148 / 255
24話 旅立ちの前に ― 灯りを受け継ぐ場所へ
しおりを挟む
静かなティーカップの触れ合う音が、ラウンジの澄んだ空気にやわらかく溶けていく。
高い天井から降り注ぐ照明は落ち着いた琥珀色で、まるで時間そのものが、ここだけ少し緩やかに流れているようだった。
千秋はカップをソーサーに戻し、深く息を吸う。
白い手袋越しに指先をなぞると、革の感触が心を静かに整えてくれた。
――今日は、千秋の誕生日。
けれどそれを強く意識しないようにしていたのは、きっと、この先に待つ別れがあるからだ。
そのときだった。
背後に控えていた石田が、いつもよりわずかに低く、落ち着いた声で口を開いた。
「……そろそろ、参りましょうか」
千秋は思わず瞬きをする。
「え……ですが、搭乗まではまだお時間がございますわよ?」
手元の時計に目を落とす。
予定よりも、確かに少し早い。
本来であれば、ここで静かに過ごす余裕は十分にあるはずだった。
しかし石田は、穏やかな微笑みを浮かべたまま、静かに首を振る。
「ええ。承知しております。ですが――」
そこで一拍置き、石田ははっきりと言った。
「本日は、千秋様のお誕生日でございますので」
千秋の胸が、わずかに跳ねる。
「……?」
「ささやかではございますが、私からの贈り物として……千秋様に、どうしてもお見せしたい場所が、ひとつございます」
「……お見せしたい、場所?」
思いがけない言葉に、千秋は少し驚きながらも、自然と石田を見上げていた。
石田の瞳には、長年仕えてきた者ならではの確信と、ほんのわずかな――温かい企みの色が宿っている。
「はい。滞在時間は、ほんのわずかでございますが……今の千秋様だからこそ、意味を持つ場所でございます」
意味を持つ。
その言葉が、胸の奥で静かに反響する。
これまで幾度となく、石田は必要な時にだけ、必要な導きを示してきた。
そのことを、千秋は誰よりもよく知っている。
「……そんな場所が、この空港に?」
「ございますとも。あなた様が、この国を離れられる前に……そして、新しい日々へ向かわれる前に――どうしても、お連れしたかった場所でございます」
その声音には、説明を拒むような、しかし誠実な深みがあった。
ラウンジの照明が、二人の影を床に長く伸ばす。
まるで、これまでの時間と、これからの未来が、静かに重なっているかのように。
千秋は一瞬だけ視線を伏せ、手袋を握りしめる。
胸の奥に、かすかな不安と、それ以上に確かな――期待が芽生えていた。
そして、ふっと微笑む。
「……分かりましたわ。石田がそう仰るのでしたら、ついていきます」
その声は、先ほどよりも柔らかく、どこか弾んでいた。
「ありがとうございます、千秋様」
石田は深く一礼すると、静かに踵を返す。
「では――こちらへ」
歩き出すその背中は、長年六地蔵家を支えてきた者だけが持つ、揺るぎない威厳と、今日だけの優しさを帯びている。
千秋は小さく息を整え、あとに続いた。
ラウンジを出ると、国際線の廊下は驚くほど静かだった。
足音が吸い込まれるように消えていき、遠くでアナウンスが反響する。
まるで空港全体が、これから始まる旅立ちの儀式を、ゆっくりと整えているかのようだった。
(……どんな場所なのかしら)
不安よりも、胸を満たすのは小さな高鳴り。
それはきっと、誰かとの約束に触れる予感――けれど、その正体は、まだ言葉にならない。
やがて石田は足を止め、ゆっくりと振り返った。
「――千秋様。これから進まれる未来に、ほんの少しの灯りを、お渡しいたします」
その言葉は、祝福のようであり、祈りのようでもあった。
千秋は息をのみ、そして、静かに頷く。
手袋に残る温もりを胸に抱きながら――
千秋は、石田の示す先へと、ゆっくり歩みを進めた。
高い天井から降り注ぐ照明は落ち着いた琥珀色で、まるで時間そのものが、ここだけ少し緩やかに流れているようだった。
千秋はカップをソーサーに戻し、深く息を吸う。
白い手袋越しに指先をなぞると、革の感触が心を静かに整えてくれた。
――今日は、千秋の誕生日。
けれどそれを強く意識しないようにしていたのは、きっと、この先に待つ別れがあるからだ。
そのときだった。
背後に控えていた石田が、いつもよりわずかに低く、落ち着いた声で口を開いた。
「……そろそろ、参りましょうか」
千秋は思わず瞬きをする。
「え……ですが、搭乗まではまだお時間がございますわよ?」
手元の時計に目を落とす。
予定よりも、確かに少し早い。
本来であれば、ここで静かに過ごす余裕は十分にあるはずだった。
しかし石田は、穏やかな微笑みを浮かべたまま、静かに首を振る。
「ええ。承知しております。ですが――」
そこで一拍置き、石田ははっきりと言った。
「本日は、千秋様のお誕生日でございますので」
千秋の胸が、わずかに跳ねる。
「……?」
「ささやかではございますが、私からの贈り物として……千秋様に、どうしてもお見せしたい場所が、ひとつございます」
「……お見せしたい、場所?」
思いがけない言葉に、千秋は少し驚きながらも、自然と石田を見上げていた。
石田の瞳には、長年仕えてきた者ならではの確信と、ほんのわずかな――温かい企みの色が宿っている。
「はい。滞在時間は、ほんのわずかでございますが……今の千秋様だからこそ、意味を持つ場所でございます」
意味を持つ。
その言葉が、胸の奥で静かに反響する。
これまで幾度となく、石田は必要な時にだけ、必要な導きを示してきた。
そのことを、千秋は誰よりもよく知っている。
「……そんな場所が、この空港に?」
「ございますとも。あなた様が、この国を離れられる前に……そして、新しい日々へ向かわれる前に――どうしても、お連れしたかった場所でございます」
その声音には、説明を拒むような、しかし誠実な深みがあった。
ラウンジの照明が、二人の影を床に長く伸ばす。
まるで、これまでの時間と、これからの未来が、静かに重なっているかのように。
千秋は一瞬だけ視線を伏せ、手袋を握りしめる。
胸の奥に、かすかな不安と、それ以上に確かな――期待が芽生えていた。
そして、ふっと微笑む。
「……分かりましたわ。石田がそう仰るのでしたら、ついていきます」
その声は、先ほどよりも柔らかく、どこか弾んでいた。
「ありがとうございます、千秋様」
石田は深く一礼すると、静かに踵を返す。
「では――こちらへ」
歩き出すその背中は、長年六地蔵家を支えてきた者だけが持つ、揺るぎない威厳と、今日だけの優しさを帯びている。
千秋は小さく息を整え、あとに続いた。
ラウンジを出ると、国際線の廊下は驚くほど静かだった。
足音が吸い込まれるように消えていき、遠くでアナウンスが反響する。
まるで空港全体が、これから始まる旅立ちの儀式を、ゆっくりと整えているかのようだった。
(……どんな場所なのかしら)
不安よりも、胸を満たすのは小さな高鳴り。
それはきっと、誰かとの約束に触れる予感――けれど、その正体は、まだ言葉にならない。
やがて石田は足を止め、ゆっくりと振り返った。
「――千秋様。これから進まれる未来に、ほんの少しの灯りを、お渡しいたします」
その言葉は、祝福のようであり、祈りのようでもあった。
千秋は息をのみ、そして、静かに頷く。
手袋に残る温もりを胸に抱きながら――
千秋は、石田の示す先へと、ゆっくり歩みを進めた。
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について
沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。
かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。
しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。
現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。
その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。
「今日から私、あなたのメイドになります!」
なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!?
謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける!
カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる