沈黙のういザード 

豚さん

文字の大きさ
205 / 255

18話 限界の、その先で

しおりを挟む
 何度目かの曲が終わったとき、さすがの小鈴と結衣も、その場に腰を下ろした。

「……はぁ……」

 結衣が床に仰向けになる。

「さすがに……きつい……」

「……同感ですわ」

 小鈴も、額の汗を押さえながら静かに息を整える。

 理恵は二人を一瞥し、短く言った。

「休憩」

 二人は、ほとんど同時に水を飲んだ。

 その視線が――
 次に向いたのは、憂だった。

「次、憂」

「……えっ」

「踊りなさい」

 逃げ場はない。

 音楽が流れる。
 憂はぎこちなく体を動かす。

 動きは遅く、タイミングもずれ、手足がちぐはぐだった。

「……下手」

 理恵が容赦なく言う。

 小鈴と結衣も立ち上がり、左右に並ぶ。

「一緒にやる」

 最初はついていけない。
 何度も間違える。

 それでも――
 時間が経つにつれ、変わっていった。

 足が音を覚え、体がリズムを拾い、動きが流れになっていく。

 数時間。

 憂は汗だくで、息も絶え絶えだったが――
 確実に、上達していた。

 理恵は、腕を組んだままそれを見つめていた。

「……葉月の言った通りね」

 ぽつりと、独り言のように。

「努力の天才、ってところ」

 音楽が止まる。

「……はぁ……はぁ……」

 憂はその場に膝をついた。

 理恵が、無言でペットボトルを差し出す。

「……少し飲め」

「……ありがとう、ございます……」

 ほんの数口。

 すぐに取り上げられる。

「次」

 冷たい声。

「歌」

「……え……」

「好きな歌でいい」

 憂は、明らかに弱気になっていた。

「……す、すみません……ちょっと……今……」

「――さっさと歌え!!」

 スタジオに、理恵の声が叩きつけられる。

「何ためらってんの。逃げるな」

 結衣が、小声で呟く。

「……あー、出た。いつもの理恵姐……」

「結衣さん」

 小鈴が即座に制す。

「しゃべりすぎると、また走らされますわよ」

「……はい」

 三人が静かになる。

 憂は、震える声で歌い始めた。

 疲れ切った体。
 息も整っていない。

 それでも――
 歌は、上手かった。

 音程は安定し、声はまっすぐで、感情も乗っている。

 だが。

「……いまいちね」

 理恵は、即座に切り捨てた。

「え……?」

 憂が、思わず顔を上げる。

「……それ、わたし……得意で……でも、正直ちょっと、しんどいんです……」

 小さく、だが確かに反論。

 次の瞬間。

「――ははははは!!」

 理恵が、腹を抱えて笑った。

「舐めてんじゃねーよ」

 空気が、凍りつく。

「こんなヘタクソな歌で、得意?」

 一歩、近づく。

 声が低くなる。

「しんどいなんて言い訳してんじゃねーよ」

 指を突きつける。

「限界越えてから歌うから、うまくなるんだよ」

 間髪入れずに、畳みかける。

「歌、舐めてんのか?」

 憂は、言葉を失った。

 目が潤み、唇が震える。

「……ちょっと……」

 結衣が、珍しく真剣な声を出す。

「言いすぎだよ、理恵姐」

 小鈴は、黙って見ていた。

 理恵は、何も答えない。

 ただ――
 一歩前に出る。

「同じ曲」

 短く言う。

 そして。

 理恵は、歌った。

 疲労?
 休憩?

 そんなものは、一切なかった。

 仕事を終え、憂のレッスンの間は、一滴も水を飲まず、走り、踊り、怒鳴り、
 それでも――

 声は、別格だった。

 音程、表現、響き。
 憂の上どころではない。

 次元が違う。

 小鈴が、悔しそうに唇を噛む。

「……これが」

 低い声。

「理恵さんの……実力ですわ」

 歌が終わる。

 理恵は、息一つ乱さず、憂を見る。

「……ほら」

 静かに。

「まだ、行けるだろ」

 涙目の憂の前に立つその姿は――
 優しくも、逃がさず、そして何より、恐ろしいほど本物だった。

 理恵は、天才だった。
 そして――
 容赦のない、プロだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について

沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。 かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。 しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。 現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。 その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。 「今日から私、あなたのメイドになります!」 なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!? 謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける! カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...