭を抱えていた。
雅晴が左内を叱りつける。
『だからあれほどやめろって言っただろうが!』
『わえのせいやないで?』
『まだ言うか! この糞爺!』
そんなバルドを生暖かい目で見つめる視線があった。
「お前だけには知られたくなかったー!」
「そんなお気になさらずに陛下。いいじゃないですか、お金。私も好きですよ?」
あれほどの絶叫を聴覚に優れたギッツェが聞き逃すはずもなく、一緒にいたアウグストもばっちり目撃してしまったのだ。
慌てて飛んでいってみれば、そこには顔を赤くしてもじもじと妄想の世界に飛んでいるシルクと、脱ぎ捨てた服を必死になって回収している全裸のバルドがいた。
こちらを向いたバルドのなんとも情けない表情は忘れられない。
あれを思い出すだけでご飯が三杯はいける、と内心でほくそ笑むアウグストである。
「欠片もそんなこと思ってないくせに……」
バルドは拗ねたように唇を尖らせた。アウグストに弱みを握られたことが、よほど腹に据えかねているらしかった。
「まあ、さすがの私も度肝を抜かれましたがね」
ガリバルディ商会の会頭アウグストにとって、帳簿や金庫を見て悦に入る人間は決して珍しくない。だが全裸で金貨の海を泳ごうとする人間は空前にして絶後に思われた。
その業の深さは、ある意味ヴァレリーにも匹敵するのではないか。もっとも、かぎりなく情けない業ではあるが……。
「陛下にはもっと別の機会にお勃てていただきたいものですが……お世継ぎの問題もありますし」
「やめてくれ! お前もせっかくの国王を自殺に追い込みたくないだろう!?」
「私を過労死に追いやろうとした人にかける情けはありません」
「人には誰しも、自分の力では如何ともしがたい過ちがあるだろう!」
「その言葉、早くアガサ女史にも聞かせたいものですね」
「やめろおおおおおっ! ただでさえしばらく会えなくてうっ憤が溜まってるはずなのに、こんな話アガサに聞かれたら、いったいどんないじられ方をするか……!」
このままバルドを責め倒すのも実に魅力的だが、それ以上に優先すべき問題が発生していた。
「では、不本意ですが話題を変えまして――」
アウグストは表情を改める。
つい昨日配下となったばかりのタリスカが、今朝になって教皇領から急報をもたらしたのである。
いまだバルドの諜報組織には情報が届いていないことからも、やはり恐ろしい能力と言えた。
さすがはあのヴァレリーの手足だっただけのことはある。
敵とならずに済んで、内心胸を撫でおろすアウグストであった。
「どうやら教団のほうが先手を打ってきたようで」
「……やはり僕の即位に黙ってはいられなかったか」
たとえ暫定的なものであっても、獣人をトリストヴィー国王として認めるわけにはいかない。
だが認めないだけでは教団の意志と力は示せない。
なんらかの手を打ってくるであろうとはバルドも予想していた。
「どうやらよほど腹に据えかねているらしいですな。聖戦を発動するそうで」
「……聖戦?」
「要するに、エウロパ教信者による無制限戦争を発動する、ということです」
「もしかして馬鹿なのか?」
マウリシアの穏健な宗教観と、雅晴の現代葬式仏教を知るバルドは思わず素でそう呟いた。
例外は、本願寺との戦闘経験のある左内くらいである。
『一向ばらは、ぼっけ(とても)きょうとい(こわい)で』
宗教の持つ怖さを、左内はまさしく肌で知っている。だが同時に、本当に恐ろしいのは失うもののない困窮した民である、ということも知っていた。
生活にゆとりや楽しみがあれば、それを失ってまで死を選ぶことはない。
左内の生きた時代、日常的に餓死者や病死者を出していた庶民は、あの世にしかすがる希望を見いだせなかったからこそ、あれほどに強かった。
そうした意味で、トリストヴィーの内乱中に聖戦を発動されたら、危なかったかもしれない。
しかし戦争が終わり、海運ギルドなどの豊富な資金が流入してようやく好景気を実感し始めた国民は、もはや変化を望むまい。
マウリシア王国やサンファン王国も同様で、庶民が豊かな王国ほど、過激な動きは起きない可能性が高かった。
結局のところ、テロを起こすような妄信的な信仰心は、死後の世界に期待せざるを得ないくらいの現世に対する不満がなければ育ちにくいのだ。
「そうですよね。やっぱりそうなりますよね。私の仕事また増やす気なんですね。わかります」
がっくりとアウグストは項垂れる。
ミリアーナを占領して以来、アウグストの立場はすっかり宰相であり、同じく事実上の大将軍となったラミリーズとともに多忙を極めていた。
海運ギルドの元老院議長をも兼任し、愛人のカトリーヌやラウラと遊ぶ暇もない。
それどころか来月には婚約者のアンジェリカが越してくるというから、アウグストの自由で享楽な日々は二度と戻ってこないかもしれなかった。
その様子があまりに男の悲哀を感じさせるので、思わずバルドもフォローの言葉を口にした。
「もうじきアントリムからアガサが来てくれる。そうすれば内政の負担はかなり軽減されるはずだ」
トリストヴィーにおける内乱が終結したのと同時に、ようやくウィリアム王子へのアントリム辺境伯領の引継ぎが概ね完了したのだ。
つい先日、マウリシア国王ウェルキンは第四王子であるウィリアムが臣籍に降下し、アントリム公爵となることを発表した。
十代貴族に匹敵する巨大貴族の誕生である。
今後マウリシア王国内のパワーバランスは、シルクがトリストヴィー王国の王妃の座を約束されていることも含めて大きく変わっていくだろう。
バルドが残した遺産とも言えるアントリム公爵領は、王家に近い最大勢力として十大貴族を掣肘する役目を負わされるはずであった。
遠く離れた友ウィリアムには、大出世とはいえ難しい役割を押しつけてしまった。
もっとも初めて騎士学校で会ったころのウィリアムの野心と度胸の良さを考えれば、収まるところに収まった、というところかもしれない。
「ああ、ようやくアガサさんが来てくれるんですか! 良かった!」
アウグストの顔がパッと輝いた。
アントリムの行政を仕切っていたアガサと、その腹心の官僚たちがトリストヴィーへ来てくれれば、アウグストの負担の半ば以上は軽減されると言っていい。
彼女の辣腕をもってすれば、新生トリストヴィー王国の行政組織を刷新することも遠からず可能だろう。
「――この際、彼女を宰相にしてしまいませんか?」
「アガサは僕の婚約者だ。宰相にできるわけないだろう?」
「陛下はお嫁さんいっぱいいるんだから、構わないじゃないですか!」
「いや、その理屈はおかしい!」
国王だからなんでも許されるのではなく、権力はある程度分割されるべきだ。臣下最高位である宰相が国王の妻など、許されるはずがなかった。
「そういえば陛下の腹心で、忠誠心が天元を突破したなんでもできるマンがいる、と聞きましたが……」
「テュロスは本当になんでもできそうだけど、僕の執事以外する気がないからダメ」
「それじゃ私の自由時間はどうなるんですかっ!」
「使える人材を育てるしかないだろう?」
「それが簡単にできれば誰も苦労はしないんですよっ!」
トリストヴィー貴族の忠誠を完全に当てにできない以上、その登用には慎重にならざるをえない。
当初から好意的な貴族であっても、現状では国家機密に触れさせるのは躊躇われた。
バルドが掌握するアントリム辺境伯時代の部下とは、まさに宝石より貴重な戦力なのだ。
もちろんアウグストにも有能な部下はいるのだが、ガリバルディ商会の柱石を簡単に引き抜くわけにもいかず、また国家に対して忠誠を誓わせるのは難しいという事情もある。
この先解決しなくてはならない数々の難問を思い、アウグストが頭を抱えるのも無理からぬことではあった。
「――ごめんなさい。あまりマウリシア王国から介入させるわけにはいかなくて」
申し訳なさそうな顔で、シルクが拝むように両手を合わせる。
シルクがランドルフ侯爵家の令嬢であるからといって、マウリシア王国から重臣を迎え入れることは、新生トリストヴィー王国の安全保障上問題がありすぎた。
両国が対等な外交関係を結ぶためにも、介入は必要最小限にとどめるべきだろう。
ふと何かを思いついたように、俯いていたアウグストが顔を上げた。
「……ブルイック、オスト家の家臣の処遇はまだ定まっていないな?」
「はい」
「では残らず私が召し抱える。以後私の執事として家臣の選抜に協力せよ」
「――承りました」
よくよく考えれば今の事態をヴァレリーが予想していないはずがない。そして何より、気難しい彼の部下が有能でないはずがないのだ。
アウグストが喉から手が出るほど欲した人材は、まさに目の前にいたのである。
あのヴァレリーに仕えていた人間だから一筋縄ではいかないだろうが、今のトリストヴィー貴族より何倍も信用できる。
これで夜のアバンチュールを楽しむ時間ができる、とアウグストは満面の笑みを浮かべた。
「亡き主君より、陛下に引き渡すよう言付かっているものがございます」
ブルイックは半ばアウグストの反応を予想していたようで、肩の荷が下りたようにバルドに向かって一礼する。
ヴァレリーの遺命を果たし終えれば、自分はオスト家の家臣ではなくなりアウグストの家臣となる。そう思えば、いささかなりともブルイックが感慨を覚えるのは当然のことであった。
「――こちらへ」
屋敷の大きさには不釣り合いなほど、深く広がる地下倉庫へとブルイックはバルドたちを案内する。
赤さびた蝶番を開け、さらに複数の仕掛けを解除すると、巨大な鉄の扉が鈍い金属の軋む音を響かせて開いていった。
「これが亡きヴァレリー様が、オスト伯として、ガリバルディ商会の会頭として、未来のトリストヴィーのため蓄えられた資産のすべてです」
「なっ……」
「まさか、これほどとは……!」
それっきりバルドもアウグストも言葉もない。
薄暗い倉庫には、トリストヴィー公国の国家予算すら凌駕する莫大な量の金貨が、山のように積み上げられていたのである。
これほどの大量の金貨は、トリストヴィー海運ギルドのトップの座に就いたアウグストですら見たことはない。
曲がりなりにも大国であったトリストヴィー公国の裏を支配し、その力で大商会をも所有するにいたったヴァレリーの財力は並大抵のものではなかった。
この資金あってこその、裏社会支配であり諜報網であり、人材の豊富さだったのだろう。
「その気になれば公国を滅ぼして自分の国を建てることもできたろうに」
「いえ、所詮金でつくる国は亡き親友の目指した国ではない、と」
ヴァレリーはあくまでも理想に殉じた。
経済的に国を乗っ取るだけでは、あるべき国の姿は見えてこない。
日々の生活に忙しい人の心はそう簡単には変わらないのだ。変えるためには、とびっきりに残酷で容赦なく、貪欲で救いようのない流血と憎悪と悲劇が必要であった。
「それが我が主君ヴァレリーという人でありました」
そんなことは十分に知っていたはずのバルドとアウグストであったが、こうして有り余る財産を見せつけられては、まだまだ認識が甘かったと思う。
彼が生涯抱え続けた闇と孤独はいったいどれほど深かったのだろうか。
正直、本気のヴァレリーと戦ったなら、負けないまでも勝てる気がしない。
「……さらに国内に三か所ほど、オスト家の隠し資産がございます。そちらもすべて陛下に」
「大儀である」
言葉はブルイックに向けながらも、本心はヴァレリーに向けて、バルドはそう言った。
受け取ったほうもその真の意思を間違わなかった。
「すべてはこのトリストヴィーのために」
何かをこらえるように天井を見上げてバルドが呟く。
「――すまないが、少しの間一人にしてくれないか?」
「無論、陛下のお気の召すままに」
察しのよいアウグストは如才なく腰を折り、ブルイックやシルクに退出を促した。
男には他人に見せたくない顔があるものなのだ。
「バルド……」
何か言いたそうなシルクだったが、再びアウグストに促されると大人しく退出した。
――バタン。
背後で扉の閉まる音がしたのを確認してバルドは目を閉じる。
思えば……アントリムでマゴットとの一騎打ちに勝利したとき、もうこれからは大人にならなくてはならないと決めた。
両親の庇護のもとから脱し、今度は自分が両親を守り、ともに戦う対等の家族として認めてもらうためにはそうするほかなかった。
マゴットに勝ったあの場所に、バルドは少年期を置いてきた。そのはずであった。
だが、少しご褒美があってもよいのではないだろうか?
トリストヴィー王国の血を引いているという、マゴットが一人で抱えていた深い闇を共有した。
そして自らの血筋を公表して、王国の後継者として名乗りを上げ、故郷マウリシア王国を後にした。それらがもう遠い過去のように思える。
海を越え、アンサラー王国からやってきたミハイルと戦って重傷を負いもした。
一歩間違えれば死んでいたのだ。
こうして五体満足にトリストヴィーを手中に収められたのは、実力だけでなく幸運の存在なしには考えられない。
さらにこの先に待つエウロパ教団との死闘や、アンサラー王国との対決を考えれば、頭が重くなるのも無理からぬことだろう。
バルドの目標はいまだ道半ば、道半ばである。しかし公国との闘いに勝利し、トリストヴィーを取り戻したことをひとつのマイルストーンと考えることはできないだろうか?
『うむうむ、至極当然のこと』
『待て! もうすぐ結婚も控えてるのにそれでいいのか? バルド氏!』
バルドの前々世である岡左内と、前世である岡雅晴が両極の意見を告げた。
「僕は頑張ったよね? それにこれからも頑張っていかなきゃいけないんだから、少しくらい羽目を外してもいいんじゃないかと思うんだ」
『いや、羽目を外すってレベルじゃないから! ていうか左内さんも煽らないで! あんた最近また自重しなくなってきてるよ!』
『坊の人生にゃ手を出しとらん』
『あんたの性癖は人生を破壊するには十分すぎるんだよ! この爺!』
雅晴必死の説得も効力は薄い。残念ながらバルド本人の心が左内のごく近いところにあるからだ。
『思い出すんだバルド氏! セイルーンやアガサさんのときのように見られたらどうする? またあの羞恥地獄を味わいたいのか?』
「で、でもほら、ここにはシルクしかいないし、一人にしてくれと言っておいたし、多少はね?」
『しかりしかり』
『爺! あんたがやりたいだけだろっ!』
『人は素直であるがまま(よい)ぞ』
『素直が美徳なのにも限界があるんだよ! 世の中には!』
しかし雅晴の主張は通らない。
圧倒的なまでの存在感を放つ大量の金貨が、妖しい黄金の輝きが、バルドの理性を狂わせていた。
「――今日は泳ぐにはいい日だね?」
『男には肌で感じることも必要ぞ』
『やっぱりだめだ、こいつらああああああああああ!』
コルネリアスやアントリムのときとは比較にならぬ大量の金貨。利殖家として鳴らした左内でも、これほどの金を目の当たりにしたことはない。
それほどにヴァレリーが貯め込んだ資産は非常識な額だったのだ。
もう我慢できるはずがなかった。何より正式に国王として即位、結婚などということになれば、二度とこんな機会は訪れないかもしれない。
「I CAN FLY!!!」
まるで昆虫が脱皮するかのように手際よく脱衣したバルドは、鼻の穴を大きくして堆く積まれた金貨の山に飛び込んでいった。
ジャララララララッ!
魅惑的な金属音が響き渡り、その音量にバルドと左内は鳥肌が立つほどに興奮する。
「いやっほおおおおおおおおおおおおお!」
『極楽じゃあ! 極楽じゃああ!』
金貨の山の頂上から全裸ダイブ。そしてくるりと前転して転がり落ちる。
全身で金貨の感触を楽しみながら、バタフライの要領で金貨の海をかき分けるバルドの顔は至福に蕩けていた。
まさに男の本懐ここに極まれり。
同時に好事魔多しという言葉を、このときバルドは完全に忘れ去っていた。
「……私、何もわかってなかったのね」
シルクは誰にともなくポツリと呟いた。
かつて、自分こそがこのトリストヴィーを解放して導くと意気込んでいた彼女にとって、バルドやヴァレリーが裏で動いていた一連の事実は衝撃的だった。
そもそもアウグストがヴァレリーの息子であるということすら、まだ完全には消化できていない。
神妙な顔つきのバルドから聞かされたときは冗談かと思ったほどだ。
敵の黒幕が、実は何十年も前から自国を滅ぼすために暗躍していたなど誰が信じるだろう。
人は誰しもがよりよい未来を目指し、その意思と能力によってさまざまな行動を取るが、さすがに人生をかけて国を滅ぼし悪人として名を残したいとは考えない。
それでは自殺ですら生易しい、精神的な拷問を人生に課したようなものである。
「あれを理解しろというのは、まともな人間には無理があります」
苦笑しつつアウグストはシルクを慰める。
基本的に善良な令嬢であるシルクに、父を理解しろというのは、ひどく相性が悪いように思われた。
ああいう性悪な腹黒を相手にするのは、自分のような清濁定かならぬ人間だけで良い。
もっとも、最上位者であるバルドには付き合ってもらうが。
「――でも、私はもっとバルドを知りたいの。私が知らないところで一人で苦しんで欲しくない!」
父アルフォードに啖呵を切ったときのことを、シルクは今さらのように思い出す。
世界を変える力は誰にでもある、そう言ったのは自分ではなかったか。
どんな困難な道のりであろうとも、バルドの傍らにい続けると決めたのは自分ではなかったのか?
誰よりもバルドを知り、バルドに頼られるパートナーでありたい。
そのために自分を磨き上げ、政治・軍略の能力においてもより高みに達したと思っていた。実際、親の欲目もあるかもしれないが、父親のアルフォードをも唸らせている。
――なのに、バルドにもアウグストにも自分の知見が及ばなかったのは、シルクにとって大きなショックだった。
「――愛は時に仕える道化ではない」
「えっ?」
その言葉の意味を、シルクが理解するまでにしばしの時間を要した。
ただアウグストの悪戯っぽい笑みに、どこかバルドに似た雰囲気を感じて、シルクの脳裏で閃くものがあった。その表情が明るく変わる。
「いい笑顔です。間に合わぬことなどありませんよ。すべてはあなたの心のままに、です」
「ありがとう! 私、行ってくる!」
まるで背中に羽が生えたかのように、軽やかにシルクはバルドのもとへ駆け出す。
つい先ほどまでの鬱屈は綺麗さっぱり消えていた。
「……青い青い」
「年寄り臭いですよ、ギッツェ殿」
「放っとけ」
互いにニヤリと笑う二人は、このとき自分たちが主君にとってよいことをしたと信じて疑わなかった。後に「死ぬまで恨む」と言われるとは、夢想だにしていなかったのである。
(バルド! バルド! バルド!)
胸から溢れる温かい思いに急き立てられ、シルクは重い地下室の扉を開けた。
「――バルド!」
そこでは、全裸で金貨背泳ぎを披露するバルドが、決して見せてはならない部分をシルクの視界にさらけ出していた。
「ぱ、ぱおーん?」
「うっそおおおおおおおおっ!」
『だから言わんこっちゃない』
『わえのせいやないで?』
『最初っから最後まで爺のせいだろがっ!』
体格と共に成長した、セイルーンやアガサに見られた時より雄々しくそそり立つブツをガン見して、シルクは火照る頬を両手で押さえた。
「だめよバルド、最初はやっぱりベッドじゃないと……でも、××して〇〇〇するだけなら、でもでも私にも心の準備というものが……」
「お願いだから正気に戻ってシルクさん――!」
もじもじと腰を振り始めたシルクを止めようにも、全裸のままでは如何ともしがたい。
勃ったモノを隠した前かがみの姿勢で、この理不尽な世界にバルドは抗議の叫びを上げた。
「誰か助けてええええええええええええ! せめて記憶をなくしてえええええええええええええ!」
「最悪だ。最低だ……」
翌日、バルドは自分のしでかしてしまったことの大きさに頭を抱えていた。
雅晴が左内を叱りつける。
『だからあれほどやめろって言っただろうが!』
『わえのせいやないで?』
『まだ言うか! この糞爺!』
そんなバルドを生暖かい目で見つめる視線があった。
「お前だけには知られたくなかったー!」
「そんなお気になさらずに陛下。いいじゃないですか、お金。私も好きですよ?」
あれほどの絶叫を聴覚に優れたギッツェが聞き逃すはずもなく、一緒にいたアウグストもばっちり目撃してしまったのだ。
慌てて飛んでいってみれば、そこには顔を赤くしてもじもじと妄想の世界に飛んでいるシルクと、脱ぎ捨てた服を必死になって回収している全裸のバルドがいた。
こちらを向いたバルドのなんとも情けない表情は忘れられない。
あれを思い出すだけでご飯が三杯はいける、と内心でほくそ笑むアウグストである。
「欠片もそんなこと思ってないくせに……」
バルドは拗ねたように唇を尖らせた。アウグストに弱みを握られたことが、よほど腹に据えかねているらしかった。
「まあ、さすがの私も度肝を抜かれましたがね」
ガリバルディ商会の会頭アウグストにとって、帳簿や金庫を見て悦に入る人間は決して珍しくない。だが全裸で金貨の海を泳ごうとする人間は空前にして絶後に思われた。
その業の深さは、ある意味ヴァレリーにも匹敵するのではないか。もっとも、かぎりなく情けない業ではあるが……。
「陛下にはもっと別の機会にお勃てていただきたいものですが……お世継ぎの問題もありますし」
「やめてくれ! お前もせっかくの国王を自殺に追い込みたくないだろう!?」
「私を過労死に追いやろうとした人にかける情けはありません」
「人には誰しも、自分の力では如何ともしがたい過ちがあるだろう!」
「その言葉、早くアガサ女史にも聞かせたいものですね」
「やめろおおおおおっ! ただでさえしばらく会えなくてうっ憤が溜まってるはずなのに、こんな話アガサに聞かれたら、いったいどんないじられ方をするか……!」
このままバルドを責め倒すのも実に魅力的だが、それ以上に優先すべき問題が発生していた。
「では、不本意ですが話題を変えまして――」
アウグストは表情を改める。
つい昨日配下となったばかりのタリスカが、今朝になって教皇領から急報をもたらしたのである。
いまだバルドの諜報組織には情報が届いていないことからも、やはり恐ろしい能力と言えた。
さすがはあのヴァレリーの手足だっただけのことはある。
敵とならずに済んで、内心胸を撫でおろすアウグストであった。
「どうやら教団のほうが先手を打ってきたようで」
「……やはり僕の即位に黙ってはいられなかったか」
たとえ暫定的なものであっても、獣人をトリストヴィー国王として認めるわけにはいかない。
だが認めないだけでは教団の意志と力は示せない。
なんらかの手を打ってくるであろうとはバルドも予想していた。
「どうやらよほど腹に据えかねているらしいですな。聖戦を発動するそうで」
「……聖戦?」
「要するに、エウロパ教信者による無制限戦争を発動する、ということです」
「もしかして馬鹿なのか?」
マウリシアの穏健な宗教観と、雅晴の現代葬式仏教を知るバルドは思わず素でそう呟いた。
例外は、本願寺との戦闘経験のある左内くらいである。
『一向ばらは、ぼっけ(とても)きょうとい(こわい)で』
宗教の持つ怖さを、左内はまさしく肌で知っている。だが同時に、本当に恐ろしいのは失うもののない困窮した民である、ということも知っていた。
生活にゆとりや楽しみがあれば、それを失ってまで死を選ぶことはない。
左内の生きた時代、日常的に餓死者や病死者を出していた庶民は、あの世にしかすがる希望を見いだせなかったからこそ、あれほどに強かった。
そうした意味で、トリストヴィーの内乱中に聖戦を発動されたら、危なかったかもしれない。
しかし戦争が終わり、海運ギルドなどの豊富な資金が流入してようやく好景気を実感し始めた国民は、もはや変化を望むまい。
マウリシア王国やサンファン王国も同様で、庶民が豊かな王国ほど、過激な動きは起きない可能性が高かった。
結局のところ、テロを起こすような妄信的な信仰心は、死後の世界に期待せざるを得ないくらいの現世に対する不満がなければ育ちにくいのだ。
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
企業再生のプロ、倒産寸前の貧乏伯爵に転生する
namisan
ファンタジー
数々の倒産寸前の企業を立て直してきた敏腕コンサルタントの男は、過労の末に命を落とし、異世界で目を覚ます。
転生先は、帝国北部の辺境にあるアインハルト伯爵家の若き当主、アレク。
しかし、そこは「帝国の重荷」と蔑まれる、借金まみれで領民が飢える極貧領地だった。
凍える屋敷、迫りくる借金取り、絶望する家臣たち。
詰みかけた状況の中で、アレクは独自のユニーク魔法【構造解析(アナライズ)】に目覚める。
それは、物体の構造のみならず、組織の欠陥や魔法術式の不備さえも見抜き、再構築(クラフト)するチート能力だった。
「問題ない。この程度の赤字、前世の案件に比べれば可愛いものだ」
前世の経営知識と規格外の魔法で、アレクは領地の大改革に乗り出す。
痩せた土地を改良し、特産品を生み出し、隣国の経済さえも掌握していくアレク。
そんな彼の手腕に惹かれ、集まってくるのは一癖も二癖もある高貴な美女たち。
これは、底辺から這い上がった若き伯爵が、最強の布陣で自領を帝国一の都市へと発展させ、栄華を極める物語。
異世界のんびり農家貴族 〜野菜が世界を変える〜
namisan
ファンタジー
神様から万能の農具をもらったわけでも、一瞬で作物が育つ魔法があるわけでもない。
あるのは、断片的な前世の知識と、泥にまみれる覚悟だけだった。
ティンバー王国南部の穀倉地帯を治めるリムバーグ子爵家の次男、アレク(15歳)。彼は現代日本で農学を学んでいた前世の記憶を「ぼんやりとした夢」として持っていた。
領地の衰退を救うため、痩せ細った荒地を譲り受けたアレクは、家族の温かい理解と支援を受けながら、本格的な土壌改良と農業改革に乗り出す。
没落港の整備士男爵 ~「構造解析」スキルで古代設備を修理(レストア)したら、大陸一の物流拠点になり、王家も公爵家も頭が上がらなくなった件~
namisan
ファンタジー
大陸の南西端に位置するベルナ子爵領。
かつては貿易で栄えたこの港町も、今は見る影もない。
海底には土砂が堆積して大型船は入港できず、倉庫街は老朽化し、特産品もない。借金まみれの父と、諦めきった家臣たち。そこにあるのは、緩やかな「死」だけだった。
そんな没落寸前の領地の嫡男、アレン(16歳)に転生した主人公には、前世の記憶があった。
それは、日本で港湾管理者兼エンジニアとして働き、現場で散った「整備士」としての知識。
そして、彼にはもう一つ、この世界で目覚めた特異な能力があった。
対象の構造や欠陥、魔力の流れが設計図のように視えるスキル――【構造解析】。
「壊れているなら、直せばいい。詰まっているなら、通せばいい」
アレンは錆びついた古代の「浚渫(しゅんせつ)ゴーレム」を修理して港を深く掘り直し、魔導冷却庫を「熱交換の最適化」で復活させて、腐るだけだった魚を「最高級の輸出品」へと変えていく。
ドケチな家令ガルシアと予算を巡って戦い、荒くれ者の港湾長ゲンと共に泥にまみれ、没落商会の女主人メリッサと手を組んで販路を開拓する。
やがてその港には、陸・海・空の物流革命が巻き起こる。
揺れない「サスペンション馬車」が貴族の移動を変え、「鮮度抜群の魚介グルメ」が王族の胃袋を掴み、気性の荒いワイバーンを手懐けた「空輸便」が世界を結ぶ。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです
NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた
