彼の名はドラキュラ~ルーマニア戦記~ ヴラド・ツェペシュに転生したら詰んでます

高見 梁川

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第十話 バルゴの丘の惨劇

「ああ、…………疲れた」
 トゥルゴヴィシュテ城に帰還した俺は、電池の切れた人形のようにベッドに倒れこんだ。
 結果からいえば完勝だったが、その勝利は薄氷の上に乗っていた。
 敵の兵力が圧倒的に上なのだから、別動隊を派遣してトゥルゴヴィシュテ城を狙わせる手もあったろう。
 または下手に攻撃をせず持久戦に持ちこまれたら、敗北はせずとも勝利することもできなかったに違いない。
 俺にとって幸いなことに、野戦築城という戦術は後年スペインで生まれる名将ゴンサーロ・フェルナンデス・デ・コルドバが運用するまで全く注目されなていなかった。
 チョリニョーラの戦いで野戦築城と火器を連動させたゴンサーロは後に塹壕戦術の父と謳われる。 
 新兵ばかりで練度に劣るワラキア公国軍としては、最初から高度な運動戦を望めるはずがなかった。
 だからこそ俺は強固な野戦陣地を築城し、安全な馬車から弩を放つことに専念させたのである。
 装甲馬車のヒントはフス戦争において不敗のまま死去した名将ヤン・ジシュカが得意とした堡塁車両にある。
 分厚いオーク材を鉄板で挟み、鉄鎖で連結することで簡易的な城郭となったこの堡塁車両は、農民軍であるフス派に大勝利をもたらした。
 十万の十字軍を一万の農民軍が撃破してしまったのである。
「それにしても…………」
 殿を任されたワラキア貴族の体たらくはひどいものだった。
 敵わぬとみるや剣を捨てて恥も外聞もなくすがりついてくるのだ。
 あれほど二度目の裏切りは許さないと言ったのに、どうして助けてもらえると思うのだろう。
 騎兵を率いて追撃の先頭に立つネイは、かつての同胞にいささかの同情も感じていなかった。
「た、頼む! 助けてくれ!」
 ネイの部隊が接近してくるのを目撃した貴族は、抵抗を放棄して大地に身を投げ出すと哀れを催す声で命乞いをした。
 そこには居丈高な貴族の名誉も誇りもなく、ただ生にしがみつきたいだけの幼児の姿だけがあった。
「俺に頼むな。神に頼め」
 そう短く呟いてネイは槍を振り下ろした。
 グサリと鈍い音がして、槍の穂先が男の背中から突き抜けると、口元から血をあふれさせながら涙を流して男は「死にたくない、死にたくない」と独り言をつぶやき続けた。
 神の御許で天国に召されるだけの自信が、男には全く不足していたのだった。
「誰だも死にたくはないだろうさ。我が父もな」
 そう言ってネイは無感動に次の獲物を探し始めた。
 名もなき人々の犠牲の上に、我が世の春を謳歌してきた貴族たちがようやくその罪を購う時が来ただけのことだ。
 神の前で自分がどれだけ恥知らずであったか素直に告白すればいい。
 きっと素敵な褒美がいただけることだろう。
 新たな敵を串刺しにして、ネイは口元に抑えきれぬ笑みを浮かべていた。
 オスマンの捕虜になる前、ネイは旧ブルガリアとの国境に近いシリストラの下級貴族であった。
 やせた土地とわずかばかりの俸給でその日を暮らすのがやっとの貧乏暮らしであったが、父はヴァルナの戦いにも参戦したという腕自慢の猛者であり、地元の領民たちの信頼も厚かった。
 しかし強大なオスマンを敵に回すことを恐れた領主が裏でオスマンと手を握ったことで、勇猛かつ人望の厚かったネイの父親は邪魔な存在になった。
 そしてあの運命の日、父は信頼していた味方の手によって不意に縄をうたれ、オスマンに引き渡されたのである。
 ネイもまたそのときに捕えられた一人であった。
 その後ほとんど時をおかずに父はオスマンの兵士によって首をはねられた。
 ヴラド殿下に救われて九死に一生を得たのちは、別れた母と妹の安否を確かめるために情報を集めたが、母は父と自分が捕えられたあとすぐに自ら命を絶ったという。
 妹の所在は今も杳としてわからない。
 一時は復讐の炎に身を焼きつくそうかと思ったこともあった。
 騎士として自慢の父だった。
 優しく包容力のある母だった。
 生意気だが思いやりのある妹だった。
 神に対してなんら恥ずべきことのない、平凡だが堂々たる人生を送っている家族だった。
 にもかかわらず非情にも、一貴族の利益のためにささやかな家族の幸福はいとも簡単に生贄の祭壇にささげられた。
――――――ともにそんな世界を正そう。
 ヴラド殿下にそう聞かされたときは盲を開かれた思いだった。
 貴族の利益のために領民があるのではない。
 名もなき領民たちの平和を守るために国と貴族があるのだ。
 そうでないというのなら、俺達がワラキアをそんな国に生まれ変わらせよう。
 今は何の逡巡もなく断言することが出来る。
 ネイ・クリエストラという騎士は、ヴラド殿下と新たな世界のためならば、いささかの迷いもなく敵を殺しつくそうと。
 無抵抗の人間を殺すのは騎士の道ではない。
 だが問答無用の殺戮は、追撃の続くかぎりどこまでも続いた。
 そんな惨劇を眺めて俺はゆっくり目を閉じる。
(――――俺は変わったかな)
 平凡な大学生にすぎなかった柿沼剛士は、ここまで簡単に人を殺せる男であったろうか?
 そんなはずはないと思いたい。
 ならば自分のなかにまだ存在する本物のヴラドの怨念のなせるわざか?
 そうでもない、と感じる自分がいた。
 この世界の理不尽に対する怒りや、自らの不遇、そして仲間たちとの未来、それを考えるとき決してヴラドのものではない熱い感情が湧き上がる。
 それは怒りや怨念ではなく、もっと暖かく明るいものであると信じたかった。
(絶対に史実の轍は踏まない。俺は俺のやり方で、この世界に新たな秩序と理想を実現させてみせる!)
 最初は生き延びるためだけだった。
 しかしもはや生き延びるだけでは足りない。足りないのだ。

 小一時間ほどの休憩を取り、俺は財務と外交を任せているデュラムを呼び出した。
「今回日和見をしてどちらの味方もしなかった貴族たちがいるな?」
「はい……特に中央と北部はその傾向が強いかと」
「全員呼び出せ。十日後にだ」
「お急ぎですね……」
 日和見とはいえ中立を守ってくれた貴族に、あまりに上から命令するのは得策ではないのではないか。
 デュラムがそう考えているのを重々承知で俺は命じた。
「ルールが変わったのだ。味方するにしろ敵に回るにしろ、まず新しいルールを知ってみらわねば話にならん」
 続く俺の言葉を聞いたデュラムから、みるみる血の気が引いていった。
(殿下は愛されるより恐れられる君主の道を選ぼうとしている)
 その道は険しい修羅の道となろう。
 ならばせめて、この煉獄がワラキアの将来に幸をもたらさんことを祈ろう。
 そして我が主君がこれ以上己の良心に苛まれることのないように、と。
 暗澹たる思いを隠すようにして、デュラムはヴラドにむかって深々と頭を下げた―――――。

 若き君主ヴラド三世が英雄ヤーノシュを撃退した。
 この事実を前に、日和見を決め込んでいた貴族たちも認識を改めないわけにはいかなかった。
 ヤーノシュを撃退するほど戦上手の上に、ヴラドはオスマン帝国が後ろ盾に控えているのだ。
 御輿にすぎなかった大公にわが物顔で振舞われるのは郷原ではあるが、明確に敵対するのも得策ではない。
 それにしても不思議な命令であった。
 十日後にトゥルゴヴィシュテ城に参集しろちうのはまだわかる。
 問題なのはトゥルゴヴィシュテの西方にあるパラゴの丘を、必ず通るという条件だった。
「いったい何があるというのだ……?」
 疑問に思いながらも貴族たちは列をなしてパラゴの丘へと向かった。
 さほど勾配のきつくない丘陵であるパラゴの丘は、背の低い灌木と草原に覆われていた。
 だが、それはつい先日までの話だ。
 今やその場所には人工的な林ができあがっていた。
 そして先頭を行く貴族のひとりが、林の正体に気づいた。
「まさか……まさか…………!」
 鼻を衝く異臭、不気味に旋回する多くの烏たち。
 彼らの中の大半は、戦場でそれに類する臭気をかつて嗅いだ経験があった。
 心のどこかで否定する声が響く。
 そんなはずはない。そんなことがあるはずが―――――。
 記憶に間違いがなければそれは死臭、かつて人であったものが肉塊と臓腑に変わり果てる匂いであったはずであった。

「まさか―――――ああ、まさかこんなことが―――――」
「おお!神よ!救い給え!」

 まさかこれが見せたかったのか。
 この地獄絵図を、林に見紛うばかりに突き立った死体だらけの丘を。
 ヴラド・ドラクリヤよ。お前はいったい何者なのだ?

「うええええええっ!」

 たまらず貴族たちの幾人かが胃の内容物を大地に戻しあげて、こみあげる酸っぱいものを撒き散らした。
 鳥や獣についばまれて腸が垂れ下がり、眼窩も露出した見るも無惨な死体が巨大な一本の杭に串刺しにされている。
 幾百、幾千という死体が串刺しにされて林立していた。
 遠目にバルゴの丘が林のように見えたのはそれが原因だった。

 男も女も、老人も子供も関係なく、尻から口へと杭に刺し貫かれて、うらめしそうに見開かれていたであろう目はすでに腐り落ちて溶けかかっていた。
 裏切り者は家族の末端にいたるまで一人たりとも許さない、というヴラドの苛烈な意思を彼らは死体の山に幻視した。

 殺される
 殺される
 殺される
 殺して殺されてコロシテコロサレテ
 あの悪魔があの悪魔の申し子が復讐にやってくる
 地獄の底から幾千幾万の悪鬼を連れて、この世に地獄を現出せんとやってくる!


 正気でいることに耐えられなそうになって一人が逃げ出すと、全員が一刻も早くこの狂った地獄絵図から抜け出そうと猛然と馬を駆った。
 その中の一人がまるで呪いの言葉でも吐くように呟く。

「串刺し公(ツェペシュ)………」

 ほんのかすかだったその言葉はほとんどパンデミックのような勢いで貴族たちの間に感染した。
 魔よけのように
 断罪の許しを乞うように
 そしてこの悪しき世界を呪うように
 彼らは一心不乱に呟き続けた。
「ツェペシュ」
「ツェペシュ」
「ツェペシュ!!!!!!」
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