恐怖体験や殺人事件都市伝説ほかの駄文

高見 梁川

文字の大きさ
56 / 258

アンドレイ・チカチーロ



 大量殺人犯を語る上でこの男をはずすわけにはいかない。
 非常にテンプレで見た目がシリアルキラーであると訴えているようなわかりやすい犯人像を具現したかのようである。
 しかしその実態は我々が考えている以上に虚像に覆われている。



 アンドレイ・ロマノヴィッチ・チカチーロは1936年10月16日ウクライナ共和国のスムスカヤ州ヤブロチュノア村に生まれた。
 貧しい村であったらしくタチアーナという妹のほかにもうひとり兄がいたが、飢えた隣人に誘拐され食べられてしまったと母親は語っている。
 当時のソビエト連邦が第二次世界大戦に参戦するとアンドレイの父親は徴兵され村からいなくなった。
 母と寝床を共にしていたアンドレイは慢性的な夜尿症で、いつもそのことを母に怒られ叩かれる毎日を送っていた。
 本来豊かな穀倉地帯であるウクライナは、スターリンの命令によって徹底的に収奪され全土で餓死者が続出する事態となった。
 そのなかで生き残るために人肉食があちこちで見られるようになり、アンドレイも子供ながらにその情報に接して育ったものと考えられている。
 また1941年のドイツ軍に侵攻によってアンドレイは初めて間近で手足を吹き飛ばされた無惨な死体を見る機会に遭遇し、そのときに性的な興奮を覚えたと本人が語っている。
 そのときに幼い彼のなかに芽生えたサディスティックな感情は、「若き赤軍兵士」という小説によってさらに助長されることとなった。
 理想に燃えるパルチザンの主人公がドイツ軍将校を拷問するというこの小説に感情を移入したアンドレイは自分がドイツ将校をいたぶっている状況を妄想しては自慰に耽っていたという。
 しかしそんな内面の異常さとは裏腹に、アンドレイは非常に内向的な少年だった。
 ただプライドが高く近視であることを屈辱に感じ、決して眼鏡をかけようとはしなかった。
 そのために彼はたびたび間抜けな失敗を犯し、近所の少年たちに馬鹿にされ、苛められる立場であった。
 名誉挽回に燃えるアンドレイは猛勉強のすえモスクワ大学を受験するが努力は報われることなく受験は失敗に終わる。
 失意のアンドレイは徴兵によって3年間の兵役につき、ようやく生まれ育った故郷に帰還する。
 しかしそこでアンドレイは人生を変えてしまう一つに大きな不幸に見舞われることとなった。
 異性に奥手なアンドレイが、努力のすえデートにこぎつけた彼女により、彼がインポテンスであることがばらされてしまったのである。
 彼は逮捕後もこの出来ごとについては苦々しく吐き捨てるように語った。

 「恥ずかしくて町を歩けなかった。腸が煮えくりかえる思いだった。あの女を出来り限り残虐な方法で拷問し、殺して八つ裂きにすることを何度も何度も妄想した」

 このときの屈辱はアンドレイにとって生涯忘れられないものであった。
 その後アンドレイは厭な想いでしかないウクライナを捨ててロシアにうつりロストフで電話修理工の職についた。
 しかし新天地でもアンドレイは相変わらずみじめであった。頭はセックスのことでいっぱいなのに恋人は出来ず、こらえきれない性の衝動に職場で自慰をしているところを同僚に見つかって
職場の笑いものにもされた。
 見るに見かねた妹の紹介でフェオドーシャと結婚するが、それは彼の異常性を自覚させるきっかけにしかならなかった。
 アンドレイは妻との間に二人の子供を設けるが、そのセックスに充足感を得ることはなかったのだ。
 あれほど待ち望んだセックスなのに、彼にとってセックスとは女を蹂躙し虐待することにほかならなかったのである。
 警察の尋問にアンドレイは「妻とのセックスは子供を作るためのものであり、楽しんだわけではない」と答えている。


 1971年、アンドレイは通信教育で教師の資格を取得する。
 妻はこのとき鼻高々であったという。共産圏では教師の社会的地位は高いものであるらしい。
 しかしそれはアンドレイにとっても社会にとっても大きな不幸を生み出すこととなった。
 教師という立場上、アンドレイはまだか弱い子供と接することとなる。
 そして教師になっても性欲をコントロールすることのできないアンドレイは学校内でも自慰などを繰り返し、生徒たちに馬鹿にされる典型的なダメ教師となった。
 うっ屈したストレスと見たされることのない性的欲求が重なったとき、アンドレイはついに14歳の少女に襲いかかる。
 幸い不祥事の発覚を恐れた学校側にこの事件はもみ消されたが、アンドレイは男子寮にまで忍び込んだところを発見された。
 アンドレイにとってもはや性別すら重要なものではなく、抵抗することのできないか弱い存在が重要になろうとしていた。


 それでもまだギリギリのところでアンドレイは踏みとどまっていた。
 町のはずれにあばらやを買い求め、そこで安淫売や浮浪者を誘いこんでは欲求不満をはらす日々が1978年ごろまで続いた。
 しかし1978年もうすぐクリスマスという12月22日、仕事を終えた帰り道でレナ・ザコトノーバ(9歳)に声をかけたアンドレイはあのあばらやに彼女を誘いこむことに成功した。
 そこでついに彼はレナをナイフでめった刺しにして念願のサディスティックな願望を満たしてしまったのである。
 一度味わった禁断の果実の甘さにアンドレイは狂喜したと言っていい。
 レナの死体は2日後川に投げ捨てられているところを見つかったが、犯人として逮捕されたのはアンドレイではなく前科者のアレクサンドル・クラフチェンコという男であった。
 哀れなこの男は1984年に殺人犯として処刑されている。
 せっかく間違った犯人が捕まったのに新たな事件を起こして真犯人がいることに気づかせるのはまずいと思ったのか、アンドレイはしばらくの間自重する日々を送る。
 しかしついに素行の悪さから教師を首になり、工場の補給担当者となった1981年、再びアンドレイは凶行に走った。
 犠牲者はラリサ・トカチェンコ。
 深い森の中で彼女を絞殺したアンドレイは死体を切り裂いて内臓を取り出し、射精しながら雄叫びをあげた。
 
 「パルチザンになった気分だった」

 若き日に読んだ小説を思い出し、今こそアンドレイは妄想の夢を叶えていた。


 かくしてソビエト連邦が生んだ最凶の殺人者「ロストフの切り裂き魔」は誕生した。
 この後アンドレイは12年にもわたり52人という大量の女性や子供たちを虐殺することになる。
 犠牲者はほとんど刃物でめった刺しにされており、眼球をくりぬかれたり性器を切り取られていることもたびたびであった。
 それらはたいていの場合その場で食べられるか、自宅に持ち帰った後で調理されていた。

 12年もの間アンドレイが逮捕されなかったのにはわけがある。
 まず当時の共産圏は連続殺人事件は資本主義の退廃的な文化の悪弊であると信じられていた。
 そのためグラスノスチでアンドレイの情報が公開されると結局共産圏も同じじゃないか、という批判にさらされることとなった。
 さらに問題なのは警察が一連の殺人を同一犯のものとは考えていなかったことである。
 非常に硬直した当時の官僚体制では横のつながりが希薄で、出張先で犯行を繰り返すアンドレイを捕捉できなかった。
 まだコンピューターによるデータベース化もされておらず、警察がこの事件を同一犯と判断するのは実に三十人以上が殺されたあとであった。
 さらにアンドレイの体質がまるで悪魔の加護のように彼に幸運をもたらした。
 被害者に付着した精液から犯人をAB型であると鑑定したが、アンドレイはA型であった。
 アンドレイは精液と血液の型が異なるという珍しい体質の持ち主であったのだ。

 しかし悪魔の幸運は決して永遠には続かない。
 悪魔の加護は与えられた者を最後には破滅させるがゆえに悪魔の加護なのである。
 1985年、モスクワに出張したアンドレイはイリーナ・グラヤエーバという女性を殺害するが、この事件をきっかけにCIAと並び称されるソビエト連邦の諜報機関KGBの国内部門が調査に乗り出すことになった。
 担当捜査官はイーナ・コストイェフ大佐で警察との合同の大規模な専従班が組織された。
 まず大佐は大きな駅やバス停での巡回を強化し、人通りの大きな雑踏でもアンドレイの犯行を阻止した。
 そのためアンドレイは警察のいないことが明らかな人通りの少ない場所で獲物を探さなくてはならなかった。
 また警察は女性捜査官を多数動員し、彼女たちに売春婦やホームレスの格好をさせて囮捜査にあたらせた。
 本来これほどの人数を捜査に動員することはないのだが、これまでのアンドレイが犯してきた犠牲者の数がこの規格外の捜査を成立させたのだった。
 おりしもゴルバチョフ大統領によるペレストロイカが実施されたころである。
 情報公開により民間からの情報も広く集められるようになり、ボランティアによるパトロールも行われた。
 このときの捜査協力者のなかには、アンドレイの名もあった。

 捜査の網が狭まるのを自覚したのかアンドレイは2年ほど犯行を止める。
 しかしいつまでも殺戮の衝動を抑えることは出来ず、1990年11月6日スベータ・コロスティックという女性を殺害したアンドレイは返り血を浴びたまま徘徊していることころをさっさりと巡回のパトロール隊員に発見された。
 重要参考人としてアンドレイの勤務記録を洗い出した警察は、アンドレイの出張先が殺人事件の犯行場所と一致していることを突き止め、11月20日ついにアンドレイを逮捕した。


 しかし実のところ証拠不十分である警察はなんとしてもアンドレイの自白が欲しかった。
 そのため警察はアンドレイに精神異常による無罪の可能性をほのめかす。わざわざ精神科医を尋問に同席させるという念の入り様だった。
 まんまとこの策にはまったアンドレイはたちまち56人もの殺害を自白する。
 そのなかにはまだ警察が突き留めていない事件や、遺留品に関する犯人にしか知り得ない情報が多数含まれており、これにより警察は裁判を維持することのできる証拠を確保した。
 ここで初めてレナ・ザコトノーバの事件が冤罪であることが判明し、慌てた警察がこの事件を裁判の起訴内容からはずすという一幕もあった。


 1992年4月14日ロストフ地方裁判所にて半年に及ぶ裁判が開始された。
 出廷したアンドレイはシラミ除けのために頭をそり上げ、被害者家族から身を守るために鉄の檻に入れられて登場した。
 裁判での彼の態度は異常で分裂的であった。公判の最中にズボンを脱いで性器を露出させたり、法廷に持ち込んだポルノ写真を高々と掲げたり、自慰を始めたり、ソ連当時の国歌を歌ったり、
 はたまたウクライナ語の通訳を要求した。ズボンを下ろして自分の性器を露出し、自分は同性愛者ではないと叫び、自分が今までに自白した殺人を否定するかと思えば、
 逆に犠牲者の数が少なすぎると言い出したり、挙句の果てに、「俺は妊娠している」「あたしは女なのよ」「僕の脳はチェルノブイリの放射能に汚染されているんだ」などと支離滅裂なことを口走るという奇矯な振舞いをし、
 嘲笑を誘う陳述を何度か行った。
 彼は裁判中、反省や謝罪の言葉を口にすることは一切なく、ただ罵倒と撹乱に専念していた。
 これは精神錯乱者として無罪となるための彼なりの法廷戦術であったことは間違いない、しかしペレストロイカが行われたとはいえまだまだ共産主義のロシアでその主張がいれられる可能性は限りなく低かった。
 案の定、裁判長から死刑判決を告げられたアンドレイは「イカサマだ!お前の嘘なんか聞かねえぞ!」と絶叫し、早速上告の手続きをとっている。
 しかし彼の上告は時の権力者ボリス・エリツィンによって握りつぶされ死刑は確定した。

 被害者家族が復讐の機会を与えることを請願するなか、1994年2月14日ロストフ刑務所内にある防音効果のある処刑室に連れて行かれたアンドレイは右耳上を拳銃で撃たれて即死した。
 57歳だった。
 管理人はたまたま警察の不手際で犯行が発覚しなかっただけで、アンドレイは見た目ほど異常な人間ではなかったように思う。
 普通であれば2、3人を殺した時点で逮捕され、場合によっては更生することもありえただろう。
 裁判における姑息な演技や、死刑判決が出た時の失望ぶりからは彼の小心な卑少さしか伝わってこない。
 あるいは彼は凶悪なロストフの切り裂き魔を演じることによって少年のころからの殺人衝動を昇華したのかもしれない。
感想 56

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。