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19話 逃げない夜
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それからも――
地獄のようなダンスは、容赦なく続いた。
曲が変わる。
テンポが上がる。
息が追いつかないまま、同じ振りを、何度も、何度も、身体に叩き込まれる。
床を踏む音が重なり、スピーカーからの低音が、内臓に直接響く。
汗が目に入り、視界が滲んでも、止まることは許されない。
「違う」
「遅い」
「力抜くな」
理恵の声は、切れ味鋭く、途切れることがない。
感情を乗せない、ただ事実だけを突きつける声。
振りを間違えれば、即座に指摘される。
一拍遅れれば、容赦なく止められる。
逃げ場はない。
誤魔化しもきかない。
だが、さすがに――
最後の曲が終わったとき。
音楽が止まり、空気が急に静まり返る。
三人とも、その場に崩れるように、床に座り込んでいた。
「……はぁ……」
結衣は完全に力尽き、仰向けのまま天井を見つめている。
胸が大きく上下し、息が荒い。
「……もう……無理……」
声に力はなく、指一本動かすのも億劫そうだった。
小鈴も、壁に背を預け、膝を抱えるようにして静かに息を整えていた。
表情は崩していないが、肩の上下が、疲労の深さを物語っている。
そして理恵も――
珍しく、その場に立ったまま、深く息を吐いた。
Tシャツは汗で色が変わり、背中にも、胸元にも、濃い影が滲んでいる。
まとめきれなかった髪が、額と首元に張りつき、汗が滴る。
「……今日は、ここまで」
短く、はっきりと言って、タオルで首元を乱暴に拭う。
「お疲れさま」
その一言で、張り詰めていた空気が、ようやく緩んだ。
まるで、長く息を止めていた肺に、やっと空気が戻ってきたかのように。
「……ごはんでも、行く?」
何気ない、いつもの口調。
先ほどまでの鬼気迫る雰囲気が、嘘のようだ。
だが――
「……む、無理です……」
結衣が青い顔で起き上がる。
ふらつきながら、床に手をついて体を支えた。
「今、胃の中、全部ひっくり返りそうなんで……」
「でしょうね」
理恵は、特に気遣う様子もなく、あっさり言う。
「じゃ、帰りなさい」
「はい……失礼します……」
結衣は深く頭を下げる余裕もなく、ふらふらとスタジオを退出していった。
小鈴も、ゆっくり立ち上がり、乱れた髪を整え、服の裾を軽く払う。
疲労は隠しつつも、動作はいつもより慎重だった。
「……本日は、失礼いたしますわ」
だが、扉へ向かう途中で、ふと足を止める。
そして、憂を振り返った。
「……憂さん」
「は、はい……?」
呼ばれて、思わず背筋が伸びる。
小鈴は一瞬だけ、先ほどまでとは違う、柔らかな目をした。
「……理恵さんを、信じて差し上げて」
それだけ言って、余計な説明はせず、静かに頭を下げる。
そして、そのまま部屋を出ていった。
残されたのは――
理恵と、憂。
広く感じていたスタジオが、急に狭くなる。
「……じゃ」
理恵は、タオルを肩にかけたまま、何でもないように言った。
「憂、ごはん行こ」
「……え?」
思わず、聞き返してしまう。
「何。走って踊って歌わせといて、放り出すと思った?」
冗談とも本気ともつかない口調。
憂は、少し迷ってから、口を開く。
その瞬間――
憂の脳裏に、別の声がよぎった。
――甘すぎる。
――弱音吐く前に、やることあるでしょ。
昔。
雪乃に、真正面から叱られた夜。
自分に甘くなって、限界だと決めつけて、逃げようとしたとき。
あのときも、胸が苦しくて、足がすくんで。
それでも――
逃げなかったから、今がある。
(……信じてあげて)
小鈴の言葉が、胸の奥で、静かに重なる。
憂は、ゆっくりと顔を上げた。
「……わたし……」
一瞬、息を整える。
心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
「一緒に、行きたいです」
逃げじゃない。
流される選択でもない。
理恵は、じっと憂を見つめる。
視線は鋭いが、試すようでもあった。
数秒。
沈黙。
そして――
ふっと、口元が緩んだ。
「……あんたね」
小さく鼻で笑う。
「葉月には、もう言ってある」
「……え?」
「キャンプ行く前にね。憂、預かるって」
憂は、思わず目を丸くする。
「……葉月姉……」
「過保護なのは、どっちも同じ」
理恵は、さっさと歩き出す。
「ほら」
振り返らずに言う。
「ごはん行くわよ」
「ちゃんと食べて、ちゃんと休んで、また明日、続き」
その背中は、
厳しくて、遠慮がなくて、
簡単に逃がしてはくれない。
でも――
信じると決めた相手を、途中で突き放さない背中だった。
憂は、小さく息を吸い、その背中を追って、一歩、踏み出す。
夜は、まだ、終わらない。
逃げる夜でも、なかった。
地獄のようなダンスは、容赦なく続いた。
曲が変わる。
テンポが上がる。
息が追いつかないまま、同じ振りを、何度も、何度も、身体に叩き込まれる。
床を踏む音が重なり、スピーカーからの低音が、内臓に直接響く。
汗が目に入り、視界が滲んでも、止まることは許されない。
「違う」
「遅い」
「力抜くな」
理恵の声は、切れ味鋭く、途切れることがない。
感情を乗せない、ただ事実だけを突きつける声。
振りを間違えれば、即座に指摘される。
一拍遅れれば、容赦なく止められる。
逃げ場はない。
誤魔化しもきかない。
だが、さすがに――
最後の曲が終わったとき。
音楽が止まり、空気が急に静まり返る。
三人とも、その場に崩れるように、床に座り込んでいた。
「……はぁ……」
結衣は完全に力尽き、仰向けのまま天井を見つめている。
胸が大きく上下し、息が荒い。
「……もう……無理……」
声に力はなく、指一本動かすのも億劫そうだった。
小鈴も、壁に背を預け、膝を抱えるようにして静かに息を整えていた。
表情は崩していないが、肩の上下が、疲労の深さを物語っている。
そして理恵も――
珍しく、その場に立ったまま、深く息を吐いた。
Tシャツは汗で色が変わり、背中にも、胸元にも、濃い影が滲んでいる。
まとめきれなかった髪が、額と首元に張りつき、汗が滴る。
「……今日は、ここまで」
短く、はっきりと言って、タオルで首元を乱暴に拭う。
「お疲れさま」
その一言で、張り詰めていた空気が、ようやく緩んだ。
まるで、長く息を止めていた肺に、やっと空気が戻ってきたかのように。
「……ごはんでも、行く?」
何気ない、いつもの口調。
先ほどまでの鬼気迫る雰囲気が、嘘のようだ。
だが――
「……む、無理です……」
結衣が青い顔で起き上がる。
ふらつきながら、床に手をついて体を支えた。
「今、胃の中、全部ひっくり返りそうなんで……」
「でしょうね」
理恵は、特に気遣う様子もなく、あっさり言う。
「じゃ、帰りなさい」
「はい……失礼します……」
結衣は深く頭を下げる余裕もなく、ふらふらとスタジオを退出していった。
小鈴も、ゆっくり立ち上がり、乱れた髪を整え、服の裾を軽く払う。
疲労は隠しつつも、動作はいつもより慎重だった。
「……本日は、失礼いたしますわ」
だが、扉へ向かう途中で、ふと足を止める。
そして、憂を振り返った。
「……憂さん」
「は、はい……?」
呼ばれて、思わず背筋が伸びる。
小鈴は一瞬だけ、先ほどまでとは違う、柔らかな目をした。
「……理恵さんを、信じて差し上げて」
それだけ言って、余計な説明はせず、静かに頭を下げる。
そして、そのまま部屋を出ていった。
残されたのは――
理恵と、憂。
広く感じていたスタジオが、急に狭くなる。
「……じゃ」
理恵は、タオルを肩にかけたまま、何でもないように言った。
「憂、ごはん行こ」
「……え?」
思わず、聞き返してしまう。
「何。走って踊って歌わせといて、放り出すと思った?」
冗談とも本気ともつかない口調。
憂は、少し迷ってから、口を開く。
その瞬間――
憂の脳裏に、別の声がよぎった。
――甘すぎる。
――弱音吐く前に、やることあるでしょ。
昔。
雪乃に、真正面から叱られた夜。
自分に甘くなって、限界だと決めつけて、逃げようとしたとき。
あのときも、胸が苦しくて、足がすくんで。
それでも――
逃げなかったから、今がある。
(……信じてあげて)
小鈴の言葉が、胸の奥で、静かに重なる。
憂は、ゆっくりと顔を上げた。
「……わたし……」
一瞬、息を整える。
心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
「一緒に、行きたいです」
逃げじゃない。
流される選択でもない。
理恵は、じっと憂を見つめる。
視線は鋭いが、試すようでもあった。
数秒。
沈黙。
そして――
ふっと、口元が緩んだ。
「……あんたね」
小さく鼻で笑う。
「葉月には、もう言ってある」
「……え?」
「キャンプ行く前にね。憂、預かるって」
憂は、思わず目を丸くする。
「……葉月姉……」
「過保護なのは、どっちも同じ」
理恵は、さっさと歩き出す。
「ほら」
振り返らずに言う。
「ごはん行くわよ」
「ちゃんと食べて、ちゃんと休んで、また明日、続き」
その背中は、
厳しくて、遠慮がなくて、
簡単に逃がしてはくれない。
でも――
信じると決めた相手を、途中で突き放さない背中だった。
憂は、小さく息を吸い、その背中を追って、一歩、踏み出す。
夜は、まだ、終わらない。
逃げる夜でも、なかった。
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