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3話 ベルテントと、らっきょの酢
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木立の間を抜けると、視界がふっと開けた。
柔らかな土の匂い。
葉擦れの音。
遠くで小鳥の声が重なり合う。
人工物の気配が薄れ、代わりに、森そのものが呼吸しているような静けさがある。
「……ここ、いい場所ですわね」
秋香がヘルメットを外し、胸いっぱいに空気を吸い込む。
「自然の森ファミリーオートキャンプ場。名前どおり、ほんとに森でしょ?」
「ええ。音が……やさしいですわ」
風に揺れる枝の音も、足元の砂利を踏む感触も、すべてが急かさない。
二台のバイクを停め、荷物を下ろす。
すると秋香は迷いなく、ひときわ大きな収納バッグに手を伸ばした。
「では、わたくしはテントを」
「うん。じゃああたしはごはんの準備するね」
役割分担は、言葉にしなくても自然に決まっていた。
◆
地面をならし、秋香は落ち着いた手つきでテントを広げていく。
生成り色の厚手の生地。
TCポリコットン特有の、しっとりとした手触り。
広げた瞬間に分かる。
これは「慣れた人の装備」だ、と。
「……大きい……」
葉月がちらりと見て、思わず声を漏らす。
「それ、相当いいやつでしょ?」
「はい。ベルテントですわ」
さらりと言うが、張られていくシルエットは、明らかに別格だった。
天井は高く、空間に余裕がある。
「煙突穴付きで、防水・防虫。通気性も良く、オールシーズン対応ですの」
葉月は一瞬言葉を失い、それから小さく息を吐いた。
「さすがお嬢様……値段、聞いてもいい?」
「確か……十七万円ほどでしたかしら」
「だよね!?」
思わず声が裏返る。
けれど同時に、秋香ならそうだよねという納得もあった。
秋香はペグを打ちながら、どこか楽しそうに微笑んでいる。
「屋外でも、快適であることは大切ですわ。特に……」
ちらり、と葉月を見る。
「ご一緒ですもの」
「……そういうこと言うの、ずるい」
葉月は苦笑しつつ、視線を逸らしてクッカーと食材を広げた。
◆
「よし。じゃあ、葉月シェフの出番」
包丁を手に取り、玉ねぎの皮をするすると剥いていく。
無駄のない動き。
ためらいも、迷いもない。
皮は一瞬で外れ、包丁がまな板を叩く音が、一定のリズムを刻む。
「……速いですわね」
テントを張り終えた秋香が、感心したように見つめる。
「料理、ほんとに慣れてる感じ」
「でしょ?下ごしらえは、考えなくなったら勝ち」
トントントン、と軽やかな音。
人参、じゃがいも。
皮むきも、カットも迷いがない。
「今日はカレー。キャンプの定番だけど……」
葉月は小さな瓶を取り出し、慎重に蓋を開ける。
ふわりと、ほのかに甘酸っぱい香り。
「……これは?」
「らっきょの酢」
葉月は少し照れたように笑う。
「おばあちゃんから教わった隠し味。ほんのちょっと入れるだけで、酸味が飛んで、コクだけ残るの」
「まあ……」
秋香の目が、きらりと輝く。
「ご家庭の味、ですのね」
「うん。あたしにとっては、いちばん落ち着く味」
鍋をかき混ぜていると、秋香がクーラーバッグを開けた。
「でしたら……こちらも、よろしいかしら」
取り出されたのは、丁寧に処理された鹿肉。
赤身が美しく、余分な脂は落とされている。
「伯父が猟友会に入っていまして。よく分けていただくのです」
「……本格的だね」
「臭みはありませんわ。下処理も済ませてあります」
葉月は一瞬考え、それから、にっと笑った。
「じゃあ、今日はちょっと贅沢なカレーにしよっか」
「……楽しみですわ」
秋香の声には、はっきりとした期待が滲んでいた。
「葉月さんのお料理、ずっと味わってみたかったのです」
「ふふ。じゃあ、期待に応えないとね」
鍋の中で、具材が静かに音を立てる。
葉月はふと顔を上げる。
「……ねえ、秋香ちゃん」
「はい?」
「テント、ありがとう。あんな立派なの持ってきてくれて」
秋香は一瞬目を瞬かせ、それから、やわらかく微笑んだ。
「どういたしまして。役に立てて、嬉しいですわ」
「うん。おかげで、安心して料理できる」
「でしたら……」
秋香はテントの入口を整えながら、穏やかに言う。
「わたくしは、完成するまでここで待っていますわ」
「ふふ。もうちょっとだけ待ってて」
らっきょの酢の香りと、鹿肉の旨みが混ざり合い、カレーの匂いが森へと広がっていく。
高級テントと、受け継がれた家庭の味。
違う世界で生きてきた二人が、同じ火を囲み、同じ時間を味わう準備をしていた。
柔らかな土の匂い。
葉擦れの音。
遠くで小鳥の声が重なり合う。
人工物の気配が薄れ、代わりに、森そのものが呼吸しているような静けさがある。
「……ここ、いい場所ですわね」
秋香がヘルメットを外し、胸いっぱいに空気を吸い込む。
「自然の森ファミリーオートキャンプ場。名前どおり、ほんとに森でしょ?」
「ええ。音が……やさしいですわ」
風に揺れる枝の音も、足元の砂利を踏む感触も、すべてが急かさない。
二台のバイクを停め、荷物を下ろす。
すると秋香は迷いなく、ひときわ大きな収納バッグに手を伸ばした。
「では、わたくしはテントを」
「うん。じゃああたしはごはんの準備するね」
役割分担は、言葉にしなくても自然に決まっていた。
◆
地面をならし、秋香は落ち着いた手つきでテントを広げていく。
生成り色の厚手の生地。
TCポリコットン特有の、しっとりとした手触り。
広げた瞬間に分かる。
これは「慣れた人の装備」だ、と。
「……大きい……」
葉月がちらりと見て、思わず声を漏らす。
「それ、相当いいやつでしょ?」
「はい。ベルテントですわ」
さらりと言うが、張られていくシルエットは、明らかに別格だった。
天井は高く、空間に余裕がある。
「煙突穴付きで、防水・防虫。通気性も良く、オールシーズン対応ですの」
葉月は一瞬言葉を失い、それから小さく息を吐いた。
「さすがお嬢様……値段、聞いてもいい?」
「確か……十七万円ほどでしたかしら」
「だよね!?」
思わず声が裏返る。
けれど同時に、秋香ならそうだよねという納得もあった。
秋香はペグを打ちながら、どこか楽しそうに微笑んでいる。
「屋外でも、快適であることは大切ですわ。特に……」
ちらり、と葉月を見る。
「ご一緒ですもの」
「……そういうこと言うの、ずるい」
葉月は苦笑しつつ、視線を逸らしてクッカーと食材を広げた。
◆
「よし。じゃあ、葉月シェフの出番」
包丁を手に取り、玉ねぎの皮をするすると剥いていく。
無駄のない動き。
ためらいも、迷いもない。
皮は一瞬で外れ、包丁がまな板を叩く音が、一定のリズムを刻む。
「……速いですわね」
テントを張り終えた秋香が、感心したように見つめる。
「料理、ほんとに慣れてる感じ」
「でしょ?下ごしらえは、考えなくなったら勝ち」
トントントン、と軽やかな音。
人参、じゃがいも。
皮むきも、カットも迷いがない。
「今日はカレー。キャンプの定番だけど……」
葉月は小さな瓶を取り出し、慎重に蓋を開ける。
ふわりと、ほのかに甘酸っぱい香り。
「……これは?」
「らっきょの酢」
葉月は少し照れたように笑う。
「おばあちゃんから教わった隠し味。ほんのちょっと入れるだけで、酸味が飛んで、コクだけ残るの」
「まあ……」
秋香の目が、きらりと輝く。
「ご家庭の味、ですのね」
「うん。あたしにとっては、いちばん落ち着く味」
鍋をかき混ぜていると、秋香がクーラーバッグを開けた。
「でしたら……こちらも、よろしいかしら」
取り出されたのは、丁寧に処理された鹿肉。
赤身が美しく、余分な脂は落とされている。
「伯父が猟友会に入っていまして。よく分けていただくのです」
「……本格的だね」
「臭みはありませんわ。下処理も済ませてあります」
葉月は一瞬考え、それから、にっと笑った。
「じゃあ、今日はちょっと贅沢なカレーにしよっか」
「……楽しみですわ」
秋香の声には、はっきりとした期待が滲んでいた。
「葉月さんのお料理、ずっと味わってみたかったのです」
「ふふ。じゃあ、期待に応えないとね」
鍋の中で、具材が静かに音を立てる。
葉月はふと顔を上げる。
「……ねえ、秋香ちゃん」
「はい?」
「テント、ありがとう。あんな立派なの持ってきてくれて」
秋香は一瞬目を瞬かせ、それから、やわらかく微笑んだ。
「どういたしまして。役に立てて、嬉しいですわ」
「うん。おかげで、安心して料理できる」
「でしたら……」
秋香はテントの入口を整えながら、穏やかに言う。
「わたくしは、完成するまでここで待っていますわ」
「ふふ。もうちょっとだけ待ってて」
らっきょの酢の香りと、鹿肉の旨みが混ざり合い、カレーの匂いが森へと広がっていく。
高級テントと、受け継がれた家庭の味。
違う世界で生きてきた二人が、同じ火を囲み、同じ時間を味わう準備をしていた。
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