沈黙のういザード 

豚さん

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17話 鏡の中のダンス

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 スタジオのドアが開いた瞬間、憂はその場にへたり込みそうになった。

「……はぁ……っ……」

 足は鉛のように重く、肺の奥がひりひりと痛む。

「お疲れさん」

 理恵が、無造作にペットボトルを差し出した。

「水。少しずつ飲みなさい」

「……ありがとう、ございます……」

 憂は両手で受け取り、震える指でキャップを開ける。

 ごく、ごく――
 冷たい水が、喉を通っていく。

 結衣と小鈴も、それぞれペットボトルを手にしていた。
 二人とも息は上がっているが、立ち姿はまだ崩れていない。

「……ほんと、相変わらず無茶だよね」

 結衣が肩で息をしながら言う。

「ウォーミングアップが十キロって」

「文句言える余裕あるなら、まだ足りないわね」

 理恵は即答だった。

 そして、すぐに切り替える。

「じゃあ、次」

 空気が、ぴしっと張り詰める。

「ダンス、始めるわよ」

 結衣と小鈴は何も言わず、黙ってペットボトルを床に置いた。

 ストレッチ。
 軽く体をほぐし、靴紐を締め直す。

 仕事モードへの切り替えが、あまりにも速い。

「憂」

 理恵が呼ぶ。

「はい……!」

「あんたは少し休憩」

 憂はほっとしかけたが――

「その代わり」

 理恵は、はっきりと言う。

「二人の踊り、ちゃんと見てなさい」

「……え?」

「目、逸らさない」

 指を床に向ける。

「どういう動きが生きてるのか。どういう瞬間に、心が動くのか」

 憂は、息を整えながら頷いた。

「……はい」

 理恵は、結衣と小鈴の方を見る。

「……昔の文化祭のダンス、覚えてる?」

「当然ですわ」

 小鈴は、即答した。

「わたくしの中で、今も基準になっております」

「……あの地獄の練習でしょ」

 結衣は苦笑する。

「忘れろって言われても無理だね」

「なら、やりなさい」

 理恵が短く言う。

 結衣が音楽を流す。

 スピーカーから、リズムが走った。

 次の瞬間――
 二人の体が、同時に動き出す。

 無駄のないステップ。
 切れのあるターン。
 空気を切り裂くような動線。

(……すごい……)

 憂は、思わず前のめりになる。

 さっきまで走っていた体の疲労を忘れるほど、目が離せなかった。

 動きは速いのに、乱れない。
 二人の距離感が、完璧だ。

「……すごいです……」

 憂は、素直に言った。

「息、ぴったりで……」

 しかし――
 理恵の表情は、まったく緩まなかった。

 腕を組み、眉をひそめている。

「……遅い!!」

 音楽が止まる。

 二人が息を整える中、理恵の声が落ちる。

「動きが、鈍い!」

「え?」

 結衣が目を瞬く。

「走った直後とはいえ、キレが落ちてる。それで見せるつもり?」

 空気が、重くなる。

 憂は思わず立ち上がった。

「で、でも……!」

 声が少し震える。

「二人とも、さっき十キロ走ったばかりで……」

 理恵は、ちらりと憂を見る。

「だから? 観客は、事情なんて知らない」

 静かな声。

「すごいか、何も残らないかそれだけ」

 結衣は肩で息をしながら、にやっと笑った。

「……はいはい」

 小鈴も、ゆっくりと姿勢を正す。

「……もう一度、参りましょう」

 理恵は、短く頷いた。

「最初から」

 憂は、胸の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じながら、
 それでも――目を逸らさなかった。

(……これが……理恵さんの世界……)

 音楽が、再び流れ始める。

 容赦のない現場で、それでも確かに――
 本物が、動いていた。
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