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最終話 記憶の温度は、ふたりの温度になった
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春のパリの朝は、どこか大阪の春に似ていた。
薄い雲のすき間から差す陽射しが、街並みを金色に染めている。
優はカフェの扉の前に立ち、深呼吸した。
――今日は、話す。
――今日こそ、すべてを終わらせる。
――いや……取り戻す。
胸ポケットの中で、青いペンダントが微かに触れた。
三年前、空港でマリーに返されたまま、ずっと持ち歩いていたもの。
その石の温もりは、記憶の奥の何かを確かに揺さぶっていた。
扉が開く。
アールグレイの香りが、優の胸の奥を一瞬で満たした。
「――いらっしゃいま…」
振り返ったマリーの声が、震えて止まる。
二人の視線が、三年分の距離を一瞬で飛び越えた。
「マリー」
その声だけで、彼女のまつ毛がわずかに震えた。
「……優」
その名を呼んだ瞬間、彼女の胸の奥で何かがほどける音がした。
閉店後のカフェ。
二人きりの静けさ。
外は春の夕立が降り始めていた。
「優……」
「話がしたくて来た。全部、聞かせてほしい」
マリーは指先を少し震わせながら、青いペンダントを見つめた。
「……隠していたことがあります」
「知ってる。けど、聞きたい」
「ええ……あなたに、やっと言えます」
マリーは深く息を吸い、まぶたを閉じた。
「――わたしが“忘れたフリ”をしていたのは、あなたが壊れないようにするためです」
雨がガラスを叩く音だけが響いた。
「優は、事故の夜……わたしをかばって倒れたの。
雨の中、泣きながらわたしの名前を呼んで……
そして、“もう一度会えたら必ず迎えに行く”って約束したのよ」
優の胸が強く締めつけられた。
「そんな話……まるで俺の――」
「記憶にある“断片”と同じでしょう?」
「……ああ。夢の中で何度も見た」
マリーは微笑んだ。
泣き出しそうに、けれど誇らしげに。
「あなたの記憶が戻るまで、わたしは“きっかけ”を探し続けたの。
たこ焼きも、アールグレイも、梅田の夜景も……全部、“あなたが好きだったもの”。
あなた自身が忘れてしまった“あなた”を、取り戻すための時間でした」
優は息を呑む。
それはすべて、優が覚えていない“ふたりの思い出”だった。
マリーの声は震え、涙が光った。
「あなたが苦しむくらいなら、“自分が忘れた”ことにすればよかった。
優を責めさせないために……“悪者”は、わたしでいいと思ったの」
「……姉さんと話してた“嘘は愛”って言葉……あれも?」
「ええ。あなたのお姉さんも、同じ気持ちでした。
あなたの記憶が戻るその日まで、刺激しすぎないようにしようって。
あの人は……あなたを守りたかったの」
優の目に、涙が溢れた。
マリーは、胸元に手を置く。
「手紙に書いてあった“彼が目を覚ましたら約束を果たして”――
それは、あなたのこと。
事故から目覚めたあなたが、もう一度……わたしを迎えに来てくれる日を信じるための言葉でした」
優はゆっくりと椅子から立ち、マリーに近づいた。
「……全部、俺のためだったんだな」
「ええ。わたしの嘘は、全部あなたへの愛でした」
優は胸元から、青いペンダントを取り出した。
揺れる青い光が、マリーの涙を照らす。
「……空港で渡されたときから、ずっと気になってた。この石を触ると胸が痛いのは、なんでなんだろうって」
「思い出していいのよ、優」
マリーはそっと手を伸ばす。
「もう、“怖がらなくていい”。わたしがここにいるから」
優は目を閉じた。
すると――
記憶が、一気に溢れ返った。
──雨の夜。
──泣きながら名前を呼ぶ声。
──握り締められた小さな手。
──「わたしを置いていかないで!」と叫ぶ声。
──倒れた自分を抱きしめて泣くマリー。
そして。
『もう一度会えたら、必ず迎えに行く。
――マリー、愛してる』
自分が言った言葉が、はっきりと蘇った。
優は目を開いた。
涙が頬を伝った。
「……全部、思い出した」
マリーの表情が、完全に崩れた。
「ゆ……優……っ」
「ずっと……待っててくれたんだな」
「うん……うん……! 忘れてなんかない……ずっと……!」
マリーはもう堪えきれなかった。
泣きながら優の胸に顔を埋める。
「怖かった……あなたが思い出さないまま、わたしを忘れてしまうのが……
本当に……怖かった……!」
「忘れるわけないだろ。約束したんだよ、俺が」
雨上がりのセーヌ川沿い。
街灯が濡れた石畳に金色の帯をつくる。
マリーは泣き腫らした目のまま、優の手を握った。
「ねえ、優……
“迎えに来る”って……あの日の約束、本当だったの?」
「当たり前だろ」
優はマリーをまっすぐ見つめた。
「迎えに来たよ。三年遅れでな」
その言葉に、マリーの涙腺は完全に決壊した。
「……もう……置いてかないで……」
「離さないよ。二度と」
「ほんとう……?」
「約束する」
優はそっとマリーを抱き寄せる。
青いペンダントが、二人の胸の間で微かに触れ合った。
「マリー」
「……はい」
「俺と一緒に帰ろう。大阪でも、パリでもいい。
――どこでも……一緒にいてほしい」
マリーは涙の中で笑った。
「Oui……
Je veux rester avec toi.
――あなたと、生きていきたい」
優がマリーの頬に触れ、ゆっくり顔を寄せた。
「……これは、“さよなら”のキスじゃない」
「……ええ」
「“ただいま”のキスだ」
ふたりは静かに唇を重ねる。
雨音も、街の喧騒も、すべて消えるほどの深いキス。
マリーの涙と笑顔が混じり合い、
優の胸の奥で、三年間止まっていた時計が動き出した。
――ようやく帰ってきた。
――ようやく出会えた。
――最初の約束を取り戻した。
薄い雲のすき間から差す陽射しが、街並みを金色に染めている。
優はカフェの扉の前に立ち、深呼吸した。
――今日は、話す。
――今日こそ、すべてを終わらせる。
――いや……取り戻す。
胸ポケットの中で、青いペンダントが微かに触れた。
三年前、空港でマリーに返されたまま、ずっと持ち歩いていたもの。
その石の温もりは、記憶の奥の何かを確かに揺さぶっていた。
扉が開く。
アールグレイの香りが、優の胸の奥を一瞬で満たした。
「――いらっしゃいま…」
振り返ったマリーの声が、震えて止まる。
二人の視線が、三年分の距離を一瞬で飛び越えた。
「マリー」
その声だけで、彼女のまつ毛がわずかに震えた。
「……優」
その名を呼んだ瞬間、彼女の胸の奥で何かがほどける音がした。
閉店後のカフェ。
二人きりの静けさ。
外は春の夕立が降り始めていた。
「優……」
「話がしたくて来た。全部、聞かせてほしい」
マリーは指先を少し震わせながら、青いペンダントを見つめた。
「……隠していたことがあります」
「知ってる。けど、聞きたい」
「ええ……あなたに、やっと言えます」
マリーは深く息を吸い、まぶたを閉じた。
「――わたしが“忘れたフリ”をしていたのは、あなたが壊れないようにするためです」
雨がガラスを叩く音だけが響いた。
「優は、事故の夜……わたしをかばって倒れたの。
雨の中、泣きながらわたしの名前を呼んで……
そして、“もう一度会えたら必ず迎えに行く”って約束したのよ」
優の胸が強く締めつけられた。
「そんな話……まるで俺の――」
「記憶にある“断片”と同じでしょう?」
「……ああ。夢の中で何度も見た」
マリーは微笑んだ。
泣き出しそうに、けれど誇らしげに。
「あなたの記憶が戻るまで、わたしは“きっかけ”を探し続けたの。
たこ焼きも、アールグレイも、梅田の夜景も……全部、“あなたが好きだったもの”。
あなた自身が忘れてしまった“あなた”を、取り戻すための時間でした」
優は息を呑む。
それはすべて、優が覚えていない“ふたりの思い出”だった。
マリーの声は震え、涙が光った。
「あなたが苦しむくらいなら、“自分が忘れた”ことにすればよかった。
優を責めさせないために……“悪者”は、わたしでいいと思ったの」
「……姉さんと話してた“嘘は愛”って言葉……あれも?」
「ええ。あなたのお姉さんも、同じ気持ちでした。
あなたの記憶が戻るその日まで、刺激しすぎないようにしようって。
あの人は……あなたを守りたかったの」
優の目に、涙が溢れた。
マリーは、胸元に手を置く。
「手紙に書いてあった“彼が目を覚ましたら約束を果たして”――
それは、あなたのこと。
事故から目覚めたあなたが、もう一度……わたしを迎えに来てくれる日を信じるための言葉でした」
優はゆっくりと椅子から立ち、マリーに近づいた。
「……全部、俺のためだったんだな」
「ええ。わたしの嘘は、全部あなたへの愛でした」
優は胸元から、青いペンダントを取り出した。
揺れる青い光が、マリーの涙を照らす。
「……空港で渡されたときから、ずっと気になってた。この石を触ると胸が痛いのは、なんでなんだろうって」
「思い出していいのよ、優」
マリーはそっと手を伸ばす。
「もう、“怖がらなくていい”。わたしがここにいるから」
優は目を閉じた。
すると――
記憶が、一気に溢れ返った。
──雨の夜。
──泣きながら名前を呼ぶ声。
──握り締められた小さな手。
──「わたしを置いていかないで!」と叫ぶ声。
──倒れた自分を抱きしめて泣くマリー。
そして。
『もう一度会えたら、必ず迎えに行く。
――マリー、愛してる』
自分が言った言葉が、はっきりと蘇った。
優は目を開いた。
涙が頬を伝った。
「……全部、思い出した」
マリーの表情が、完全に崩れた。
「ゆ……優……っ」
「ずっと……待っててくれたんだな」
「うん……うん……! 忘れてなんかない……ずっと……!」
マリーはもう堪えきれなかった。
泣きながら優の胸に顔を埋める。
「怖かった……あなたが思い出さないまま、わたしを忘れてしまうのが……
本当に……怖かった……!」
「忘れるわけないだろ。約束したんだよ、俺が」
雨上がりのセーヌ川沿い。
街灯が濡れた石畳に金色の帯をつくる。
マリーは泣き腫らした目のまま、優の手を握った。
「ねえ、優……
“迎えに来る”って……あの日の約束、本当だったの?」
「当たり前だろ」
優はマリーをまっすぐ見つめた。
「迎えに来たよ。三年遅れでな」
その言葉に、マリーの涙腺は完全に決壊した。
「……もう……置いてかないで……」
「離さないよ。二度と」
「ほんとう……?」
「約束する」
優はそっとマリーを抱き寄せる。
青いペンダントが、二人の胸の間で微かに触れ合った。
「マリー」
「……はい」
「俺と一緒に帰ろう。大阪でも、パリでもいい。
――どこでも……一緒にいてほしい」
マリーは涙の中で笑った。
「Oui……
Je veux rester avec toi.
――あなたと、生きていきたい」
優がマリーの頬に触れ、ゆっくり顔を寄せた。
「……これは、“さよなら”のキスじゃない」
「……ええ」
「“ただいま”のキスだ」
ふたりは静かに唇を重ねる。
雨音も、街の喧騒も、すべて消えるほどの深いキス。
マリーの涙と笑顔が混じり合い、
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――ようやく帰ってきた。
――ようやく出会えた。
――最初の約束を取り戻した。
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