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第1章 人生激変! 婿を取れ、モブ令嬢!

第1章 人生激変! 婿を取れ、モブ令嬢! ③

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 アルフレッド様はそれをあっという間に読み終わってしまったらしく、翌日、私が返却窓口にいる時に返しに来た。

「……早いですね」
「あぁ。この作者の本はもうないのか? 本棚を見てきたが、一冊もない」
「え? 他にも出してるはずですけど……ちょっと待っててください」

 調べてみると、倉庫の中にあるみたいだった。取りに行くと告げると、彼は小説の本棚で待っていると告げていなくなってしまった。

 少し時間がかかったけれど、倉庫で保管していた分の小説を持って彼が待っている本棚へ向かう。私が顔をのぞかせた時、彼は待ちくたびれたのか欠伸なんてしていた。

「……ふふっ」
「何がおかしい」
「いいえ。殿下のそんな気が抜けたようなところを見るのは初めてですから。本、持ってきましたよ」
「悪いな」

 アルフレッド様はそれを受け取る。そして私の顔をじっと見た。何だか不満そうに眉をひそめていて、私は「え?」と首を傾げる。違う本でも渡してしまっただろうか?

「その『殿下』という呼び方はやめてくれ」
「え? じゃ、じゃあ、アルフレッド様……」
「それもだ。『様』もいらない」
「じゃあ、何とお呼びすれば……」

 戸惑う私に、彼は優しい声音でこう告げた。

「アルフレッドでいいだろう」

 そのまま、彼は私に背を向けて歩き出していた。私は一人取り残され、彼が残して行った言葉の意味について考える。いや、きっと深い意味なんてない。堅苦しい呼び方をされたくなくて、思い付きで言っただけに違いない。しかし、彼を呼び捨てにするなんてあまりにも不敬すぎる。それに、私が気軽に彼の事を「アルフレッド!」なんて呼び始めたらベロニカは何と思うだろうか。

 この数日で私は自らの人生を振り返り、最低限の目標を打ち立てていた。目標、それは無事にこの学園を卒業すること。そのためには、ベロニカに不審に思われないように少しずつ離れていく必要がある。それなのに、アルフレッド様と親しくなったなんてばれたら……考えると背筋がぞっとする。ベロニカの憎悪の対象になったらどんな目に遭うのか、私は前世でも今世でもそれを目の当たりにしてきたからよく知っている。だからこそ、彼女の怒りは買いたくはない。

「ティナさん、悩みでもあるのですか?」

 私が教室でため息をついていたら、マリリンが近づいてきた。マリリンも警戒しなければいけない相手である。私がポロッと何か口を滑らせてしまったら、ベロニカに告げ口する可能性だってある。私は悩みを彼女に悟られないように「ううん、大丈夫」と首を横に振った。

「そうですか? ティナさんって最近雰囲気変わったように見えるから、てっきり何かあったのかと思ったのですが……」
「え、え~、そうかなぁ?」
「えぇ。あの倒れた日のあたりからかしら? 何だか表情が穏やかって言うか……ベロニカさんのことだって止めているじゃないですか?」

 そう。あの日を境に、ベロニカが誰かに意地悪をしそうになるたびに、私は彼女の気を逸らすようにしていた。「ベロニカさん、綺麗な花よ」とか「あちらに良いものがありますよ」なんて言って。ベロニカもああ見えて意外に素直な一面があるから、私の言葉をすんなり信じてくれる。だから私は最近「オーッホッホッホ」なんて変な笑い方はしていない。マリリンはそれに気づいていたみたいだった。

「だから、何かあったのかなって……はっ! もしかして、恋では!?」
「え?」
「だって、女の子が変わるきっかけと言えば恋でしょう? もしそうだったら私、応援しますわ!」

 マリリンは私の手をぎゅっと握りにっこり笑ってから、ひらひらと手を振って去って行った。恋なんて、まさかそんな事をするはずがない。この世界で優雅な恋に浸ることはできるのは私みたいなモブではなく、ヒロインだけ。

 たとえこれからアルフレッド様と親しくなったとしても、彼はヒロインの攻略対象キャラの一人。春になったらヒロインのイヴがこの学園にやって来て、アルフレッドルートを行けばヒロインと彼は結ばれる。私にもベロニカにもアルフレッド様は【攻略】は出来ない、その未来はすでに確定しているのだ。私はせいぜい、学園を無事卒業したら花嫁修業なんかをして、お父様が紹介してくれる良家のご子息とお見合いをしてその人の元へ嫁ぐのだろう。ぼんやりと見えてくる未来。それは前世の生活と比較するまでもなく、幸せに満ち足りたものに違いない。例えそれが起伏がない日々だとしても、今の私にはとても十分なものだ。

 私の人生、無事に卒業することさえできれば、それでいい。悠長にそんな事を考えていた。――あの日が来るまでは。

 その運命の転換期は、突然やって来た。

「ティナ! ティナ・シモンズはどこにいますか!?」

 週末、寮の自室でのんびりと過ごしていると、寮母さんの叫びにも似た声が聞こえてくる。私が廊下に出ると、少しざわついていた。

「はい、おりますけど……」
「ご実家から連絡が! すぐに帰ってくるようにということです」
「え……?」

 そんな連絡が来るなんて、この学園に来てから初めてだった。もしかしたら、家族の誰かが急病になったのかもしれない。私の顔はサッと青ざめていく。

「玄関に馬車を用意しておりますから、早く支度を!」

 寮母さんにそう急かされ、私は旅行バッグに数日分の着替えを詰め込んだ。大急ぎで外に出て、馬車に飛び乗った。馬のいななきが聞こえ、猛スピードで街を駆け抜けていく。私は手をぎゅっと握り、どうか何事もありませんようにとただ祈ることしかできなかった。あっという間に馬車は屋敷の前にたどり着いた。私は勢いよく馬車から飛び降りていった。門の前で執事が今か今かと私が到着するのを待っていたみていで、慌てて駆け寄ってきた。

「旦那様! 奥様! ティナお嬢様がお戻りになりました!」

 執事の声が屋敷の中に響く。私は持ってきた荷物やコートをメイドに渡して、彼の案内で両親が待つ書斎へ急いだ。
 そこにいたのは、狼狽えるように部屋中を右往左往するお父様。お母様はソファにうなだれるように座り込み、ぐったりとしている。そこにお兄様の姿はなく、私の背筋は少し冷たくなっていった。きっとお兄様に何かあったのだわ、胸騒ぎがひどくなっていく。

「……ティナ、あぁ、ティナ」

 お母様が先に私の存在に気づいた。よろよろと私に近寄り、足元に縋り付いた。私はその手を握る。それは氷に触れた時のように、ぞっとするほど冷たかった。

「お母様、大丈夫? 何があったのですか? お兄様は? お兄様に何かあったのですか!?」

 矢継ぎ早に質問をしても、お母様は「ティナ、ティナ」とうわ言のように私の名前を呼び続ける。どうしていいか分からず、私はお母様の肩をさすると、大きなため息が聞こえてきた。顔をあげると、真っ青な表情のお父様が一通の手紙を差し出していた。

「ティナ、これを……」
「手紙?」

 裏面を見ると、お兄様の署名がある。私はそっと封筒から手紙を取り出し、読み始めた。

「……え、えぇええ!? か、駆け落ち!?」

 そこには、お兄様の一大決心が綴られていた。お兄様は慈善活動を通して出会った町娘と、いつの間にか恋に落ちてしまっていたらしい。彼女と結婚したいと両親に相談したが、身分の違いのせいでお父様から反対された事。ロマンティックな事が大好きなお母様は賛成してくれたけれど、お父様は決して首を縦には振らなかったみたい。許されないのであれば……もう駆け落ちしかないと決断し、人知れず出ていくことを決めたこと。この家からいなくなる不幸をどうぞお許しください。手紙はそう結ばれていた。

「以前から、お坊ちゃまと旦那様が言い争っていたのは知っていたのですが……まさかこのようなことになるとは」

 執事も途方に暮れている。

「出自のよくわからない娘はダメだと言って、アイツも分かったと言っていたのだが……まさか、こんな強硬手段を……駆け落ちなんて……」
「あなた、どうしましょう。きっと私のせいだわ」

 お母様の顔色が悪い。私は執事と一緒に抱きかかえ、ソファにもう一度座らせた。執事は水を取ってくると言って足早にいなくなってしまう。お父様も頭を抱えて、お母様の隣に座り込んでしまった。

「これからどうするべきか……」

 ぽつりと漏らす不安が、私の耳にもしっかり届いていた。お父様が気がかりに思っていることについて、私にはすぐにわかった。きっと、この家の爵位と会社の事だ。この国でそれらを継ぐことができるのは男性だけと法律で決められている。我が家にはお兄様しか息子がいないし、私は女だから後継ぎになることも両親の助けになることもできない。でも……魂が抜けてしまったように見えるほど憔悴しきった両親をこのまま見捨てる事なんてできなかった。少しでも恩返しを、親孝行をしたい。私は考えるよりも先に、こんなことを口走っていた。

「私、お婿さんを取るわ!」

 お父様がパッと顔をあげた。婿養子を取れば、この家の爵位も守ることができるし、会社だってその方に任せることができる。それに私の事を今まで優しく育んでくれた両親に恩返しをすることもできる。我ながら名案だった。

「ティナ、本当にいいのか!?」

 お父様の声には喜びが混じっている。

「えぇ、もちろん。私だってお父様とお母様の助けになりたいし、それに、お父様の会社は絶対に残さないと」

 シモンズ・ファーマシー。それが先祖代々受け継がれているこの家の生業。元をたどれば薬草の卸売りから始まったそれは、戦争が始まった頃を境に製薬事業へ切り替わっていく。傷ついた兵士を癒すための薬を作り、その後病が流行ったときに率先して予防効果のあるワクチンを開発したり。それらの功績が認められ、ついには皇帝陛下より爵位を賜ったと耳にタコができるほどお父様が話していた。今では一般の薬を流通させるだけではなく、流行り病だった肺炎に効く薬も開発、それらは多くの国民を救ってきた。そんな社会に役に立っている会社を私は誇りに思っていた。だから、それだけはどうしても守りたい。
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